久し振りに早起きしましたが、何故か首筋と腰が痛い…そう言えば、友人『ノロ君』から貰った自転車のパンクを修理し、高畠ワイナリー秋の収穫祭に二日連続で出掛けたことは確かである。平家軍を追討すべく、源義経を真似て『一ノ谷の逆落とし』を自転車で再現し、河原の堤防を勇ましく駆け下り転倒したことは覚えている…したがって、不名誉な傷を負ったに違いないのであります^^;
さて『裏氏又郎伝説』を考えていたら、「桃太郎伝説」に思いが至ってしまいました。義経を真似て逆落としを決めにかかったのも、『勇猛果敢に戦うオジサン』を演じるつもりだったのだろうけれども、あえなく失敗…ここで「ジェンダーバイアス」という問題に突き当たったのであります。男の子は男らしく、女の子は女らしくなどと言うように、男女の役割について固定的な観念を持つこと、すなわち、男女の社会的、文化的な性差別ということになるのでありますが、こうした問題を考えていると「桃太郎伝説」も「桃子さんと太郎君の伝説」に改題しなければならないのだろうかなどと、お話の内容よりも男女平等な社会を作るためにはどうあるべきかなどという方向に思考が働くのでありまして、「むかし、むかし、お爺さんは山に芝刈りに、お婆さんは川に洗濯に行きました。」という在り来たりなお話の始まりも、「むかし、むかし、ジェンダーフリーに目覚めたお爺さんとお婆さんは、外仕事も家事も仲良く分担して暮らしておりましたとさ。」から始めないと男女差別だと言われかねないと筆の動きが急に鈍る『夢屋国王』であります^^;
しかし、「ジェンダーフリー」の概念を行き過ぎた形で振りかざすと「桃子さんと太郎君」という名前さえも噛みつかれそうであります。まずは、呼び方も「桃子さん」と「太郎さん」と改めなければならないし、男女平等を意識して「桃子さん」にも登場願う訳でありますが、「桃子さん」が女性で「太郎さん」が男性であると誰が決めたのですか?などと言われはじめたら、お話は一向に進まないのであります^^;
もしかして「お爺さん」「お婆さん」という表現すらも男女差別だと言われたらどうしよう…「むかし、むかし、結婚と言う名の私的契約で、共同生活を営むと決意した二人の老人が、お互いの立場を尊重しながら、仕事も家事も分担して仲良く暮らしておりましたとさ。残念ながら二人の老人は子宝に恵まれず…。」
「二人の間に子どもが生まれないことは不幸なことなのでしょうか?」…はい、はい、ここまで来たら昔話は語れない。一気に「桃と太郎の伝説」は終わりを迎えるのであります。『夢屋国王』は、ジェンダーフリーに目覚めたのではなく、自転車の逆落としで頭の重要な箇所をどこかにぶつけたのかも知れない…などと、しきりに首筋を摩るのであります^^;