今年も「3.11」は、やって来る。
大きな余震や停電、続くガソリン不足に慌てふためいた日々はいつの日か。少しずつ記憶から消えつつあるものの、3月11日はやって来る。未曾有の自然災害の犠牲となった方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
さて、日々の生活に不平不満を漏らしながらも、こうして生きている。生きているから、痛みを感じるし、不平不満も募るのではありますが、「あの世」というものを知らない以上、「この世」を精一杯楽しく暮らしたい。「痛み」を感じられるから、他人から受ける「癒し」や温情は、一層ありがたく感じられるのではないでしょうか。
我が在所に『そばえる』という方言があり、幼子が親に甘える様子を言い表すのでありますが、「戯える(そばえる)」という文語調の言葉があり、「風があまく、やわらかく吹く様子」や「動物が戯れるさま」を指すということを知りました。あれまぁ…アタシャ『そばえる』…「傍にいるよ」くらいに解釈しておりましたけれどね。
「いい大人が、弱音を吐くな!!!」では厳しすぎる。大人だって、男だって、女だって、時には「弱音を吐き出して良いんです。」誰かに『そばえ』て良いんだよ。誰かが貴方の「傍」にいる。そんなことを考えた3月11日でありました。