ちょうど1週間前の今日、長崎県対馬市出身で将棋のプロ棋士である佐々木大地四段の昇段記念祝賀会が大村シ―ハットで開かれた。
県内の日本将棋連盟の各支部の特に若手のみなさんが協力して、今年の5月頃からその準備を進めてきたらしい。
私が祝賀会の話を聞いたのは2週間ほど前だっただろうか。日本将棋連盟佐世保支部の松山先生から電話が入り、これこれこうだけど来られますかという内容だった。予定を確認して「もちろんですよ」と答えると、「何か仕事探しておきますね」とのこと、「何でもやりますよ」と半分冗談、半分本気で応じていた。
私自身が将棋を指さないので、普段は県内の各支部のみなさん方との交流はほとんどない。ただ、私が大の将棋ファンだということを松山先生は十分ご存じで、タイトル戦が催される時とか、深浦九段が帰って来られる時とか何か特別なことがある際には必ず声をかけてくださる。まあ、賑やかしに打って付けとでも思っておられるのだろう。私自身、その役回りを心得ているつもりだ。
当日2日前だったか、松山先生から再び電話が入り、出発の待ち合わせの場所とか時刻を決めた。自宅まで迎えに行きましょうかと言っていただいたが、車を出してくれるのが三浦君という青年、つまり、こちらから行く3人の中で彼だけ夜の懇親会で飲めない訳だ。さすがに、自宅まで迎えに来てもらうのは気が引けて、中里インターチェンジ近くの道の駅「させぼっくす」で落ち合うことにした。祝賀会での私の「仕事」は司会進行役が与えられた。
当日朝、女房どのに「させぼっくす」まで送ってもらう。
三浦君とは久しぶりだった。彼が高校生の頃、秀楽に将棋を指しに来ていた頃を知っているが、立派な青年に、いや、立派なおじさんになった。
大村まで、車内では3人の話が途切れることなく続いた。
会場に着くや、荷物の搬入、会場の設営と各支部の若者が中心となって動く。会社員、自営業者、ボートレーサー、県庁職員と彼らの職業は様々だ。当然、みんな手弁当なのだが、まるでそれが本職のイベント業者かのように手際よく黙々と汗を流していた。
ところで、最近、松山先生は長く務めてきた佐世保支部長を辞めた。後進に道を譲るためだ。
組織の長に古い人がいつまでもふんぞり返り、居座り続けるのはよくない。人は引き際が大切だと思う。
さて、会場の設営が終わり来場者の受付が始まったころ、佐々木大地四段も姿を見せてくれた。
2年前、彼がフリークラス入りして間もない頃に再会した際は坊主頭だった。しかし、この日、髪の毛も伸び、そのせいばかりではなく、いかにも新進気鋭の若手棋士らしい雰囲気を醸し出すまでになっていた。
祝賀会が始まるまで、彼の緊張を解きほぐそうと、近況などを語り合い、ネクタイの結び目を直してやったりして過ごした。今や、「先生」と呼ばれるプロ棋士になった佐々木四段なのだが、彼が小学1年生の時からできた縁からして、私にとっては「佐々木くん」であり「大地くん」なのである。小学生将棋名人戦県大会の決勝で、くるみさんと対局する小学1年生のあどけなかった佐々木大地少年の顔を今でもはっきりと覚えている。
午前10時、いよいよ開会だ。会場に着いた後、松山先生と進行を簡単に打ち合わせていた。
先ず、この会の実質的な主催者である日本将棋連盟佐世保支部普及部長(現在の肩書)の松山先生による挨拶、続いて本日の主役である佐々木大地四段に挨拶をしてもらい、引き続き、佐々木大地四段の師匠である深浦康市九段から預かっていたメッセージをみなさんにご披露した後、Aクラス・Bクラス・子供クラスに分かれての対局を始めていただいた。
その後は、大会に並行して佐々木四段の色紙の為書きのプレゼント、佐々木四段と2013年のアマ竜王・伊ヶ崎さんの2人による指導対局・八面指し、リレー将棋と大盤解説、駒の根付の抽選会等々、午前10時から午後5時まで盛りだくさんの内容で展開された。
そして最後は、佐々木四段が握手でお送りするという至れり尽くせりのサービスで、100人を超える来場者のみなさんもご満足の様子だった。
私自身も、十数年ぶりにお目にかかれる方が何人かいらっしゃって、その方にご挨拶が出来たり、お話しが出来たり、また、ブログをご覧いただいている方からその旨お声をかけていただいたりと楽しいひと時を過ごすことができた。
大村シーハットでの催し物をすべて終え、後片付けをした後、場所を変え、佐々木大地四段を囲み、20名ほどで懇親会を行った。
酒が進む中、佐々木四段への質問コーナーでは年収は?とか、結婚の時期は?など答えにくいような質問も出たが、彼は変に隠したり、ごまかしたりせず如才の無い応対をとっていた。
この日一日、佐々木四段と交わってみて、彼が単にプロ棋士になるという大きな目標を達成しただけではなく、何より大切な人としてきちんと成長出来ているのを感じて嬉しかった。
佐々木四段の師匠である深浦九段のメッセージの後段に「自分は長崎、九州の皆さんが応援してくれるからここまで来れました。佐々木君も郷土の声援を胸に精一杯頑張ってください」とあった。
奨励会を抜けて四段になりプロ棋士として立つのは大変なことだ。だが、そこから師匠のような偉大な棋士になるのはもっと大変なことだ。
佐々木四段は、それこそ師匠の言葉を胸にきっと頑張っていくのだろう。
私も、長崎県内の将棋仲間の皆さんと共に精一杯、応援していこう。
そんなゆうじろうさんに、佐々木大地四段と深浦康市九段の色紙をお土産に渡すなんて恥ずかしい限りです。。。いつでももらえますよね。失礼いたしました。
私もいつかプロ棋士の方々とお話ししてみたいです。
佐々木四段、「へぇ~!」と驚いてくれました。
ちなみに、あの扇子は数多く作っていないそうですから貴重です。改めて有難うございました。
今回、佐々木四段にいろんなこと訊きましたが、実に興味深い答えが返ってきました。
天才の頭の中、心の内を知り得る機会はそうそうあるものではないでしょう。その点、私は恵まれました。
それにしても、故・米長邦雄永世棋聖は、たいそう魅了的な方でした。
けんじさんにも、そいう機会が訪れますように。