gooブログはじめました!

あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

集めたものではなく、与えたもの

2021-08-14 17:10:55 | 日記

「止まない雨はない」というが、まだまだ雨は止みそうになく河川の氾濫が続く。普段は何でもない自然の摂理が降り続く雨で狂ってくる。その威力は恐ろしい。TVでニュースを見るのがつらくなる。できることは神に祈ることだけだ。

ほんのわずかの時間雨が止んだら、大家さんの庭でツクツクボウシが鳴いていた。そろそろ秋が近いのだろう。この雨でもできるだけ1日8000歩歩かないと気になる。変なところが神経質なのだ。駅のほうまで15分、往復で5000歩くらいだが出かけた。駅に近い黒壁の町へ入るとびっくり!子供連れの観光客であふれ、駐車場を探す県外ナンバーの車がノロノロ運転をしている。私は仏さまへ供える和菓子を買いに出たのと心の中で言い訳をした。(不要かもしれない・・・)声を涸らすくらいに(選挙の時の声のように)呼びかけなければ、人はもう言うことを聞かないだろう。

帰り道はできるだけ人通りの少ないところを通った。あるお寺に『人生の終わりに残るものは、集めたものではなく、与えたものだ。』(三浦綾子)と書かれた額があった。三浦綾子さんはクリスチャンだよなぁなどと思ったが、心の広いお寺なのだろう。私にはいい言葉だった。

やっと書いて出した残暑見舞いに叔母から電話があった。気にかけてくれてありがとうと元気な声で話してくれた。はがき1枚でも喜んでもらえることがうれしかった。大それたことはできないが、私の人生は小さなことでも差し上げたものの集まりように思えた。集めたものは人の輪(和)くらいだ。

6畳一間の部屋の机に遺骨がぽつんと残るだけの人生でも、私はいいと思う。誰かが一輪の花を供えてくれるかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする