伊吹山がくっきり見える。気温が高いが、風があるので湿度も低く過ごしやすい。それでも昼間は出かけたくなかった。宮本輝の「睡蓮の長いまどろみ」を読み終わった。20年前くらいの作品だろうか。私もこの本を読んで「睡蓮と蓮」の違いを知った。なかなか興味深いストーリだった。どうも宮本輝独特の「うちなる女」は女の私にはわからない。赤ん坊の時に別れた子供(もはや子供ではないが)と40年以上たって初めて会った時、母親はそれが自分の子だとわかったという。「血」とはそういうものかと思った。今日は「家族」というものを考えた日だった。
もうコロナのニュースも見たくなくなった。アフガニスタンの難民はどこへ行くのだろうかと、それのほうが深刻な問題で心が痛む。夕方散歩に町に出たが、昔なら花金なのに5時半で店はほとんど開いていない。
金曜日はザワつくで笑うことにしている。理屈抜きでおかしいし、いやみがない。そうだ、ちがうざわつくがあるなぁなんて思った。心がざわつくというのか、忘れていたような感情が沸き起こるような感じだ。
知人が作られた詩です。
「波立ち」
心が波立つというのは 光が海面で撥ねるときのことです。
なぜか光は乱反射して まだ一つに収束しません
やがてさざ波がおきると次第にもりあがり
波は波を重ねてもりあがりもはや止まらないのです
岸辺の草をぬらして波がひいてしまうと、まるで何もなかったようだけれど
波の記憶は残ります
波の記憶がざわつくのだろうか。心がざわざわして、走りだしたくなったり・・・。その感覚が背中を走ったり・・・。たま~に、あなたのことでざわつきます。