久しぶりに道の駅へ買い出しに出かけた。野菜が値上がりしているというので、鎌倉のおばあちゃんの分も担いで帰った。今年のお米の出来はどうなのだろう?などとも思いながら、赤とんぼの群れに襲われそうな田んぼ道を歩いた。しおからとんぼもいた。短い命をつなごうとしている。
ジェンダーの問題を考えていた。日本は時期的(早晩の)な問題ではなく、自ら勝ち取ったものではなく戦後GHQの指導の下に得ていったものだからではないだろうか。ほかの権利もそのように感じる。ジェンダーギャップ指数ランキング1位のアイスランドは、国の女性の90%が仕事のストライキをしてその存在を認めさせたという。パワハラだのセクハラだのの話は日本では2000年くらいからではないだろうか。だから、80代のおじいさんたちは会社に勤めていても、そんな話題にあまり触れずに退職したと思う。ましてスポーツ界などはね。
尾身会長のバッハIOC会長に関してかなりはっきり批判したようだ。「銀座にも1度行ったでしょ」はなにか彼の地の発言のように思えた。確か、尾身さんが大学受験の年は東大が大学紛争で入学試験中止だったはずだ。学生たちが自分たちの力で大学運営の民主化を図ろうとした闘争だ。他大学や高校生までに及んだ。多くの学生が社会問題に関心を持って、デモ等に参加した。学生の身分でも自分たちの手でというのが、核にあった気がする。その後、彼らは社会に出て高度成長を担う世代になった。尾身さん上が年代が団塊の世代になる。24時間戦えますかの世代だ。だから、奥さんは基本的に家にいた。
私の変な見方かも知れないが、遠藤周作さんが「日本人に合ったキリスト教」といっているように、日本人が咀嚼できない自由・平等というものは、日本人に合ったものにする必要があるように思う。平塚らいてふさんのように、女性も自ら声をあげていかないと難しい問題だ。
コロナは考えようで今の時期でよかった。大いに医療にしても変革を論じていくのがいいと思う。もう、単なる批判といいわけでは間に合わなくなる。(今日は偉そうね、失礼しました)