暖かい日、それだけでうれしい。今日も仕事の予定は何もなく、最後の教え子のお母さんをランチをするだけだ。小5から2年間、中学受験まで戦った。「先生の最後の生徒なのだから、もっといい学校に受かればよかったのに」と彼女はいったが、彼と過ごした2年間は最後にふさわしかった。2年間でたくましくなっただけでも、十分だ。なにがその子の将来にとっていい学校と言えるのか 私にはわからない。でも、「途中でやめずに頑張れた」ということは大きいと思う。
人はどこで「ラッキー」と言えるものを手に入れられるかわからなし、なにが「ラッキー」か自体がわからないが。今日会った彼女のお友達は「イケメン、高学歴、エリート会社員、でも全く面白くはない人」と結婚したという。男性は再婚だそうだ。ちょっとアルバイトに行ったその会社で知り合って結婚し、今は女の子2人がいて、二人とも父親似の美人、才媛だという。「面白くない」夫をよそに、その友達は人生を楽しんでいるという。
私にはわからない・・・。これを「ラッキー」というのだろうか。男性にとってはどうなのだろうか。でも、帰る家があって、家族が待っていれば(たぶん待っている?)離婚して一人でいるよりは「ラッキー」だろうなぁ。食べるものが用意されて、掃除や洗濯もされていれば、可もなく不可もなくなら、それだけでOKじゃないかな。女のひとりはいいけど、男やもめはよくない。
彼女が別れ際に「いいなぁ、先生はホテルかのんびり、私はこれから食事の支度だわ」と言った。「よくなんかないわ」私は心の中でつぶやいた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます