どんよりした空だが、暖かい。今日はミサ、聖書通読、陶芸教室とおばあさんにはハードスケジュールだ。この年になると何でも回数が多くないとそのことが理解ができない。ミサは何かを理解するというよりは、神の前に坐るということだけだが、それでもいままでとは違う。聖書通読は、神父様からその日の通読の範囲のポイントは配られるがひたすら読むだけ。そして、陶芸もおばあさんは覚えるのに若者の2倍の時間がかかる。「年を取ることへの処方箋はない」というがまさにその通りだ。
巷のスーパーではチョコレートが並んでいる。それでも都会ほど熱がないようだ。あまり騒がない。本命チョコも義理チョコも自分へのご褒美チョコもない。ニュースでもあまり取り上げられない。ウイルスのお話でそれどころではないと思う。聖書で読んだ個所も人の欲深さ(物質的なもの)を毎回いやというほど読んでいる。そして、読んでいる小説も戦国時代なので権力争い故の殺戮が繰り返されている。人の欲とは変わらず、いまも物質欲で世界が動いているようだ。
聖書の中でも兄弟の中で嫉妬があり、一人の男が他国の高官に奴隷として売られ、その高官の妻に気に入られ誘惑される。断られた妻は嘘をいいその高官に男を投獄される などという話がたくさんある。最後は、神は救いの道を教えられ救われるのであるが・・・。
こと、ひとのあいは裁けるものではないと思う。今TVでは多くのひとが、ひとをさばく発言をしている。発言の自由かもしれないが、あまりにも安易ではないだろうか。本物に見えても義理のチョコもあるであろう。そっとポケットにしまっておくチョコもあろう。
ひとの心の覚悟や心映えは、ひとが裁くものでは無いように思う。あえて、裁くのは神とは言わないが。
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