昼間はコートがいらないほど暖かかった。引越で遅れたNPOの仕事がいよいよ押せ押せにきている。といっても期限があるわけでもにので、ひとつひとつ順序よくやっている。長浜に来てからは、午前中はこれ、午後からはこれとやることを決めて、そして5時になると1階に下りて夕食の仕度ができる。そんな生活がうれしい。今日も街は観光客が多かった。ここにきて困るのは、固いパンがないこと。フランスパン類があまりないし、あっても高い。平塚よりも普通のパンは100円くらい安いし、和菓子も100円くらい安い。でも、こだわりの真知子さんはフランスパンを毎日求め歩いている。
玄関や和室に母の書を飾った。わが母親ながら見事だ。70からの手習いで、師範までやりとおし、展覧会にもよく作品を出していた。残っていた作品や和紙や墨などなど、よくまぁこんなにお金が使えた と羨ましい。でも、こうして遺作を飾ってみると、母を感じることができる。「老後のすべてはお金で決まる」と思うこの頃だが、母はお金は残さなかったが生きる力と豊かさを残してくれた。
遺作を見ながら、弟のことを思い出した。弟は母の形見と渡した宝石をきれいなビロードの宝石入れに飾った。しばらくは、なんで宝石など喜ぶのか?疑問だった。でも、こうして遺作の書を見ていると、弟の気持ちがわかる気がした。生命保険金などよりも嬉しいのだろう。私よりも母との関係が薄かった弟は、宝石で母を偲んでいるのだろう。母が最後まで身につけていた指輪を一番喜んだのもそんなことだろう。母もやはり理屈抜きに、弟が可愛かったのだろう。『男の子よりは女の子がいるといいわよね』とは言うが、母親と息子は娘にはわからない絆がある。まして、男の子が母親を思う気持ちは、ロマンチストで深い。どこの息子も同じ気がする。
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