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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

梅の香

2017-01-10 20:12:08 | 日記
 年末から暖かいのか、もう梅が咲きだしました。梅は香りがいいですね。「東風吹かば 匂い起こせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」この和歌を思い出します。また、鎌倉へ出かけようかと思いました。

 思うことがあるとぶろぐを書いてきました。心の日記ともいうのでしょうか。それがストレス解消なのかもしれません。でも、一番書きたいこと、書きたいときは言葉が消えてしまいます。言葉にするには重過ぎるのかもしれません。ふと思いついて、気がついて、それが自分の勝手な思い込みであっても、やはり重いことがあります。「そうだったのか・・・」と思うと胸が痛みます。自分のことも、いわんや相手のことも 気づかずに、ある日突然心に浮かんできたこと・・・。

 香りの記憶について書いたことがありました。梅の香りや水仙の香り、ストックの香りが部屋へ入るとほのかにします。薔薇の香りのように強くない上品な香り。そんな香りのように心の中に閉じ込めておきたい思いもありますね。今日はさびしい夜です。

 

 
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 人生の行・十字架

2017-01-08 22:06:29 | 日記
 寒い日曜日。それでも今日はミサに出かけました。お御堂の中は、外と同じくらい寒いです。今年からは、ミサには仕事がたまっていても行こうと 決めました。ミサから帰ると風邪をひいたのかと思うくらい体がぞくそくしました。早めに昼食をとると、疲れが出てきて横になりたくなりました。NPO法人の経理の仕事がたまっています。証憑や伝票でテーブルが散らかります。どうしてこんなに休みもなく私の生活を侵食してくるのだろう と思いました。

 少し休もうとソファーに横になりNHKアーカイブスの「比叡山 千日回峰 ~一日一生 今を生きる~」を見ました。確かNHKの番組で酒井雄哉さんを見て、本を求めたことがありました。ごく普通の人が仏にであったり、神に出会うことで人生が大きく変わることがあります。番組では修行を終えた酒井さんを「生き仏のよう」と信者の方が言っていました。人にはそれぞれ「業」のようなものがあり、それを背負って生きるのが「人生」の「行」のように思えました。自ら求めた仕事であれ、それを選んだ人生は理屈では言い切れないことがあるように思えるのです。「なぜ?」この道を行くのか?

 酒井さんとは月とすっぽんどころではないのですが、私はこのNPOの仕事を続けるのが私の「行」であり「十字架」なのではないかと思えたのです。神との出会いもこのことがなければありませんでした。自分のすべてを出し切れる「行」なのではないのか と思えたのです。そのために多くの出会いがあり、多くの支えがあり、多くの感謝があるのではないかと。

  
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料理をつくる

2017-01-07 22:33:31 | 日記
 子供のころあまり好きでなかった七草粥。意外にこの習慣が残っているのかスーパーでも七草が売れています。今日の朝日新聞に「変わる家族 手料理も外注」という記事がありました。働いている時間や子供の勉強を見ている時間を確保するために料理を家事代行業者から派遣されてくるスタッフがするそうです。掃除の外注は聞いていましたが、いよいよ料理まで と思うのです。家族の形態も変わり、家事もお金に換算する時代になるようです。そうでなくても、コンビニやスーパーへ行けば、なんでも料理はそろっています。

 もう20年近く前でしょうか。冷蔵庫の前に座り込んでなにを料理していいのかわからなくなったのは。どんなに忙しくても料理は好きでしていたのに・・・。夫のために何を作っていいのかわからなくなったのです。いや、作れなくなったのです。もちろん料理は続けましたが、私の中のメッキが剥がれだしたのです。

 「今夜、なにを作ろうか?」「これは美味しそうだから食べてくれるかな?」などと考えて暮らしていました。それは楽しみであり、生きがいでもあり、「愛情」であると思っていました。

 時代は変わり、家族の形態も変わり、お金で買えるものが増えました。「愛情」なんて死後かもしれませんし、そんなことを考えないのかもしれません。NHKドラマ「ばっちゃん」は

悪いことをときは「飢えていくとき」だと語り、食べること、そして手作りのもの食べることがないよりだ と話していました。だれが作っても手作りならいいいのでしょうか。

 
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希望の虹

2017-01-05 22:40:43 | 日記
 年が明けてもう五日経ってしまいました。大晦日から家にいないことが多く、やっと今日暮れからの片付けになりました。大晦日は、母が私に付き合ったのか、私が母に付き合ったのか紅白歌合戦を観ていました。「関ジャニは昔のメンバーのほうがよかったね」という母の言葉に、TVも観ないで働いていたのだなぁ と思うのです。冷えてくる部屋にいると、どこから直したらよいかわからないようなあばら家を放っておいたことが悔やまれました。母が眠ったあと、火の気のない二階の部屋で私の人生は、なにをしてきた人生なのか と悲しくなるのでした。今頃、子供や孫に囲まれて過ごすことができたいたのに・・・と。布団にもぐりこんでしばらく天井を見ていました。

 3日からは京都へ。今年は日帰りではなく取材のあと1泊することにしました。京都で会うサッカー仲間も「みんな友達」という感じで、気分を明るくさせてくれました。これが私の宝物なのかもしれません。4日は行きたかった酬恩庵一休寺へ。「一休」という人に興味があったのです。朝早い時間の寺は参拝客もなく、ただ苔の緑が美しく輝いているようでした。何も考えずにカメラのシャッターを切りました。一休さんのお話をしてくださった方にお見せしたかったのです。この時空はなんと素敵なのでしょう。幽玄な空気が漂います。

 午後は延暦寺へ。根本中堂の不滅の法灯を見ると、人の生きる道にそんなに差はないのではないのではないか と思えるのです。騒ぐことなどほとんどないような気がするのです。

 比叡からの帰り道。琵琶湖に大きな虹がかかっていました。

 

 
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