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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

 極める ということ

2018-02-16 20:12:01 | 日記
 暖房を入れないでいると今朝は寒かった。暖かい日が続くと、寒い朝は堪える。今日はNPO法人の理事会。来年度の活動計画を決めることになる。NPO法人になって3年目、私自身が変わらなくてはと出かけた。NPOの理事を決めるときは、かなりの時間悩んだ。最後は自分の感性だけだった。3年目に入り、特に今日の理事会では、このメンバーでよかったと思えた。上手くいえないが、つまらない欲がないことだろう。それが社会貢献には一番必要だと思う。

 みなさんの貴重な時間を頂いて、会議が終わり帰宅した。気になる結弦君の結果を知りたくてTVをつけた。パソコンのニュースを見るとつまらなくなるので、白紙でみていた。会場も報道もヒートアップしている。そんなこととは無縁のように爽やかな青年が現れた。演技を見ていて、涙があふれてきた。うつくしい というよりは完成された「美」というのか。もはや芸術ではないか。羽生結弦に氷の妖精が入り込むのか、羽生結弦が氷の妖精に変わるのか?流れるような自然体の演技は人を惹き込むものがある。怪我からの復帰 というようなことですばらしいのではなく(もちろんそれもすばらしいいが)、そこに流れる羽生結弦のものを極めていく精神というのか。その若さからは信じられないようなものだ。

 「朱を通らなくては、朱は描けない」という志村ふくみさんの言葉のように、究極の「朱」を見たような気がした。人生の最期までに、私もその純度を高めたいと思った。

 

 
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 望むがよろしい

2018-02-15 22:59:18 | 日記
 月曜日から毎日1万歩を超えて歩いていた。さすがに今日は腰が痛い。でも、だいぶ歩けるようになった。8千歩は楽だが、1万歩を超えると「歩いた」 という感じになる。入浴を終えると疲れがどっと出てくる。毎日、私はなにをしているのだろうか。

 今朝、お茶の先生からメールがあった。悩みが多い生活の中で、久しぶりに心にエネルギーをチャージできました というメールだった。先日のお茶席で先生が初釜のお茶菓子をわざわざ私に出してくださった。茶巾包みのような小さなお干菓子におみくじが入っているという。どうしていいものか?迷っていると、割ってみてください という。恐る恐る崩していくと、それこそ小さな紙の丸めたものがでてきた。薄い和紙を開くと「望むが よろしい」という字が出てきた。あっと声を上げるほどうれしかった。「望んでいいのだ!」

 「祈り」とは、心の叫びである という講義があった。たとえば、「お金がほしい」、「会長になりたい」などは「doing」の望みだという。人の生活とはこのdoingが中心であると。そうではなくて、人としての存在としての心の叫び(祈り)がbeingの祈り と言われた。私の日々の祈りが変わった。きれいごとでない、どうかこうであってください と強い祈りになった。

 気を落とさずにたえず祈っていけば、叶うような気持ちになれた。心地よい疲れがでてきた。

 

 
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 バレンタインデー雑感

2018-02-14 22:44:47 | 日記
 久しぶりに目覚ましで目を覚ました。今日は、母の通院日。いつものんびりの朝が忙しい。母は調子がいいのか部屋を温めて、お茶の準備をしてくれていた。大好きな先生に会えるので、おしゃれをして、眉を描いて、口紅をつけていた。先生のお陰で認知症が進まないのでは と思っている。先生に宿題を出すように、日記を持っていく。先生も楽しみらしい。今日の傑作は「地球釜」だ。三菱製紙の工場跡へ見学に行ったらしい。そのときに母が描いた「地球釜」の絵。サッカーボールの出来損ないのような絵。先生も首をかしげ、想像ができないらしい。看護師さんがネットで調べると、損紙などを蒸して再生紙にした釜らしい。確かにその絵のようだった。ほら、同じでしょう!母は得意顔。さらに笑えるのは、先生が「きげん節(ぶし」ってなんですか?と。母は「きげん節(せつ)」でございます。もう、みなで大笑い。私も「きげんぶし」と読んだ。帰り道、母は上機嫌。残っていた雪を見つけて、子供のように踏みに行く。私も同じことをしたろうな。親子だ。

 帰りの電車。くたくたの日はグリーン車を自分にプレゼント。バレンタインデーに関係ないように、男たちがビールを飲んでいる。「おつかれさま」。駅に降りると、高校生のカップルが多い。そうか、今日は特別の日だったのか。色違いのおそろいのマフラー。高校時代、そんなカップルに嫉妬して皆で「後ろから締めようか」なんて言ったものだ。懐かしい。家に戻ってTVをつけると、うつくしい目の青年が、落ち着いた口調で話をしていた。なんとすがすがしい目なのだろう。「歩夢」とはいい名前だ。

 伝えたい想いは伝えた。きっと、わかってくれただろう。一番プレゼントしたいのは、茶釜が煮えたたぎる音「松風」。いつかプレゼントしたい。

 

 
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 ひといきついて

2018-02-13 21:22:49 | 日記
 山のような資源ごみ(紙ごみ)を出しに外に出ると、暖かかった。春が近いようだ。今日はストレッチとボールけりに出かける日。お弁当を作って重い荷物を担いで出かける。往復で一万歩は歩ける。健康だ。

 40名くらいの70歳以上のお兄さんたちと一緒だ。世間の70歳のイメージとは違いみなさん元気だ。こうして実際にサッカーの練習の中に入ると、その健康な身体がよくわかる。これなら80歳になっても走れるわけだ。組分けをして試合をするのだが、その順番やユニフォームの色を決める。『最初はグー・・・』で始まるが、まさにガキの(ごめんなさい)集まりだ。なんでこんなことでからかったりして楽しんでいられるのだろうか。でも、私は男たちのこんなところが好きだ。ばかばかしいことを本気でやっている。学校の帰り道、くだらないことでじゃれている子供と同じようだ。

 群れているようで、意外にお昼はひとりひとりが別々に食べている。孤食だ。愛妻弁当の人もいるが、コンビニのおにぎりやパンやらを食べている。水筒にお茶をしっかり持ってきている。私など荷物が重いので敬遠しているのに。こんな風景も私には気が楽だ。どこに座っても大丈夫だからだ。面倒でないのがいい。

 先日のお茶会の席で、皆さんが「きちんんと」「はっきり」ものを言われるのが恐かった。私はあのようにはっきり意見が言えない。話をお聞きしていてうらやましかった。いいなぁ と。

 どうもばかげたことを楽しみ、グレーゾーンを許容する男社会のほうがわたしには向いているらしい。

 
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 海の見える丘

2018-02-12 20:56:00 | 日記
 朝、固定電話が鳴った。ギクッとする。まず考えるのは、母になにかあったのではないか?だ。電話はその母からだった。今日はこちらへ来る日だったか?と。5分ともたない記憶なのに、日曜日の夜に言ったことを覚えているのだ。曜日もあやふやなので、水曜日に行くと言っても無駄なのだが。胸が痛む。だれが考えても一緒に住めばいいのにだが、私は実家に戻らない。

 母のことだけでなく、どちらもその位置から動けないときがある。母は認知症なので住まいを動かせば、認知症が進む。母の環境は変えられない。私は、荷物を整理すれば実家へいけないことはないが、問題はコピー機だ。私の引越しを悩ませる知人に譲ってもらったコピー機は私の仕事では必要だ。もう、20年近く機種を変えたりして持ち歩いている。NPOの仕事環境も実家で維持することは難しいが、全部譲っても、やはり実家へは帰りたくない。それはもう理屈ではない。実家のある環境がダメなのだ。いい思い出もない。

 母の電話のあと、教会のお友達からメールが来た。2つ先の二宮駅にある吾妻山の菜の花を見に行くのを付き合ってほしいだった。二人とも初めて出かける。吾妻山は低い山だが、想像よりも階段があり、菜の花は簡単には姿を現さなかった。天気が良いので、高台から見える海が碧くきれいだった。

 私のわがままだろう。海があり、山が見えるこの環境は捨てることが出来ない。もし、時が来て自由に動けるようになってもおそらく同じような環境を選ぶだろう。母を呼び寄せることができたら・・・。今日も胸が痛んだ。お母さん、ごめんなさい と。

 

 
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