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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

 雪国へ

2018-02-22 07:44:21 | 日記
 思わず「すばらしい!」と力が入った女子の団体パシュートでした。1秒という単位が億のような世界です。無駄のないうつくしいラインがみだれることなく走りぬけていきます。

 昨日のお茶のお稽古でサッカーよりも腰が痛くなり、座るということのほうが腰に負担が多いことがよくわかりました。久しぶりに集中した時間で、家に帰るとくたくたでした。夜中に目が覚めて、ふと気がつきました。茶道は無駄を省いたさえたたるものだと。余分な動きも飾りもない。

 日々の暮らしで腹の立つこともあるけれど、そのようなものをほとんど心に残すことなく毎日が過ぎていっている。そうね と受け入れていくことが多い。欲も捨ててきている。さまざまなものをそぎ落としてきている。だからこそやっていけることがあるのだろう。その世界だけでは、世間はやっていけない。その世界に引き戻されたとき、別の仮面が必要になる。どうもその仮面が上手くかぶれない。

 お茶を始めた理由がなんとなくわかった。そぎ落とされたときを、松風を聞きながらともに過ごしたいのでしょう。

 明日は雪国へ出かけます。純白の世界でもう一度心をさらにしてきます。

 

 

 
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 ふたつのよかったこと

2018-02-20 22:21:39 | 日記
 外出して部屋のドアを開けると、ストックの甘い香りがする。春の香りだ。今日は暖かだった・。

 このブログも時には、人に勇気を与えることもあるのかもしれない。

 今日はサッカーの練習日。雪の予報だった。仕事がたまっているので休めると 期待していたが、みごとに晴れた。でも、出かけて青空の下で運動できるのは気持ちがいい。今日は身体が軽かった。リーグ戦の日なので参加者も多い。私は、ボール蹴りの練習ができない。一人でボールを蹴っていると、「お相手しましょうか?」と声をかけてくださった。前から何度もお会いしている方なのだが、初めてお話できた。こんなときはとてもうれしい。記事を書くだけで、なかなか皆さんの中には入れなかったが、いまは仲間入りして冗談を言い合っている。思い切って参加してよかった。ともかく健康になりそうだ。でも、試合は聞くまでもなく、許可はでないので参加できない。もしものことがあれば、圧迫骨折か網膜はく離の身体に影響がでる。出来るだけみなさんと楽しいときを過ごして、健康を増進したい。

 もうひとつ、いいことは、何回も書いている二人の食卓だ。食器を2つ洗うのと1つ洗うのとでは、気分が違う。2人分食事の準備をするのはルーチンワークになっている。それがテーブルを豊かにし、部屋を豊かにした。継続することで、ここは2人の部屋になった。そのあたたかさで暮らしている。

 そして、明日もう一ついいことが始まりそうだ。お茶のお稽古が始まる。なんとなく袱紗の捌きを覚えている。使わなかった脳の部位が働きだしそうだ。つらかった日々からは考えられない幸せだ。晩年はいい という運勢はうそではなかったようだ。

 

 
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 勝負強さ

2018-02-19 23:41:07 | 日記
 お友達がNPOの仕事を手伝いに来てくれた。とても助かるのだが、朝からなにかと忙しい。子供のころ、私の家は来客が多かった。祖母がそつなく、接待をしていた。祖父も来客を大事にしたので、長居をする人が多かったのを覚えている。父と母はそういうことはあまりよく出来ずにきてしまったようだ。隔世遺伝で私は祖母の血を引いたのか、来客が多いのはうれしかった。

 夕食後、残した自分の仕事をいやいや処理した。TVで女子カーリングを放送していた。カーリングは、少しずつルールを覚えた。面白いゲームだ。でも、10エンドは観るのがきつい。このLS北見は不思議なチームだ。女子会のように明るい。海外のチームが厳しい顔でプレイしているのに、スキップの藤沢五月は笑顔が美しい。きれいな人だ。今日の夜のスウエーデン戦はこのチームの不思議な勝負強さを表しているような気がした。9エンドで奇跡的に同点に追いついた。10エンドは、さすがに疲れていたのでお風呂に逃げだした。お風呂から出てくると、どうも勝利したようだ。この勝負強さは、なんだろうか。

 人生でも、勝負強い人がいる。私もそうかもしれない。いったんは不利なことが起こっても、いい結果に終わることが多い。神さまごとで言えば、心の深いところで神さまが微笑むことを信じているという。無意識の世界だそうだ。ずいぶん遠回りをしたが、やっと神さまが微笑んだようだ。LS北見ではないが、なにかを呼び込む強さがあるのかもしれない。

 

 
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 小さなしあわせ

2018-02-18 22:55:08 | 日記
 朝、ベランダに出て植物を眺めるのが、楽しみになってきた。ここ3,4日の暖かさで球根の芽が伸びている。春にはどんな花を咲かせるのだろうか。本当に植物は正直だ。午前中は、片付けができなかった1週間の整理整頓とお掃除だ。

 オリンピックのニュースや中継で仕事も進まない。やっと溜まっていたメールの返事を出して、ゆっくりとTVの前で、洗濯物をたたみ、アイロンがけができた。こういう時間がうれしい。小さな部屋の小さな幸せ。

 羽生結弦が、もし、怪我をしなかったら・・・。平野歩夢も怪我をしていた。多くのアスリートが大なり小なりの困難を乗り越えてきている。そうしてつかんだメダルなり、結果なのだろう。羽生結弦も痛み止めをぎりぎりまで飲んでいたらしい。いまだから語れるのだろう。

 もがきながらも、いや何も考えられないほどの毎日をただ夢中で生きた人生でも、きっと神さまはその人に合ったメダルをプレゼントするような気がする。小さな小さな春を待つ喜びがベランダにあるように、そして小さな部屋の小さな幸せがあるように。あなたにもきっとメダルがプレゼントされると思うのです。

 
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 こころをこめること

2018-02-17 21:13:01 | 日記
 昨夜から耳にショパンのバラード第一番が残っている人が多いのではないだろうか。そして今日は、映画「陰陽師」よりSEIMEIとトゥランドットの曲と二人の美しい舞が甦るのではないだろうか。それは生きることへの勇気であり、挑戦であり、人のもつやさしさのような気がする。

 今日はまた、目覚まし時計に起こされて、東京へ「信仰生活を深め生きるために」の講座を受けに行った。今日は疲れていた。いつも心のどこかでNPOのことを考えていかなくてはならない。一つ終われば、また一つと課題をクリアしていかなくてはならない。心が休まらないのだ。

 森一弘司教の今日のお話は「ヨーロッパ世界から見た祈り」だった。キリスト教が辿る祈りの変容というのか。講義は約1時間半。非常にわかりやすかった。不思議と疲れが取れていた。心が軽くなった。なにがどうして、どうなったではない。ただ、ストーンと心に落ちた何かがある。さすがに司教のお話は違うと思う。宗教とは本来そういうものなのではないだろうか。

 疲れがでて、家に帰るとソファーで寝てしまった。エプロンの紐をきつく締めて、さぁと台所に立つ。幸せなときだ。結婚しているときは、こんな風に台所には立てなかった。忙しいということもあったが、純粋な気持ちではなかったのだろう。もちろん、夫のことを考えて毎日料理をした。でも、私は「いい妻」であるという評価がほしかったのだろう。なにごともそうであったと思う。いまは、そうではない。仮に夫がいたとしても、そうは思わない。ただ、この料理するときを楽しんでいる。だから、とても幸せなのだ。ありがとう!

 

 
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