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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

イニシャル入りのパンツ?

2020-07-25 17:44:00 | 日記

「雨が止んだら、お別れなのね・・・」なんていう歌詞があった気がする。今なら、お別れがなかなか来なくていいだろうな。などとあほらしいことを考えている。昨日、駅で切符を払い戻したが、どうも駅が間違えて、現金を返してくれた。(クレジット払いなのに)1日待ったが電話もないので、コンピュータが違ったということにした。少し現金があるので、はがきを整理するファイルなどを100均に買いに出かけた。隣がBOOK OFFなので初めて入って、新刊の本をうまく手に入れた。わずかの現金で楽しんだ。

やりたくない といってもメールの処理だけはしないとならない。「ねばならない」の仕事はよくないな と思う。今日は針仕事にした。スライサーで切った親指の先に力が入らないので掃除は無理そうだ。1か月以上できなかったランチマットとマスク作りだ。チクチクと針仕事。ミシンは捨ててしまった。「そうだよね、洋服屋の娘だからこういうのは自然と身についている」などと自画自賛しながら針を進める。

母はこうして刺繍やらアップリケを私の服にしてくれたんだ・・・。私の服はほとんどそうだった。きっと私もそうしたろうな と思う。それを着たときの娘や息子の顔を思い浮かべながら、針仕事をするのだろう。ついでに夫のハンカチやパンツにも私はイニシャルを入れるかもしれない。誰かみたいに「○○いのち」なんてはしないが。

パンツにイニシャルを入れられたら、浮気はしないだろう?いや、我が夫となる人は知能犯だろうから、どこかでパンツをはき替えるだろう。浮気にはそういうまめさも必要だ。少しお話がずれたが、こんな家族が面白くてはいいかもしれない

 

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泥臭くかかわって

2020-07-24 17:47:13 | 日記

4連休の2日目。町は昨日よりも人出が多い。それを横目で見て、首都圏行の切符をキャンセルに駅へ向かう。何の根拠もないが、コロナの感染が拡大する中、上りの電車で出かけるのがいやだった。約束が3つあるのだが、今回は迷わずお断りした。うまく言えないが、そういう感が働くからだ。

サッカー友からメールが入っていた。その人の沖縄の知り合いが自殺寸前ま追い込まれていたという。その人の娘のお腹には子供がいるという。体を壊したところへコロナ禍で仕事もなくし、家賃も払えず親戚の家に身を寄せているという。借金も限界で生活保護もおりなかったらしい。サッカー友は生活保護が出るまでと力を貸す(金銭的な支援)するという。3つのいのちが救われたわけだ。このコロナウイルスの影響で大変なこともあるのだ とつくづく思った。サッカー友は経済的には余裕があり、今回のような話は前にも聞いたことがある。人を生かすお金なら惜しくはないと。

サッカー友は、ただ、自分はお金を出すだけで、あとは本人の生活が戻るのを祈りながら見守るだけという。そういうスタンスはわからなくないし、昔の私に近い。でも、このごろはそういう関わり方はなにか違和感がある。「かかわる」ってもっとどろ臭いのではないかと。「だめだよ」とつかんだ手を離さないような、靴も履かずに相手を追いかけて止めに行くような、そういう必死なものが必要なように思う。(私が欲しいからだろう)あの紅い紅葉のような、琵琶湖に沈む夕日のような、あっついものが真実なように感じるのだ。

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そっとしておいてあげて

2020-07-23 17:33:14 | 日記

 夕方、ぶろぐを書く時間のときは、コロナウイルスの感染者の情報が入ってくる。今日は、かなり厳しい数字だと思う。長浜の町も観光客が増えていた。感染して亡くなられた方は今日現在で26303人、令和元年度の自殺者数は20169人。これをどうとらえたらいいのだろうか。

「自死」ということをどうとらえたらいいのだろうか。毎日、コロナウイルスほかのニュースで流れてくる個人のプライバシーにも関する報道。どうしてそっとしておけないのだろうか。タイトルしか見ないが、胸が痛む。私の周囲にも、配偶者が自死された方、お子さんが自死された方、お友達が自死された方など多くいらっしゃる。もと夫の友人も「病死」ということになっていた。一番近い叔父のことですら、そう聞かされていた。その遺族の心境は、気も狂わんばかり という感じだ。それをなぜ・・・!

1ヶ月くらい前親友に自殺しようと思った時の話をした。20代後半だろうか。樹海に入る気だった。眠れないといけないので(これがおかしい)ゴルフの練習場に出かけた。練習場はあいにくお休み、仕方なく帰るときオーナーが自転車で追いかけてきた。仕事をお願いしたい という。私も知っている人の仕事だった。「まぁ、まぁ、頼むよ、あいつのところへ行こうよ」ということで強引に連れていかれた。

その仕事のおかげで、生きたのだが・・・。親友は笑う。「大体、死ぬ前によく寝たいなんて思う人は死ぬわけないでしょう」と。今、思えばそうだね の笑い話だった。

「まが差す」という言葉が正しいかどうかはわからない。思い悩んでいて、ある時死に向かうともいう。そんな人の気持ちなんてわかるわけがない。そっと心の中で手を合わせ冥福を祈れないものだろうか。

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遠い日の花火ではない

2020-07-22 17:58:37 | 日記

ひんやりとした空気が北側の窓から流れ込んでくる。そんな静かな朝だった。久しぶりに夜中に1度も目が覚めずに朝を迎えた。カーテンを開けて次にすることは、メダカのえさやりだ。賢いメダカたちで(人影で気配を感じるのだろうが)上のほうに集まってくる。しばらくその様子を眺めるのが楽しみだ。

草津へ出かける。窓の外には、くっきりと伊吹山が頂上まで見える。久しぶりだ。5月に田植えをした田んぼは稲がしっかり育ち、青々している。そうか、もう少しで8月なのだ。コロナの影響で行事も中止になり、時間の感覚がおかしくなっている。暑中見舞いも出していない。そういう通年の行事の話題もない。「今年はどこへ旅行にいくの?」「お孫さんたちは帰ってくるの?」などと。

この前の日曜日だった。夜の8時ごろ2階にいると花火が上がった!何かの間違い??お隣でも騒いでいる。「花火よね?!」続いて3発ぐらい上がって、あっという間に元の闇が戻った。ああ、琵琶湖の花火の日だったのだ。ちょっと粋な計らいに心が和んだ。だから、この町が好きだ。

思い出した。田中裕子のサントリーのCMを。20年も昔だろうか。『恋は遠い日の花火ではない』ああいうCMがなくなった。大事な一言を言わないような。でも、あれから20年。もう言ってもいいのだよ。時間がないから・・・。

 

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土用丑の日は「うどん」

2020-07-21 20:52:51 | 日記

夕飯を食べていると、激しい雨音がし出した。夕方から空模様がおかしかった。これで涼しくなるといいが。蒸し暑い日だった。2階と1階の布団を入れ替えて、それから買い物に出かけた。ホームセンターへ庭木と水藻を見に行った。家の中のことをしているのが一番落ち着く。

今日は土用の丑の日。今年は8月2日もそうだという。近くのスーパーの琵琶湖の淡水魚屋さんには夕方ウナギを求める人が30人くらい並んでいる。いつもの4倍くらいの従業員の人がウナギを焼いている。TVではStay Home なのでウナギア売れているという。外食できないのでせめて自宅で「うなぎ」になるのか。そのようなことに関係なくここではウナギが売れているようだ。小鮎もキロ単位で売れるし、要するに豊かな土地で(経済的にということではなく)この店の魚がおいしいからだろう。大きいウナギが3500円くらいだ。

我が家は「う」の付くものを食べればいいというので、仙台から届いた「うどん」だ。のど越しがよくて、いまはまっている。大きなウナギは食べきれないし高い。あとおかずは地物の野菜だ。これも道の駅で安くて新鮮なものを買ってくる。茄子などとろけるように甘い。調味料もなしでそのものの味を味わうことができる。なんともケチな生活だ。

庭木と水藻などでかかった費用は「うなぎ」よりも高い。ちょっと考えるが、そうしているのが一番心安らぐから仕方ない。藻を入れた鉢は、子供のころから家にあったものだ。なぜか持ち歩いていた。おそらく祖父が骨董屋で求めたものだろう。お金のあったうちではないと思うが、祖父母はわりと恵まれた家で育ったので、無形のものへの価値観をのこしてくれたようだ。3文安いジジババ子でよかったことかもしれない。

 

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