秋は夕暮れの言葉を思い出した。秋の気配を感じる夕暮れ。「なんで?!どうして?!」という言葉がまだ出てくる。美容室へ行った帰りにSさんにスーパーで酎ハイを選んで買ってきて供えた。突然の死はそんなに簡単に納得できるものではない。幸い、やさしく背中をさすってくれる手を感じることができるが。
鎌倉のおばあちゃんから野菜などを取っている生協がコロナの感染で宅配が中止になったので、とても助かったと連絡があった。おばあちゃんはタクシーで坂を下りて駅の近くまで行かないと買い物ができない。足も大腿骨骨折をしているので不自由だ。90歳を過ぎているおばあさんには大変な話だ。コロナで自宅療養でないからいいが、もしそんな話だと本当に一人暮らしはどうにもならない。身内ならドアの前に置いていってと言えるが、ほかの人には頼むことができにくい。この辺でもご近所は「コロナ感染」と聞いたら、うちの前を避けて通る気がする。(そんなに冷たいご近所ではないが)ニュースになる自宅療養の話を聞くと、私などはコロナ感染死よりも飢え死にしそうだ。
誰かが自助、共助、公助などということを言ったような気がする。あと5年後は「共助」も怪しくなる。「野戦病院」はネーミングが悪いとかいうが、もう何でもいいじゃないですか。医療を整えていかないと大変なことになると思う。私が交通事故に遭ったとき(圧迫骨折)整形外科のベットは空いていなくて、呼吸器の方へ回された。それも医師に「本当は自宅で療養してほしいんだけど、この状態で自宅へ返したら何もできず大変だろうから・・・」と恩着せがましく言われた。日本は入院日数が長いというが、その後のケアの充実がないと退院はできにくい。高齢者の次の病院探しは大変だ。
今日もこんな話になってしまい悲しい。それでも、母の場合を思い出すと病院も介護施設の方たちも本当によく考えてくださった。私はどんなに助かったか!これがどこでも受けられるケアで、それこそ「安心・安全」の医療体制が出来ていってほしい。