日本の敗戦から65年。戦争を経験した人々の多くが亡くなっていくとともにその記憶も薄まっていく。記憶とともに戦争の遺物もなくなっていく。今のうちに見ておこうとそのいくつかを訪ねてみることにする。この日は気温36度の猛暑。65年前の夏も暑かったんだろうか。
大阪市東淀川に残る高射砲台。ツタの絡まるコンクリート部分が高射砲を据え付けた砲座になっている。ここは住宅として居住中。
よく見るとツタはブドウで実もなっていた
隣にはもうひとつ同じものが。こちらは住居にはなっていないようだ
場所を変えて大阪ビジネスパークに。今のビジネスパークは高層ビルが立ち並ぶビジネス街だが
この一帯は明治時代から軍事拠点として様々な施設があったところ。現在もそのいくつかが残っている。
今の第二寝屋川に面した大阪砲兵工廠荷揚げ門。明治の初期のもの
同じく砲兵工廠化学分析場。毒ガスの分析などもしていたのだろうか・・・。
こちらは大阪城天守閣の石垣。よく見ると石組みにずれが。昭和20年の大阪大空襲で1トン爆弾により土台がえぐられたときに傾き、ずれたもの
旧陸軍第四師団司令部庁舎。戦後は歴史博物館として使用されていた時期もあったが現在は使用されていない。
この日、猛暑にもかかわらず、大阪城周辺は外国人観光客でにぎわっていた。その中には中国、韓国の人も多く、建物の前で記念写真を撮っている人もいたが、その来歴を知ってのことだろうか。
この周辺にはまだいくつか遺物があるようだが、この暑さで今日はここで終了。
軍事施設とは関係ないが、石垣の中に日本列島を発見
なぜか公園内でこんなものを連れた人がいて、観光客の人だかりが