のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

してやられたり・・・

2005年09月22日 00時16分47秒 | 日常生活
会社の先輩からメールが届きました。
「巨乳の妹、元気?」

・・・ん?
前後の脈略はさっぱりわかりませんが
とりあえずお返事。

「元気ですよー。
 今日も巨乳を誇っております。」

・・・と、入力すると
なんと、パソの奴め、こんな漢字を打ち出しやがりました。
 
「元気ですよー。
 今日も虚乳を誇っております。」

何度変換しても、一度目の変換はこの漢字。
そりゃぁ、「巨乳」なんて漢字を
使う機会はないですけどね。
でも、「虚乳」なんて、ありもしないのに
妙に意味ありげな漢字を出してくる必要もないと思うのです。

くそっ。魂もないくせに生意気なっ。



でも、一番悲しいのは
「くやしい」と思うよりも
「うまいこと言いやがる」と感心してしまう自分なのです。

黄泉がえり

2005年09月22日 00時05分46秒 | 映画鑑賞
■ストーリ
 九州、阿蘇地方のとある地域で死者が次々と
 そのときの姿でよみがえるという不思議な現象が発生。
 厚生労働省に勤務する川田(草なぎ剛)は、
 故郷でもある現地に向かい、死んだ親友、俊介の
 恋人だった葵(竹内結子)と再会、調査を開始。
 やがてこの現象でよみがえった人々は3週間しか
 この世にいられないという法則に気づき、葵のために
 俊介をよみがえらせようとするが…。
 梶尾真治の同名小説を原作に繰り広げられるラブ・ファンタジー映画。
 生者と死者との優しき想いが前半は群像劇として描かれ、
 後半は川田と葵のドラマに焦点が絞られていく。

■感想 ☆☆
 やはり映画は映画館で見ないと、集中力が持続せず
 物語に入り込めない。これは私の問題。

 日本映画にありがちな問題が随所に見受けられるものの
 やさしい映画ではあった。こういう甘ったるさは好き。
 好きだからこそ、そして役者陣が豪華だからこそ、
 ひとりひとりのエピソードを消化できていないのが
 勿体無い、と思ってしまう。

 黄泉がえりを望んでいるのは、死者ではなく
 死者に近しい人。黄泉がえった死者を暖かく
 受け入れる周囲の人たち。
 死者の黄泉がえりは、いいことなのだろうか。

 そこから疑問に思ってしまったことが
 この映画にはまることができなかった一番の原因だろう。
 死者にとっても残されたものにとっても
 一番の解決法は死者を思い出の中にのみとどめて
 今を生きること。
 わざわざ深く思い出すことはないと思うのだ。
 黄泉がえりとその後に訪れる別れによって
 新たな悲しみが発生すると思えて仕方がない。
 なぜ、登場人物たちは黄泉がえり体験の後
 みんな穏やかな顔になったのだろう。
 私が同じ体験をしても穏やかに死者を
 見送れたのだろうか。