のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

シネマと書店とスタジアム / 沢木耕太郎

2005年09月23日 19時06分41秒 | 読書歴




最近のブログ大流行の影で常々思っていること。
文章には人格が反映される。
だから、どんなにおちゃらけた文章を書いていても
賢い人は賢さの片鱗がうかがえるし、
どんなに小難しいことばかり羅列していても
中身がない人はすぐに分かる。

勿論、文章のスタイルに好みはある。
けれども、そういった好みも踏まえたうえで
文章に人格は表れるのだと思う。

だから
「この文章は確かに上手いけれども
 どうにも好きではない」
という感想も生まれる。

文章がすべてではない。文章だけで人格の
すべてが反映されるわけではない。
それでも、人格の一部が確実に透けて見える。
それは文章を書く怖さだと思う。

沢木さんは潔よく、そして的確に
自分の考えを文章にまとめていく。
被写体との距離は近すぎず、遠すぎず
大絶賛することも感情的にけなすこともない。
だが、自分の意見を的確に抑えた文章で伝える。

そういった姿勢がかっこいい。
ここで紹介されている映画のほとんどを私は見たことがない。
それでも十分に楽しめるエッセイだった。

松風の門/山本周五郎

2005年09月23日 19時05分08秒 | 読書歴
山本周五郎さんは中学の国語の教師に紹介されて以来
好きな作家さんで、定期的に借りては読んでいる。
今回は、いつも本を貸してくださっている先輩が
「表題作がいいよ。」とまたまた貸してくださった。

表題作はややコミカルに人間の本質を描いて
その話の収束に溜飲を下ろすことができた。
何がその人にとって幸せなのか、どう生きるのが
正しいのかは、人それぞれなんだな、と
当たり前のことを今更ながらに実感。

だが、私は表題作よりも「鼓くらべ」に心を奪われた。
人より秀でるための努力をし続ける主人公と
その姿勢をやんわりと批判する老人。
音楽は競うものではない、聞かせるものだ、と
「名人」や「競争」に対しての疑問を投げかける。
私たちは日々、様々な競争に囲まれて
無意識のうちに「競争意識」を養われている。

けれども、きっと人生に必要な競争はほんのわずか。
むしろ、存在するべきではない競争に
縛られているのではないか、という思いに駆られた。

人に踊らされるのではなく、自分の価値観で
心穏やかに暮らせる人でありたい。

収められている作品は、昭和15年ごろから
20年代半ばに書かれているものばかり。
今回初めて、山本周五郎さんがそんなにも昔に
活躍されている方だと知った。
今読んでも全く色褪せていない。
時代が流れて、社会も人々の考え方も
急速に変わっている。だが、変わらないものも
まだまだ多いのだ。

サマータイムマシンブルース

2005年09月23日 19時03分18秒 | 映画鑑賞
■ストーリ
 甲本、新美、小泉、石松、曽我の5人は大学のSF研究会
 に所属している。しかし、SFの研究などせず、真夏の
 部室でクーラーに当たりながらダラダラと過ごしていた。
 ある日、部室に集まった5人の目の前に、突然、25年後の
 未来からやってきたというマッシュルームカットの男性と、
 タイムマシンのようなダイヤルとレバーが付いた
 金属の物体が現れた。彼らは、タイムマシンを使って
 1日前に戻り、壊れる前のリモコンを取ってこようと考える。
 しかし、過去を変えれば未来も変わるという説明を聞き、
 5人はタイムマシンに乗って過去と現在をいったりきたり
 するはめになる。

■感想 ☆☆☆☆☆
 くだらないのに、面白い。
 いや、違う。くだらないからこそ、面白いのかもしれない。
 くだらないことに一生懸命になってしまう妙な高揚感が
 映画の随所にあふれている。

 タイムマシンという機会も、もしタイムマシンが目の前に
 現れたら、という設定も、ましてタイムマシンがあるのに
 こんなばかげたことにしか使わない、というストーリーにも
 どこにも現実味はない。
 それなのに彼らのタイムマシンに対する反応も、その後の
 どたばた具合もすべて妙に現実味にあふれている。

 いざというときほど、私たちはばかげたリアクションや
 くだらない行動しか取れないのかもしれない。

 つまるところ、こんな御託はどうでもいいのだ。
 何も考えずに、お腹の底から笑いながらもう一度みたい。
 そして、まるで自分のクラスメイトのように彼らに親近感を
 覚えながら映画館を出て行くのだろう。