のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

サダーコ

2007年03月20日 23時03分46秒 | 日常生活
昨晩、ブログを書き終えて満足し、
布団に入ったところで友人れおからメールが到着致しました。

「あなた・・・、ミシマファンに刺されても知らないわよ。」

やっぱり?
うん。そうだよね。これが正常な反応だよね。
でも、のりぞうはミシマ嫌いじゃないのよ。好きなのよ。

「でも、そうとは思えない意見連発よね。」

ええ。ワタクシの愛情表現って
なかなか分かってもらえないの。
なかなか素直に愛情を伝えられないの。


明けて今朝。
ぐっすり眠って起きたのりぞうの顔一面に吹き出物が!
きゃー!ワタクシ、昨日、甘いもの食べすぎたかしら?
油分、取りすぎたかしら?
なんてこと!
ほら、女性って肌の状態や髪形で
気分が上がったり下がったりデリケートな生き物なんです。
まして、本日のデートのお相手は久々に会う人なのに!
久々に会う顔がこんなブツブツだらけなんてー!
朝から軽くブルーです。

夕方、念願かなって再会した瞬間
「もうね、信じられないことに
 昨日までなんともなかったのに
 今朝、起きたらこんな顔になっとったと!」
と、言い訳を始めるのりぞうに向かって、友人が一言。

「それ、絶対、ミシマのたたりやけん。」

・・・・海より深く反省します。

真実の種、うその種/芝田勝茂

2007年03月20日 22時57分56秒 | 読書歴
■ストーリ
 枯れ果てたと思われていた人の心を凍らせるフユギモソウの
 種が見つかった。踊り子テオ、包帯リン、道大工トーマの3人は、
 種をある場所に捨てるという任務を受け、ドーム郡から長い旅に
 出る。「ドーム郡シリーズ」完結編。

■感想 ☆☆☆
 絶版となっていた「ドーム郡ものがたり」「虹への旅」が
 復刊したのは、20年以上の時を経て、ドーム郡シリーズの
 第三巻が登場したからのようです。
  「ドーム郡ものがたり」の感想はコチラ。
  「虹への旅」の感想はコチラ。

 ドーム郡の時代は更に進み、アイザリアの国々では
 貨幣が流通し、武器も軍艦も近代化を果たしている。
 近代化は町に活気を与え、そして戦争の被害を大きくする。
 良いことがあれば、悪いこともある。
 これがこの作品のテーマ。

 旅の果てにたどりついた神聖な土地で三人は
 世界の始まりを目的する。神が人間に言葉を与え、
 その言葉によって人はお互いに意思を疎通させる。
 思いやりを伝え合い、信頼関係を築けるようになる。
 一方で人間は言葉によって、憎しみを増幅させ、騙しあい
 嘘で人を傷つけることもできるようになる。
 プラスにもマイナスにも働く力が言葉だ。
 ・・・違う。人間の持つ性質ゆえに、言葉はプラスにも
 マイナスにも作用するのだろう。言葉の力ではない。

 人間の持つ危ういバランスは性善説と性悪説のように
 もしくは未来に対する希望と危機感のように
 ほぼ平等に存在し、均衡を保っているのだろう。
 だから人々は今も未来に対しての無邪気な希望と
 現状に対する絶望的な危機感を抱き続けている。

 シリーズ中、最も壮大で最も深遠で難しい物語だった。
 だから、前二作を読んだときのような爽快な読後感は
 あまり味わえていない。色々とずっしりと考えさせられる
 そんな小説だ。しかし、登場人物はそれぞれ魅力的だ。
 頼りがいのある海の男に気障な「ミゴールの真珠泥棒」
 飄々とリーダーシップをとるトーマに、寡黙で存在自体が
 キュートなリン。それぞれが生き生きと魅力的に彩りを
 与える。その中でも特に魅力的なのは、踊り子テオ。
 まるで太陽のような女性で、くるくるとよく踊り、歌い、
 勝気に旅を進める。喜怒哀楽を素直に表すのに、
 本当に大切な人には最後の最後まで強がる。
 テオだからこそ、人の心の本音に近づくことができ、
 人を魅了し、行く先々で人々の戦いへの考え方を
 変えさせることができたのだろう。

 ところどころで前二作の小説の主人公たちの
 「その後」が分かるのはこのシリーズのファンにとって
 嬉しい仕掛けだった。

虹への旅/芝田勝茂

2007年03月20日 22時53分57秒 | 読書歴
■ストーリ
 「嘘つきマリオ」と呼ばれていた少年は「森の民」に
 なるべく、二人の少女と共に森での生活を開始する。
 一方、アイザリアで行われている戦いはマリオたちが
 住む森をも巻き込み始めていた。戦争ををやめさせるため、
 「森の民の王ヌバヨ」を名乗ったマリオは、昔アイザリアから
 連れさられたラクチューナム・レイという王女様を探し
 ドーム郡に向かうことになる。

■感想 ☆☆☆☆
 この本も久々に読み返したくなった本の一冊。
 83年に福音館書店から刊行された「虹へのさすらいの旅」を
 改題改稿し、挿画も新しくした改訂版とのことで、
 私が幼い頃に親しんだのは「虹へのさすらいの旅」のほう。
 題名は改訂前のほうが好みだ。
 一冊目の感想はコチラ。

 第一作でドーム郡の危機を救うべく旅に出たクミルと同じく、
 マリオもアイザリアの争いを治めるべく、救世主となるはずの
 ラクチューナム・レイを探しに旅に出る。
 しかし、探し出した「王女」は、自分と同じ年代のごく普通の
 女の子。戦争を厭い、平和を愛し、友達を大切にする
 普通すぎるほど普通の女の子であり、並みいる武将をまとめ、
 国を統治する特別な力を持っているようには見えない。

 ここでも主軸を貫くのは「個人の自立心」だ。
 権威や他人や伝説に頼るのではなく、ひとりひとりが
 今、ここで、何ができるのかを考え、行動する。
 それだけで確実に世界は変わっていく。
 そして、何よりも大切なのは「戦争を嫌う心」。
 戦争を必要悪だと認めない心。
 どんなに大義名分があっても、戦争は所詮人殺しでしかない。

 ごくごく普通の女の子だったラクチュナーム・レイは
 戦場で空に見事な虹を描いてみせる。
 それこそが王女の証であり、その虹によって
 民衆の心はひとつになる。
 しかし、敵の武将、アサスにはその虹が見えない。
 根本的な考え方が異なる以上、どんなに努力しても通じない
 言葉がある。目の前に突きつけても共有できない景色がある。
 物語は、そういったどうしようもない現実も
 きちんと描いている。
 
 ラストは鮮やかに爽やかで、青空の中に
 確かに虹が見えるようなそんな気分にさせられる。

ドーム郡ものがたり/芝田勝茂

2007年03月20日 22時51分24秒 | 読書歴
■ストーリ
 ある国の、ある時代に、「ドーム郡」という地方があった。
 平和で住民全員が幸せに日々を送っていたこの地方に争いを
 引き起こす「フユギモソウ」。この危機を一人の少女、
 クミルが救う。ドーム郡の歴史を綴るシリーズ第一巻。

■感想 ☆☆☆☆
 久々に読み返したくてたまらなくなり、必死に探し出した一冊。
 81年に福音館書店から刊行されたものを改稿し
 挿画も新しくした改訂版なので、私自身が小さい頃に
 読んだものとはところどころ違うらしい。

 それでも大筋はまったく変わっていないため、
 懐かしく思い返しながらクミルとかかしの旅を楽しんだ。

 物語の主軸は「戦争の醜さや愚かさと平和への願い」
 そして、「戦争が起こる原因は他人事ではない」ということ。
 誰かのせいで戦争が起こるわけではない。
 私たちひとりひとりの甘えやずるさが争いを引き起こし
 その争いがまた私たちの手によって拡大され
 「戦争」となっていく。

 私たちが引き起こした以上、平和を取り戻すのも
 私たちの使命なのだ、と作者は力強く訴える。
 「誰かが守ってくれる」
 「この国のリーダーが守るべき」
 「伝説のお方ならこの争いを治められるはず。」
 ついつい他力本願に陥りがちな私たちの弱さやずるさを
 正面から突きつけられる。
 この物語に悪人は出てこない。それでも争いは起こる。

 「フユギモソウ」を根絶やしにするために一丸となって
 行動することを選んだドーム郡の人々。
 彼らが選んだのは根絶やしにするための「力」や「武器」ではなく
 弱さに付け入られない心の強さ。
 その強さを手に入れるために必要なのは愛すべき仲間なのだ。
 仲間との強固な信頼関係が人に力を与えてくれる。

 そして、何より大切なのは醜くて弱い自分と向き合う力。
 自分の中にも醜い心があること、人を妬む心があることを認め
 その自分も受け止めてあげることができる力。
 その余裕さえあれば、妬みや憎しみが大きくなりすぎることも
 こじれてしまうこともない。
 人間に対して、それぐらいの希望を持っていても良いと思うのだ。

 動物と話し、自然を愛するクミルのかわいらしさに
 素直に感動。小さい頃、私はこういう女性に憧れていた。
 ・・・・まだ間に合うかな。