のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

言葉には気をつけて

2007年03月27日 22時11分41秒 | 日常生活
さて、いよいよ顔の吹き出物がひどくなり
周囲の皆さんからも真剣に心配されるようになって来ました。

隣の部署の部長
「顔、どうしたの?」
・・・・ちょっと、吹き出物がひどくて。

うちの部署の部長
「顔、ひどくなってませんか?!」
・・・・ええ。吹き出物がひどいんです。
顔じゃなくてね。

隣の部署のセンパイ
「顔、どうした?!」
・・・吹き出物が・・・。

他のフロアの後輩
「顔、ひどいですね・・・。」
吹き出物がひどいの!!顔がひどいんじゃないの!

他のフロアのセンパイ
「いや、ひどい顔だ。」
・・・だーかーらー!

ええ。みなさん。お願いです。
日本語は正しく。優しさを持って使いましょう。

ちなみに同期友人はものすごーく心配してくれました。
同情してくれました。でもって
「その顔やったら、私でも泣きたくなる!」
と、共感してくれました。
・・・・これまた微妙。

注目すべきはうちの部長。
のりぞうの吹き出物の原因を「ストレスですよ!」と
自信満々で特定してくださいました。
えへ。その言葉を待ってたんです。
そういうふうに言ってみたかったんです。
部長がそうおっしゃってくださったので
色んな方々に「どうしたの?」と聞かれるたびに
「ストレスですっ!」
と自信を持って答えてます。

そのたびに「嘘ばっかり☆」とか「信じませんよ」とか
「言ってみたいだけでしょ?」と
みんながさらりと受け流してくれます。

あるセンパイは、わざわざグラフを書きながら
のりぞうとストレスの関係性について説明してくださいました。

「いい?X軸とY軸のグラフがあるやん?
 Y軸の一番上が「ストレス」だとしたら
 のりぞうちゃんはその反対側。
 ここ。Y軸の一番下ね。」

・・・妙に具体的なご説明、ありがとうございます。
のりぞう、理解ある同僚に囲まれてます。

仏様とイエス様と教えと教育

2007年03月27日 21時31分00秒 | 日常生活
祖父の13回忌が行われた月曜日は、のりぞう家族にとって
心に残るお話、こういうふうに年を重ねたいと思える人に
出会えた素敵な一日だった。

まずは13回忌のためにきていただいた
浄土真宗本願寺派の住職さんのお話。
この住職さん、お話がとても上手な方で来て下さる度に
心に残るお話をしてくださる。
そのお話が仏教とは無縁の生活を送っているのりぞうでも
すんなりと理解できるものばかりで、聞くたびに
「宗教は人間の心の拠り所という意味では
 どれも同じなんだな。幸せになるためのものなんだな。
 正しく生きるためのものなんだな。」と思える。
難しくないのに伝わる話をしてくださるすごいお方だ。

昨日のお話もすごくすごく印象的だった。
あまりに感動したので自分用のメモ。
妹も「日記帳に絶対、書いとく!」と息巻いてた。

・人生に無駄なものは何もない。
・ニセモノはホンモノと似ているからニセモノ。
 似ていなかったらニセモノではない。
 だから人はすぐにニセモノとホンモノを取り違えてしまう。
・宗教の場合はニセモノとホンモノの見極めはとても簡単。
 どの宗教も大体、教えていることは同じ。
 明らかにおかしい宗教は「耳触りのよい言葉を伝える」もの。
 「病気がなおりますよ。」
 「お金持ちになりますよ。」
 「人間関係がうまくいきますよ。」
 これらの言葉が出たらご用心。
・仏様は(たいていの宗教は)「病気がなおる」とは言わない。
 「いずれ死が訪れる」という。
 「病気で苦しまない」とは言わない。
 「平等に死が訪れる。」と言う。
・人の悩みは金、人間関係、健康に集約される。
 特に人間関係。しかし、人はただそこにいるだけ。
 「いい人」は「自分にとって」いい人。「悪い人」は
 「自分にとって」悪い人。自分が悩みを作り出す。
・ある詩人の言葉。
 「生きる意義は人に出会うこと。
  出逢えば喜びが広がる。
  雨が降ろうと。風が吹こうと。
  雨、降らば降れ。風、吹かば吹け。」
・多くの宗教は災難をよけようとはしない。
 雨、降らば降れ。という心境を教える。
 なぜなら、出来事も「起こる」だけだから。
 良い出来事は自分が良いと感じる出来事。
 悪い出来事は自分が悪いと感じる出来事。
 良いこと、悪いことは人間には判断できない。
・つまるところ、人間にとって悪いこと、無駄なことは
 何もない。悪いこと、と思っていたことも後に必ず
 何かを残す。いいことも、これまた然り。
・多くの人と出会って、多くの出来事を受け止めて
 喜びを広げて欲しい。
・そのためにこういった「故人の為の集まり」も
 利用して欲しい。

あまりにも宗教に対する考え方が私自身の考えと似ていて、
クリスチャン失格かもしれないけれど、仏様もイエス様も
教えてることは変わらないんだ、と嬉しく思いながら聞いた。
嬉しく思ったのは、みんな同じ教えだから。
みんな同じということは偏っていない宗教だから。
私はたまたまキリスト教と早くに出会い、その後も
多く触れる機会があったからクリスチャンになったけれど
おそらく近くにお寺があって、この住職さんのお話を
聞く機会が多く持てていたら、檀家になっていたと思う。
それでいいのだ。
宗教なんてどれも同じ。人が生きる支えになるものであれば。
人を傷つけたり、人からお金を巻き上げたりするものでなければ。

お経の後ろのページに「浄土真宗信徒の生活信条」が
掲載されていて、それもみんなで読み上げたけれど
それらは本当にどれも教会で教えられていることばかりだった。

「いつも感謝して喜んでいなさい。」とか
「正しい教えを周囲に伝えていきなさい。」とか
「社会に広く関心を持って、自分ができる社会貢献をしなさい」とか。

今の時代、「宗教」と聞いただけで身構える人が多いけれど
こういった教えは小さい子ども、いや今はどの年代にも
絶対に必要だと思った。
仏教とかキリスト教とか宗教を限定しなくていい。
知識としての「倫理」ではなく、生きる支え
人間の根っこの部分に直接影響する「倫理」が
行動規範としての「倫理」が必要とされている時代なんだと思う。

13回忌を終えて、家族四人でしみじみと
そんなことを語り合った。
しみじみと生きている幸せをかみ締めた。