28.母の恋文―谷川徹三・多喜子の手紙
■内容
高名な哲学者だった父・谷川徹三。そのかげに隠れるように
一生を終えた母・多喜子。両親の遺品のなかに、若い頃
二人が交わした537通もの恋文が残されていた。京大生だった
徹三が多喜子と出会ったのは、大正10(1921)年、恋う
思いを朝な夕なに手紙にしたため、二人は結婚した。
長い時間が流れたいま、父母の愛の往復書簡を、詩人で息子の
谷川俊太郎が、愛惜の念をこめて世に送る。
■感想 ☆☆☆*
手紙は書くのももらうのも大好きだ。
最近はペンをとる回数もめっきり減ってしまったけれど
レターセットや葉書はこまめに買い、かばんに入れておくように
している。
けれど、「恋文」というものは書いたことがない。これからも
書くことはないだろうと思う。勿論、好きな人に手紙は書く。
けれど、あくまでも「近況報告」のような手紙であって、それは
決して「恋文」ではない。「好き」とか「愛している」とか
「お慕い申し上げます」といった言葉は、たとえメールでも使えない。
だからこそ、この往復書簡集を楽しめたのだと思う。
あまりにも自分とは違う世界の出来事で。
ふたりは出逢ってすぐに、熱烈に恋に落ちる。熱烈に愛を
語り合う。少し離れたところにすんでいたふたりは、会えない分
頻繁にペンをとり、言葉をかわしあう。ふたりの手紙の消印日付から
ふたりが2~3日ごとに手紙を往復させていたことが分かる。
朝に夕にペンをとり、思いを伝え合うふたりが微笑ましい。
けれど、何より面白いのは、政治家の娘と京大生(哲学科)という
当時において「インテリ」と呼ばれるような階級にいたふたりが
何に興味を持ち、何をし、何を読み、何を考えて過ごしていたかが
分かる記録になっているところだろうと思う。そして、「恋愛」に
ついても、哲学科らしく、実に観念的に、小難しく理屈をこねて
いるところだ。私は色々なことを「考えず」に日常を過ごしている
からこそ、考えて考えて考えて、その考えを言葉にするふたりの姿が
新鮮だった。
巻末には妻になった多喜子から徹三への「30年後の手紙」も
記されている。あんなに愛し合って、熱烈に恋文を交し合った
二人でも、夫婦になると色々なことがあることが分かる手紙で
なんとなく「あぁ、やっぱり」と思った。けれど、それでも
多喜子は徹三を追い求めていて、30年前と変わらぬ愛情を
注いでいて、その姿が実にいとしかった。
そして、その手紙の後、本文のラストに、ふたりの晩年の写真が
掲載されている。ぴったりと寄り添いあい、濁りのない笑顔を
向けているふたりの姿に、夫婦の絆は、ふたりで過ごした時間が
築き上げるのだとしみじみと思った。
■内容
高名な哲学者だった父・谷川徹三。そのかげに隠れるように
一生を終えた母・多喜子。両親の遺品のなかに、若い頃
二人が交わした537通もの恋文が残されていた。京大生だった
徹三が多喜子と出会ったのは、大正10(1921)年、恋う
思いを朝な夕なに手紙にしたため、二人は結婚した。
長い時間が流れたいま、父母の愛の往復書簡を、詩人で息子の
谷川俊太郎が、愛惜の念をこめて世に送る。
■感想 ☆☆☆*
手紙は書くのももらうのも大好きだ。
最近はペンをとる回数もめっきり減ってしまったけれど
レターセットや葉書はこまめに買い、かばんに入れておくように
している。
けれど、「恋文」というものは書いたことがない。これからも
書くことはないだろうと思う。勿論、好きな人に手紙は書く。
けれど、あくまでも「近況報告」のような手紙であって、それは
決して「恋文」ではない。「好き」とか「愛している」とか
「お慕い申し上げます」といった言葉は、たとえメールでも使えない。
だからこそ、この往復書簡集を楽しめたのだと思う。
あまりにも自分とは違う世界の出来事で。
ふたりは出逢ってすぐに、熱烈に恋に落ちる。熱烈に愛を
語り合う。少し離れたところにすんでいたふたりは、会えない分
頻繁にペンをとり、言葉をかわしあう。ふたりの手紙の消印日付から
ふたりが2~3日ごとに手紙を往復させていたことが分かる。
朝に夕にペンをとり、思いを伝え合うふたりが微笑ましい。
けれど、何より面白いのは、政治家の娘と京大生(哲学科)という
当時において「インテリ」と呼ばれるような階級にいたふたりが
何に興味を持ち、何をし、何を読み、何を考えて過ごしていたかが
分かる記録になっているところだろうと思う。そして、「恋愛」に
ついても、哲学科らしく、実に観念的に、小難しく理屈をこねて
いるところだ。私は色々なことを「考えず」に日常を過ごしている
からこそ、考えて考えて考えて、その考えを言葉にするふたりの姿が
新鮮だった。
巻末には妻になった多喜子から徹三への「30年後の手紙」も
記されている。あんなに愛し合って、熱烈に恋文を交し合った
二人でも、夫婦になると色々なことがあることが分かる手紙で
なんとなく「あぁ、やっぱり」と思った。けれど、それでも
多喜子は徹三を追い求めていて、30年前と変わらぬ愛情を
注いでいて、その姿が実にいとしかった。
そして、その手紙の後、本文のラストに、ふたりの晩年の写真が
掲載されている。ぴったりと寄り添いあい、濁りのない笑顔を
向けているふたりの姿に、夫婦の絆は、ふたりで過ごした時間が
築き上げるのだとしみじみと思った。