礼拝で心に残った話。
教会の役割について。
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新聞の投書欄に
「生きる意味が分からない。
生きていく喜びが分からない。
自分がなぜ生きなければいけないのかが分からない。」
という文章が掲載されていた。
教会は、こういった問いかけに答えられる場所でなければならない。
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私は問いかけに答えられない。
死にたいと思ったことは一度もないし
生きなければいけない理由を考えなければ
生きていけないような辛い事態に陥ったこともない。
定期的に幸せが訪れ
ふと気付くと、楽しいことに遭遇し
苦労せずとも、口をおっぴろげて笑わずにはいられないような
オモシロイことを見つけることができてきた私の人生。
だから、なぜ生きなければいけないのかなんて
考えたこともなかった。
今の私は、生きなければいけない理由を
明確に語ることはできない。
けれど、生きなければいけないのだと思っている。
生きるのは権利ではなく、義務だと思っている。
根拠もなく。
私は運が良い人生を送ってきた。
だから死にたいと思ったことも不幸だと思ったこともない。
けれど、弱い人間だから、
そんなに運が良いのに、どこかで孤独を感じていて
ひとりで生きていくことが出来ないと思っている。
同時に、誰かに甘えて拠りかかることをかっこ悪いと
思ってしまう弱さを自覚している。
だから私は人間ではなく神様に救いを見出したのだと思う。
私にとって、教会は救いだったし、今も救いだ。
だから、いつまでも教会に救いを求め続けるばかりの存在ではなく
いろんなものをもらった教会に対して、私ができることを
しっかりと考えなければいけないのだと思う。
そのためにも、教会の存在意義について、教会の役割について
私なりに考えていかなければいけないのだと思う。
そんなことを最近、ぐるぐる考えているのは
冒頭で紹介した牧師の説教が強く印象に残ったのもあるが
それよりも採用活動に参加して、今の日本にとって
宗教がいかにタブーであるかを肌で感じたからだ。
宗教は特別なものではない。そう思ってきたけれど、
今の日本では明らかに異質なものらしい。
教会の役割について。
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新聞の投書欄に
「生きる意味が分からない。
生きていく喜びが分からない。
自分がなぜ生きなければいけないのかが分からない。」
という文章が掲載されていた。
教会は、こういった問いかけに答えられる場所でなければならない。
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私は問いかけに答えられない。
死にたいと思ったことは一度もないし
生きなければいけない理由を考えなければ
生きていけないような辛い事態に陥ったこともない。
定期的に幸せが訪れ
ふと気付くと、楽しいことに遭遇し
苦労せずとも、口をおっぴろげて笑わずにはいられないような
オモシロイことを見つけることができてきた私の人生。
だから、なぜ生きなければいけないのかなんて
考えたこともなかった。
今の私は、生きなければいけない理由を
明確に語ることはできない。
けれど、生きなければいけないのだと思っている。
生きるのは権利ではなく、義務だと思っている。
根拠もなく。
私は運が良い人生を送ってきた。
だから死にたいと思ったことも不幸だと思ったこともない。
けれど、弱い人間だから、
そんなに運が良いのに、どこかで孤独を感じていて
ひとりで生きていくことが出来ないと思っている。
同時に、誰かに甘えて拠りかかることをかっこ悪いと
思ってしまう弱さを自覚している。
だから私は人間ではなく神様に救いを見出したのだと思う。
私にとって、教会は救いだったし、今も救いだ。
だから、いつまでも教会に救いを求め続けるばかりの存在ではなく
いろんなものをもらった教会に対して、私ができることを
しっかりと考えなければいけないのだと思う。
そのためにも、教会の存在意義について、教会の役割について
私なりに考えていかなければいけないのだと思う。
そんなことを最近、ぐるぐる考えているのは
冒頭で紹介した牧師の説教が強く印象に残ったのもあるが
それよりも採用活動に参加して、今の日本にとって
宗教がいかにタブーであるかを肌で感じたからだ。
宗教は特別なものではない。そう思ってきたけれど、
今の日本では明らかに異質なものらしい。