旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

東海道紀行3 戸塚宿~藤沢宿~平塚宿~大磯宿

2018-11-17 | 東海道紀行

07:40「戸塚宿」 00:00:00
 戸塚宿まで歩いたのは7月の終わりだから、かれこれ3ヵ月ぶりの東海道を歩く旅。
戸塚駅で朝食代わりに駅ソバを掻き込んだら平塚いや大磯辺りをめざす。 

07:50「冨塚八幡宮」 00:10:00
 冨塚八幡宮は戸塚の総鎮守、ここはまだ宿場の内だ。
『鎌倉を いきて出けむは はつ松魚(かつお) 』と芭蕉の句碑がある。
境内には戸属彦命(とつぎひこのみこと)の古墳があり、これが戸塚の地名の起こりと云う。 

 

08:25「原宿一里塚」 00:45:00
 日本橋から十一番目になる原宿一里塚跡には褪せた案内板が立つのみ。塚木は松。
その先右手には曹洞宗天王山の参道入り口、不動明王を彫った石碑がある。 

Navi8 藤沢バイパス出口交差点(左折) → <県道30号> → 藤沢橋交差点 1.9km  

 

藤沢市街に向けて下る遊行寺坂、中ほどの諏訪神社の辺りに「遊行寺一里塚」があった。 
藤沢宿の江戸方見附もこの辺りだと云う。 

Navi8-2 ENEOSサンリッチ藤沢SS(右折)  70m

Navi8-3 ふじさわ宿交流館(左折)  90m 

09:50「藤沢宿」 02:10:00
 時宗総本山遊行寺は鎌倉時代の創建、藤沢宿は門前町としても賑わった。
朱の欄干の遊行寺橋を渡って街道が右に折れると旅籠町、角には高札場があった。
この角は江の島弁財天参詣の道の起点でもあり、大きな鳥居が建っている。 

Navi9 藤沢橋交差点(右折) → <国道467号~県道43号> → 四ツ谷交差点 3.6km 

 

天保年間の藤沢宿は、本陣1、脇本陣1、旅籠45軒となっている。
神奈川、小田原に次ぐ人口を有した藤沢宿が小規模なのは、江戸からの距離による。
戸塚が江戸を発った旅人の初泊地として賑わったそうだから、藤沢は通過地と云える。 

Navi10 四ツ谷交差点(左折) → <国道1号> → 馬入交差点 8.8km 

四ツ谷交差点で国道1号に合流する。四ツ谷一里塚もこの辺りになる。
間もなく茅ヶ崎市に入ると松並木が始まる。なんとなく駅伝中継で見覚えがある。

11:40「茅ヶ崎一里塚」 04:00:00
 日本橋から十四里目になる茅ヶ崎一里塚は南塚を残している。 

12:00「第六天神社」 04:20:00
 右に富士・大山・左に江島・鎌倉・六浦・金沢が望めた十間坂は、十景坂と通称された。
坂の途中の堂々たる社殿は第六天神社、山岡鉄舟寄贈の掛軸があると云う。 

 

小出川は鎌倉期には相模川が流れていた。
関東大震災で鎌倉時代の旧相模川橋脚が露出し、小出川の袂に保存されている。
さらに1kmほど進むと相模川、東海道本線と並んで渡河すると平塚市に入る。 

Navi11 馬入交差点(斜め左) → <市道> → 古花水橋交差点 2.7km 

12:50「馬入一里塚」 05:10:00
 東海道が市街地に通じる市道に入ると直ぐに馬入一里塚跡、日本橋から十五番目になる。 

13:10「平塚宿」 05:30:00
 往時と現在の平塚の中心部は大分ずれている。
平塚駅前交差点から延びる商店街のアーケードが途切れて、江戸方見附が現れる。 

 

平塚宿は本陣1、脇本陣1、旅籠54軒、旧い文献に出てくる旅籠の評判は総じて芳しくない。
総欅造りだった加藤本陣は神奈川銀行平塚支店の場所、将軍家茂、明治天皇が宿泊した。

Navi11-2 西仲町交番(斜め右)  350m 

Navi11-3 横浜トヨペット(左折)  110m 

Navi12 古花水橋交差点(直進) → <国道1号> → (箱根湯本)三枚橋交差点 24.6km

花水川橋から見える高麗山、天智天皇期に高句麗からの渡来人が住み着いたと云う。
この花水川越しの高麗山のアングル、当に歌川広重の平塚の図になる。 

Navi12-2 化粧坂交差点(斜め右) 旧道を900mでR1に戻る 

13:50~14:20「化粧坂(けわいざか)」 06:10:00
 大磯宿へと向かう東海道は化粧坂を上る。この旧道の入口に老舗の蕎麦処がある。
今日の街道めしは「手打そば車屋」で、大ぶりの海老天が評判な様だ。

 

ゴール間近だから生ビールを呷ってしまう。
基本に忠実に "天もりそば" をいただく。喉越しの良い蕎麦とサクサクの海老天が美味い。  

松並木の続く化粧坂には、日本橋から十六番目の一里塚があった。
塚木は北塚がせんだんの木、南塚が榎であったと云う。今は痕跡も残っていない。
東海道本線を地下道で潜ると下り坂に転じる。この辺りに江戸方見附があった。 

 

14:50「大磯宿」 06:40:00
 大磯宿には残念ながら旧い遺構は残っていない。
唯一、情緒溢れる佇まいは「新」、明治24年創業当時のままの菓子舗だ。
大磯辺りを吟遊した西行を偲んだ "西行饅頭" をいただく。疲れた身体にコシ餡が嬉しい。 

 

大磯宿は本陣3、脇本陣6、旅籠66軒とかなりの規模。
石井本陣跡は、汐彩の宿・大内館が今でも旅人を迎える。藤村ら文人墨客に愛された宿だ。
東海道を歩く第3日目は戸塚から相模湾と出会う大磯宿まで。6時間40分の行程となった。 
次回は小田原城下へ、そして箱根を越える。 

戸塚宿~藤沢宿~平塚宿~大磯宿 25.3km