旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

灘菊のかっぱと姫路おでんと白鷺の城と 姫新線を完乗!

2021-08-21 | 呑み鉄放浪記

 07:18発、津山行きの854Dが2番線でアイドリングを響かせてい、車内はひんやりと別天地だ。
数えるほどの乗客に生活感はない。この季節ならではの「乗る」猛者の人たちに違いない。

谷間の小さな町の休日朝7時は、世の中から忘れ去られたかのように静粛の中にある。
ぽつりと1台、客待ちのタクシー、運転手氏はいつまで乗客を待つというのだろう。

呑み始めの一杯は “塩そら豆” を齧りながらのレモンサワー、ちょっと嵌まってしまったようだ。

刑部(おさかべ)では下り列車と交換、やはりキハ120系の2両編成だ。
谷と谷を繋ぐ鉄路はアップダウンを繰り返し、トンネルで分水嶺を越える度に車窓下の流れは向きを変える。

支流を集めて存在感を増した旭川の鉄橋を渡ると中国勝山、ここから津山の間は運行本数も多くなる。
出雲街道の宿場町・城下町として栄えた勝山、ノスタルジックな白壁の土蔵や格子窓の町並みが残るらしい。
“御前酒” の蔵元もあるので心惹かれるが今回は先を急ぐとする。

 再び迷い込んだ山間から吉井川が潤す広い津山盆地に飛び出す。
岡山から延びてきた津山線が右手から寄ってきて、しばし複線並走すると終着駅のホームに滑り込んだ。

姫新線に津山線それに因美線が交差する津山は交通の要衝、蒸気機関車の時代は鉄道の町でもあったろう。
駅前広場のC11-80号機は戦後、芸備線や津山線で活躍し、岡山国体ではお召機の栄誉を担った。

旧津山機関区の扇形機関車庫(1936年完成)と転車台、ここでは現役を引退した静態保存車両を展示している。
奥行きが22.1m、17線の扇形庫は梅小路運転区(京都鉄道博物館)に次いで日本で2番目の規模なのだそうだ。

 美作を走り抜ける佐用行き2826Dはキハ120系の単行、東津山で因美線を分岐すると山に分け入る。

車窓のお供はJR西日本がプロデュースする “ ”、瑞々しい香りと白桃のほのかな甘みがいい。

津山からちょうど1時間、単行120系と姫路方面からの122系はほぼ同時に佐用駅に到着する。
すると智頭急行線のホームに下りの “スーパはくと” と、上りの “スーパーいなば” がやはり同着。
閑散ダイヤを補うX字相互の連絡がすごい。
特急の発車後まもなく、姫新線の単行ディーゼルカーも其々、津山、播磨新宮へと折り返していく。

新鋭のキハ122系は山路を軽快に走って約30分で播磨新宮へ。ここで運行形態が変わるので乗り換えになる。
ホーム反対側の姫路行き1846Dは同系列の2両編成、京阪神間を走る電車のような精悍な顔立ちをしているね。

列車は揖保川を渡ると東へ転進する。需要の大きい播磨新宮から姫路間は高速化事業という資本が投下された。
コンクリート枕木、線路のカント、側線、新型車両、列車は100km/hでこの旅のラストスパートするのだ。

12:03、姫路駅着。1日半をかけた中国地方の背骨を往く広島から姫路への芸備線・姫新線の旅は終わる。
山陽新幹線なら1時間弱の距離、お盆を前に日本の原風景を愉しみながら、乗って呑んでの冒険だった。

 ところでWebで「姫路、昼飲み」と検索すると、結構な数のヒットがある。
これっていったいどんな文化なのだろうか。ご存知の諸兄は教えていただきたい。

小溝筋に地元酒蔵の直営店、11:30開店の有難い店に吸い込まれる。2階がメイド喫茶のアンバランスはご愛嬌。
気付くと客席の椅子は祭りに使われる和太鼓なのだ。これがまた愉しい。

一杯めは“純米灘菊”、濃醇でさわやかな酸味がある淡麗辛口は万能な食中酒、溢れそうなのを迎えにいく。
牛すじ、玉子、ひら天、こんにゃく、ちくわ、生姜醤油の姫路おでんに、たっぷりの酒粕ソースをかけた
名物の “大串白おでん” が楽しくも美味しい。

ふた皿目のアテは “塩麹漬焼き地鶏”、これも酒蔵直営ならではの逸品が美味しい。
穏やかで芳醇な香りの “ ” を愉しみながら芸備線・姫新線の旅を締めることにしよう。
小溝筋を突き抜けると、突然に視界が広がる。シラサギが鮮やかに白い翼を広げているのだ。

姫新線 新見〜姫路 158.1km 完乗

恋するカレン / 大瀧詠一 1981