旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

草津よいとこ一度はおいで 吾妻線を完乗!

2021-12-25 | 呑み鉄放浪記

 緩やかな勾配を駆け上って一時代前の湘南電車、525Mが1番線に滑り込んできた。今日は吾妻線で呑む。

凛とした冬の朝、渋川駅前からは伊香保温泉行きの路線バスが出て行った。駅の背景は朝日を浴びた赤城山だ。

4両編成の湘南電車は上越線を離れると進路を西に転じ、静かな休日の朝を吾妻川に沿って走る。

四万温泉の玄関口である中之条、拠点病院がある群馬原町で乗客を降ろすと車内はガランとしてしまう。
だからロングシートと言えども “サッポロ黒ラベル” を開けるのに躊躇いはいらない。季節柄の有馬記念缶だ。

ベテランの車掌氏が乗降客の安全を確認してベルを鳴らす。ここ長野原草津口で4両編成を見送ることにした。
折角だから草津温泉まで足を伸ばしてみようと思うのだ。

駅から草津温泉まで走るのはJRバス関東、なるほど列車内の乗り継ぎ案内が丁寧な訳だ。

バスターミナルから(狭いけれど)中央通りを下っていく。そう「元祖ちちや」の前を通ってね。
所々に昨夜の雪が残っている。だんだん硫黄の匂いが漂ってきたと思うと目の前に湯畑が広がった。

氷点下の外気に濛々と湯気を立ち上げて、湧き出た熱々のお湯が7本の長い湯樋(ゆどい)を流れていく。
湧出量は毎分約4,000ℓ、温度は50度近いと言うから、その迫力は見応えがある。

少々温度を下げた源泉は湯滝となってエメラルドグリーンの滝壺に流れ落ちる。なかなか神秘的だ。
周辺にはいくつかの共同浴場があるので、時間に余裕があれば日本三名泉を堪能するといい。

湯滝通りの「蕎麦処あおやま」で、おとなり信州産の手打蕎麦をいただく。
いやその前に “水芭蕉” を味わう、川場村は永井酒造の純米吟醸は山田錦を醸したまろやかな酒だ。
蕎麦前は “湯の華豆腐” と酢味噌たっぷり “刺身こんにゃく” を。日が高い時間の一杯は背徳感の分美味いね。

     

酒が半ば空くタイミングで、〆の “舞茸天ぷらそば” を注文する。
舞茸天の半分は酒の肴に塩でいただいて、後の半分はそばのだし汁をちょっと吸わせて食べる。
温かいそばには大根おろしを浮かべてひと口、あとは刻みネギと七味を振ってズズっと美味い。

 吾妻川に架かる新しい第三吾妻川橋梁(八ッ場ダム建設に伴う新線)を渡って4両編成の湘南電車がやって来た。

長野原草津口を出ると太子方面への支線の廃線跡が分岐する。車窓からは赤く錆びついた白砂川橋梁が見える。
かつて日本鋼管群馬鉄山からの鉱石積み出し用の5.8kmの支線が太子駅まで延びていたのだ。

大前までは僅か20分の乗車だけど、駅隣接の物産展で求めた浅間酒造の “草津節” を開ける。
『草津よいとこ 一度はおいで ア ドッコイショ、お湯の中にも コーリャ 花が咲くヨ チョイナ チョイナ』って
湯もみの姉さん達の挿絵と、草津節の歌詞がほのぼのとさせるラベルが愛らしいね。

万座・鹿沢口を過ぎ、その勾配にモーターが唸りを上げてから6〜7分、4両編成は突然にゆく手を塞がれる。
標高840m、1面1線の寂れた単式ホームの100mほど先に車止めが見える。吾妻線の旅は呆気なく終わるのだ。

吾妻線はさらに先、嬬恋から菅平高原そして須坂を経て信越本線の豊野まで延伸する計画があった。
モータリーゼーションの波に敵う訳もないが、もしも鳥居峠を越えて全通していたらと考えると楽しい。
ホームの隅の道祖神がこの先を往く旅人を見守っている。まもなくこの辺りも雪に埋もれることだろう。

吾妻線 渋川〜大前 55.3km 完乗

悲しみは雪のように / 浜田省吾 1981