太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

お金のふしぎ

2015-04-13 20:27:06 | 日記
私が読んできた多くの本は、お金はエネルギーだと書いている。

今なら腑におちていることも、最初の頃は文面通りには理解できても、

しばらくはその意味がわからなかった。

わからなかったけれど、体験はしていた。


最初の結婚時代、相手は高給取りで、私もフルタイムで働き続けていたから

うちはまあまあ裕福だったはずである。

子供もおらず、結婚していた11年の間に、そこそこの貯金やら株やらがあってもおかしくないと思うのだが

いざ離婚するにあたり、笑ってしまうほど貯金がなかった。

その何年か前に家を建てていて、繰り上げ返済をしていたのもある。

見栄っ張りの相手が、車検ごとに外車を買い替えていたのもある。

それにしたって、もうちょっとあってもいいだろう、というぐらいなかった。

私はしっかり家計をやり繰りしている気満々で、毎月、何かの雑誌で読んだ、光熱費や食費などを

袋分けして、その中で1ヶ月を乗り切るというやり方とか、

1ヶ月にこのぐらい貯金すると、1年後にはこうなっていて、という数ヶ年計画も立てていたのだけれど、

結果からみて、それらはストレスになるばかりで、何の効果もなかったことになる。

叔母の勧めで、冠婚葬祭用の通帳も作った。毎月決まった額を入れておくと、

急な出費にも安心、というわけだ。


なぜたくさん入ってくるのに、お金がないんだろう。と不思議だった。

しかし、不思議でもなんでもない。

あの頃の私は、いつもいつもお金がなくなることばかり恐れていた。

家を建てた時も、ローンを払っていけるか不安で仕方がなかった。

袋分けした予算が残ることなど滅多になく、冠婚葬祭通帳は出る一方だった。



お金がエネルギーならば、欠乏のエネルギーで燻したようなうちの家計が潤うはずがない。

冠婚葬祭用、と決めて通帳を作れば、決めたように冠婚葬祭がたくさん起きてくるのである。



このことに気づいたのは、離婚してからだ。

半年は実家に身を寄せていたが、のち、アパートで一人暮らしを始めた。

零細企業の事務員の手取りはしれている。その中から、家賃も光熱費もガソリン代も、

結婚するはずだった交際相手が来たときの為に、予備の駐車場まで借り、

友達にも会い、それでも貯金を崩すことはなかった。



今の夫と再婚してからは、私はほとんど家計管理を放棄した。

二人の収入を合わせても、年収は前の結婚時代の半分にもならなかったが、

5年後に日本を離れるときには、離婚時よりもはるかに銀行にお金が余っていた。



なぜか。



私が家計管理を放棄したために、心配と欠乏のエネルギーでお金を燻製にする人がいなくなったからだと私はおもっている。

夫は、お金に対する執着がない人で、私のように心配もしない。

私はお財布にお金がなくなってくると、「お金ちょーだい」といって夫にもらう。



それは今でも同じだ。

日本に住んでいた頃は、光熱水道費や家賃といった引き落とされるものは通帳を見ればわかったけれど、

こちらでは通帳がないので、それを知る機会がない。

私が知っているのは、自分の給料だけで、夫が正確にいくらもらっているのか、

月々なににいくらかかっているのか、私はまったく知らない。

私はただ「お金ちょーだい」と言って手を出すだけ。



お金は、その人が決めたとおりのものになる。



私の母は、商売好きで奔放な父の尻拭いをしてきたからだろうか、

「お金がたまると、ろくなことがない」

と言う。

そしてほんとうに、そうなる。

母がそう決めたから、そうなるのである。




その母の血を引き継いでいる私は、

家計にタッチしないのが一番だと思っている。

必要なときには必要なだけあるさ、とノーテンキに思えるのは、銀行の残金も

支出の額も知らないからなのである。







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