太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

好き>嫌い

2016-12-17 21:06:33 | 日記
職場のTさんは、とてもいい人だ。

面倒見がよくて、気前がよくて、よく気がついて、やさしくて明るくて頭の回転が速い。

私をかわいがってくれて、とてもよくしてくれる。

私はそんなTさんが好きなのだが、好き嫌いがはっきりしているところに、

いつも私はチクリとする。


彼女はよく、あの人は心がきれいだとかきれいじゃない、と言う。

誰がどんな人で、自分がどう思っているかということを細かく私に話すのだけれど

それと私の考えとはまったく別だから、それに私が左右されることはない。

左右はされないが、気分がいいものではない。

そういうことを私に教えてくれなくていい、と言えばいいのだろうが、

それも彼女の一部であって、私とは違うだけだろう。

しかし、Tさんが嫌いな誰かにTさんのことをなにか聞かれても、何も知らないと言ってほしい。

と言われたときは、とても嫌な気持ちがした。

釘を刺されるまでもなく私は誰かに彼女の話をしやしない。



Tさんは、ものすごく真剣に人と向き合う人なのだと私は思う。

だから、真剣に好きになったり嫌いになったりするのではないか。

私は、同僚たちとそれほど真剣にはつきあっていない。

Tさんが心がきれいじゃないという誰かは、私にとってはそうでもないようにみえるし、

たとえそうだとしても、べつにかまわないと思う。

職場で同僚として平和に過ごせたら、それでじゅうぶんで、それ以上のことを求めない。



気がつくと私は、苦手な人はいても、嫌いな人は見当たらなくなった。

深くつきあう人は限られていて、それ以外は自分にとって都合のいい面だけを見るようにして、

適当に2、3センチの上っ面でお茶を濁している。

相手に対して真剣になって、期待するから嫌いになるのだ。

私にとって「好き」の反対は「どうでもいい」だったりする。

改めて気づいて ぞっ とする。

情が濃いTさんに比べて、私はなんと冷淡だろうか。



Tさんは、なんでもそうだ。

好きな色は黒。洋服も持ち物も、ほとんど黒ばっかり。

食べ物も、こういうものは嫌い、というものが細かくあって、Tさんを食べ物で喜ばせるのは大変だ。

私は、どの色も好きだ。

選びがちな色はあるにしろ、嫌いな色などない。

食べ物も、辛いものと生肉以外はなんでも、どんなものでも好きだ。



でも、私はこれでいいと思っている。

嫌いなものが少なければ少ないほど、けっこう気分よく生きられる。

思えば私の近くにはいつも、嫌いなものがたくさんある人がいて、

その人たちが眉間に皺を寄せるようにして日々を過ごしているのを見てきた。


冷淡でも、薄っぺらでも、私は気分よく過ごし、にこやかにしていたい。

私は私の気分に責任がある。

実は2017年の抱負は  気分よく過ごす にした。

八方美人といわれようがなんだろうが、自分のために、

人やものごとの良い面をできるだけ探すことに努める所存である。









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