太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

ネチネチな私

2019-01-06 15:36:19 | 日記
仕事から戻ったら、キッチンのストーブにはメキシカンの料理ができていたが

夫の姿がない。

2階の寝室から、「オカエリー」という声がする。

嫌な予感的中。

酔っ払った夫が、ベッドに横たわっていた。

「ウォッカ飲んだでしょ」

「ウーン、少し」


ここだ。

このポイントが、私を一気に不機嫌にする。

酔って横になり、そのまま吐いて、シーツもなにもかも台無しにして

その始末をするのは私。

僕がやるよ、と言うものの、酔っていてアテにはならぬ。

それが過去に1度や2度ではない。

そしてだいたいそうなるのは、ウォッカやワインを飲んだとき。

自分だって気分が悪くなるのも、私に文句を言われるのだって嫌だろう。

飲まないときは、つまりダイエットをしている時には何ヶ月も飲まなくてもいられる。

いったん飲むとなると、大量に飲む。

飲まない私には、飲みたい人の気持ちがわからない。

なんで適度な量を飲む、という簡単なことができないのかもわからない。

友人に愚痴をこぼすと、酒好きな彼女は

「年に1回や2回ならぜーんぜんどうってことないじゃん、そんなことぐらいあるよぅ」

と笑う。




せっかくの土曜の夕方、夫が寝ていたらつまらない。

今夜は夫がメキシカン料理を作り、両親とともに食べる予定でいた。

シュートメに、夫が起き上がれるまで待ってもらえるように言うと、

私達のことはいいからあなたたちで適当にやって、と言って二人で食事に出かけてしまった。

イライラが止まらない私は、努力して1歩引いて、イライラしている自分を観察する。

夫は酔っているだけだ。

病気で起き上がれないことを思えば、怒るほどのことではないんじゃないの。

「わたし」はそう思っている。




「だからウォッカはやめときなって言ってるのに」

「なぜこうなるまで飲むの」

「どうして学ばないのさ」

夫が謝っているのをいいことに、私はとことんネチネチと文句を言う。

「大丈夫だったんだよ、急にきたんだよ」

「ウォッカはそうなるって、何度もやってわかってるはずでしょ」

しばらくして夫はトイレに行って吐き、熱いシャワーを浴びた。

シャワーを浴びている夫の横で、私はまだ文句を垂れている。

まったく私という人は、どうしてこうもネチネチしているんだろうか。

1歩引いて観察している「わたし」は呆れて物もいえない。

夫がおとなしくそれを許していると、私はどこまでも付け込む。

まだいける、まだいける、といい気になっているうちに、とうとう地雷を踏むこともある。

「わたし」はネチネチ言わずにいられない私が、ほとほと嫌になり、

言われている夫が気の毒になる。

私が酒好きだったら、もっと夫は楽しく飲めるかもしれない。

私がもっとおおらかだったら、私も夫ももっと楽かもしれない。



私だって私のネチネチはわかってる、直したいけど直せないから短所なんじゃないか



私のエゴは精一杯の言い訳をいう。

イライラしているとき、怒りがおさまらないとき、

こうして観察することは大事だと思っている。

感情はどうすることもできないが、感情の行方を見ている「わたし」を意識できると

少しだけ冷静でいられる空間ができる。




ネチネチ攻撃にさらされた夫は、シャワーを浴びてすっきりし、

夫が作ったメキシカン料理を二人で食べて、私の機嫌はおさまった。

今年はもうちょっとおおらかな私になりたい。

これが私の抱負である。













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初夢

2019-01-06 09:30:43 | 日記
初夢のことを、すっかり忘れていた。

気づけばもう1月も4日。

仕切り直して、今夜見る夢を初夢としようと勝手に決め(そんなんでいいのか)

起きてからも内容を覚えていられるように自分に頼んで眠りについた。

そして今朝、目が覚めたとき、確かに覚えていた。

でも、またたくまに夢は輪郭を失い、ぐずぐずにほどけて、煙のように消えてしまった。

その間、たったの数秒。

かろうじて記憶の隅に残ったのは、仕事の夢だったような、それだけだ。





明確に記憶に残っている初夢は、2つある。

ひとつは小学生の頃、小学校のスノコの渡り廊下で 西条秀樹 にバッタリ会った夢。

当時、私はヒデキのファンで、下敷きに雑誌の切抜きを入れていた。

私は足元のスノコを踏み外しそうになるほど緊張した。



あとひとつは、42の時の初夢だ。

40で離婚したあと、若い相手と恋愛したものの、最初の半年を過ぎたら、あとはみじめな関係になった。

それでも私はその恋愛にすがりついた。

相手の冷たい態度も、相手の世界に入れてもらえない寂しさも、結婚さえすれば解決する、と愚かにも私は信じていた。

初夢の中で、私は借りていたアパートのオーナーである女性と話をしている。

オーナーとは面識はないのだが、夢の中ではその人はオーナーだとわかっている。

「ここにプールを作ってもいいけど、外でもっとたのしいことがあるから、そのほうがいいわね」

プールを作るようなアパートではない、ごく普通の庶民的なアパートだ。

「それであなたはいつまでここにいるの?」

オーナーの質問に、私は自然に答えた。

「11月までです」

そこで目が覚めた。

ここを出る予定などないのに、なぜ11月までと言ったのか、不思議だった。



その年の5月に、若い相手は好きな人ができたといって私を振った。

奈落の底に落ちた私は、這い上がり、

すべてのエネルギーを「次!」に向けて使い、大車輪のごとく走った。

そして6月の終わりに、今の夫と出会った。

アパートの契約更新が12月なので、11月の終わりに夫のアパートに引っ越した。

そのとき、初夢のことを思い出した。



ほんとうに11月までになったじゃん・・・



正月の時点では、こうなることなどまったく想像もできなかった。

けれども、あとになってみれば、私次第では別の展開もあるよ、というお知らせだったと思う。

若い相手が現れてくれなければ、私はずるずると離婚できずにいただろうし、

若い相手が私を振ってくれなければ、私はずるずると相手にしがみついていたに違いない。

背中を蹴り飛ばされないと次に進めない自分に呆れもするが、

しかし一旦蹴り飛ばされれば、ものすごいパワーが出る自分は、スゴイ、とも思う。





2019年の初夢は、ま、たいしたことなかったということで。

今年も穏やかに過ごせそうである。












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