太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

お金、という名の。

2019-01-27 18:19:47 | 日記
3週間ほど前に、同僚に20ドルを貸した。

その同僚は大喧嘩の末、夫と住んでいた家を出たばかりで、一人で暮らしている。

夫から銀行から現金を出せないようにされていて、手持ちの現金がないのだ。

その後、私は日本に行き、戻ってきて、さらに1週間。

同僚は、いっさいそのことに触れてこない。

私の心が、ざわざわとする。




20ドル(2200円ぐらい)が戻ってこなくても、私は困るわけではない。

同僚のおかれている状況はわかるし、20ドルはあげたものと思えばいい。

仮に催促して、返したいのに返せないのだったら辛い思いをさせてしまう。

だからこのまま、なかったことにするのは簡単に思えた。

それなのに、どうにもすっきりしない。

私の本音はどこにある。


あまりにすっきりしないので、友人にメールした。

『うん、わかるよ。あんたは筋を通したいんだね』


それだ。

返せないのなら、それでも全然かまわない。

ただ、借りたことを忘れてないということを、私は知りたいのだ。

私が誰かにお金を借りたら、私はそのことを忘れない。

私だって忘れることがあるかもしれないのに、そういう傲慢な思いが、ある。

そういう自分の傲慢さを知りながら、それでもまだ「私の」筋を通したくてたまらない。


たかが、お金じゃないか。

それも2200円ぐらいの。

あげてもいいお金なら、べつにいいじゃないか。

お金をボールペンにたとえてみよう。

3週間前にボールペンを貸したけど、まだ返してもらってない。

私は同じようなボールペンを何本も持ってるから、それが戻ってこなくても別に困りはしない。

それがお金になるだけで、なぜ気持ちがぎくしゃくするのだろう。



迷った末、催促はしないことにした。

今どうしても私に必要なものでないなら、あげたことにして忘れよう。

そう決めた、そのあとで、私は同僚に聞いていた。

「あのお金、返してもらえたり、する?」

私が自分のめんどくささにげんなりするのは、こんなときである。





給料日前で返せない、と同僚は言った。

借金を申し込むのは勇気がいるだろうと思う。

返したいのに返せないときに催促されたら、とても辛いと思う。

そう思っていながら、自分の筋を通したい本音を抑えることができない。

こうありたい、こうあるべき自分より、こうしたい自分を選んでしまう。

さんざん、こうあるべき自分で生きてきた私が、である。



前述の友人が、こうも言った。

『借金をするのも、返さないでいるのも案外平気な人だっているんだよねー』

たぶんそうなんだろう。

私が相手の気持ちをどんなに忖度したところで、それは私の想像の域を出ない。

だったら、シンプルに自分がしたいと思うようにすればいい。

と、思うのだけれど、そして、時にはシンプルにそうすることもできるのだけれど

お金となると、グズグズと尾ひれがついてくる。





理想よりも、本音を採用することができるようになったのは私には喜ばしいことである。

けれども、ときに等身大の自分に複雑な思いがするのもまた、事実である。















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