父が、亡くなってしまった。
いつかそうなるのだと知りながら、そうならないといいなと思っていた。
9月のときのように、また持ち直すだろうと思いつつ、
それでも急遽行くことにしたのは、虫の知らせだったのだろうか。
9月に父が「なにかあったら知らせるよ」と、突然正気になって言ったのは
このことだったのだろうか。
2年前に大腿骨骨折をしてから、
父は家に戻ることなく、施設で過ごした。
リハビリ病院にいたときは、夜になると電話をかけてきて「帰りたいから迎えに来て」と母を困らせた。
グループホームでは、以前ほど帰りたいとは言わなかったけれど
明日帰るから、と言って自分で荷物を作り、翌日にはそれを忘れてしまい、
また思い出したように、「お帰りバッグ」を作るということをしていたそうだ。
亡くなったあと、自宅に連れて帰り、
「家に帰してあげられなくてごめんね」と姉と二人で泣いた。
天真爛漫で、せっかちで、明るくておしゃべりで前向きな父。
今月初めに肩を骨折した母は、手術をし、そのあとはリハビリ施設にいる。
骨折したあと、ほかの機能もがっくりと落ちて、食事もトイレも介助が必要で、
また骨折するのも怖いので、家にいることができない。
亡くなった父と会い、リハビリ施設に戻った母に、その夜、父が会いに行ったそうだ。
「さあちゃん(父のこと)、あんた死んじゃったっていうじゃん」
と母が言うと
「おぅ」
と父は言ったという。
たくさんの、ほんとうにたくさんの人が、父に会いに来てくださった。
大昔に父の会社で働いていた人たちも、遠くから足を運んでくださった。
普段は会うこともない親戚たちも多く集まって、
まるでお正月のような賑やかさで、人が集まるのが好きだった父は喜んだことだろう。
お通夜のときに、生前の父と家族の写真を集めてスライドショーを流した。
あれは、キツイ。
父の友達の写真館で撮った父の遺影は、とびきりハンサムで映画スターのようだ。
もう何年も離れて暮らしていたから、日本に行けば、また父に会えるような気がしてならない。
10年ほど前に撮った、私が好きな父の写真をもらって帰り、写真たてに入れた。
家族の写真が飾ってある棚の上に、それを載せたら、泣けてきた。
おとうさん、ありがとう。大好きです。