太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

2019-12-23 14:18:42 | 不思議なはなし
父が、亡くなってしまった。
いつかそうなるのだと知りながら、そうならないといいなと思っていた。

9月のときのように、また持ち直すだろうと思いつつ、
それでも急遽行くことにしたのは、虫の知らせだったのだろうか。
9月に父が「なにかあったら知らせるよ」と、突然正気になって言ったのは
このことだったのだろうか。

2年前に大腿骨骨折をしてから、
父は家に戻ることなく、施設で過ごした。
リハビリ病院にいたときは、夜になると電話をかけてきて「帰りたいから迎えに来て」と母を困らせた。
グループホームでは、以前ほど帰りたいとは言わなかったけれど
明日帰るから、と言って自分で荷物を作り、翌日にはそれを忘れてしまい、
また思い出したように、「お帰りバッグ」を作るということをしていたそうだ。
亡くなったあと、自宅に連れて帰り、
「家に帰してあげられなくてごめんね」と姉と二人で泣いた。


天真爛漫で、せっかちで、明るくておしゃべりで前向きな父。



今月初めに肩を骨折した母は、手術をし、そのあとはリハビリ施設にいる。
骨折したあと、ほかの機能もがっくりと落ちて、食事もトイレも介助が必要で、
また骨折するのも怖いので、家にいることができない。
亡くなった父と会い、リハビリ施設に戻った母に、その夜、父が会いに行ったそうだ。
「さあちゃん(父のこと)、あんた死んじゃったっていうじゃん」
と母が言うと
「おぅ」
と父は言ったという。

たくさんの、ほんとうにたくさんの人が、父に会いに来てくださった。
大昔に父の会社で働いていた人たちも、遠くから足を運んでくださった。
普段は会うこともない親戚たちも多く集まって、
まるでお正月のような賑やかさで、人が集まるのが好きだった父は喜んだことだろう。
お通夜のときに、生前の父と家族の写真を集めてスライドショーを流した。
あれは、キツイ。
父の友達の写真館で撮った父の遺影は、とびきりハンサムで映画スターのようだ。


もう何年も離れて暮らしていたから、日本に行けば、また父に会えるような気がしてならない。
10年ほど前に撮った、私が好きな父の写真をもらって帰り、写真たてに入れた。
家族の写真が飾ってある棚の上に、それを載せたら、泣けてきた。

おとうさん、ありがとう。大好きです。