読んでいた本の一節に、ドキリとすることがよくある。
誰かのために、ていうのは誰かのせいで、と根っこは同じ
思い当たること、多すぎ。
その人のために、と言いつつ、そのことについて何の反応もなかったり、感謝されなかったりするとモヤモヤし、
その人のせいでモヤモヤしていると思ってしまう。
誰かのために、何かを我慢したことが、心のどこかで、その人のせいで我慢しなくてはならない、というふうにならないとは限らない。
自分がしたことの見返りというと嫌な感じだけど、感謝されたいと思うのは、人として自然な感情だと思う。
けれど、「自分がそうしたいから、やった」と腹を括っておけたなら、心はもっと平和になるだろう。
英語で、「手伝おうか?」と聞いたとする。
そうすると、「If you want」と返ってくることが多い。
直訳すれば、「あなたがそうしたいならね」となるが、単なる言い回しで、そういう意味を込めて言っているわけではないと思う。
しかし、この言い方は、とても英語圏的だと思うのだ。
やりたいから、やっている。
やりたくなければ、やらない。
そこのところが、日本人以上にはっきりとしているような気がする。
だから、本当はやりたくないのに無理しているのではないか、という日本人的な勘ぐりはしなくても済む。
やりたくないけど、選ばざるを得なかった選択肢も、
「それを選びたいから、選んだ」と腹を括れば、ずいぶん気持ちが違ってくるのではないかと思う。