太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

謝りたいこと

2023-09-03 15:08:59 | 日記
母の、2年目の命日が過ぎた。

亡くなる2年ぐらい前に会ったのが最後だったから、今でも日本に行ったら母がいるような気がしてしまう。
父と母には、毎日「ありがとう、大好き」と伝えている。

生前は、目の前の現実に振り回されていたけれど、亡くなってみると、良い思い出ばかりが思い出されてくる。
あのとき、母は母で手さぐりで一生懸命だったのだな、そうそう父はそういう人だったよな、と思うことがたくさんある。
それは、嬉しいこともであると同時に、どうして最後までそういう思いやりをもって接してあげられなかったのかという悔いで心が塞ぐ。


最後に母に会った時、それはもう4年前になるけれど、母を短期でグループホーム施設に預けた。
まだコロナ前だったので私と夫が面会に行き、しばらく過ごして、そろそろ帰るというときに、母が
「お手洗いに行っておこうかね」
と言った。
母は転んで肩を骨折していて、片腕を吊っていたので一人で用を足すのが難しい。
私が一緒についていけばよかったのに、外部者が勝手なことをしたらいけないような気がして、私は職員の方を呼んだ。
男性の職員しか手があいていなくて、その人がお手洗いについていってくれた。

そのとき私は、母は私が帰る前にお手洗いを済ませておきたかったのだ、と気づいた。遅かったけど・・・


なぜ私は母の気持ちに気づく前に、人がどう思うかという世間体を先に考えてしまったのだろう。


母はそれについて何も言わなかったけれど、私はずっとそのことが悔いになって残っている。。
いつか謝ろう、と思っていたのに、その機会もないまま母はいなくなってしまった。


母の命日に、そのことを謝った。
謝るとともに、気づいたことがある。

『でも、これって、お母さんからもらった癖だよね』

母はいつも世間体を気にする人だった。
自由奔放な父の尻ぬぐいをしながら生きて来たからかもしれないし、もともとの性格だったのかもしれない。
私が再婚すると言ったとき、
「世間に、あの子は出戻ってきたと思ったら、今度はガイジンだって、と言われる」
と言って反対した。
「世間って誰よ?その世間が私を幸せにしてくれるっての?」
と私は憎まれ口をたたいたっけ。

再婚したあと、前の夫が亡くなって、その納骨に両親と行ったとき、母は私の旧姓の名前を書いた不祝儀袋を作ってきた。
「再婚したと思われないほうが体裁がいいから」
というのが理由。
私はその理屈がまったく理解できなかったから、新しい苗字を書いた不祝儀袋を使った。

こんなこともあった。
かなり昔になるが、実家で飼っていた犬のお腹にシコリができた。シコリはみるみる大きくなって、触ると熱をもつほどになった。
たまたま実家に帰ってきていた妹が、すぐに動物病院に連れていかなきゃ、と言ったら母が、
「でも、こんなになるまで放っておいた、って言われる・・」
と渋った。
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」
妹はそう言って犬を抱えると病院に連れて行った。母は犬をとても可愛がっていたのに。


命日に母に謝りながら、

「ね、お母さんが私でも、同じことしたかもしれないよねえ」

と言った。
それで私の気が楽になるわけじゃなく、やはりあの時私がやればよかったと思う気持ちに変わりはないのだけれど。
夢で、母が何か言うかなと思ったけれど、母は出てこなかった。
「そんなこと、あったかねェ」
そう言ってくれているのではないか、というのは私の希望的観測である。