今日、甥が日本に帰る。
慣れないことをして気疲れした2週間であった。
日本に行くたびに甥には会っていたが、挨拶ぐらいで、面と向かって話をしたことはなかったから、話す機会がもてたのはよかったと思う。
わかったことは、甥は無口で、夜型で、感情をあまり表さず、にこにこして、肉が好きで、起こすまで寝ており、朝起きてから15分で出かけられる。
母親である姉は、「私とタイプが違うから、イラッとする」というが、それは私も同じで、どう接していいか戸惑う。
甥が希望していた私の職場で働く体験は、着いて早々風邪気味でもあったため3日間だけ。
言えば、やる。
でも自分で仕事を探して、チャキチャキ動くタイプではなく、私は甥がちゃんとやっているかどうか気になってしまう。
いくらボランティアだとはいえ、いてもいなくても同じでは意味がない。
それでも、職場のみんなは彼に良くしてくれて、最終日にはジュエリーのベンダーがペンダントをくれたりして、感謝している。
私が作る初めての『ちゃんとしたお弁当』は、初日はお弁当箱に無数のアリがたかっており、食べられなかった。
二日目は、そぼろご飯にシソポークとサラダ、三日目はオムライスにチキン。
無口な甥が、「お弁当おいしかった」と、二日とも言ってくれて、思わずジーンと胸が熱くなった。
先週から、義両親がシアトルに出かけたので、お世話できるのは夫と私だけ。
私が仕事で夫が休みのときには、サンドバーに行ったりシュノーケルしたり、この樹何の樹のモンキーポッドを見に行ったり、景色のいいところをドライブしたり、ワイキキを一通りドライブして見せたり。
私が休みのときには、お土産を買いにアラモアナまで行ったり。
お土産はそれで終わりかと思いきや、最後の日曜日になって、火曜日あたりにワイキキでお土産を買いたいと言う。
火曜日は二人とも仕事だというと、近くで降ろしてもらえばいい、と言う。
ワイキキは遠くてそれもできないというと、バスで行く、と言う。バスの乗り方、降りる場所、帰るバスの探し方など、私自身1度しか、しかも地元でしかバスに乗ったことがないのだから、教えられる自信がないし、迷っても困る。
「じゃ、今日行くしかないじゃん」
夫が言う。私たちはなるべくワイキキには行きたくないのだ。
ワイキキはワイキキ価格でなんでも高いし、アラモアナにあるような店がただ並んでるだけだし、道は混むし、日曜日は車をおく場所を探すのも大変。
もう一度アラモアナショッピングセンターまで行って、そこで買えるものを買おう、と説得してアラモアナに行った。
新しくできたABCストアに、けっこう良いお土産がたくさんあって(私も自分にサンドレスを買った)幸いそこで全部買うことができて一安心。
夫の叔父叔母が夕食に招待してくれたりもし、希望していた海釣りは叶えてあげられなかったけど、私たちにできる範囲のことはやったと思う。
いつも寝る前に、甥がいる部屋に声をかけているのだが、夫が朝が早いので、昨夜は夫に会える最後のチャンス。おやすみ、と声をかけると、いつものように部屋の中から返事が返ってきただけで、出てこなかった。
夫にはずいぶん世話をかけたから、ちゃんと目を見て挨拶してほしかったので、「今夜が最後だよ」と言ったら出てきた。
私の甥であり、私としてはこっちの家族に気を遣ってしまう。
気が付かないだけで、そういう気持ちがないのではないのはわかるけれど、もう子供ではないのだから。
姉には逐一報告。
姉も、同じようにハラハラしながら息子を見ているのだろう。
物事をきっちりしたい姉だから、なおさらで、何かあるたびに口を酸っぱくして、こうしなきゃだめ、こうするべき、ということを言っているそうなのだ。
「どんなに言っても、今頃?というときになってようやく変わる、というふうで、本人のスイッチが入らないとダメみたい。私はいまだにそのスイッチがどこにあるのかわからないでいるよ。私とは別の人間だとはわかっていても」
世の中のすべての母親たちを、心から尊敬。
他人の子供を引き取って育てる人達を、さらに尊敬。
子供を持ったが最後、自分が死ぬまで子供は子供なのだ。
私の母も、同じような気持ちでいたのだろう。
子供がいなくて、ほんとうによかった、かみさまありがとう。
私には無理だ。
「社会に出て、困って苦労して、やっと学んでいくんだろうね」
まあ、そうなんだろう。
いろいろと学んだ2週間であった。