太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

叔母の目にも涙

2023-09-13 14:43:51 | 日記
甥を空港まで送って行った。

滞在中に、甥は3回も財布や携帯電話を車の中に忘れたことがあった。座っているときに、ポケットから滑り落ちてしまうのだ。
1度はカヤックでサンドバーに行った時で、財布と携帯電話をおいたまま何時間も公共の駐車場に停めていて、よくまあ車上荒らしに会わなかったことよ。
身支度をしている甥に、言った。

「財布と携帯電話は絶対にポケットにいれたらダメだよ。
うっかり財布や携帯電話をなくしたら、ここは日本じゃないんだから誰も届けてはくれないんだからね。面倒でもバックパックの中に入れておく。これ約束だよ」

姉によると、同じことを姉も何度も言っているのだという。
「親以外の人が言えば、聞くかもしれないからどんどん言って!」

空港までの道中は、とりとめのない話をして、空港に着き、スーツケースを降ろした。
「ありがとうございました」
甥がぺこりと頭を下げた。
「またおいで」
「はい、絶対来ます」
そしてハグして、別れた。

一人になって走り始めたら、勝手に涙が出てきた。
肩の荷がおりたと思ってたのに、なんだかやけに寂しくなった。
うるさいことを言い過ぎたか。期待過剰ではなかったか。心がチクリと痛む。
まあ、これは甥には言わずにおこう。


泣きながら運転していたら、どこでどう間違ったか家とは全然違う方面に向かっていた。
どう見ても、あらぬ方向に向かってフリーウェイをバンバン走っていく。
これはどこかで降りて、反対側のフリーウェイに乗らねばと思いつつも、どこで降りたらいいものやら迷っているうちにどんどん先に進んでいく。
どうせどこだかわからないなら、どこで降りても同じだと思い、降りられそうなところで降り、なんとか反対車線のフリーウェイに乗って、延々遠回りをして家に帰って来た。

まあ、これは夫には言わずにおこう。
雨と泥で濡れそぼけた犬を見るような目で見られるに決まっている。
狭い島でよかった。どんなに遠くに行っても、2時間あれば家に戻れる。
鬼の目ならぬ、叔母の目にも涙の話。







世の中の母たちへ

2023-09-13 07:35:47 | 日記
今日、甥が日本に帰る。
慣れないことをして気疲れした2週間であった。
日本に行くたびに甥には会っていたが、挨拶ぐらいで、面と向かって話をしたことはなかったから、話す機会がもてたのはよかったと思う。
わかったことは、甥は無口で、夜型で、感情をあまり表さず、にこにこして、肉が好きで、起こすまで寝ており、朝起きてから15分で出かけられる。

母親である姉は、「私とタイプが違うから、イラッとする」というが、それは私も同じで、どう接していいか戸惑う。

甥が希望していた私の職場で働く体験は、着いて早々風邪気味でもあったため3日間だけ。
言えば、やる。
でも自分で仕事を探して、チャキチャキ動くタイプではなく、私は甥がちゃんとやっているかどうか気になってしまう。
いくらボランティアだとはいえ、いてもいなくても同じでは意味がない。
それでも、職場のみんなは彼に良くしてくれて、最終日にはジュエリーのベンダーがペンダントをくれたりして、感謝している。

私が作る初めての『ちゃんとしたお弁当』は、初日はお弁当箱に無数のアリがたかっており、食べられなかった。
二日目は、そぼろご飯にシソポークとサラダ、三日目はオムライスにチキン。
無口な甥が、「お弁当おいしかった」と、二日とも言ってくれて、思わずジーンと胸が熱くなった。

先週から、義両親がシアトルに出かけたので、お世話できるのは夫と私だけ。
私が仕事で夫が休みのときには、サンドバーに行ったりシュノーケルしたり、この樹何の樹のモンキーポッドを見に行ったり、景色のいいところをドライブしたり、ワイキキを一通りドライブして見せたり。

私が休みのときには、お土産を買いにアラモアナまで行ったり。
お土産はそれで終わりかと思いきや、最後の日曜日になって、火曜日あたりにワイキキでお土産を買いたいと言う。
火曜日は二人とも仕事だというと、近くで降ろしてもらえばいい、と言う。
ワイキキは遠くてそれもできないというと、バスで行く、と言う。バスの乗り方、降りる場所、帰るバスの探し方など、私自身1度しか、しかも地元でしかバスに乗ったことがないのだから、教えられる自信がないし、迷っても困る。

「じゃ、今日行くしかないじゃん」

夫が言う。私たちはなるべくワイキキには行きたくないのだ。
ワイキキはワイキキ価格でなんでも高いし、アラモアナにあるような店がただ並んでるだけだし、道は混むし、日曜日は車をおく場所を探すのも大変。
もう一度アラモアナショッピングセンターまで行って、そこで買えるものを買おう、と説得してアラモアナに行った。
新しくできたABCストアに、けっこう良いお土産がたくさんあって(私も自分にサンドレスを買った)幸いそこで全部買うことができて一安心。

夫の叔父叔母が夕食に招待してくれたりもし、希望していた海釣りは叶えてあげられなかったけど、私たちにできる範囲のことはやったと思う。

いつも寝る前に、甥がいる部屋に声をかけているのだが、夫が朝が早いので、昨夜は夫に会える最後のチャンス。おやすみ、と声をかけると、いつものように部屋の中から返事が返ってきただけで、出てこなかった。
夫にはずいぶん世話をかけたから、ちゃんと目を見て挨拶してほしかったので、「今夜が最後だよ」と言ったら出てきた。
私の甥であり、私としてはこっちの家族に気を遣ってしまう。
気が付かないだけで、そういう気持ちがないのではないのはわかるけれど、もう子供ではないのだから。


姉には逐一報告。
姉も、同じようにハラハラしながら息子を見ているのだろう。
物事をきっちりしたい姉だから、なおさらで、何かあるたびに口を酸っぱくして、こうしなきゃだめ、こうするべき、ということを言っているそうなのだ。

「どんなに言っても、今頃?というときになってようやく変わる、というふうで、本人のスイッチが入らないとダメみたい。私はいまだにそのスイッチがどこにあるのかわからないでいるよ。私とは別の人間だとはわかっていても」

世の中のすべての母親たちを、心から尊敬。
他人の子供を引き取って育てる人達を、さらに尊敬。
子供を持ったが最後、自分が死ぬまで子供は子供なのだ。
私の母も、同じような気持ちでいたのだろう。
子供がいなくて、ほんとうによかった、かみさまありがとう。
私には無理だ。

「社会に出て、困って苦労して、やっと学んでいくんだろうね」

まあ、そうなんだろう。
いろいろと学んだ2週間であった。