太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

4年ぶりの日本 日本の小型車にたまげる

2023-12-15 07:40:11 | 旅行
二日目と三日目が前後してしまった。この記事は二日目。

日本到着翌日は、この旅の目的のひとつでもある免許証更新に行く。
妹が仕事の休みをとって、今日1日つきあってくれることになった。妹の1番下の娘も休みだとかで、ついてきた。
まずその前に、両親のお墓に行った。
両親がお墓にいるとは思えないんだけど、それでもやっぱりお墓参りはしたい。
空は高く晴れわたり、空気はひんやりしているが、日差しは強い。
外にいると汗ばむほどの、典型的な静岡の冬。

お墓の近くにある父の会社に行き、叔母に会う。
数年前に退職した事務員さんも、たまたま近くにいることがわかり、合流して昔話に花が咲く。
そこへ従兄弟がやってきて、急遽、今夜夕食を共にすることとなる。



今回の免許更新にあたって、実家の住所の番地を変更するという課題があった。
15年ほど前に、姉一家が実家のあった場所に2世帯住宅を建てた際、番地が変わったらしい。
たとえば1-2だったのが、1-3になり、市から「1-3」と印字された金属のプレートも送られてきたらしいのだが、父はそれを「なんだこりゃ?」と捨ててしまったらしいのだ。
父は、姉一家は1-3、両親は今まで通り1-2、と宣言し、事情を知らない姉一家はそのとおりにしていた。

それが4年前、父が亡くなって、土地の名義を変更する際に、1-2はとっくに実在していなかったことが判明。
それでも1-2で郵便物は届くのだが、運転免許証は重要なIDであるので、住所は直しておいたほうがいい。

住所変更には住民票か保険証、公共料金の請求書が必要なのだけれど、私はどれも持っていない。必要なものの最後に、新しい住所宛に届いた、切手に消印のある郵便物、とあったので、日本の友人に頼んで手紙を出してもらうことにした。
それを持って警察署に行き、事情を説明すると、

「少々お待ちください。上司と相談してまいります。こういうケースは初めてですので・・」

しばらく上司と相談していたが、戻ってきて、友人が送ってくれた手紙をコピーし、めでたく住所番地変更して新しい免許証を受け取った。ありがたいことに、今度の免許証には次回の更新日が西暦で書かれている。今回も平成35年と書かれていたのだが、日本以外に住んでいるとまったくわからなくて困るのだ。


妹が乗っている小型車が、すごかった。
道を走っていて、以前に来た時よりも軽自動車の数が俄然増えていると感じた。4年前に来た時は、家族で乗れるボックスカーのような車が多かったように思う。
軽は色もデザインもたくさんあって、どれも魅力的で乗りやすそうだ。

妹がシフトをバックにしたら、画面にリアーカメラの映像が映る。ここまではハワイの車にもある。(私のには、ない)
ところが、画面の半分は、俯瞰した映像が映るのでたまげてしまった。

「ど、どこにカメラがあるのさ??」

思わず写真に収める。
俯瞰図だと、両側にどの程度の距離があるかが一目瞭然。
ハワイでも、ベンツには同じものがついているそうだけど、まさか軽自動車に装備されているとは、日本はスゴイ。
ドライブレコーダーは標準装備で、バックに入れて強くアクセルを踏むと自動的に車がとまるシステムもあるそうだ。

日本には、ハワイではありえないほど狭い道が多い。どう見ても一方通行だろう、という道が平気で両側通行で、すれ違うときに思わず車の中で体を横にずらしてしまう。
軽自動車はそんな道にもぴったりだし、天井も高くて乗り降りしやすい。こんな車がハワイにあったら、私は乗りたいと思う。


お昼は天ぷら蕎麦を食べ、お茶のときには栗が食べたかった私はモンブランを食べ、伊勢丹で新しい冬のコートを買い、無印良品に行き、日本に行くと必ず買う「印伝」をしこたま買った。
甲州の特産品「印伝」のカードケースやお財布が、贈り物にするととても喜ばれるのだ。夫も私も財布は印伝で、何年使ってもヘタれない。

従兄弟が行きつけの店で、妹、姪とで夕食を食べた。
子供の頃からよく遊んでもらった従兄弟も65歳をいくらか過ぎ、来年にはリタイアすることにしたと言う。
娘の結婚式で、娘に
「私は母に育ててもらったようなものです。父はいつも家にいなかった。おかあさん、ありがとう」
とスピーチされたと今でも根にもっているが、仕事で忙しかったのはたぶん3割ほどで、あとは遊びで家にいなかったのだから自業自得。
そういう人は老けないのか、従兄弟は50代に見える。調子に乗るから言わなかったけど。


夜は再びセブンイレブンにお参り(?)して、寝た。
明日は温泉に行く。





4年ぶりの日本 藁つとワークショップ

2023-12-15 07:23:36 | 旅行
2日目は、遠方に住む友人が実家まで来てくれた。
藁細工の作り方を教えてくれるというので、材料をたくさん抱えて、ミニワークショップの始まりィ。
生徒は姉と私。
左が姉、右が友人

なんと野良着も持参。

柚子を並べた藁つとや、唐辛子を編みこんだもの、クリスマスやお正月に飾れるリースを作成。
濡らした藁を編みながら作るのだが、これが楽しかった。
持って帰りたいけど果物などはハワイに持ち込めないので、私の分は和菓子屋をやっている妹にあげることにする。

お昼は友人と姉と3人で、浮世絵にも描かれているという老舗の「丁子屋」でとろろを食べた。
35年ぶり(!)ぐらいに丁子屋に行ったが、大満足の美味しさ。
大河ドラマが家康だそうで、家康ゆかりのツアーで静岡には旅行者が多く、週末には待たずには入れないらしい。平日のこの日も、それでもテーブルが8割がた埋まっていた。
食事を終えて、部屋を出る時(広い畳部屋にいくつもテーブルが置かれている。昔のままの板敷でも食事ができるが、今回はこちらの部屋)姉が、
「ちょっと!」
と小声で言い、私の袖を引く。姉の目線の先を見て驚いた。
入り口近くのテーブルにいた母娘連れの母親が、私たちの母に瓜二つ。
横顔しか見えないが、輪郭や髪型、少し猫背の姿勢も、洋服の感じまで、80歳ぐらいの頃の母にそっくりなのだ。

「おかあさん、とろろ好きだったから、一緒に来ていたのかも」

現実主義の姉ですら、そう言うほどで、母に会えたような気がした。


丁子屋の近くにある、体験型施設「匠宿」。
ここは以前から知っていたけれど、行くのは初めて。静岡名産の竹細工や、染め物、ステンシルを使った小物作りなど、申し込んでおくと1時間ほどで体験できる。
その場で申し込めるものもあって、時間にゆとりがあったら是非やってみたい。ショップやカフェもある。カフェのコーヒーが870円・・・ここはハワイか。


そのあとは日本平へ。
清水港を下に見えるこの富士山が私は好きだ。
日が高いうちに撮った富士山は、色が飛んでしまってきれいに映らなかったけれど、夕暮れ時にはこんなふうにはっきり映った。
日本平ホテルのカフェで一休み。私はここでも栗。どんだけ栗が食べたいんだって話だけど、ハワイには栗がない。きっとアメリカには栗の文化がないのではないかと思う。
人に言っても、「栗?ふーん、栗って食べるんだー」程度で、栗に対する温度が低い。
『和栗のモンブラン』なんて書かれていたら、素通りできるはずがない。

夕食は、友人と二人で近所の鰻屋へ。
子供の頃から、鰻といえばココ。
むろん、美味しい鰻もハワイにはない。私が食べたいものに友人をつき合わせてしまい申し訳ない。

遠路はるばる訪れてくれた友人に、感謝。
友人は現在、介護の真っただ中。そんな中で時間を割いてくれたのだ。
彼女とは、美大時代からの42年来の友人だ。
最後に会ったのはいつだったか思い出せないほどだけれど、LINEというテクノロジーのおかげで繋がっていられるし、何年ぶりでも、まるで先月会ったかのように感じるのは嬉しく、ありがたいことである。
『これ(介護)が終わったらハワイに行くぞー!』
そう言い始めた頃は、きっと還暦にはハワイに来れるよ、と思っていたのに、あっという間に還暦目の前。
この山を乗り切って、元気にハワイで会える日が待ち遠しい。