太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

一区切りついて次へ進む

2023-12-27 16:37:12 | 日記
4年ぶりの帰国は、一区切りついて次へ進む帰国になった。

初めて、両親がいない実家に帰った。
両親が住まっていた1階を、姉がきれいにリノベーションをしてくれたおかげで、両親の面影を探さずに済んだのはありがたかった。
もしそのままの状態であったなら、私は家にいる間中、彼らの面影を見続けて辛かったと思うから。

友人と温泉に行った時、お互いの父親の話で盛り上がった。友人の父親は、私の父よりもだいぶ前に他界されているが、私の父同様、いろいろと逸話のある人だった。
だから笑い話が殆どで、他の話をしていても、いつの間にか父親の話に戻ってしまう。
涙を流しつつ笑いながら、
「これは供養なんだろうね」
と言った。

私が20年以上も働いていた父の会社に、叔母に会いに行った。
今は従兄弟が継いでおり、叔母も経理としてまだ現役でいる。かつての同僚だった事務員さんが、偶然近くにいて飛び入りし、応接室を貸し切って古い女子会となった。

帰り際、みんなで外に出たところに、昔つきあっていた人が社に戻って来た。
一回り以上も年下のその人は、『なんかこの結婚は変すぎる』と突然気づいてしまった私の前に魔法のように現れて、その人とやり直したい一心で、当時夫だった人の、どんな泣き落としにも、脅しにも嫌がらせにもビクともせずに、半ばゴリ押しで離婚届けに判をもらった。
実家を出て、私は二人で住むためのアパートを借り、予備の駐車場まで借りて半同棲が始まったが、幸せは長くは続かなかった。
ひと月もしないうちに冷たくなり、よそよそしくなり、それでも私は縋りついて、惨めな恋愛を2年も続けた挙句、バカみたいに振られた。

社内恋愛だったが、誰にも知られていなかった。
だから振られたあとも、職場では何事もなかったように冗談を言い合わねばならなかった。
「絶対に私が先に幸せになって、私の花道を見せてやる」と心に決め、顔では笑いながら、呪いをかけ(怖いけど、10日ぐらいやったら飽きてどうでもよくなった)、一発逆転をかけて励んでいた。

その甲斐あって、振られた日から2か月もたたないうちに私は今の夫に巡り合った。
あとから思えば、その人は私が離婚し、その先に進むためだけに用意された人だったのだ。その人がいなかったら、私は情にほだされて離婚できなかったかもしれないし、その人が振ってくれなかったら、今の夫にも出会えなかった。

ハワイに移住したあと、帰国して会社を訪れたときに見かけることはあっても、言葉をかわすことはなかった。
父の葬儀の際に、会社からお手伝いに来てくれた人たちの中にその人がいた。その人は中心になってテキパキと立ち回ってくれ、お焼香のあとに親族に挨拶をするときに、私はお礼を言おうと思っていたのに、何も言わずに頭を下げただけだった。

あれから4年。
社に戻って来たその人は、私を見るなりパッと笑顔になった。私も笑顔で返し、そこには思っていたようなわだかまりなどないことに気づいた。叔母が、

「シロちゃんったら、日本語忘れちゃったんだってよぅ」

とふざけて言ったら、その人はすかさず私の肘に手を当てて

「いや、この人、昔っからなんか変でしたから」

そこでみんなが大笑いをして、ああこれでほんとに区切りがついたな、と思った。「父の葬儀の時にはお世話になりました」4年前に言えなかったことも言えた。
私を離婚させてくれて、ありがとう。私の背中を蹴飛ばしてくれて、ありがとう。それは心の中で言った。



両親が亡くなり、両親は思い出になった。
もう会うことはできなくても、姉の作るお弁当のおかずの影には母がいて、父が好きだった車を見れば父が、カニクリームコロッケやジャンボエビフライといえば、昔家族で行ったレストランの、椅子の感触まで思い出す。
亡くなった大切な人は、心の中で生きている、というのは慰めだと私は思っていた。
けれども、その意味が、今ようやくわかった気がしているのである。












17年記念日

2023-12-27 10:35:28 | 日記
クリスマスの翌日は、夫と私の結婚記念日である。
何年かぶりで、NICO'S UPSTEARに行った。



予約は6時。
窓際の良いテーブルに案内された。
いい感じに日暮れてきた。

生ガキと、ロブスタービスク

ニューヨークストリップステーキと、リブステーキ。
もちろん、食べきれないので半分はお持ち帰りだ。
何年か前とはメニューが少し変わっている。夫は魚料理を食べたかったのだけれど、この日はどの魚料理にも、夫がアレルギーをもつホタテ貝が使われていた。
お店からの、記念日のデザートのサービス。
サービスがあると知らずに、チーズケーキを頼んでしまったので、これもこのままお持ち帰り。



17年前の今日、私たちは結婚した。
夫と結婚したことは、私の人生の中で1番嬉しいことだ。
それまでに起きたすべてのあれやこれやが、ここへ辿りつくために通らねばならない道だったのなら、逃げずに乗り越えてきた昔の自分を褒めてあげたい。

17年が、あっという間だとは思わない。
それなりにいろいろなことがあった。嬉しいことや楽しいことがたくさんあって、不安も迷いも怒りも悲しみもたくさんあった。けれど、それをみんなひっくるめたものを、幸せっていうんだろう。
毎日が気楽な4コマ漫画のような人生は、たぶんつまらない。


デザートのときに、ウェイターさんがシャンパングラスを2個持ってきた。

「お酒を飲まれないのはわかっているのですが、お祝いだからそれっぽくしようと思って。中身はジンジャーエールです」

確かにシャンパンに見える。心温まるサービスに感動。

ジンジャーエールで乾杯。
「17年ありがとう。今年も健康で楽しくいこうね」



クリスマスの朝

2023-12-27 09:31:28 | 日記
クリスマスの朝は義両親とともに朝食を食べる、というのがいつの間にか恒例になっている。
4日前の土砂降りは噓だったかのように、晴れて穏やかな朝。
8時ごろ、私がポーチドエッグを作り、シュートメがホーランディソース(溶かしたバターにレモン果汁と卵の黄身を入れて攪拌し、なめらかにしたもの)を作り
、焼いたイングリッシュマフィンの上にカナディアンハムと卵を乗せる。
今年、初めてホーランディソースを作る過程を見たのだが、小鍋にバター2本を入れたのを見て驚いた。
包装から出したばかりのバターが2本、あの幅4センチぐらいで長さが10センチぐらいの塊が2本。
4人分のソースを作るのに、2本(くどい)。
私は怖くなって、ほんのちょっぴり垂らして食べた。
夫を見たら、何もかけず、イングリッシュマフィンもハムもなしで、ただのポーチドエッグをそのまま食べていた。

そのあとは、プレゼント交換の儀式。


今年私がいただいたプレゼント

今年は叔母の家に集まることになっているので、これまた毎年年末恒例のジグソーパズルをやったりする。



午後になり、叔母の家に向かう。
叔母や叔父の友人たちなども来て、15名ほどが集まった。



ウクレレやギターの演奏で、クリスマスソングを歌ったり。



大量の飲み物と食べ物をつまみながら、今年も誰も欠けずにクリスマスを過ごせたことに感謝。