太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

クリスマス2021

2021-12-26 13:57:45 | 日記
クリスマスの朝は、プレゼントを開けまくることで始まる。

叔父叔母もやってきて、大騒ぎしながらプレゼントの山を崩してゆく。
クリスマスは子供だけじゃなく、大人も楽しいイベントなのだ。

今年、私がもらったものは、ワンピース、カットソー、ネックレス、手描きの焼き物の器、お皿、ボディボード、猫の爪とぎおもちゃ、制作に使える和紙、
パジャマ、ボディソープにキャンドル、ルーブル美術館の分厚い本・・・
贈り物をもらうって、なんて素敵なんだろう。
開ける前のわくわく、開けてからの喜び。
人にあげるものを用意するのも大変だけれど、その人も私のように贈り物にわくわくすると想像すると、楽しい。


大騒ぎしてプレゼントを開けたあとは、みんなで朝食。
今年は、シュートメ特製のルバーブのパイと、スクランブルエッグ、フルーツとチーズ。


3時頃に、続々と人が集まって来て、クリスマスのププ(ププはハワイ語で前菜、という意味)
サンクスギビングデーに七面鳥など重い料理をたくさん食べたので、クリスマスは簡単に。
お刺身と、お寿司の盛り合わせがあるのはハワイならでは、という感じ。
あとは、フルーツサラダ、ハム、チーズとクラッカー、煮豆、エビのカクテル、パン、ロブスターなど。

2週間ほど前に夫がオーダーしたお刺身を、12時頃に受け取りに行ったら
予約がまったく入っていなかった。
代金も支払ったレシートだってある。
今日はクリスマスなのに!と私はピリピリしかけたのだが、こういう時、夫はけして怒らない。
店の人が、冷蔵庫からマグロとサーモンの塊を出してきて、今から切り分けるから、というのを
「急がなくていいよ、他に用事を済ませて戻ってくるから」
と言い、戻ってみると、予約したのよりも1パウンド余分のお刺身ができていた。
日本なら平身低頭謝るところだろうが、アラごめんなさい程度で拍子抜けだ。

「昨日作ったのじゃなく、今切りたてのお刺身が、それも余分に手に入ってラッキーだったね」

自分がちっさく見えるのは、こんな時だ。
カスタマーサービスの仕事をしていながら、売る側のミスに寛容になれない私。
ま、これが私の等身大だから仕方がない。
こんな私でも、いいところだって少しはあるんだから、と自分を慰めている。






クリスマスイブ

2021-12-24 07:56:27 | 日記
ハワイは今日はクリスマスイブ。
クリスマスをハワイで過ごそうという人たちで、この10日ほど職場は忙しい。

日本だと、クリスマスは恋人たちのため、という雰囲気満開なのは今でも同じなんだろうか。
山下達郎の「クリスマスイブ」という有名な歌も、イブにデートをすっぽかされた男の悲しい歌だ。
私の若い時はバブルでもあり、高級なホテルのレストランでロマンチックな食事をし、そのまま泊まる、というのが素敵な過ごし方だとされていた。
大昔、隠れ家的なレストランで、当時の交際相手とイブの食事をしたことは覚えているが、
あとのクリスマスは何をしていたのか、さっぱり思い出せない。


アメリカでは、クリスマスは家族の日。
遠くに住む家族も集まって過ごし、日本のお正月がそうであるように、ロマンチックな雰囲気ではない。
数日前から、ファミリーフレンドであるリーが本土からやってきて、我が家に滞在しており、
明日は別の友人であるローリーが来て、ともに年明けまで滞在する。


やっぱりクリスマスは家族中心だよなぁ、などと今は言っている私だが、
クリスマスはパーティをする日と信じて疑わなかった時代も長かった。
高校生の頃、クラスメイトに牧師さんの娘がいて、クリスマスに誘われた。
電車に揺られながら、素敵な人がいるかもー、七面鳥なんか食べるの初めてーなどと、浮かれていたアホ3人。
ところが行ってみて呆然・・・・・・
そのアホな話はコチラ

世界中の人が、幸せな気持ちで過ごせますように。






最初の車

2021-12-23 08:06:08 | 日記
こちらに住む、日本人の友人の娘が初めての車を買うことになったのだが、それが新車のアウディで、400万円もするという。

「ねー、バカでしょう?何を言っても聞かないんだよ」

友人は憤懣やるかたない。
娘は大学生で、アルバイトを3つ掛け持ちしてお金を貯めていて、既に一時金を払ってあるらしい。
学生で、クレジットカードのヒストリー(アメリカではローンを組むときに、カードのヒストリーが重要になる)がなく、ローンの名義は母親の名前だ。
母親(友人)は、しごくまっとうな考えの持ち主で、この自由なアメリカで女で一つで厳しく娘を育ててきたつもり。

「まったく何を考えてるんだか。支払いが滞ったらすぐに売らせるよ」

我が家は、その娘が3歳の時から家族ぐるみでつきあってきたから、義両親にとっては孫みたいなもの。
1年以上かけてようやく免許をとったとき、シュートメの乗っていた車を譲ろうとか、
叔母の車をあげようとか言ってきたが、はかばかしくない返事。

「そりゃそうだわね、新車のアウディが欲しいんじゃね」

義両親も、ため息とともにそう言った。


免許をとって最初に乗った車は、忘れがたい。
私はインディゴブルーの、かまぼこ型のホンダのシビックだった。
夫は高校生だったので、父親のおさがりの車を譲ってもらったという。



欲しい気持ちはわかる。
私も、2台目の車はシトロエンだった。
ディーラーにふらりと寄って、そこに置かれていた真っ赤なシトロエンに一目ぼれ。
左ハンドルでマニュアルだったが、一緒にいた車好きな父も「買え、買え」とけしかけるので買ってしまった。
私は社会人で働いていたから、もちろん自分で払うのだ。
特に電気系統が弱い車で、窓は開かなくなるわ、ボンネットから煙が出るわ、で大変だったけれど、すごくうれしかったし、いい経験だった。


友人も、私たちも、頭にある考えは同じだ。
アメリカにいれば、一生車が必要なんだから、何も最初からそんな高くてハイメンテナンスな車を買うことはない。
まだ学生なんだし。
日本と違って、車の盗難だって日常なんだし。
税金だって保険だってそれなりに高くなるんだし。


けれど、こういうのは古い人間が言う、古い考えなのかもしれないとも思う。
私も、私の家族も、車はしょせん車だと思っている。
車や持ち物で見栄を張るのは好きじゃないというのもある。
だから、安心して乗れる車に少なくとも10年は乗る。
でもそれは私たちの考えであって、みんなそれぞれ違うのだ。



そうだ、アウディといえば昔テレビ局にいたとき、同僚に金持ちの娘がいて、
誕生日に父親が、新車のアウディにばかでかいリボンを乗せて、局の駐車場に運んできたことがあった。
車の屋根にリボンなんて、テレビでしか見たことがなかった。


友人の娘が、ジジババの老婆心を跳ね返して楽しく車ライフを送れますように。




義父の誕生日ミラクル

2021-12-22 08:01:35 | 日記
義父はツーリングが趣味で、かれこれ50年近く乗り続けている。
ツーリングクラブの仲間たちと毎年遠征もしていて、このコロナ禍でも、9月にカリフォルニア州に行ってきた。

先週、義父の誕生日があった。
シュートメは、義父に新しい自転車をプレゼントしようと思い立ったが、当然オーダーメイドであり、細かいスペックなど素人にはわからない。
そこで、共通の友人に
「自転車をオーダーしたいので、理想のスペックを教えてくれないか」
と義父に聞いてくれるように頼んだ。

シュートメは、義父が細かく紙に書いたものを持ってバイクショップに出かけた。
いつも義父が行くバイクショップでは、情報が洩れるかもしれないのでホノルルにある店にした。

その紙を見せて、「この通りのものをオーダーしたいんだけど」と言ったら、
それをしばらく眺めていた店の人が

「なんてこった!これなら、今、ここにありますよ」

と言った。
タイヤの材質や大きさ、その他細かい部分もまったく同じ自転車を誰かがオーダーしたのだが、事情があっていらなくなってしまったのだという。


かくして、義父は1日も待たずに理想の自転車を手に入れましたとさ。


願望は紙に書いたほうがいいね、うん。




ずぼら

2021-12-20 16:17:50 | 日記


昨日、食事に出かけた店にあったクリスマスライトが、ちょっと素敵だった。
外のテラスで、ポインセチアが吊り鉢になっていて新鮮な感じ。


こんなズボラに誰がした。
という話。


肌寒い日があって、夏の間はタンクトップだったパジャマが、半そでのTシャツになった。
手首が隠れるのがうっとうしい私は、冬の間もずっと半そでだ。

そのTシャツは数年前に友人がくれたもので、グレー地におどけた猫の刺繍が黒糸で施されており、
肌触りがとてもいいので気に入っている。

先日、私がそれを着ていたら夫が
「あ、これ」
と言って、品質表示の白いタグをつまんだ。
猫の刺繍は表も裏もほとんど見た目が変わらないので、つい裏返しに着てしまうのだ。私は
「裏返しだねえ」
と言って、おしまい。
翌朝、それを裏返しに脱ぐ。
そうすると、その夜着たときに、正常になる。
その翌朝、また裏返しに脱ぎ、その夜は裏返しのまま着る。
シーツとパジャマは毎週土曜日に洗うので、1週間、裏になったり表になったりを繰り返すわけ。

私は昔からこんなズボラ人間だったんだろうかなあ。
私の外の顔は、掃除好きできっちりしている、らしいのだ。(ウソじゃない、同僚がそう言った)
裏表交互に着れば、汚れる頻度も分散されていいんじゃないか、などとこの期に及んで思っている私は、生まれながらのズボラに違いないと思うのである。