太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

恐怖の足の爪

2022-01-24 08:07:54 | 日記
お店に入ってきた人の足を見て、私はギョッとした。
足に何か引っかかっているのかと、最初は思ったが、それは異様に長く伸ばした爪だった。
小柄の、肌の浅黒い中年女性だ。
親指の爪など、大げさでなく、ゆうに4センチ以上はあり、20度ぐらいの傾きで上にそそりたっている。
親指以外の指の爪も、2センチ以上はあった。
その1本1本は、濃いパールピンクに塗られている。
ギネスにある、世界一爪の長い人間の写真を見たことがあったが、爪はグネグネと弧を描きつつ、1m以上も伸びていた。
この女性の爪が本物である証拠に、伸びた爪はギネスの人のように内側に巻いている。

手の爪を、付け爪だろうが長く伸ばしている人はよく見る。
3センチほどの爪は先細りになってとがっており、カードを取り出すにも、サインをするにも不便そうだ。

しかし、その足の爪は、理解不能を通り越して恐怖さえ覚える。
こっそりと同僚に知らせたら、なにげなしを装って見に行った同僚が戻ってきて、
「あれは凶器??」
と目を丸くしていた。
なにかの願掛けとか?
あの爪では、靴下は履けないし、足の甲を包む形の靴も履けない。
家の中を歩くときには、カチャカチャと爪が床をたたくだろう。
なにかに爪が引っ掛かって、思い切り反対側に引っ張っられたら爪がバリっと・・・・・・(ああもうダメ)

人が何を美しい、かっこいいと思うかは、人それぞれ。
車の車高を低くすることの、何がかっこいいのか私にはわからないけど、
そういう価値観もあるのだろうなと思う。
けれど、あの半魚人のような足の爪だけは、わからん。
その半魚人爪の女性が、私のレジスターに来た。
「どうして爪を伸ばしているんですか」と聞いてみたい衝動にかられたが、
仏頂面をしている人だったので、きっかけもなく、そのままになった。
ダンナさんも一緒にいたけど、彼は妻の爪をどう思っているんだろうか。








人違い

2022-01-23 15:21:09 | 日記
自分のそそっかしさ加減には、とうに慣れた。
まあ、年を重ねれば少しは落ち着いて行動できるようになるのではと淡い期待を寄せていたが、とんでもない。
この年になっても、私はやらかしてくれる。

あれは昨年の秋ごろか。
ワイキキにある、ひとつのギャラリーに作品補充に出かけた。
営業時間内なのに、ギャラリーのドアが閉じており、30分待っても誰も来る気配がない。
私は、そこで働いているKristineに電話をかけたのだが、呼び出し音が鳴るだけで返答がなく、ボイスメールは満杯で録音できないとアナウンスが出た。
そこでテキストメッセージを送ってみた。

『ギャラリーの前にいるんだけど、今日はcloseなの?』

するとすぐに返事が来た。

『ハーイ、シロ、久しぶり!ホテルのショップはみんなcloseなのよ。
今、私はカハラで自分のスタジオをもってるの。予約制なんだけど、もしよかったら午後3時すぎならあいてるから、来ない?』

Kristineがスタジオを?彼女はアーティストだったのか?
コロナも蔓延していたから、ショップを閉めているのだろうか。せっかく田舎から出てきたのに骨折り損。
3時まで時間がありすぎるし、また今度ね、と送って家に帰った。



そして数日前。
再び、そのギャラリーに補充に行こうと思い立ち、前もって開いているか確認しようとメッセージを送った。

『シロだけど、今度の日曜日はギャラリーは開いてる?補充に行こうと思ってるんだけど』

するとすぐに返事が来た。

『私はカハラでガレージを借りてスタジオやってるのよ。日曜日はなんの予約もないし、顔を見たいから来てくれると嬉しいわ』

ここで私は初めて「ん??」と思った。

このKristineは私の思っているKristineではないのではないか

『ああ、前にそう言ってたよね、すっかり忘れてた。行けるときがあったら連絡するね』

とりあえず、そう返信してお茶を濁した。

5年ほど前になるが、ワイキキのアウトリガーホテルのギャラリーで週に1日だけ店番をしていたことがあった。
そのギャラリーのオーナーが、Kristine。
私は1年ほどで辞めてしまったのだが、パンデミックの前にギャラリーを閉めたらしいという話を聞いていた。
Kristineはアーティストで、ギャラリーの代わりにスタジオを持ったということなのだろう。


私はまったくの別人に連絡を取り続けていたのだ。
なぜこんなことが?(私がおっちょこちょいだからなんだけど)

アーティストが副業でギャラリーで働くこともよくあるので、私が連絡をとりたかったほうのKristineも、実はアーティストなのかもしれないと私は思った。
そしてアーティストの方のKristineは、なんだか話が変とは思いつつも、私がどこかのギャラリーに作品補充に行くついでに連絡してきた、と思ったのではないか。



今日、無事にギャラリーに補充を済ませてきた。
アーティストのほうのKristineには、5年もたっても私のことを覚えていてくれて、温かい言葉をかけてくれたことに感謝している。


とにかく、詰めが甘いうえに思い込みが激しいと、こういうことがよく起こる。そしてこれは治らない病なのである。





食べるものと心の関係

2022-01-18 07:55:32 | 日記
11月のサンクスギビングデーから年明けまでのホリデーシーズンのあとは、身体が重くなる。
人生を折り返したころから、摂取したものが燃焼しにくくなった。
普段から、食べるものに気を付けるようにしているのだけれど、
人が集まった時や行事の時には、そんなことを忘れて楽しみたいと思う。
そうすると、行事のない日にもタガが外れたままで、好きなものを食べてしまう。
そしてそのツケを、あとから払うことになる。

私にとっての大敵は、小麦粉。
パン、デニッシュ、ケーキ、ピザ、パスタ、ラビオリ、ドーナツ、クッキー、餃子、そうめん、ラーメン、うどん・・・
ああ、どれも私の好きなものばかり。
でも小麦粉を食べると、間違いなく体がむくむ。

年明け時に、体重が110ポンドまで行った。
110の壁を超えたら、さすがにまずい。過去最重の中学3年の時以来だ。
中3の体育祭の写真は、みっちりした立派な太ももに、ハムの腕、みたらし団子のような顔がのっかっている。
あそこに戻るわけにはいかない。


私は小麦粉を断ち、夕食を控えめにした。
数年前ならそれだけでするすると落ちた体重が、それほど落ちなくなった。
そこで夫が服用している、ファットバーナーのサプリメントを、朝食のあとでとり始めた。
カフェインが主な成分で、脂肪燃焼を助ける。
ファットバーナーを飲んだあとにウォーキングに行くのだが、下り坂を軽く走るようにした(数日で腰が痛くなって、歩きに変えた、(;´д`)トホホ)。
お昼前には、空腹を感じるようになり、朝、空腹で目がさめるようになった。
そうなると、ゆっくりだが確実に体重は落ちてゆく。
今朝は106パウンドで、第一目標の105まで、あと一息。
ゴールは段階に分けて、あまり遠くに設定しないというのも、過去の経験から。

同じように絶賛増量していた夫も一緒にダイエットをしている。
仲間がいると、やる気倍増。
私の場合、砂糖を断つのは無理なので、甘い卵焼きやドライフルーツなどは食べるけれど、
砂糖も断つ夫は、1週間もしないうちに味覚が敏感になってくるのだという。
トマトや果物やレタスなどの味が違うらしい。


増量のち減量を繰り返していて気づいたことは、
食べるものに気を付けて、少な目にしていると、精神が冴えてくる。
精神が冴えてくると、気分がよくなりものごとがスムーズにいく。
理屈はよくわからないけれど、食べ物と心はしっかり連動しているようなのである。







トヨタMR2

2022-01-17 10:53:27 | 日記
長雨もようやく諦めたか、ハワイらしい天気が戻ってきた。

今朝も快晴。
クリスマスにもらった、新しいボディボードがすごく調子がよくて、
今日も張り切って海に繰り出す。
車を停めて、ビーチまで歩く。

波はそれほど大きくないけれど、水の力がけっこう強い。
ボードをしっかり持っていないと、波に持っていかれてしまい、
洗濯機の中の洗濯物状態になってしまった。
太陽光を浴びて、海水に浸かると、余分なものがするりと抜けてゆく感じ。


泳いだ後、シャワーを浴びてホノルルに出かけた。
途中で見かけた、懐かしい車。

こ、これは、トヨタMR2じゃないか!!!
3台ほど連なっていたから、マニアの人たちなんだろう。

少なくとも30年は昔だと思って調べてみたら、1984年。
30年どころじゃなかった。
若い人たちは知らないだろうなあ。
当時私が勤めていたテレビ局で、真っ先にMR2を買ったのが副調整室にいた茅野さんだ。
夜な夜な一人で山道を飛ばしているのだという噂だった。
2シートのスポーツカーは、家族がいればセカンドカーにするしかなく、独身貴族の象徴だった。
同じころ、ホンダのCRXとか、コンパクトなスポーツカーが人気だったけれど、
それもファミリーカーが出始めるまでのことだ。


夫とは共有できないので、その場で日本の友人に写真を送った。
「懐かしー!!色も当時人気の白じゃない!」
同じ記憶を共有できる人がいるって、幸せ。

車の窓から写真を撮っていたら、真横に並んだMR2のドライバーがこちらを見て親指を立てて、笑ってみせた。
どう見ても、MR2が人気の時には生まれていないと思うけど、古くても、良いもの、好きなものを大事にするというのはいいものだなと思う。




嫌いでいるのは疲れる

2022-01-16 16:46:46 | 日記
ある同僚に、最近、嫌な思いをさせられ続けたことがあった。
彼女に悪気はないが、私には辛いことだったので、そうして欲しくないのだということを、やんわりと伝えたつもりだった。
あることがあって、彼女は自分したことにに気づいて、私に謝ってきた。
私は「いいよ」と言った。
これで何もなかったことになってめでたし。





に、なれたらいいのに、なかなかなれないのが私。

どうでもいいようなことでウソをつく、躁鬱かというほど気分にムラがある、など、まともにつきあうと振り回されてしまい、
嫌いというわけではないけど、苦手な人。
そんなことがあって、さらに輪をかけて苦手になってしまった。
謝ってくれたことには感謝するけれど、表面は普通に、
でも今まで以上に、なるべくかかわらないようにしていた。

その彼女が、結婚することになった。
内々だけで簡単な式を挙げたそうで、仕事がオフの日にウェディングの写真を見せに職場に来た。
私は忙しいふりをして、その写真を見に行かなかった。
「私ってちっさい奴」
そんな自分に呆れつつ、お祝いしているふりをすることができなかった。


そのあとで、私は考えた。


自分の表面に棘を持っていたら、それがあちこち引っ掛かって仕方がない。
彼女と顔を合わせるのは週に2日程度だけれど、それでも、棘を持ち続けるのは疲れる。
好きな人と結婚することが、どんなに幸せなことか。
それがたとえ苦手な人でも、「良かったね」と言いたい気持ちぐらい、私にもある。

同じく、彼女が苦手という同僚が、
「嫌いな人に形だけのお祝いなんかしても、それは真心じゃないから、私は無視する」
と言った。
その人の言い分もよくわかるのだが、私はお祝いの品を用意して、彼女に渡した。

それは本音じゃない、と前述の同僚は言うだろう。
しかし、これが私の本音だ。
結婚することを知りつつ無視する自分になりたくない。
本音にこだわる友人が過去にいたけれど、本音はひとつじゃない。
本音を人に知られたくないなら、本音を言いたくないのが本音でいいと私は思う。



誰かに言われたことや、されたことを、大根を切るみたいにスパスパ切り捨てていけたらどんなにいいだろう。
切り捨てたつもりで、切り残してつながっているタクワンみたいに執念深い自分が情けない。

プレゼントを開けて、彼女はとても喜んでくれた。
私は、なりたい自分になるために、
表面に出た棘をひっこめて歩きやすくするために、
結局、自分のためにやっていることなのだけれど、誰かを苦手だと思う気持ちは変えようがなく、これが私なのだから、と思うのである。