Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

カトリック神戸中央教会(2022年11月19日参拝)

2023年01月28日 | 教会・モスク


続いて久しぶりのカトリック教会へ。

神戸には結構教会が多く、
次に参拝するカトリック神戸中央教会の規模は界隈随一の大きさです。

写真で聖堂の中を見ると本当に美しく、
建築好きとしては以前から来てみたかったところ。

コロナで外出がままならず、
ようやく訪れることが出来て嬉しい。


所在地;兵庫県神戸市中央区中山手通1-28-7
創建:平成16年(2004)


【歴史】
神戸に初めてカトリック教会ができたのは明治3年(1870)。
フランスから来日したムニクウ神父が在神外国人の為、旧居留地に聖堂を建築した。

大正10年(1921)北野地区へ移転し中山手教会に。
2本の塔がそびえる美しいゴシック風建築は広く親しまれたが、
昭和20年(1945)6月に空襲で被災し神父と信徒2人が犠牲となった。

昭和31年(1956)に修復が完成し聖書の物語を描くステンドグラスが聖堂や祭壇を飾った。
再び神戸のランドマークとなるも、震災で聖堂は半壊。
県内最古のれんが造りの教会だった下山手教会も震災でがれきと化し、
信者の求めで戦後にできた灘教会と共に、司教区の復興計画で統合されることとなった。

阪神大震災後、中央区の3つの教会(灘、中山手、下山手)を廃止し、
神戸の教会新生の要として新たに中山手の地に生まれた教会。 
平成16年(2004)s10月には、旧中山手教会の地に新しい教会が建て直されました。


【聖堂】




聖堂前に数十台停められる無料駐車場がありました。


【鐘楼記念台】


旧カトリック下山手教会の鐘楼。


【聖母子像】



【鐘楼】


フランスから贈られた旧中山手教会の3つの鐘が吊るされていました。


【主聖堂】








ハッと息を飲むような美しさと凄く厳かな雰囲気。
神が上から降臨してくれる気がするほど。

これがカトリック教会です。

キリスト教にはカトリック、プロテスタント、正教会等、
いろいろ分派していますが、それぞれ違いがあります。


【カトリックとプロテスタントの違い】






カトリックとプロテスタントの違いは下記のHPで参考にしてください。

https://kotokurabe.com/catholic-protestant/


【復活のイエス像】




後ろの壁を浮き立たせて自然のカーブで十字架のシルエットが浮かび上がるようにしつらえられています。


【十字架の違い】



【主聖堂】



【ステンドグラス】












ステンドグラスはやっぱり美しいですね。
今までその感想だけだったけど何で教会にあるのだろう?という疑問が。

下記のHPで書かれていることを引用します。

https://www.jelc-tokyo.org/kyokai_stainedglass/

キリスト教の司祭達は聖書の中に出てくる場面をステンドグラスで教会の窓に描くことで、
キリスト教の教えをわかりやすく示しているためだといわれています。
また聖書の中には「神は光である」という内容が記述されています。
西暦500年頃にいた著名な神学者が「物質が放つ光の中には、神の光の一部が含まれている」と再解釈して話しました。
信仰する人、またしようとしている人にとって、ステンドグラスの美しい光を神様として崇めることは、
神様を崇めていることと同じと言えます。
大聖堂内を美しく飾ることは、神様がいる天国を再現しようとしていることと同じであるとして、
中世の修道院長は自分たちの修道院を今度は徹底的に飾り立てるようにしました。


【神の光】



【パイプオルガン】





【螺旋階段】


残念ながら二階に上がることは出来ませんでした。
というか普通の教会は行けないのがほとんどかと思われます。


【聖母子像】





【小聖堂】




朝のミサや個人的な祈りの為の聖堂。


【聖母子像】





【聖櫃】


聖母子像と共に旧中山手教会にあったもの。

カトリック教会で聖体を安置するために祭壇上に設ける箱状の容器。


【十字架の道行】


これにて教会の参拝終了。

次はミサに参加したいものだ。
やっぱりキリスト教を少しでも知るにはミサに参加するのが一番だから。

日本基督教団 大阪教会(2022年8月13日見学)

2022年10月01日 | 教会・モスク
金光教玉水教会の次は歩いて数分の日本基督教団大阪教会へ。

こちらはウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計の教会堂があり、
建築好きは見逃せない教会です。


所在地:大阪府大阪市西区江戸堀1-23-17
宗派:プロテスタント
創建:明治7年(1874)


【歴史】
アメリカン・ボードのアメリカ人宣教師ゴルドンが中心となって、
明治7年(1874)ゴードンの受洗者5人と日本基督公会からの転入者2名により設立された。

西区本田梅本町に創設された梅本町公会(摂津第二基督公會)を前身とする、
日本最古級のプロテスタント教会である。会衆派の流れを汲み、
日本基督教団成立以前は日本組合基督教会に属する教会であった。

梅花女子大学などを運営する学校法人梅花学園は、
梅本町公会が同じ会衆派の浪花教会と共同で設立したもので、
学園名は梅本町の「梅」と浪花の「花」からとられている。


【教会堂】








渋い、実に渋い。

ロマネスク様式は10世紀末から13世紀にかけて西欧全土に広まった建築様式で、
第二次世界大戦や阪神大震災でも耐えた教会堂です。






赤煉瓦も時代が経つにつれて渋い色に変色していて、
たまらない色になっています。

国登録有形文化財。


【鐘楼】







【プレート】



【案内板】




日曜日の礼拝の時は教会の中に入れますが、
今日はあいにくの土曜日で入れず。

なかなか厳かな雰囲気なのでいつの日か入りたいと思う。

東京ジャーミイ(2022年5月15日参拝)

2022年08月31日 | 教会・モスク
世田谷の寺社を三カ所参拝しました。

他にも松陰神社とかあるんですが、
どうしても行きたいところがある。

それが渋谷区にある東京ジャーミーという、
イスラム教のモスクなんです。

ここの礼拝堂の中が感動するほどの美しさなんです。
2019年3月に行って以来、もう一度行きたいなぁと思っていた。

豪徳寺駅から小田急小田原線に乗って5駅、僅か14分で、
東京ジャーミーがある代々木上原駅に到着。


<2019年3月17日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/e36791411a9ed1c3e09841cf265ebff3


所在地:東京都渋谷区大山町1-19
宗派:イスラム教
開館時間:午前10:00~午後6:00
拝観料:無料


【注意事項】
メディア関係者による写真撮影・録画・録音や、公私問わず無断での来訪者へのインタビュー等は禁止。
個人での写真撮影は他の来館者の方々や信徒の方々、また礼拝中の方々を被写体にすることを除いて可能。
礼拝中の写真・ビデオ撮影は禁止です。

礼拝場は信徒が礼拝を行なう神聖な場所。
女性の場合はストールかスカーフ(色、柄、形は不問)をご持参いただき、
長袖・長ズボン、ロングスカート(足首まで隠れるもの)等、身体の露出の少ない服装。
また、ショートパンツ、キャミソール、タンクトップ、ミニスカート等での入場は不可。
男性の場合も膝上のショートパンツやタンクトップでの入場は不可。

礼拝場の上階は、女性専用の礼拝場所となっているので男性の入場は不可。


【全景】





【ミナレット】







【礼拝堂入口】


入口は2階になります。


【聖堂内陣】
















やはり美しい。
何でこんなに美しいのでしょう。
聖堂内の全てが美しくて時間があれば幾らでも見ていられますね。


【トルコ文化センター】


ユヌス エムレ カフェというカフェがいつの間にか出来ていました。


【展示室】




時間がなくなってきたので本日の参拝終了。

また東京ジャーミーは訪れたい素晴らしい礼拝所でした。

カトリック多治見教会(2021年2月11日参拝)

2021年03月22日 | 教会・モスク
多治見市には立派で美しい大聖堂を持つ修道院があります。

修道院はキリスト教において修道士がイエス・キリストの精神に倣って、
祈りと労働のうちに修道生活をする為の施設です。

日本において修道院は非常に珍しい。
パッと調べると6つぐらいしかない。

また、こちらのは男子の修道士の為の修道院です。

私の中で修道院といえば女性のみというイメージがあるのですが、
男限定の修道院もあったのね。

車は大型の無料駐車場に停めることが出来ます。


所在地:岐阜県多治見市緑ヶ丘38
宗派:カトリック
創建:昭和5年(1930)
初代主任司祭:ヨゼフ・モール神父


【由緒】
多治見市にある神言修道院は昭和5年(1930)、
カトリック神言修道会(神言会)宣教師モール神父によって設立されました。

当時は外国からの宣教師が大勢ここに来られ、日本語の勉強をしながら修道生活を送り、
また、キリスト教を宣教するため派遣されました。
その後、宣教活動も拡大し、神言会が設立した「南山学園」における、
教育活動事業の拡張に伴い宣教活動の拠点は名古屋に移されました。

また、多治見修道院は暫くの間、十字架のイエス・ベネディクト修道会の、
シスター達の修道生活の場ともなりました。

1978年にはカトリック多治見教会が多治見市本町から修道院に移りました。

修道院の建物は地上三階、地下一階の木造建築で、建坪1千坪、
ぶどう畑は3千坪総面積1万8千坪あります。

修道院建物の周囲に広がるぶどう畑で栽培されているぶどうは、
1933年から修道院の地下室で醸造され多治見修道院ワインとして、
多くの方々に愛飲されている。


【案内板】



【遠景】


日本で幾つかの教会に行っていますが、
ここまで立派で美しい教会は初めて見ました。


【正門】



【大聖堂】






本当に美しい。

日本でこれだけ美しく立派な聖堂を見れるとは。
感動です。

早速聖堂内に入りました。

良い雰囲気で落ち着く聖堂内ですね。

しかし残念ながら撮影禁止なので、
その雰囲気をお伝え出来ないのが残念です。


【聖母マリア】





【大聖堂】


裏側。

こちら側にルルドのマリア像があったのに見逃し。
残念。


【十字架】



【ログハウス】


1989年に修道院の後方に建てられた3棟のログハウスは、
多治見修道院研修センターとして、修道者・信徒の方々のみならず、
学生や一般の方々にも広く利用されているとのこと。

これにて教会の参拝終了。

日本ハリストス正教会 東京復活大聖堂(2019年3月17日参拝)

2019年04月10日 | 教会・モスク
カトリック神田教会から約1キロ離れた場所にあるのが、
日本ハリストス正教会のニコライ堂です。

ハリストスというのはキリストの意味で、
日本ハリストス正教会は1970年以降、
ロシア正教会の庇護下に自治正教会の地位にあります。

こちらの東京復活大聖堂(通称ニコライ堂)は重要文化財です。

水道橋駅から一駅の御茶ノ水駅で降り、
駅から約2分で到着。

駅から近いのは助かります。(^^



所在地:東京都千代田区神田駿河台4-1-3
宗派:東方正教会(日本正教会)
創建:明治5年(1892)
創設者:亜使徒大主教聖ニコライ
拝観献金:大人300円、中学生100円、小学生以下無料



【沿革】
ロシアから日本に渡り正教伝道を行った亜使徒聖ニコライは、
最初に伝道していた函館を1872年1月に発って上京。

明治5年(1892)9月、神田駿河台にあった定火消の役宅跡地を購入し、
正教伝道の新たな拠点として本会を設置した。

東京復活大聖堂(ニコライ堂)はこの本会敷地内に、
聖ニコライの指導のもと、明治17年(1884)に建設が開始され、
明治24年(1891)竣工、主イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の
復活を記憶する復活大聖堂として成聖された。

ロシア革命によって成立した共産主義政権から、
日本の正教会の母教会であるロシア正教会は弾圧の対象となり、
日本の正教会は母教会からの支援を失った。

関東大震災ではニコライ堂の上部ドームは崩落し、
全体が火災に見舞われて、土台と煉瓦壁のみが残された。

さらに東京各地にあった本会の他の諸教会も、
四谷教会などを除いて多くが被災した。

大聖堂の建立時にはロシアからの義援金に多くを拠ったが、
関東大震災からの大聖堂の復興に際しては、
世界各国の正教会からの寄付金も少なからず寄せられたものの、
復興の主体は日本人正教徒達であった。

大戦後は日本の正教会はアメリカから主教を迎え信仰生活を継続。

昭和45年(1970)日本正教会が自治正教会として、
ロシア正教会・モスクワ総主教庁から承認を受けると共に、
東京復活大聖堂は日本正教会の首座主教座教会となった。

昭和49年(1974)には大聖堂教会を使用していた五つの教会が合併し、
中央教会として発足した。

この中央教会が1983年に東京復活大聖堂教会と名を変え、現在に至っている。



【亜使徒大主教聖ニコライ】


亜使徒(あしと)は正教会における聖人の称号であり、
使徒に等しい働きをした者、使徒に次ぐ者という意味。

有名なのはマグダラのマリア(亜使徒聖携香女)ですね。

聖ニコライはロシア帝国から日本へ渡り、
正教伝道に生涯を捧げ、日露戦争中も日本に留まり日本で永眠。

その後、谷中墓地改修の際に棺を開けると不朽体が現れ、
ロシア正教会はニコライを日本の亜使徒大主教ニコライ、
日本の守護聖人として列聖した。


【東京復活大聖堂】




教会の駐車場は月極契約者と信者専用です。












美しい。

さすが重要文化財です。








ドーム状の天井があり、日本で初めてにして最大級の、
本格的なビザンティン様式の教会建築だそうです。


【ハリストスフレスコ画】


日本語の聖書を持っていますね。(^^


【ステンドグラス】



【八端十字架】


ロシアスラヴ系の正教会は八端十字架を使うそうです。


さて、ニコライ堂の中に入りましょう。

入るとすぐに受付があり300円を支払います。

中には信徒の方なのか説明していただける女性がいました。

堂内の雰囲気は予想以上に厳かで、
罪人もここに入ったら罪を懺悔すると言っても過言では無い。

それぐらい素晴らしい雰囲気です。

ただ、堂内の1/3ぐらいしか入れないのが、
少し残念でした。

お寺の本堂で言えば内陣と外陣に別れ、
我々異教徒は外陣までしか入れません。

観光客らしい白人の外人達はキリスト教徒だからでしょうか、
内陣の奥にまで入れて羨ましかったよ。


不思議だったのが掲げられていた二つのイコンには、
黒い皮膚のキリストとマリアが描かれていました。

これは何故なんでしょうね。


堂内は本当に、本当に残念ながら撮影禁止でした。

中の様子を見たい方は「stroll-tips」が、
取材されている写真が掲載されていますのでご覧下さい。

https://www.stroll-tips.com/holy-resurrection-cathedral-tokyo/


【聖ニコライ小聖堂】


こちらには入れませんでしたが、
外観からは納骨堂のような雰囲気が漂う。(^^;


【東京大主教館】






これにて東京復活大聖堂の参拝終了。

美しい建築や厳かな雰囲気を堪能させていただいた。

まだ、見学されていない方は是非。

カトリック神田教会(2019年3月17日見学)

2019年04月09日 | 教会・モスク
東京ジャーミイからJR水道橋駅に移動。

こちらには聖堂の雰囲気がとても素晴らしい教会があります。
それがカトリック神田教会です。

駅から日本大学の学部が並ぶ白山通りを歩き、
10分もかからずカトリック神田教会に到着。

こちらには駐車場が無く、
近隣の有料駐車場を利用する必要があります。



所在地:東京都千代田区西神田1-1-12
宗派:キリスト教 カトリック教会
創建:明治7年(1874)


【沿革】
明治5年(1872)マレー半島沖のペナン神学校より、
明治初頭のキリシタン迫害から逃れペナンに渡り、
ラテン語を勉強していた日本人神学生8名が、
パリ外国宣教会の神学校教授であった司祭に引率され横浜に帰国。

同年4月、フランス公使ベルトミーの周旋により、
現在の千代田区三番町にあった旧旗本亀井勇之助の家屋敷を借り受け神学校を新設した。

当時はキリスト教が禁止されていた為、
表向きは英語・フランス語・ドイツ語の他、ラテン語を教える外国語学校とした。

この学校の大広間に聖フランシスコ・ザビエルを保護聖人とする聖堂が設置された。

明治11年(1878)10月、閑散とした学校はついに閉鎖され、聖堂は教会として独立し、
司祭のアルフレッド・ペティエが主任司祭、ユルバン・フォーリーが助任司祭に就任した。

この聖堂こそ東京教区の歴史においては、
日本人に宣教する為に開かれた聖堂の第一号で、
聖フランシスコ・ザビエルに捧げられました。

それが神田教会の発祥です。

神田教会の古い建物は明治27年(1894)の明治東京地震によって、
著しく歪み、修繕を余儀なくされた。

明治21年(1888)主任司祭のジャック・エドモンド・パピノは、
明治29年(1896)自ら設計した地震や火災に強いゴシック式の新聖堂建設に着手し、
同年10月28日完成した。

大正2年(1913)に失火により焼失、その後、レンガ造の新聖堂が落成する。

だが大正12年(1923)9月1日の関東大震災により再び全壊、焼失する。

震災後、道路拡張や区画整理等の問題で再建が遅れたが、
昭和2年(1928)12月9日、現在の聖堂が完成した。

この聖堂は戦災も免れ、昭和28年(1953)から昭和39年1964)の間、
関口教会の新聖堂(東京カテドラル聖マリア大聖堂)が完成するまで、
仮司教座聖堂(プロカテドラル)として機能し、
平成14年(2002)2月には、国の登録有形文化財に登録された。


【聖堂】


教会に到着しました。

こちらは裏側のようですね。

古ぼけた、いやもとい、歴史を感じる重厚な外観です。




それにしても電線が邪魔。

早く海外のように地中に埋めればいいのに。




結構奥行きがあるようです。






表というか入口に到着。

昭和3年(1928)建立されたもので、
やっぱり重厚感があって渋いです。






教会堂名は聖フランシスコ・ザビエルという、
日本人なら誰でも知っているビッグネームの偉人の名前が付いています。

歴代教皇の名前より有名ですよね。


【レリーフ】



【聖マリア像】


さぁ、中に入ってみましょう。


【聖堂内陣】


撮影禁止なので画像はネットで拾ったもの。

私が入った時はもう少し照明が落とされ、
厳かな雰囲気満点でしたね。

ここでゆっくりしたかったが、
今日はここで結婚式があるようで、
新郎新婦が聖堂でリハーサルをやっていました。

凄く良い雰囲気を堪能したかったが、
おめでたいことだから素直にお祝いしました。


【聖フランシスコ・ザビエル聖遺骨】


画像はネットで拾ったものです。

このカトリック神田教会には、
聖フランシスコ・ザビエル聖遺骨が安置されているとか。

胸骨の一部らしい。

仏教で遺骨といえばお釈迦様の仏舎利が有名ですが、
現在残っている仏舎利の全ての重さは何トンもあるという。

そういう眉唾ものが多い仏舎利とは違って、
ザビエルの聖遺骨は本物なんでしょう。

貴重で宝で大切な聖遺骨があるカトリック神田教会は、
日本では重要な教会の一つなんでしょうね。

もう一度訪れたい教会となりました。

いつの日か。

東京ジャーミイ(2019年3月17日参拝)

2019年04月08日 | 教会・モスク


今日は所用があり日帰りで東京へ。

新幹線で品川駅を経由、
小田急小田原線代々木上原駅に到着。

東京にはまだまだ参拝したい神社仏閣はあるが、
今日は余り参拝する時間も無いので、
仏教や神道じゃない他宗教の施設を訪れることにした。

代々木上原駅の近くには日本最大のモスクがあり、
その礼拝堂の美しさは類を見ないほど。

その美しさをネットで見てから、
いつかは訪れたいと思っていたので嬉しいです。


所在地:東京都渋谷区大山町1-19
宗派:イスラム教
開館時間:午前10:00~午後6:00
拝観料:無料


【縁起】
大正6年(1917)にロシア革命が起こると、
ロシア帝国に住んでいた回教徒・トルコ民族の多くは国外に避難、
特にザバイカル州及び満州在住の回教徒商人ら約600人は日本に移住。

そのうち約200人は東京周辺に居住し、
タタール族の僧正クルバンガリーらは、大正13年(1924)東京回教徒団を結成。

ジャーミイとはトルコ語で金曜礼拝を含む、
1日5回の礼拝が行われる大規模なモスクを表わし、
人の集まる場所を意味するアラビア語を語源としている。

前身である東京回教学院は昭和13年(1938)に、
ロシア帝国出身のタタール人達の為のモスクとして設立された。

同モスクが老朽化のため取り壊された後、
亡命タタール人たちがトルコの国籍を取得していた縁から、
トルコ共和国宗務庁の援助によってオスマン様式で再建され、
平成12年(2000)6月に開堂した。


【全景】




ミナレットという礼拝時刻の告知をする為の搭が印象的。

外観がとても美しい。


【入口】


どうしてもイスラム教のモスクとなると、
入って良いのか躊躇ってしまいますね。(^^;

ここは基本的にウェルカムな姿勢なので、
安心して入ってください。


【ロビー】


人生で二度目のモスクに入りました。

やっぱり少し緊張する。(^^;


【多目的ホール】




一階には広いホールと事務所があり、
こちらでは色々なイベントが行われるそうです。

また、お偉いさん方が来られた時に、
ここで会談する場所かも知れないですね。

軽く見学してお目当ての礼拝堂へ。


【洗い場】


ここで身を清めるんでしょうね。


【階段】


礼拝堂は二階にあります。


【境内】


あの建物は階段出入口に雨除けとしてありました。


【礼拝堂】






とても美しい外観です。

渋い日本の美が好きですが、
こういう華麗なる美も良いもんです。


【注意書き】




女性の方は服装が特に注意が必要です。

しかし、入口を入ったらすぐに、
黒いストールのようなモノがありました。


【聖堂内陣】








美しい。

これは凄いと呟くほど。


【ドーム天井】




まさに芸術。

ただただ美しい。

感動です。


【聖堂内陣】






三階に行って上から撮影したかったが、
女性しか行ってはいけません。


【ステンドグラス】






キリスト教の教会のステンドグラスより綺麗ですね。


【ミフラーブ】




日本語では聖龕(せいがん)と言い、
カアバの方向を示す礼拝堂内部正面の壁に、
モスクのキブラ壁に設置された窪み状の設備とのこと。


【ステンドグラス】



【ミンバル】


これは説教壇と呼ばれるものだそうです。

それにしても聖堂内の全てが美しくて、
時間があれば幾らでも見ていられますね。

しかし、私には行かなければならない教会がある。

名残り惜しい気持ちを持ちつつ聖堂を後にし一階へ。


【休憩室】


1階の休憩室です。

こちらも美しいです。


【トルコ紅茶】


チャイでしたが美味かったです。


【デーツ】


この得体の知れないものは何ぞや。(^^;

漬物みたいなモノなのかと食べるのを躊躇う。(苦笑)

でも、意を決して一粒食べてみたら、
甘くて美味しい。(^^

デーツとはナツメヤシの実のことで、
イスラム教の聖典コーランには神の与えた食物、
キリスト教の旧約聖書ではエデンの園の果実とされる。

またイスラム教徒がラマダン明けに最初に口にするのがデーツと言われる。

美味いしお腹が減っていたので5個いただきました。(^^


【銀食器】




トルコのお土産が一階で売っていました。

その中で気に入ったのがコレ。

思わず衝動買い。(^^


【外観】


東京ジャーミイは大満足でした。

また訪れたいです。

カトリック玉造教会(2019年2月10日参拝)

2019年03月05日 | 教会・モスク
今日は家族をフェスティバルホールまで送り、
コンサートが終わったら迎えに行くというミッションがある。

約3時間、暇することになった。

中途半端な時間で困るわ~。(^^;

まぁ、私のことですから、
何処で、何で時間を潰すとなると参拝しかありません。(苦笑)

そういう訳でまだ参拝したことのない所へ行くのですが、
今回は初めて教会のミサに参加することにした。

過去に教会は何度か行ったことがありますが、
キリスト教に対して信仰心が無いと、
教会に行っても参拝するというより、
単なる見学になってしまっている。

これではキリスト教に対して、百年経っても理解出来ない。

ほんの少しでもキリスト教の一端を理解するには、
やはりミサに参加するのが一番だと思うので。


しかし、ミサというのは知っていても、
何をするのか分からない。

勝手が分からず不安はあるが、
勇気を出して参加です。


関西でもかなり大きな規模の教会になりますので、
無料の大型駐車場がありました。


所在地:大阪府大阪市中央区玉造2-24-22
教派:カトリック
創建:明治27年(1894)


【沿革】
玉造の地に聖アグネス聖堂が建てられ、
マリー神父が初代主任司祭となって玉造教会が誕生しました。

その聖堂は戦災によって焼失、その後、仮聖堂を経て、
ザビエル来日400年記念の年に建設された聖フランシスコ・ザビエル聖堂に引き継がれ、
1963年に、大阪カテドラル聖マリア大聖堂へと生まれ変わりました。


敷地が細川大名家の屋敷跡という由縁もあって、
大聖堂内内陣左側には細川ガラシャを描いた画が掲げられている。

その最後の日のガラシア夫人及び聖堂正面の壁画栄光の聖母マリア、
右側の高山右近は堂本印象の筆、大小100ものステンドグラスは羽淵紅州の作、
十字架や聖像はオーストリアの彫刻家ルンガルチエの作と、
当時一流の芸術家を集めて造られた。

パイプ数2400の巨大なパイプオルガンでも知られる。



【大阪カテドラル聖マリア大聖堂】





【細川ガラシャ】





【高山右近】





【聖母マリア像】



【ファチマの聖母と羊飼い】




ファチマの予言は余りにも有名ですね。

時のローマ教皇が気絶したと噂される第三の予言が、
当たらないことを祈ります。


さて、聖堂の中に入りましょう。


【キリスト磔刑像】





【鐘】





【大聖堂】


大聖堂だけあって広いです。

写真はミサが終わった後に獲ったもので閑散としていますが、
始まる前は沢山の信者さん達が長椅子に座っていました。


【栄光の聖母マリア】


聖母マリアと幼きキリストと足元には天使、
高山右近と細川ガラシャが描かれていました。

この聖母子像を見ていると欧米のそれとは違って、
やはり日本的な雰囲気を感じます。

言うなれば子安観音を彷彿とさせますね。


【大十字架】



【ミサ】


適当に空いてる前の席に座って待っていると、
10時からミサが開始。




ミサはヌノ・リマ神父を中心に、
写真のようなプログラムが左上から始まります。

ヌノ・リマ神父はとても人の良さそうなお顔をされており、
信仰心の篤い方だと分かりました。

祈っている時に他の神父さんやシスター、信者さん達の手を見ていると、
いわゆる恋人握りのような指の握りでは無く、合掌していましたね。

これは意外でした。


ミサは入祭の典礼から始まり、キリストに憐れみを求め、
神の栄光を賛美します。

途中で立ってアーメンを言ったり、
聖書の一部を一緒に唱えたりもしていました。

私は全く勝手が分からず、
他の信者さん達と同じようにするのが精一杯でした。

十字の切り方もイマイチ分かっていなくて、
何となくやっている始末。(^^;

額→胸元→左肩→右肩の順に十字架の印を切るのが正しいそうで、
次回、ミサに参加することがあったら正しく切りたいです。(笑)


始まってから45分以上経ったでしょうか、
感謝の典礼というのが始まりました。

ミサの中心部分でパンとぶどう酒を用いた儀式だそうで、
そのパンとぶどう酒を信者の少年少女が祭壇に運びます。

パンとぶどう酒はキリストの体と血というのはご存知ですよね。

その間、献金袋というモノが前の信者さんから回ってきます。

え?

信者でも無い私にも回ってくるの?
どうしたらいいの?

全く知らなかったので焦ったよ。(^^;

いよいよ私に献金袋が回ってきた。

焦りながら中を見ると千円札や小銭が入っていたので、
お布施をすれば良いのだとピンときたので、
とりあえず100円入れました。

カトリックの洗礼を受けていないので、
どうか100円で許して下さい。(笑)


ミサは続き一番重要な儀式が始まります。

キリストの聖体を頂く為、信者さん達が列を作って祭壇に進み、
ヌノ・リマ神父達から聖体を拝領し、その場で口に入れ食べます。

これが聖体拝領と云われるもので、
カトリック玉造教会のは丸くて薄い海老せんべいのようなモノでした。

しかしカトリックの洗礼を受けていない人は、
聖体拝領出来ないとのこと。

そういう訳で私は長椅子に座ったままでした。

最後は閉祭と呼ばれるお知らせや挨拶がヌノ・リマ神父からあって終了。


【最後の日のガラシア夫人】





【高山右近】



【ステンドグラス】










これほどの美しく大きなステンドグラスは初めて見ました。


【パイプオルガン】




2階の楽廊に行きたかったが、
残念ながら行けませんでした。


【祭壇】



【小聖堂】


大聖堂の横に小さな聖堂があります。

勇気を出して入ってみた。






こちらでは平日ミサや外国語ミサ等が行われるようです。


【十字架】





【キリスト磔刑像】



【聖アグネス】




カトリックのミサで記念される女性の中で、
聖母マリアを除いた7人の中の1人である聖女。

304年にローマ帝国皇帝ディオクレティアヌスの統治下で殉教。

僅か13歳の若さであった。


これにて参拝終了。

いや~、ミサに参加して初めて、
キリスト教の信仰を感じられましたよ。

また、少しだけキリスト教を理解出来た気がする。

やはりミサに参加しなければ分からなかっただけに、
思い切って参加して良かったよ。(^^

またミサに参加してみたい。

神戸ムスリムモスク(2019年2月2日参拝)

2019年02月20日 | 教会・モスク
プロテスタントの教会を参拝した後は、
生まれて初めて訪れる場所へ。

さすが国際都市の神戸だけあって、
イスラム教のモスクがあります。

それが神戸ムスリムモスクです。

初めてここを知った時、
排他的で原理主義のイスラム教というイメージがあり、
異教徒が入っていいのか不安でした。

しかし、インターネットというのは有難いもので、
事前に調べる事が出来る。

調べてみると普通の服装であれば異教徒でも、
モスクに入れるとのこと。

昔ならイスラム教に良いイメージは全く無かったから、
モスクに行く気なんて全く無かった。

最近は新たな刺激が欲しくなったのか、
今回、勇気を振り絞ってモスクの中に入ることにした。



所在地:兵庫県神戸市中央区中山手通2-25-14
宗派:イスラム教
建立:昭和10年(1935)


【沿革】
神戸ムスリムモスクは神戸在住のトルコ人、タタール人、
インド人貿易商らの出資により建てられた日本で最初のモスクです。

当時、イスラム教は新宗教と同じく、
行政上宗教の扱いを受けない類似宗教と見なされた。

同年8月2日に献堂式が執り行われ、
当モスクで始めての金曜礼拝が行われました。

その後10月11日、約600名の来賓を迎えて、
旧トア・ホテルにて祝賀会が執り行われました。

完成したモスクの運営は組織の主体はスンナ派、
法学派としてハナフィー学派であることが明記されており、
理事や監事はスンニ・ハナフィ・ムスリムにより選任されることになった。

理由はインド、タタール人の多くはハナフィー学派であったからで、
それ以外の学派の信徒も当然所属することは出来た。

戦時中昭和18年(1943)に日本海軍に接収された。

モスクは頑強な地下室と建築構造を持っており、
昭和20年(1945)の神戸大空襲で焼失を免れた。

平成7年(1995)の阪神・淡路大震災でも倒壊せず、
避難民を収容し現在に至っている。



【モスク】


神戸ムスリムモスクには専用の駐車場が無く、
隣りにある有料駐車場を利用することになります。

これが神戸ムスリムモスクの全景です。








ミナレットと呼ばれるモスクやマドラサ等の、
イスラム教の宗教施設に付随する塔や円形のドームが美しい。

モスクって今回初めて見ましたけど、
とても印象的で心に残りますね。

世界中のモスクの写真や動画を見ると、
世界遺産のタージマハールを筆頭に建築美として傑作が多い。


【イスラム文化センター】


こちらはイスラム教徒を問わず、
イスラムの基礎知識を提供する場所だそうです。


【モスク】




いよいよモスク内に入ります。

さすがに初めてなので緊張してきた。




こちらの扉からは入れませんでした。

どこから入っていいか分からず焦る。(^^;




どうやら横から入るようだ。

けど、余計に入り難いわ。(^^;

勇気を出してドアを開けて中に入ると玄関に受付があり、
いかにもアラブ人といった顔立ちの男がいた。

完全アウェーで初めてアラブ人と話すので緊張感マックス。(^^;

アラビア語は当然ながら話せないので、
英語だったら何とか伝わるかなと思い参拝したい旨を伝えると、
日本語が話せることが判明。(^^

礼拝堂の場所が分からずオロオロしていると、
あっちあっち、と場所を教えてくれました。(^^;


【礼拝堂】


中の撮影や飲食は不可とのことで、
写真はネットで拾ったものです。

一人だけムスリムの男がいてコーランを唱えていました。

イスラム教における最高の聖地とされるカアバ神殿がある、
メッカの方角を向いているんでしょうね。


礼拝堂は外観に比べ狭く、祭壇とか無いので、
どうしていいか僕は途方に暮れた。(^^;

いくら礼拝する建物の中に入っても、
拝む対象物が無いと、どう拝んでいいのか分からなくなるのね。

初めての感覚というか、とまどいでしたね。

さすが偶像崇拝を禁止しているイスラム教だけある。

仏像や神像、キリスト像等の偶像は人間が作ったモノであって、
神そのものではないから、それを崇拝するの間違っていると。

まぁ、一理あるなとは思う。


振り向いて上を見ると二階に女性がいる。

これは行ってみたいと思ったが、
二階は女性専用で男は入れないようになっていました。

逆に女性は一階には入ってはいけない決まりがあるそうです。


私が見れたのは礼拝堂とお風呂場だけでした。

とりあえず初めてのモスクは写真が撮れない、
勝手が分からないで消化不良でしたね。

ただ、小田急線・代々木上原駅にある東京ジャーミイは、
荘厳なオスマン・トルコ様式のモスクなんで、
いつの日か懲りずに行ってみたいですね。


礼拝堂内部の写真は撮影不可でしたので、
ご興味がある方は下のサイトでご覧ください。

https://matcha-jp.com/jp/1291

神戸バプテスト教会(2019年2月2日参拝)

2019年02月19日 | 教会・モスク
一宮神社から徒歩数分の場所に教会があります。

それがプロテスタントの神戸バプテスト教会です。

今まで教会は幾つか参拝していますが、
キリスト教を信仰していない為か、
特に感じる事も無く。(^^;

今日はどうだろうか。



所在地:兵庫県神戸市中央区山本通1-7-27
宗派:キリスト教プロテスタント バプテスト派
創建:昭和26年(1951)
創始者:シェラー宣教師


【沿革】
神戸バプテスト教会は米国南部バプテスト連盟より、
シェラー宣教師ご一家が神戸に来られたことによって始まりました。

最初におこなわれた礼拝には大人42名、
教会学校には子ども36名が出席されたとの記録があります。

最初のバプテスマ(洗礼式)は神戸浸礼教会
(現:日本基督教団 神戸聖愛教会)を借りて行われ、
15名がバプテスマを受けられました。

昭和26年(1951)に教会組織がされ、
クリスチャンの洋画家である小磯良平宅跡地を譲り受け、
米国南部コロニアルスタイルの教会堂が建てられました。

阪神・淡路大震災で礼拝堂は傷つきましたが倒壊は免れました。

会堂は全国のボランティアの活動拠点として、
幼稚園舎は地域の方々の避難所として用いられました。

礼拝堂は補修工事によって昔のままの姿を保っています。



【教会】


4台分の無料駐車場がありました。




やっぱり教会に入るのは少し勇気が必要ですね。

場違い感が半端無いから。(^^;


【礼拝堂】




この教会はステンドグラスとか無くて、
いたって質素というか、あっさりとした内観ですね。

ちょっと調べてみると、プロテスタントの教会は、
豪華で荘厳なカトリック教会と違ってシンプルです。

それはプロテスタントには清貧の思想があるからだそうです。


【木版図】



【礼拝堂】


二階に部屋がある。

とりあえず行ってみよう。




二階にあった部屋には本が沢山置いてあった。




二階から見た礼拝堂。

よく見るとキリスト像やマリア像が無いですね。

十字架すら無い。

どうやらプロテスタントでは聖母マリアや聖人信仰があんまり無いのと、
偶像崇拝は退けているとのこと。

プロテスタントが礼拝するのは、
父なる神、子なるキリスト、聖霊という三位一体の神のみだそうです。

プロテスタントとカトリックの違いが少し分かってきた。(^^


これにて神戸バプテスト教会の拝観終了。

結局、今回もお祈りしたというより教会を見ただけだった。

キリスト教に対する信仰心の無さなんだろうけど、
もうちょっとキリスト教を知っておきたい。

キリスト教をもっと知るにはミサや主日礼拝に参加しないと、
分からないよなぁ。

次はミサや主日礼拝に参加してみよう。


【神戸ハリストス正教会】




一宮神社の本殿後ろにある神戸ハリストス正教会です。




ここは小さな教会で閉まっていました。


【ダルビッシュミュージアム】


北野坂にありました。

こんなのがあったのね。


この後、カトリック神戸中央教会に行く予定であったが、
痛恨のミスで参拝し忘れてました。(泣)

カトリック潮見教会<蟻の町のマリア>(2018年8月4日礼拝)

2018年08月30日 | 教会・モスク


10月に親孝行の旅ではとバスに乗るので、
はとバス乗り場の場所を確認する為に東京駅で下車。




東京駅は結構な回数来ておりますが、
初めて丸の内北口から外に出た。(笑)


【東京駅丸の内駅舎】








重要文化財。

二階以上は東京ステーションホテルということだけど、
ここにホテルがあるとは知らんかったわ。(^^;


さて、はとバス乗り場も確認したことだし、
本日のお宿アパホテル潮見駅前店がある潮見駅へ。

潮見駅は東京駅からだと京葉線に乗るのですが、
丸の内北口から京葉線の改札まで鬼のように遠かったです。(泣)

たぶん一駅分は歩いたと思います。(^^;


東京駅から3駅の潮見駅に到着。

潮見駅界隈は東京駅からたった3駅、
ディズニーランド最寄駅である舞浜駅も僅か3駅で行けるのに、
駅前ですら繁栄していません。(^^;

小さな工場と住宅とマンションがあるだけでしたね。




そんな潮見駅の近くにカトリック教会があるので礼拝することにした。



所在地:東京都江東区潮見2-10-5
宗派:カトリック教会
創建:昭和35年(1960)


【歴史】
第二次世界大戦後、職もなく住む家もない人々が、
隅田川の言問橋の近くに集まって、蟻の会という共同体を作り、
廃品回収で生計を立てていました。

コンベンツァル聖フランシスコ会のゼノ・ゼブロフスキー修道士は、
蟻の町と呼ばれたその地を度々訪問していました。

大学教授の娘で恵まれた家庭に育った北原怜子というカトリック女性は、
ゼノ修道士から蟻の町の話を聞き、そこに出かけるようになり、
献身的に蟻の町の子供達の世話をしました。

蟻の町のあった場所は今の墨田公園の一角にあたります。
東京都は幾度となく蟻の会に立ち退きを求めてきました。

都は代替地として8号埋立地を提示しましたが、
都が示した条件は蟻の会にとっては厳しいもので交渉は難航しました。

1958年都が蟻の会の要求を全面的に認め、
蟻の町の8号埋立地への移転が決定しました。

蟻の町が当時の地名で枝川と呼ばれた埋立地に移った頃はまだ京葉線もなく、
今のようなマンションも一軒もありませんでした。

そこに怜子や蟻の会の人々の願いであった教会が建てられました。

こうして始まったのがカトリック枝川教会(蟻の町教会)です。

潮見教会の現在の聖堂は1986年6月1日聖霊降臨の主日に献堂され、
蟻の町のマリアの名を冠することになりました。



【聖堂献堂】


聖堂献堂の中に入れました。(^^

車は聖堂の前に停めれますね。


【写真パネル】



【ピエタ像】


キリストを抱く聖母マリアと後ろに聖ヤコブ。


【十字架】




この粗末な十字架を見ると、
いかに貧しく苦しかったかが分かりますね。


【聖堂内】




目黒カトリック教会よりも質素な教会です。


【キリスト像】






異教徒の私からすればキリストやマリア像を見ても、
祈るという気持ちになれないのも事実。

神社やお寺だとすぐに手を合わせるのにね。

これが信仰というやつかな。

つまりそういう信仰心の無さが、
争いの末に異教の文化を破壊してしまうのか。

人間という生き物はつくづく愚かなものだね。


【ステンドグラス】



【聖画像】






イエス・キリストの受難の捕縛から受難まで、
十字架の道行き14場面を表わした聖画像が掲げられていました。


【キリスト像】




一瞬、中指を立ててるのかと焦った。(^^;


【北原怜子像】





【石碑】



【カトリック中央協議会】




教会の隣りにあるビル。

日本カトリック司教協議会という宗教法人の名称。


【アパホテル潮見駅前】


ライブに行く前にシャワーを浴びてさっぱりする為にチェックイン。

アパホテルはオーナーが嫌いなので、
今日は仕方なく初めて泊まります。

チェックインが正直めんどくさい。

ホテルウーマンからアパホテルカードを勧められ、
断るのがめんどくさいので作ってもうた。

これから袴田よろしく頑張ります。(笑)




セミダブルルームだけど広さが12M2で超狭い。

これだからアパホテルは、
というか東京のホテルはコストパフォーマンスが悪いのよね。


【舞浜アンフィシアター】


ネズミの夢の国が近くにある舞浜アンフィシアター。

今夜は麻衣ちゃんが素敵な夢をくれるでしょう。


【倉木麻衣】


新企画MTV LIVE PREMIUMの第一弾アーティストに選ばれた
倉木麻衣のMTVライブ。

舞浜アンフィシアターはとても見やすく美しい会場です。

ここではライブの感想は省きますが、
とりあえずセットリストを上げておきます。




1.Baby I Like
2.mi corazón
3.NEVER GONNA GIVE YOU UP
4.Everything's All Right
5.きみへのうた
6.Don’t know why (ノラ・ジョーンズ カバー曲)
7.Change the world (エリック・クラプトン カバー曲)
8.See you again (ウィズ・カリファ カバー曲)
9.Secret of my heart
10.今宵は夢を見させて
11.渡月橋 ~君 想ふ~

(Encore)
E1.Love,Day After Tomorrow
E2.always




曲数こそ少なかったが彼女の歌声が堪能出来て、
東京まで遠征して良かった。(^^


今回のライブの模様は9月29日(土)21:00~22:00から、
MTVで放送されますので映像で観るのも楽しみ。

聖アンセルモ 目黒カトリック教会(2018年8月4日礼拝)

2018年08月29日 | 教会・モスク


大圓寺から行人坂を歩き目黒駅方面へ。

徒歩5分程で目黒カトリック教会に到着。

私はクリスチャンでは無い異教徒なので、
教会は敷居がとても高い。

なので教会は余り参拝しないのですが、
教会の建築には興味があるので寄ってみた。




専用の駐車場もありました。



所在地:東京都品川区上大崎4-6-22
宗派:カトリック教会
創建:昭和22年(1947)
創立者:ヒルデブランド神父



【歴史】
目黒教会はベネディクト会によって創立されました。

創立者のヒルデブランド神父、女房役のヨゼフ神父は、
戦中戦後の日本で苦難の時期を歩み、
米国の聖ジョン大修道院に籍を移して創立の為に働かれました。

共産主義国となった中国での虜囚を体験されたエミール神父、
お百姓さんのような暖かいアロイジオ神父、国際派のニール神父は、
目黒教会の基礎を造られた主な修道司祭方です。

そして何よりも米国の多くの貧しい信徒達からの1ドル献金が力となって、
現在の姿が完成したことを記憶に留めたいと思います。

レーモンド氏設計による現在の聖堂は昭和31年(1956)5月に献堂。

長い間ベネディクト会が教会司牧の担当でしたが、
1999年4月より教区司祭が担当する小教区となりました。

聖堂は50年以上過ぎた今も建築史上注目されております。


【聖堂】


早速潜入開始。


【ステンドグラス】




やっぱり教会にコレが無いとね。(^^


【聖堂内部】


誰も居なくて気兼ねなく見学が出来ます。(^^

最前の長椅子に腰を掛けると異教徒でも落ち着きますね。




かなり立派な教会ですね。

お寺や神社でコンクリート打ちっぱなしの建築だったら、
違和感バリバリで批判だらけになると思う。

だけどさすがに教会となると似合うね。


コンクリート自体は無機質で温かみを感じ無いモノだけど、
光の取り入れ方が上手くて明るい聖堂内です。

聖堂には柱が無い設計だけど、
壁が柱の役目になっているんだね。


【十字架】




十字架の後ろには金色のオブジェが。

これはレーモンド氏の設計によるものだそうです。


【朗読台】




このオブジェはよく分かりませんでした。


【聖母イコン】



【ステンドグラス・パイプオルガン】






見事なもので見ていて感動しました。

出来ればパイプオルガンの音色を聴きたかったわ。


これにて目黒カトリック教会の礼拝終了。

こちらにお参り出来て良かったです。

ちなみに御朱印はありません。(笑)