Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

稲荷鬼王神社(2022年4月10日参拝)

2022年07月21日 | 新宿山ノ手七福神
日本で唯一と言われる鬼王という名前が付いた神社が、
東新宿駅近くに鎮座しています。

これはもう行くしかないでしょう。

住所的に歌舞伎町なんですが、
この辺りはネオン街の歌舞伎町の雰囲気は全くありませんね。


所在地:東京都新宿区歌舞伎町2丁目17-5
御祭神:宇迦之御魂神、鬼王権現(月夜見命・大物主命・天手力男命)、旧大久保村の神々
創建:稲荷神社/承応2年(1653)
   鬼王神社/宝暦2年(1752)
札所:新宿山ノ手七福神


【由緒】


稲荷神社は承応2年(1653)将軍家綱公の時、
当所の氏神として正一位福嵯稲荷大明神を勧請した。

鬼王神社は鬼王権現と称し宝暦2年(1752)に、
当所百姓田中清右衛門が紀州能野から勧請した。

湿疹・腫物を初め諸病いっさい豆腐を献納して祈れば必ず平癒するといわれ、
今日でも広く信仰されている。

三島神社は別名開運恵比寿とも称え、文化年間(1804-1818)に、
松平出雲守邸内より出現し御後室の居間に安置してあったのを、
後、二尊院に奉納した。

同院は新義真言宗芝愛宕円福寺寺中金剛院末で、
雨宝山と号し、松平家の祈願所であった。

この二尊院は代々稲荷鬼王神社社家大久保家にて別当職を兼ねており、
嘉永6年(1853)10月同院火災にかかり、
当時の別当大久保家十三世政光がその恵比寿神を大久保家に遷した。

維新の神仏分離により大久保家守護神とし、
後、十四世義道が稲荷鬼王神社境内に奉斎じ今日に至っている。

またこの恵比寿神は山ノ手七福神の一つに数えられ参拝者も多い。


【鳥居】



【狛犬】





【井戸】



【拝殿】



【狛犬】





【天水琴】





【本殿】



【水鉢】





【鳥居】



【恵比寿船】





【三島神社】




御祭神:事代主命


【水琴窟】


【富士塚】


山頂には浅間神社の小さな祠が祀られていました。


【鳥居】



【御朱印】


見本です。






今回は二体いただきました。


この神社については下記のブログで詳しく書かれていますので、
参考にしてください。

https://jinjamemo.com/archives/inarikioujinja.html

永福寺(2022年4月10日参拝)

2022年07月19日 | 新宿山ノ手七福神
東新宿界隈の神社仏閣巡りはもう少し続きます。
次に参拝する永福寺は新宿山ノ手七福神の札所であります。


所在地:東京都新宿区新宿7-11-2
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦如来
創建:慶安元年(1648)
開山:尊悦上人
札所:新宿山ノ手七福神


【縁起】
永福寺は慶安元年(1648)創建といわれている歴史あるお寺です。

嘉永年間、植木師をしていた鈴木源蔵が、信州善光寺に参詣した帰り道、
犀川の岸辺で福禄寿に似た奇石を拾いました。
源蔵は深く喜びこの石を家宝とし、日々礼拝供養を怠らずにいると、
日ごとに家は栄え、現在の地に居を移しました。

昭和9年に秘宝を公開することにして、
豊香園より永福寺に福禄寿を移転し安置しました。


【石号標】



【山門】



【庫裏・本堂】



【桜】








こちらの桜は見事でした。


【大日如来・地蔵菩薩】



【鎮守社】


これにて永福寺の参拝終了。

本堂は堂内すら見れなかった。
いろいろ理由はあると思うけど、やっぱり残念だな。


【久左衛門坂】




徳川家康の江戸入府以前から大久保に居住していた島田家の草創久左衛門が、
新しく開いた坂道であった為、名付けれれた坂だそうです。


【島崎藤村旧居跡】




東新宿駅前に見つけました。

明治38年5月、執筆中の小説破戒を完成させる為、
家族を連れて上京し明治38年5月より翌39年9月までの時期に住んだそうです。

そういえば島崎藤村の作品は読んだことないな。
折角のご縁なんで破戒という作品を読んでみるかな。

厳島神社抜弁天(2022年4月10日参拝)

2022年07月15日 | 新宿山ノ手七福神


先ほど参拝した専福寺の前に神社が鎮座しています。
それが新宿山ノ手七福神の札所である厳島神社。

とても小さな神社です。


所在地:東京都新宿区余丁町8-5
御祭神:市杵島姫命
創建:応徳3年(1086)
札所:新宿山ノ手七福神


【由緒】
応徳3年(1086)鎮守府将軍・源義家(八幡太郎)が後三年の役(1083~1087)で、
奥州平定に向かう途中ここに宿営した。
この地はこの地域で最も高い場所であり、かつては富士山もよく見えたようで、
この時、義家も遠く富士山を望み、さらにその先、安芸に鎮座する厳島神社に戦勝を祈願した。

そして義家は奥州平定を成し遂げ、その帰途、
戦勝のお礼のためこの地に神社を建立、厳島神社を勧請したと伝えられる。

義家がこの地に立ち寄り祈願して苦難を切り抜けたという伝説と、
また境内参道が南北に通り抜けできることから抜弁天ともいわれ、
江戸の六弁天に数えられる。


【鳥居】



【手水舎】



【鳥居】



【本殿】





【金魚・鯉】




この日は暑かったので足でもつけたかったです。(笑)


【社務所】



御朱印は1/8以降は西向天神社でいただけるとのこと。

法善寺(2022年4月10日参拝)

2022年07月11日 | 新宿山ノ手七福神
東新宿界隈には新宿山ノ手七福神の札所が幾つかあります。
まずは徒歩で法善寺というお寺へ。

法善寺といえば大阪ミナミにあるお寺が有名ですが、
新宿にもあるんですね。


【桜】








ピンクの可憐な花が美しい。
癒やされるというより惚れてまうやろという色がとても良い。


所在地:東京都新宿区新宿6-20-16
宗派:日蓮宗
御本尊:釈迦如来
創建:江戸時代前期
開山:実成院日相
中興:池田(松平)綱清公
札所:新宿山ノ手七福神


【縁起】
日相上人は弘法山三澤寺(静岡県富士宮市)の第10世で、
三澤寺の寺伝に拠れば承応3年(1654年)12月に七面山での一千日水行を成満し、
三澤流祈祷相承の流祖となった大験者である。

後に鳥取藩第2代藩主池田綱清が大病を患った際に日相に平癒祈願を依頼したところ、
忽ちに癒えた事から以後深く帰依し、本堂・庫裡・七面堂を建立、
寺領4町四方(48,000坪)を寄進したと伝えられている。

更に時が下り池田綱清が大久保の鳥取藩抱屋敷付近に堂宇を建立、
日相を開山に迎え春時山光清院と称し(後に法善寺と改称)、
中正院日護の作と伝えられる七面大明神像を奉安した。
なお、この七面大明神は江戸府内で最初に祀られたものと伝えられており、
現在は新宿区の文化財に指定されている。

このような経緯から法善寺と三澤寺の関係は緊密であり、
24代にわたる法善寺歴代住職の内、実に6人が三澤寺から晋山している。


【案内板】





【山門】



【境内】


小さいお寺です。
車は境内に数台分停めれますね。


【本堂】



【内陣】




堂内に入ることは出来ませんでしたが、
内陣をこの目で見れて御本尊を拝めて良かった。


【浄行菩薩】





【石碑】



これにて参拝終了。
御首題や御朱印をいただけます。

ところで七福神の壽老人はいずこ?