Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

春日大社 若宮十五社めぐり(2023年1月4日参拝)

2023年03月30日 | 神仏霊場巡拝の道
今日は毎年正月に参拝している春日大社と東大寺にお参りです。

駐車場は春日大社の有料駐車場(一日千円)に停めましたが、
正月は10時より前に入っておきましょう。

さもないと駐車場待ちで大渋滞に巻き込まれますので。


所在地:奈良県奈良市春日野町160
主祭神:春日神(武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神の総称)
神体:御蓋山(神体山)
創建:神護景雲2年(768)
社格:式内社、二十二社、官幣大社、勅祭社、別表神社
札所:神仏霊場巡拝の道


【神鹿】




明けましておめでとうございます。(笑)


【鳥居】



【参道】



【石灯籠】



【参道】


混雑防止の為に大国社、若宮社が先にあるルートを歩いて行きます。


【夫婦大国社】




第15番納札社の夫婦大国社。


【サイン】




夫婦大国社の中に飾られている有名人のサイン入りしゃもじ。

最近吉岡里帆が可愛い今日この頃。(^^


【広瀬神社・葛城神社】


第5番納札社の広瀬神社と第6番納札社の葛城神社。

とりあえず今回は全納札社を巡ってみよう。


【三十八所神社】




第7番納札社。


【佐良気神社】




第8番納札社。


【金龍神社】




第14番納札社。


【元春日 枚岡神社遥拝所】




第13番納札社。


【参道】



【春日明神遥拝所】




第9番納札社。


【宗像神社】




第10番納札社。


【倒木】


倒木に若い命が芽吹いていました。


【参道】



【護摩壇】





【伊勢神宮遥拝所】




第12番納札社。


【龍王珠石】





【紀伊神社】




第11番納札社。


【参道】


この十五社の辺りは参拝客もほとんどいなく寂しい雰囲気です。


【若宮神社】








第1番納札社。


【屏風】









【御神木】



【吊灯籠】



【参道】



【一童神社(三輪神社)】




第2番納札社。

これにて若宮十五社めぐり終了。
3番と4番は写真を撮り忘れておりました。(^^;

ちなみに夫婦大国社で先に参拝する旨を伝えるとお札をいただけますので、
そのお札を一社毎に納め終えると夫婦大国社で御朱印をいただくことが出来ます。

勿論有料ですのでご注意を。

十五社めぐりについては、きまぐれファミリー弾丸物語様が、
詳しく書かれておられますので参考にしてください。

春日大社のHPにも記載されていますが。

https://kimagurefamily.com/meotodaikokusya/

石切劔箭神社(2023年1月1日参拝)

2023年03月28日 | 神社


地下鉄阿波座駅から石切神社最寄り駅の新石切駅に到着。

下を見ると石切神社の有料駐車場へ続く車列。
大阪でも人気の神社なので車で行く場合は渋滞を覚悟してくださいね。


所在地:大阪府東大阪市東石切町1-1-1
御祭神:可美真手命
創建:(伝)神武天皇二年
社格:式内社、村社


【鳥居】



【拝殿】




拝殿まで100メートル以上は参拝者がズラーッと並んでいました。

うーむ、これはさすがに並んでられん。
ということで本殿がある裏手へ。


【本殿】


本殿裏手にも賽銭箱があるのでこちらからお参り。

うん、要は神様にお参りすればいいので、
あんな行列に並んでまでお参りする必要はございません。


【五社明神社】



【遙拝所】



【穂積殿】


正月等の特定日には石切丸を筆頭に刀剣や銅鏡が見られます。
拝観料500円也。


【割符守】


こちらを500円で購入すると今回だけではなく、
刀剣が公開される時は無料で何回も拝観可能です。

なので何回か刀剣を見たい人は購入必須です。


【穂積殿境内】





【猫】


屋根に猫発見。




ずっと見ていたら視線を感じたのか猫もこっちを見てきた。

視線って不思議ですよね。
見られていると人って何故か気付くもの。

それが猫にも当てはまることが分かった元日。
縁起がいいということはない。(笑)


【大幣】



【弘法大師堂・聖観音堂】



【御朱印】


新種のカラフル御朱印が二体ありました。
今回はこちらの方を拝受していただきました。

700円也。

これにて本日の参拝終了。

後日、東大寺と春日大社を参拝だ。

應因寺(2023年1月1日参拝)

2023年03月27日 | 仏閣
サムハラ神社から地下鉄阿波座駅に向かって歩いていると小さなお寺発見。
普通なら華麗にスルーするようなお寺ですが、
元日なんで参拝することにした。


所在地:大阪府大阪市西区立売堀3-7-2
宗派:真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開山:不明


【山門】


なかなか立派な山門です。






しかし山門を反対から見てみるとこんな簡素な造り。
資金不足によりこんな山門になったと思われるが、
こういう造りの山門は初めて見ました。


【本堂】


完全なる檀家寺特有の本堂は閉まったまま。

正月ぐらい開けてくれればいいのに。
とりあえず見られないけど御本尊様にお参り。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏


【鐘楼堂】




これにて應因寺の参拝終了。

勿論御朱印はございません。

サムハラ神社(2023年1月1日参拝)

2023年03月25日 | 神社
御霊神社の次はサムハラ神社です。

約6年振りの参拝となりますが、
参拝する前は神社の名前からして怪しげなイメージを持っていましたが、
参拝してみるといたって普通の小さな神社という感じでした。

御神環という指輪のお守りが御利益あり過ぎて、
超人気になりネットで転売する不届き者も現れて、
現在も販売中止となっています。

御朱印もそうだけど転売するなんて罰当たりですね。


<2017年3月11日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/c2491c8b01fc21c7c343db55b6718f5d


所在地:大阪府大阪市西区立売堀2-5-26
御祭神:天御中主大神、高産巣日大神、神産巣日大神
創建:昭和25年(1950)


【由緒】
昭和10年(1935)に田中富三郎が、
出身地の岡山県苫田郡西加茂村(現・津山市加茂町)にて、
古い小さな祠の荒廃を嘆き再興したのが本社の起源。

しかし翌年岡山県特高課から無許可神社で商品広告しているとして、
自主撤去を求められ、サムハラ信光会は11月27日に解消し、撤去を行った。

戦後、祠は再建され、神社は大阪中之島の豊国神社隣接地に自費で建立。

昭和36年(1961)に現在地へ移築遷宮された。

祭神は天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神であり、
サムハラは三神の総称である。

奥の院が美作加茂(岡山県津山市)にある。


【鳥居】


ここは今や人気の神社になっていて、
100メートル以上の参拝者が順番待ちで並んでいた。

うーん、これはまた日を改めて混んでない時に参拝しようかと思ったが、
元旦に参拝したかったので並びました。

そしてお参り。

今年もみんな元気で過ごせますように。


【御朱印】


正月限定なのかな。
金色のありがたい御朱印をいただきました。

書き置きで500円也。


【紅葉】




先ほど参拝した御霊神社の裏にある美々卯本店に、
鮮やかな紅葉が見られました。

ちなみに本店は2月5日から改修工事で暫く閉店です。

御霊神社(2023年1月1日参拝)

2023年03月23日 | 神社
北御堂の次は近くに鎮座する御霊神社へ。


所在地:大阪府大阪市中央区淡路町4丁目4-3
御祭神:天照大神荒魂、津布良彦神、津布良媛神、応神天皇、源正霊神
創建:不明
社格:府社
札所:大坂三十三所観音めぐり


【由緒】
嘉祥3年(850年)から大阪湾岸の圓江で行われた八十嶋祭の祭場とされた圓神祠に、
瀬織津比売神、津布良彦神、津布良媛神が祀られると、
社はやがて圓神社、圓江神社、津村神社と呼ばれるようになり、
摂津国津村郷の産土神社となった。

文禄3年(1594)因幡国鹿野藩主の亀井茲矩から船場の自邸敷地の一部を寄進され、
境内の小祠乾八幡宮と源正霊神を本殿に合祀した上で、圓江から船場の現在地へ遷座。

江戸時代になると鎌倉権五郎の権五郎から五郎ノ宮や、
訛ってごりょうのみやとも圓御霊とも呼ばれた。

また境内の南側には十一面観音を本尊とする神宮寺の宝城寺が作られた。
寛文年間(1661-1673)に御霊神社と改称し、宝暦3年(1753)に正一位の神階を授けられる。

明治時代に入ると神仏分離令によって、御霊神社と宝城寺の境内を分けることとなったが、
後に宝城寺は廃寺となった。

明治6年(1873)郷社に列する。
明治17年(1884)人形浄瑠璃の劇場文楽座が境内に開設。
御霊文楽座として近世文楽における黄金期の賑わいを見せる。
しかし大正15年(1926)11月に御霊文楽座から出火、本殿とともに焼失した。

昭和5年(1930)に社殿を再建するが、
昭和20年(1945)3月13日・14日の第1回大阪大空襲により再び全てを焼失した。

昭和32年(1957)現在の社殿を再興する。
昭和34年(1959)鳥居玉垣を再建、その後、年を追って往時に勝る威容を整備しつつある。


【鳥居】



【拝殿】



【本殿】



【東宮】


皇大神宮、恵比寿神社、猿田彦神社、東宮十二社が祀られています。


【儀式殿】



【松ノ木神社】





【大黒社】



【御朱印】


拝殿が描かれた書き置きの御朱印です。
これはいただかざるを得ない。

北御堂<本願寺津村別院>(2023年1月1日参拝)

2023年03月21日 | 仏閣
このブログもようやく新年のネタをアップすることになりました。(笑)

新年はいつも私の大切な寺社である石切神社、東大寺、春日大社を
参拝始めをしているのですが、今年はいつもと違った寺社を巡りたいと思う。

そんな時にフト頭に何故かよぎったのが大阪のサムハラ神社。
こちらは一部の人達に絶大なる人気を誇る神社です。

そのサムハラ神社の前にルート的に先に参拝したのが北御堂。

大阪の大動脈である御堂筋沿いにある本願寺派の別院です。

車は無料で停められる駐車場があるので助かります。


<2015年8月22日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/2079913f2bbd93f6577a8220b4f6f135


所在地:大阪府大阪市中央区本町4丁目1-3
宗派:浄土真宗本願寺派
御本尊:阿弥陀如来立像
創建:慶長2年(1597)
創建:蓮如上人


【縁起】
本願寺第8代宗主蓮如上人の手により、大坂に親鸞聖人から伝えられた
「お念仏」のみ教えを弘める為、明応5年(1496)現在の大阪城の辺りに
一つの小さな坊舎(後の石山本願寺)が建てられました。

その坊舎を中心にしてまわりに寺内町が形成され、
大坂の町は大いに発展していったそうです。

しかし織田信長との長い争いにより、本願寺は大坂を離れなければならなくなり、
そこで大坂の門徒はこの地での「お念仏」の灯りをまもる為、
天満に近い「楼の岸」に新しい坊舎を建立しました。

その後、津村郷と呼ばれていた現在の地に移り、
津村御坊は「北御堂」と称されるようになり、
南御堂と並び大坂の人々に親しまれてきました。

お念仏が繁盛していた当時の津村別院は昭和20年3月の大阪大空襲で焼失。
その後、多くの方のお陰により昭和39年復興し現在に至ります。


【山門】



【本堂】




本願寺のお寺によくあるモダンな建物です。


【親鸞聖人像】



【蓮如上人像】



【山門】




本堂前から山門を撮影したもの。


【内陣・御本尊】






元旦とはいえ参拝者も少なく静かにお参りが出来ました。

本願寺のお寺ですが、
数年前から参拝記念として御朱印を授与されています。

現在は他に法語印というモノもいただけます。

八幡神社<元石清水八幡宮>(2022年12月18日参拝)

2023年03月18日 | 神社
大安寺と推古天皇社の近くに元石清水八幡宮と呼ばれる神社があります。
それが大安寺の鎮守社でもある八幡神社です。

平安時代に創建された石清水八幡宮は貞観元年(859)に、
京都男山に遷座したことから、この八幡神社は元石清水八幡宮と呼ばれています。

しかしながら、創建の歴史がはっきりしているわけではなく、
当の石清水八幡宮もそのことを認めていません。

その真相はたぶんこれからも確定することは無いでしょうね。


所在地:奈良県奈良市東九条町字宮ノ森1316
御祭神:応神天皇、神功皇后、仲哀天皇
創建:大同2年(807)
社格:村社


【由緒】


奈良南都七大寺の一つである大安寺の鎮守として建立されました。

最澄・空海も修行したと記録される大安寺の僧行教和尚が遣唐使としての帰途、
大分県宇佐神宮の第一祭神八幡大神(応神天皇)からのお告げで、
宇佐神宮より南部大安寺本房第七院石清水房に勧請いたしました。

その後のある日、行教和尚は夢の中で京都の男山に八幡大神を祀れというご神託を受け、
貞観元年(859)京都府八幡市に山城石清水八幡宮(男山八幡宮)が建立されます。

男山衆は 男山の八幡大神は宇佐神宮から直接 お招きしたもので、
大安寺とは関係ないと本社を名乗って譲らなかったそうです。

石清水の名前は以前から男山にあったというのが男山衆の主張なので、
その主張と分ける為に元石清水八幡宮の名前が生まれたと言われております。

本殿は至徳2年(1385)に室町幕府第3代将軍足利義満により再建された。
しかし永正元年(1504)に焼失しその後に再興されたとの話もあり詳しくは不明である。

元亀2年(1571)の松永久秀の辰市攻略等の戦乱で大安寺とともに衰微の道を辿り、
文禄5年(1596)7月13日には慶長伏見地震によって同寺とともに罹災、
その影響で大安寺が一時廃寺の状態となったために独立し、
在地の氏神として村民の手によって復興された。

社伝によれば文久3年(1863)に大修理が行われている。

明治時代になると村社に列せられている。


【参道】


奥に見えるのが二ノ鳥居です。

参道に路上駐車している青い車は私の車ではありません。
神社には専用の駐車場はありませんでした。


【表門】


車は境内に停めて良いのかも知れませんが、
大安寺の駐車場に停めた方が無難ですね。


【境内】


奈良の地元に根ざした神社のように質素な雰囲気を感じる境内です。

石清水八幡宮のようにド派手ではありません。
あの神社の資金力は日本全国屈指のものですから。

そりゃ比べたら石清水八幡宮は認めたがらないだろうなと思う。


【手水舎】





【中門】



【拝殿】





【狛犬】





【本殿】





【境内社】













【境内】


拝殿から表門を撮影したもの。

これにて参拝終了。

御朱印はありますが、境内の掃除が忙しそうだったので今回は辞退した。

またの機会に。

推古天皇社(2022年12月18日参拝)

2023年03月14日 | 神社
先ほど参拝した大安寺の駐車場の横に小さな神社が鎮座しております。
普通なら華麗にスルーしてもいいような神社ですが、
神社の名前が推古天皇社。

何と天皇の名前を頂戴した神社なんです。
大安寺も皇室所縁のお寺ですから、
この神社もその縁で建立されたのかも知れませんね。

調べてみると神仏分離令以前は大安寺の境内に鎮座していたようです。


所在地:奈良県奈良市大安寺1-12
御祭神:豊御食炊屋姫尊(推古天皇)
創建:不明


【由緒】



【推古天皇】
第33代天皇で日本史上最初の女性天皇。

第29代欽明天皇の皇女で、母は大臣の蘇我稲目の女の堅塩媛。
第30代敏達天皇は異母兄で夫でもある。
第31代用明天皇は同母兄、第32代崇峻天皇は異母弟、蘇我馬子は母方の叔父。

公正な女帝の治世のもと聖徳太子はその才能を十分に発揮し、
冠位十二階推古・十七条憲法を次々に制定して、法令・組織の整備を進めた。
推古天皇15年(607年)、小野妹子を隋に派遣。

女帝は太子や馬子と共に仏法興隆にも努め、斑鳩に法隆寺を建立させたりした。


【鳥居】





【手水舎】



【社殿】


このように小さな神社で普段は無人のようですが、
ご近所の方々によって守られているみたいですね。


【石碑・大日如来】








こんな所で神仏習合の名残があるとは思いませんでした。


【金毘羅権現】





【境内社】




詳細不明。

これにて推古天皇社の参拝終了。

御朱印は無いと思われます。

大安寺(2022年12月18日参拝)

2023年03月12日 | 神仏霊場巡拝の道
今日は家族を連れて癌封じ祈願の為に奈良の大安寺へ。
ここは皇室所縁の古刹で関西では癌封じのお寺として有名です。

そんな大安寺の参拝は恐らく10年以上振りの参拝となります。
ご無沙汰して申し訳ございません。

車は無料駐車場に停められました。


所在地:奈良県奈良市大安寺2丁目18-1
宗派:高野山真言宗
御本尊:十一面観音菩薩
創建:伝・飛鳥時代
開基:伝・舒明天皇
札所:大和十三仏霊場、聖徳太子霊跡、大和北部八十八ヶ所霊場、南都七大寺
神仏霊場巡拝の道


【縁起】
聖徳太子が平群に建てたがその草創といわれています。
飛鳥の藤原京で百済大寺、大官大寺となり奈良時代に現在の地に移り大安寺となりました。

南都七大寺の一つに数えられ、
平城京の左京六条四坊から七条四坊にまたがる広大な寺域を占め、
わが国最古の官大寺として大安寺式の大伽藍を誇っていました。
境内の南に残る東西2つの塔跡に昔日の威容を偲ぶことができます。

奈良時代には東大寺大仏開眼の大導師をつとめた
インド僧 菩提僊那など歴史に名を留める僧が多数在籍し、
887人もの学僧が居住して勉学修行に励んでいたと伝わっています。

また、旧境内の一部には史跡 杉山古墳・杉山瓦窯跡群があります。
寺には大安寺様式といわれる奈良時代の木造十一面観音立像、木造四天王立像、
不空羂索観音立像、楊柳観音立像(いずれも重文)等9体の天平仏が安置されています。


【南門】


興福寺旧一乗院の門を移築、復元したもので、
堂々たる山門です。


【境内】



【本堂】








明治時代に建立されたもの。
それでもまさに古刹を感じられる本堂となっています。




内陣でお参り。


【嘶堂・小子坊】



【手水舎】



【御朱印】

東京都行幸通り(2022年12月4日)

2023年03月11日 | 旅行・その他
皇居から東京駅へ。

東京駅へのルートは幾つかありますが、
やはりこの行幸通りが一番雰囲気がある通りですね。


【イチョウ並木】











【行幸通り】





【元宮城和田倉門守衛所】




行幸通りは大正12年に関東大震災復旧事業により、
お濠を埋め立てて造られたものです。

その当時、ここが皇居の入口だったそうで、
これはその名残り。


【和田倉濠】



【東京駅】






いつ見てもレンガ造りの東京駅は美しい。

現代建築においてレンガ造りの建物が全然造られていないのが残念。
赤レンガ倉庫とか観光スポットになるのに何で造らないのだろうか。


【ドーム】


これにて東京出張完了。

いつの日から稲葉天目を見たいものです。
死ぬまでに。(笑