Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

額安寺(2021年2月28日参拝)

2021年04月13日 | 大和北部八十八ヶ所霊場
奈良の斑鳩から本日のメインである額安寺へ移動。
場所は金魚の町で有名な大和郡山市です。



額安寺はこのような長閑な場所にありますが、
山門へと続く道が初めてだと不安になるほど細い道なのでご注意を。



所在地:奈良県大和郡山市額田部寺町36
宗派:真言律宗
御本尊:十一面観音菩薩
創建:伝・推古天皇29年(621)
開基:聖徳太子
札所:聖徳太子霊跡、大和北部八十八ヶ所霊場


【縁起】


聡明叡知で仏法を尊んだとされる聖徳太子が、
釈尊の祇園精舎に倣って創建した学びの道場「熊凝精舎」が山号の由来です。

額安寺は621年に熊凝精舎を置いた跡地に建立された寺院で、
後に東大寺、興福寺と並ぶ大寺となる大安寺の前身であると言われています。

額安寺のあたりは初瀬川と佐保川の合流する古代水路による交通の要所で、
瀬戸内海を通りなにわの浦から大和川を遡って、
額安寺近くの板屋ヶ瀬に外国使臣や文物が渡来してきたのであって、
額安寺は仏教伝来の門戸に規模壮大な大寺院として臨んでいたのであります。

鎌倉時代には高僧興正菩薩やその弟子の忍性菩薩等によって復興。

しかし戦国時代の戦火を浴び本堂一宇を残すのみとなり、
五重塔も豊臣秀吉の命により摂津の四天王寺に移され時代が下ると共に衰退。

明治の中頃には寺域なお一万余坪を残していたのでありますが、
寺領のほとんどを失いその後は廃寺に等しい状態に置かれていたのであります。

近時、飛鳥時代の法燈を受け継ぐ名刹額安寺の荒廃を嘆く声も多く、
殊にこの地に育った前々住職の故喜多亮快師が額安寺の衰亡することを憂え、
自力で復興を志し昭和五十年より補修建設を加えて額安寺を今日の姿まで復興しました。


【山門】


こちらは開かずの門でした。

山門の前に無料駐車場がありました。


【参道】




凄く綺麗に手入れされていますね。


【門】


この門の横に通用門と拝観受付がありました。




境内から撮影したもの。


【紅梅】





【本堂】




早速堂内へ。


【内陣】


ありがたいことに撮影の許可をいただきました。


【御本尊】








厨子に安置されていた期間が長いから彩色が綺麗に残っているとのこと。










何ともいえぬお顔ですね。(^^


【文殊菩薩】



【厨子】








厨子の絵も綺麗に残っていました。
見事です。


【梵天】



【四天王】





【諸仏】



【不動明王】



【毘沙門天】



【掛け軸】



【天の川】






何とも不気味な絵である。


【吉祥天】






うーむ、こちらも微妙な絵である。


【吉祥天】



【諸仏】



【弘法大師】


下は弘法大師と分かるが、上の高僧は慈真和尚でしょうか。


【阿弥陀如来】





【愛染明王】


これにて本堂の参拝終了。

素晴らしい仏様達でした。


【境内】



【仏舎利殿・納骨堂】


こちらに仏舎利が安置されているそうです。






世界的宗教画家故杉本哲郎画伯が親交の深かったインド初代首相故ネール氏より、
手ずから頂かれた仏舎利は画伯の御遺族から安置される場所として、
平成18年に収められたそうです。


【宝篋印塔】


この塔は鎌倉時代に慈真和尚が母の供養の為に作ったものと伝えられ、
記銘の持つものとしては日本で2番目に古いそうです。

文応元年(1260)建立されたもの。


【収蔵庫】






以前は虚空蔵菩薩が安置されていましたが、
現在は奈良国立博物館に預託されているそうです。


【紅梅】







【御朱印】


三体のうち一体をいただきました。

御本尊と厨子の素晴らしさは言うまでも無く、
不動明王や梵天等個性豊かな諸仏も多く充実した見仏でした。

法輪寺(2021年2月28日参拝)

2021年04月10日 | 大和北部八十八ヶ所霊場
今日は長閑な寺院で仏様を拝みたいと思い、
大和郡山市や斑鳩町界隈を巡ります。

まずは法隆寺近くの法輪寺へ。

こちらは随分御無沙汰しており、
約10年振りの参拝となります。


<2011年1月22日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/b05fe976d24dacfabd22581286baa3db


所在地:奈良県生駒郡斑鳩町三井1570
宗派:聖徳宗
御本尊:薬師如来
創建:推古天皇30年(622)または天智天皇9年(670)
開基:山背大兄王または百済開法師・圓明法師・下氷新物
札所:聖徳太子霊跡、大和北部八十八ヶ所霊場、大和路秀麗八十八面観音霊場会


【縁起】
法輪寺の創建には2説が伝えられています。
聖徳太子伝私記によると推古30年(622)聖徳太子がご病気になられた折、
太子の御子・山背大兄王がその子・由義王らと太子の病気平癒を願って建立されたという説。

もう一つは上宮聖徳太子伝補闕記によると天智9年(670)の斑鳩寺焼失後、
百済開法師・圓明法師、下氷新物三人が合力して造寺したとする説です。

創建から江戸時代中期まで、当寺に関する史料は乏しい為、
奈良時代の様子はほとんどわかりませんが、十一面観音菩薩立像・弥勒菩薩立像・
地蔵菩薩立像・吉祥天立像・米俵毘沙門天立像等、
平安時代の仏様を多く伝えることから平安時代には寺勢が盛んだったことが想像される。

鎌倉時代の様子は金堂・講堂・塔・食堂等が建っていて、
建立の様は法隆寺に似たりと聖徳太子伝私記に記されています。

大乗院日記目録には南北朝時代の貞治6年(1367)正月三日に法輪寺が炎上したとあります。

正保2年(1645)の大風により金堂・講堂・中門・廻廊・食堂等、
諸宇ことごとく倒壊し三層目を吹き飛ばされた三重塔だけが残った。

享保年間(1716~1736) 寳祐上人は法輪寺の復興に着手。
上人は復興の勧進の為にも当寺の聖徳太子感得と伝える妙見菩薩の信仰を広められ、
熱心な信者となった大坂の町人が檀主となり、さらに多くの法縁を得て、
大小の仏像三十余躯・画像二十幅・舎利塔二基・霊宝十余箱の修理、
ついで鐘楼・妙見堂・八幡宮の修理が行われました。

元文4年(1739)には三重塔修復が緒に就き、その年の7月には心礎から仏舎利が発見される。

塔修復なかばで倒れた寳祐上人のあと、遺弟・大圓上人等により、
宝暦10年(1760)に塔修理は完成、宝暦11年(1761)には現金堂、
続いて旧講堂、南大門が復興されました。



【駐車場】


無料駐車場がありますが、
舗装されていないデコボコの地面なのでご注意を。


【南門】




いいですね~。
いかにも古寺といった風情が伝わってきます。


【三重塔】






昭和19年7月21日に当寺国宝であった三重塔は落雷で焼失。

現在の三重塔は昭和50年(1975)に再建されたもの。


【境内】



【金堂】




本来の本堂ですが老朽化により、
御本尊の薬師如来等の諸仏は講堂に遷されています。

宝暦11年(1761)に再建されたもの。


【塔心礎】





【講堂】


拝観料を支払って堂内へ。

こちらは収蔵庫になっていて貴重な11体もの仏様が安置され、
仏像好きにはたまらない空間になっていました。

残念ながら撮影は不可でした。


【鐘楼堂】





【地蔵堂】




鎌倉時代のお地蔵さんが祀られていました。


【妙見堂】


写経会の開催場所でした。


【庫裏】





【御朱印】

行基寺(2020年11月28日参拝)

2021年02月08日 | 大和北部八十八ヶ所霊場
横蔵寺から次なる参拝となるのが行基寺。
以前参拝した時に書院から見た風景と庭園が素晴らしかったんですよ。

岐阜に行ったらまた参拝したいと思っていたので、
今回の機会に再訪することにした。

ちなみに行基寺に行くには少々酷道を走る必要があります。
前から対向車が来ないでくれと願う道です。(苦笑)

無料駐車場に到着した時の喜びは格別ですのでどうぞ。(笑)


<2018年9月16日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/154627876f81ab33864b8e5a9e873eb0

https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/495fd43e1c942d8699001a662634ca8e


所在地:岐阜県海津市南濃町上野河戸1024-1
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:天平年間
開山:行基菩薩
札所:西美濃三十三霊場


【風景】




無料駐車場から見た風景。

濃尾平野と揖斐川の風景はなかなか良い。


【石垣】



【山門】




文政3年(1820)再建されたもので威風堂々たる山門です。


【境内】



【石仏】





【観音堂】



【紅葉】



【本堂】


本堂は扉が開いていますので外から拝むことが出来ます。
しかし、こちらは拝観料を支払ってでも本堂内と書院に入っていただきたい。


【境内】



【御本尊】





【本堂内】




御本尊が祀られている間の左右に別の間があり、
それぞれ掛け軸が掲げられ奥に諸仏が祀られていました。


【苔庭】






宝永2年(1705)美濃高須藩松平家初代松平義行公が、
行基寺再建と同時に縁山和尚により作庭された回廊式庭園。

相変わらず見事な庭園です。


【廊下】


ピカピカです。


【小書院】



【対面の間】




この対面の間が本当に素晴らしい。
こんな部屋が我が家にも欲しいわ。


【眺望の庭園】



【掛け軸】



【襖】



【小書院】





【回廊式庭園】







【小書院】







【藩主の間】



【回廊式庭園】





【苔庭】





【滝水】


これにて行基寺の参拝終了。

御朱印は今回はいただきませんでした。
さて、これから京都へ行きます。

平等寺(2020年10月25日参拝)

2020年12月29日 | 大和北部八十八ヶ所霊場
長谷寺界隈から次なる参拝地の三輪へ。

奈良県の三輪と言えば三輪そうめんか大神神社ですが、
平等寺という古寺があります。

こちらは悪法の廃仏毀釈により完膚なきまで潰されたが、
現御住職の並々ならぬご尽力により復興された不死鳥のお寺です。

本堂の内陣拝観は事前予約が必要ということで、
急遽、長谷寺に居る時に電話予約成功。

お寺まであと少しというところで、
道が超絶細くなって対向車が来たらと心配するどころか、
このまま進んでも大丈夫かと思うような道があるからたまらない。

初めて行く人はそれなりの御覚悟を。(笑)

車をお寺の研修道場前の無料駐車場に停めて参拝開始。


所在地:奈良県桜井市三輪38
宗派:曹洞宗
御本尊:十一面観音菩薩
開基:伝・聖徳太子
札所:大和北部八十八ヶ所霊場


【縁起】
伝承によれば聖徳太子の開基、慶円の中興とされている。
大三輪町史は平等寺以前の大三輪寺遍照院の存在から空海開基説の存在も述べている。

平等寺が前述資料に明確に現れてくるのは鎌倉時代以降であり、
初見は弥勒如来感応抄草の嘉禎2年(1236)である。
同書によれば慶円によって三輪神社の傍らに真言灌頂の道場が建立され、
その道場が三輪別所であった。
この当時、平等寺が存在して三輪別所と呼称されており、
その後比較的早い時期に平等寺という寺号で呼ばれることとなったことは確実であり、
これが現在史料で明確に確認できる最古の例である。

鎌倉末期から明治の廃仏毀釈までは、三輪明神の別当寺の地位にたっていた。
一方で大乗院寺社雑事記には興福寺が平等寺に御用銭を課していることが見られ、
大和国の他の寺院同様、興福寺の末寺でもあった。
また、同時に修験道を伝えていたことから、醍醐寺との関係も保持していた。

江戸時代には興福寺の支配を離れ、真言宗の寺院となりつつも修験道も伝えていた。
平等寺は内供といって皇室の祈願をするお寺であった。

平等寺は南都大乗院の末寺であるが、
大峰勤行の寺院でもあって高野山金剛峰寺と同格であった。

神仏分離の太政官布告が出され明治3年(1870)年には、
平等寺は大御輪寺、浄願寺と共に三輪神社の神官が管理するにいたり、
堂舎は破壊され廃止となる。

廃仏毀釈の直後、小西家より現境内地の寄進を受け、
廃仏毀釈前の平等寺住職・覚信和尚と町内有志18名が塔頭の一部を境内に移し、
本尊十一面観世音菩薩、三輪不動尊、慶円上人像、仏足石等を守り、
曹洞宗慶田寺住職・梁天和尚が翠松庵の寺号を移し曹洞宗に改宗し法灯を護持した。 

昭和52年(1977)曹洞宗の寺院三輪山平等寺として再興した。
丸子孝法の16年間の托鉢によって現在は伽藍も復元されている。


【山門】


旧平等寺の唯一のものだそうです。


【鐘楼堂】


昭和62年(1987)再建されたもの。


【聖徳太子】



【寺務所】



【境内】



【本堂】






昭和62年(1987)再建されたものですが、
節約の為に後住職が設計されたそうです。

早速御住職に導かれ本堂内陣に入堂。

私のような予約者がいる時は運が良ければ、
予約無くても一緒に入れますよ。


【内陣】


荘厳な雰囲気がとても良い。

写真は御住職の了承を得ております。


【十一面観世音菩薩】




御前立の仏様ですが、どこかで見たことあるよなぁと思っていたら、
それもそのはず、聖林寺の国宝十一面観音菩薩の写しです。

聖林寺の倉本弘玄住職より十一面観音に関する文化財の資料を頂いて、
本堂再建時と同時に建立されたもの。


【内陣】






中央の宮殿には平安時代作御本尊の十一面観音菩薩が祀られています。
時代によっては阿弥陀如来とされる不思議な仏様です。


【四天王】







【薬師如来】





【阿弥陀如来】



【中興開山慶円禅観大和尚】



【弘法大師】



【釈迦如来真像】



【誕生仏】


これにて内陣の拝観終了。

御住職がお話好きなのか、他の参拝者と一緒に一時間ぐらい、
お茶菓子をいただきながら談笑しました。


【二重塔釈迦堂】


境内に塔があるととても良く見えるから良い。






平成16年(2004)に800年ぶりに再建されたもので、
中央に生身釈迦、平等寺仏足石、Dharmarajika寺院(バングラデシュ)伝来の仏舎利が祀られているとか。


【十六羅漢】




二重塔のまわりに十六羅漢が安置されていますが、
物凄いインパクトのある羅漢さんが。


【羅怙羅尊者】


釈迦の実子で十大弟子であり十六羅漢の一人。

裂いた胸から顔が見えますがお釈迦様だとか。
どんな人の心にも仏は宿るということを表現しているそうだが、
その発想が凄いですね。

しかし胸のお釈迦様を見るとアフロっぽい頭してますね。(笑)


【不動堂】


弘法大師御自作と伝えられる三輪不動尊と役行者、理源大師が祀られています。


【波切堂】



【十一面観音菩薩】



【稲荷社】



【赤門】


昭和51年(1976)に現御住職が建立されたもの。


【御朱印】


これにて平等寺の参拝終了。

お寺はやはり内陣に入ってこそですね。
また御住職のお話を聞けることはとても有益です。

御住職のお寺再建に向けた努力や執念は尊敬出来ます。
私も見習わなければ。

喜光寺(2019年8月25日参拝)

2020年01月15日 | 大和北部八十八ヶ所霊場
薬師寺から江戸時代まで安置されていた四天王像が、
150年振りに里帰り公開されている喜光寺へ。

廃仏毀釈の際に同寺を離れ大和郡山市の額安寺が祀っていたものを、
平成17年に奈良大学が譲り受け修理し9月2日まで公開。

その後、奈良大学構内の記念館に安置されるという。


<2011年10月29日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/58bbc95ac409229abe6d74894f99f60a



所在地:奈良県奈良市菅原町508
宗派:法相宗
御本尊:阿弥陀如来
開基:行基菩薩
創建:養老5年(721)
札所:大和北部八十八ヶ所霊場


【南大門】


平城遷都1200年にあたる平成22年(2010)に落慶されたもの。

無料駐車場は南大門横にあります。


【本堂】


奈良時代の本堂は明応8年(1499)に焼失、
天文13年(1544)に再建された重要文化財。






行基菩薩が東大寺建立に先だって、
本堂を建立したという伝承から試みの大仏殿と呼ばれています。


【内陣】






重要文化財の御本尊阿弥陀如来。

嬉しいことに撮影OKです。






勢至菩薩と観世音菩薩。






こちらが里帰りした四天王。

やはり四天王がいると豪華ですね。
素晴らしい四天王でした。


【蓮】





【行基堂】




江戸時代に造られた行基像がありましたが、
明治時代に流出し現在は西大寺に安置されています。

現在の行基菩薩像は行基菩薩1250年御遠忌にあわせて、
平成10年(1998)に造立した行基菩薩の御影。


【ミズアオイ】







【御朱印】