Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

報恩寺・まるごと美術館(2019年11月30日)

2020年05月30日 | 京の通称寺霊場
続いて参拝する報恩寺は有名な千本釈迦堂こと大報恩寺とは、
勿論違うお寺で余り有名なお寺ではありません。

何せ普段非公開寺院ですから仕方ありません。

だが報恩寺はある戦国武将臨終のお寺だという。
マジか?
全然知らんかったわ。

何故、そんな有名武将臨終の地になったかというと、
寺伝によると9世住持の甫公は豊臣秀吉の叔父であったといい、
秀吉の邸宅旧地を賜った縁があるからだろう。

そんな無名ながら凄いお寺は先に述べたように、
寅年の正月三が日以外は非公開です。

しかし、今回まるごと美術館に参加され公開するというではないか。
これはもう参拝するしかないでしょ!


所在地:京都府京都市上京区小川通寺之内下ル射場町579
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:室町時代
開山:不明
札所:京の通称寺霊場


【縁起】


鳴虎の報恩寺といわれるこの寺は尭天山と号し浄土宗に属します。

中国の画人四明陶佾が描く猛虎の絵を豊臣秀吉の所望により、
聚楽第の床へ飾ったところ、夜中に虎の鳴き声が聞こえ、
秀吉は一晩中安眠出来ずすぐに寺へ戻されたことから鳴虎として有名になりました。
この絵は寅年の正月三が日に限り公開されます。
 
寺伝では室町時代一条高倉に開創したとあり、
法園寺または法音寺という天台・浄土兼学の寺でしたが、
文亀元年(1501)後柏原天皇の勅で慶譽が堀川今出川の舟橋の地に再興し、
浄土宗報恩寺と改めました。

天正13年(1585)秀吉によって現在の地に移されますが、
享保・天明の大火に類焼しています。
 
重要文化財の梵鐘はその由来を明らかではありませんが、
高い笠形、肩すぼまりの形態、乳の形、
八角素弁小形の撞座2個が龍頭の方向と直交している等、
奈良時代以来の古式を残す平安時代の鐘です。

池の間には金剛界四仏を籠字の梵字であらわし、
その下に梵文の真言を刻んでいる珍しい意匠です。

門前の石橋には慶長7年(1602)架橋の刻銘があり、
本法寺の石橋とともに今は埋められた小川の名残を止める貴重な遺産です。


【山門】


無料駐車場が10分ほどありました。


【稲荷社】







【狛狐】





【地蔵堂】





【鐘楼堂】




これが重要文化財の鐘楼です。


【御堂】


賓頭盧頗羅堕闍尊者が祀られていました。


【境内】





【庭園】





【求楽庵】





【手水鉢】



【石塔】



【賀陽宮墓】


第111代後西天皇皇女の墓。
僅か9歳という若さが悲しい。

もとは報恩寺塔頭・光珠院にあったものが、
明治時代に宮内庁管轄になったそうです。


【本堂】



【庫裏】


こちらが拝観入口です。

拝観料800円を支払い中へ。


【書院】



【床の間】



【生け花】


花瓶は備前焼と見ました。

さて、いよいよ本堂へ。

堂内に案内係の方がいらっしゃって説明をしてくれました。

まずは御本尊ですが快慶作と伝わる美麗な阿弥陀様でした。
確かに快慶作と言われれば頷くしかないですね。

撮影禁止なのが残念で仕方ない。

そして本堂向かって左側が黒田長政薨去の間で、
黒田官兵衛と長政の位牌がありました。

何故ここに位牌があるかというと、
徳川家光の三代将軍宣下の先遣として上洛し、
位牌寺である報恩寺で元和9年(1623)8月4日に病没した為。

ここで黒田長政が死んだのかぁと思ったら、
何とも言えない気持ちになりました。

残念ながら位牌も撮影禁止でした。


【庭園】


本堂前の庭園です。












このフクロウは何故?


【御朱印】


紅葉は報恩寺のものを貼りました。

粟嶋堂宗徳寺(2018年10月27日参拝)

2018年11月24日 | 京の通称寺霊場
空也寺から同じく浄土宗寺院大公開に参加されている龍岸寺へ。

お寺の前まで車で行くも小さいお寺で駐車場が無さそう。

仕方ないので近くの有料駐車場に停めて龍岸寺へ歩いていると、
山門と人形供養と書かれた看板を発見。

人形供養というと和歌山の粟嶋神社が有名ですが、
どうやらここはその系列(?)のような気がする。

粟嶋神社に参拝した時は余りの人形の多さに畏怖したものだが、
粟嶋堂も沢山の人形が安置されているのだろうか。

とりあえず行ってみよう。



所在地:京都府京都市下京区三軒替地124
宗派:西山浄土宗
御祭神:粟嶋大明神
本地佛:虚空蔵菩薩
創建:宝徳年間
開山:南慶和尚
札所:京の通称寺霊場


【縁起】



【南門】


車はここから入って境内に停めれます。


【正面門】


南門に平行して正面門があります。

こちらがいわゆる山門です。


【神殿】


本堂では無く神殿であることと、由緒を読む限り、
西山浄土宗に属しているが実態は神社のようですね。


【安置所】


こちらには昔の雛人形等が沢山安置されていました。

正直、怖い。(^^;


【蕪村句碑】





【境内社】



【安置所】






和歌山の粟嶋神社ほどでは無いにせよ、
やっぱりこれだけあるとヤバい。


【狛犬】


これは誰かが供養する為に持ってきた狛犬では無く、
神社によくある狛犬です。


【七福神】


こちらはどうやら供養の為に持ってこられたモノのようです。


奥様らしい方が居て御朱印をお願いしようと思ったが、
人形達を見たら、いただく気が無くなりました。(^^;


もし御朱印をいただいたとしたら、
お寺用にするか神社用にするか迷うところ。

だけど、宗徳寺の一堂が粟嶋堂ということなので、
お寺用でいただいたことだろう。


ところで宗徳寺の御本尊の阿弥陀如来はどこに祀られているの?(^^;

日限地蔵安祥院(2018年10月8日参拝)

2018年10月29日 | 京の通称寺霊場
浄土宗寺院大公開の金剛寺の次は、
同じく公開されている日限地蔵安祥院へ。

こちらは清水寺や大谷本廟の近くにあるお寺で、
近辺はいつもアホみたいに激混み。

有料駐車場も高い&満車。

出来るなら近寄りたく無いエリアだが、
日限地蔵の御本尊が直接拝めるとあっては行かざるを得ない。

彼岸と毎月の功徳日には本堂の阿弥陀如来は御開帳されますが、
なかなか日程が合わないから、こういう機会は有難い。


日限地蔵は約2年3か月振りの参拝となります。

<2016年7月10日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/7b182f6db635d71c0aaca7d566010e74



所在地:京都府京都市東山区五条通東大路東入遊行前町560
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:天慶5年(942)
開山:尊意僧正
再興:養阿上人
札所:洛陽六阿弥陀めぐり、京の通称寺霊場


【山門】


お寺には参拝者用の駐車場はありませんので、
少し離れたちょっと安い有料駐車場に停めました。


【本堂】


早速本堂に上がらせていただき御本尊様とご対面。

意外と大きい立像で金箔が良い感じで黒くなっていて、
立派な御本尊様でした。

残念ながら撮影不可でした。

拝観料は志納となります。


【地蔵堂】



【車石】



【養阿自筆大日三尊光明真言碑】



【佃橋桁石】



これにて日限地蔵の参拝終了。

御朱印は浄土宗寺院大公開の期間は対応していないとのこと。


【茶わん坂】


折角ここまで来たんだから、
清水焼を買おうと思って茶わん坂の店を幾つか巡る。

しかし、めぼしいモノが無かったね。


ちなみに茶わん坂にも幾つも有料駐車場がありますが、
知らない観光客も多いので、結構穴場的な存在です。