Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

東京ジャーミイ(2022年5月15日参拝)

2022年08月31日 | 教会・モスク
世田谷の寺社を三カ所参拝しました。

他にも松陰神社とかあるんですが、
どうしても行きたいところがある。

それが渋谷区にある東京ジャーミーという、
イスラム教のモスクなんです。

ここの礼拝堂の中が感動するほどの美しさなんです。
2019年3月に行って以来、もう一度行きたいなぁと思っていた。

豪徳寺駅から小田急小田原線に乗って5駅、僅か14分で、
東京ジャーミーがある代々木上原駅に到着。


<2019年3月17日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/e36791411a9ed1c3e09841cf265ebff3


所在地:東京都渋谷区大山町1-19
宗派:イスラム教
開館時間:午前10:00~午後6:00
拝観料:無料


【注意事項】
メディア関係者による写真撮影・録画・録音や、公私問わず無断での来訪者へのインタビュー等は禁止。
個人での写真撮影は他の来館者の方々や信徒の方々、また礼拝中の方々を被写体にすることを除いて可能。
礼拝中の写真・ビデオ撮影は禁止です。

礼拝場は信徒が礼拝を行なう神聖な場所。
女性の場合はストールかスカーフ(色、柄、形は不問)をご持参いただき、
長袖・長ズボン、ロングスカート(足首まで隠れるもの)等、身体の露出の少ない服装。
また、ショートパンツ、キャミソール、タンクトップ、ミニスカート等での入場は不可。
男性の場合も膝上のショートパンツやタンクトップでの入場は不可。

礼拝場の上階は、女性専用の礼拝場所となっているので男性の入場は不可。


【全景】





【ミナレット】







【礼拝堂入口】


入口は2階になります。


【聖堂内陣】
















やはり美しい。
何でこんなに美しいのでしょう。
聖堂内の全てが美しくて時間があれば幾らでも見ていられますね。


【トルコ文化センター】


ユヌス エムレ カフェというカフェがいつの間にか出来ていました。


【展示室】




時間がなくなってきたので本日の参拝終了。

また東京ジャーミーは訪れたい素晴らしい礼拝所でした。

勝光院(2022年5月15日参拝)

2022年08月29日 | 仏閣
世田谷八幡宮から歩いて曹洞宗の勝光院へ。
ここは山門前の雰囲気が良くて行ってみました。

世田谷吉良家の菩提寺でもあります。


所在地:東京都世田谷区桜1-26-35
宗派:曹洞宗
御本尊:虚空蔵菩薩
創建:建武2年(1335)
開山:吟峰竜公禅師
開基:吉良治家
札所:世田谷三十三ヶ所観音霊場、玉川北百番霊場


【縁起】


曹洞宗大源派で多摩郡下恩方村心源院の末寺延命山と号し、
もとは臨済宗で金谿山竜凰寺といい、のち興善寺と改めたこともある。

この寺の中興2世観堂宗察和尚の時、
天正19年(1591)に将軍家康から寺領を30石与えられた。

建武2年(1335)に世田谷城主吉良治家が開基したものと伝えている。
開山は鎌倉建長寺の吟峰竜公禅師で文和3年(1354)になくなっている。
その後、天文15年(1546)吉良頼康が中興開基で、
法名を勝光院殿脱山浄森大居士といい、院号により興善山勝光院と改称した。

明治維新によって寺の所領および所有地の大部分が没収され、
勝光院は経済面で窮地に立たされた。
住僧の人数も減少した為、明治13年(1880)には禅堂(衆寮)を売却。

昭和期に入って山門や控室などを再建し、
昭和57年(1982)に書院や玄関等が旧状を留めながら大幅に改修を実施された。

墓地には吉良氏歴代の墓の他、幕臣広戸備後正之の墓がある。


【寺号石標】


写真に写っているように山門前に車は停められます。


【山門】




福井の永平寺の雰囲気を出したいという、
お寺の意向が感じられますね。

これが世田谷の住宅街にあるのを忘れるぐらい、
これぞ曹洞宗のお寺といった良い雰囲気です。


【石段】



【鐘楼堂】





【本堂】


境内もさすがに曹洞宗といった雰囲気で、
チャラチャラした気持ちでは参拝出来ない。

本堂も曹洞宗らくし閉ざされていました。


【庫裏】



【客殿】


これにて勝光院の参拝終了。

御朱印は現在もいただけると思いますが、
拝受するのはちょっと躊躇われる雰囲気も曹洞宗らしい。


【昼食】


東急世田谷線宮の坂駅近くにある蕎麦屋さんで昼食。

東京って鰻重と蕎麦のセットって結構ありますね。
関西ではあんまり無い組み合わせなんで頼んでしまいます。(笑)

世田谷八幡宮(2022年5月15日参拝)

2022年08月27日 | 神社
豪徳寺参拝後、近くに鎮座する世田谷八幡宮へ。



社務所の前に無料駐車場があります。


所在地:東京都世田谷区宮坂1-26-3
御祭神:八幡大神(応神天皇)、仲哀天皇、神功皇后
創建:寛治5年(1091)
社格:郷社


【由緒】
寛治5年(1091)源義家は後三年の役に勝利した帰途、
宮の坂の地で豪雨に遭い天候回復を待つため滞在。
その際、戦勝したのは氏神である八幡大神の加護によるものとして、
豊前国宇佐八幡宮の分霊を勧請し祀ったのが始まりとされる。

その後、世田谷城主七代目の吉良頼康が1546(天文15)年に社殿を修復、
備前雲次の太刀一振を納めたと伝えられる。

しかし実際は当社に収蔵されている棟札から頼康が創建したと推測されており、
江戸名所図会にも頼康が鎌倉の鶴岡八幡宮を模して造営し、
境内に桜を植樹したと記されている。

時は移り徳川家康が江戸に入城した後、朱印状11石を寄進した。
その後幾度か再建され明治5年(1872)には郷社に列し、
社号を宇佐神社と改称した。

明治41-42(1908-1909)には付近の神社を合祀している。

第二次大戦後、世田谷八幡宮の社号に戻し、昭和39年(1961)には壮麗な社殿に改築した。
なお、文化10年(1813)造営された旧本殿が現社殿内に納められている。


【大鳥居】


社務所から道路を挟んで見事な鳥居があります。
いざ参拝開始。


【厳島神社】






大鳥居をくぐって右側に鎮座。






パンパンとお参り。


【滝】



【鯉】



【石鳥居】



【手水舎】



【本殿】





【参道】





【世田谷招魂神社】





【高良神社】


御祭神:高良玉垂


【仮殿】





【力石】





【土俵】




これにて世田谷八幡宮の参拝終了。

天気が曇りだった影響もあると思いますが、
全体的にちょっと暗めな境内の雰囲気でした。

もちろん悪い意味ではありませんけどね。

御朱印はあります。

豪徳寺(2022年5月15日参拝)

2022年08月23日 | 仏閣
今日は私の大切な女性の誕生日パーティがあるので、
東京の世田谷にやって来ました。

まぁ、このまま神社仏閣巡りをしないのはゴマラーらしくない。
そんな訳で世田谷区の寺社を軽く参拝します。

世田谷には以前から参拝したいお寺がありました。
それは招き猫で有名な豪徳寺です。

私は招き猫よりも美しい三重塔を見たくて、
ようやく念願が叶いました。

ちなみに豪徳寺は井伊家の菩提寺でもあります。


所在地:東京都世田谷区豪徳寺2-24-7
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦如来
創建:文明12年(1480)
開山:昌譽禅師
開基:吉良政忠


【縁起】
豪徳寺は芝高輪の泉岳寺の末寺で大谿山洞春院と号している。
寺伝によれは今から500年前は世田谷城内の小庵で弘徳院といい、
文明12年(1480)吉良政忠が伯母のために建てたもので、
その法号にちなんで弘徳院と名づけたといわれている。

開山は臨済僧馬堂昌誉。

その後天正12年(1584)門庵が住職となって曹洞宗に改めたが、
当時は本能寺の変の直後・戦国時代であったため寺は表徴した。

三世雪岑和尚の時、井伊直孝が大檀那となって、殿舎堂閣の新設や修復を行ない、
直孝がここに葬られてからその法号久昌院殿豪徳天英大居士にもとずいて、
豪徳寺と寺号を改め井伊家の菩提寺として現在に至っている。

昭和42年7月鉄筋コンクリート造りの本堂に改築した。
境内には桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓や、その忠臣遠城謙道の基もある。


【寺頭】





【木の根】





【参道】


世田谷にあるお寺ですが広い境内なのが分かります。

車はここを進んで行くと無料駐車場がありました。


【山門】


さすが井伊家の菩提寺だけあって堂々たる山門です。


【参道】



【大香炉】





【仏殿】






延宝5年(1677)建立されたもの。






阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒菩薩が祀られていました。


【三重塔】










平成18年(2006)に建立された若い塔ですが、
何百年も経っているかの如く渋く優雅な三重塔です。


【招き猫】





【門】



【招福猫児】



【灯籠】




東大寺のそれの小さいバージョンのような灯籠でした。


【法堂】




ちょうど法要が営まれており堂内を見ることは出来ませんでした。

昭和42年(1967)に建立されたもの。

法堂の後ろにある開祖堂は赤いコーンがあって、
近寄ることすら出来ませんでした。


【庫裏】





【赤門】


井伊家の上屋敷にあった長屋門を井伊家から寄進されたそうです。


【招き猫】







【仏殿】



【鐘楼堂】


梵鐘は延宝7年(1679)に鋳造されたもの。


【地蔵堂】






令和2年(2020)に建立されたもの。






新しく立派な地蔵堂を建てるだけあって、
祀られている地蔵菩薩も威厳がありましたね。


他に井伊直弼等の井伊家の墓所がありますが、
ちょっと墓地に行く気分では無かったので行っておりません。

そういう時もある。

これにて豪徳寺の参拝終了。

御朱印はありますがいただいておりません。

蟻通神社(2022年5月3日参拝)

2022年08月21日 | 神社
本日最後の参拝となるのが蟻通神社という変わった名前の神社です。

昔、食い扶持を減らす為に姥捨山に老人を捨てるという習慣があり、
ある中将は老いた両親を捨てきれず隠して孝を尽くしていたが、
ある時に唐帝が日本を攻めんとして、種々の難題を課し、
その中に「七曲の穴のある玉に紐を通せ」という課題があった。

中将は両親の知恵によって蟻に細糸を結び、玉の出口に蜜を塗って、
通すことができたので攻められずにすんだ。

棄老習俗は廃され、この老人を神として祀ったと枕草子にある、
というのが蟻通という名前の由来です。


所在地:大阪府泉佐野市長滝814
御祭神:大国主命
創建:弥生時代中期
社格:郷社
勧請:開化天皇


【由緒】
神社の創祀は旧記不詳ですが、社伝によりますと第9代開化天皇の御宇勧請とされています。

鎮座地の長滝を含むこの地域は古くから人々が住み、
開拓された所で早くから農耕も始まったとされています。
そういった風土、歴史の中で、地域を守る神社として、
国土開発・五穀豊穣の神様をお迎えしたのではないかと考えられます。
その頃は今のようなご社殿はなく鬱蒼とした杜の中の簡素な佇まいの神社と思われます。

万治2年(1659)岸和田藩主岡部宣勝公の命により、神宮寺宗福院も建立され、
神職と社僧が祭祀する南泉州地域有数の神社としての陣容が整いました。

歴代藩主の保護厚く時にご社参され祈願を為し、数々の神宝・祭具・土地をご寄進されました。

明治維新の国家神道の神仏分離令によって宮寺宗福院は廃寺となり取り壊されました。
明治40年からの神社合祀により村内にあった神社が合祀され祀られています。

大正6年に村社から郷社となりました。
昭和16年(1941)第2次世界大戦勃発。翌年、長滝村にまたがる一帯は、
陸軍明野飛行学校佐野飛行場が建設され、田畑、一部集落も強制移転を余儀なくされました。

この時蟻通神社も移転の運命にあり現在地に移ることになりました。

昭和43年(1968)明治100年記念として、鳥居、弁財天社、仏足石、八百万の神等を整備し、
また併せて紀貫之冠之渕を境内に整えました。


【南鳥居】




10台以上停めれる無料駐車場は参道左手にあります。


【狛犬】





【石灯籠】





【参道】



【紀貫之ゆかりの冠の渕】






紀貫之が蟻通神社の社前を通りかかったところ、突然馬が病に倒れ、
その時に貫之が過って冠を路傍の渕の中へ落としました。

冠を落とした池なので冠之渕と呼んだことが由来とのこと。


【子安地蔵】





【足神神社】







【仏足石】





【南手水舎】


元禄7年(1694)に造られたもの。


【弁財天社】





【表門】


嘉永4年(1852)建立されたもの。


【狛犬】





【境内】



【舞殿】






江戸時代(1815-1868)に建立されたもの。


【拝殿】






江戸時代(1630-1661)に建立されたもの。


【社務所】



【絵馬堂】


万延元年(1861)に建立されたもの。


【本殿】




寛文9年(1669)に建立されたもの。


【御神馬】





【六社明神】







【牛神祠】





【石の祠】







【北鳥居】


これにて参拝終了。

蟻通神社の御朱印はあります。

日根神社(2022年5月3日参拝)

2022年08月20日 | 神社
慈眼院の参拝と国宝の多宝塔を見終えてから、
隣に鎮座する日根神社を約10年振りに参拝です。


<2012年5月4日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/09114993a1444c544f31a7d3de3cbdd4



所在地:大阪府泉佐野市日根野631-1
御祭神:鸕鷀草葺不合尊・玉依姫尊
創建:不明
社格:式内社、和泉国五宮、府社


【由緒】
創建の時期は明らかではないが、社伝によると神倭伊波礼毘古命による東征の際、
命が河内から大和に入る時に長髄彦と戦い敗れた。

その際に野原が広がる当地まで退却した命はここで、
「日」(天)の神である天照大御神と「根」(黄泉)の神である須佐之男命を祀った所、
戦に勝って大和を平定した。

それによりこの地を日根野と名付け、社名は日根神社とされたとする。

霊亀2年(716)に制定された和泉五社のうちに数えられており、
延喜式内社日根郡十座のうちに列せられていることから、
1200年以上前であると考えられる。

天武天皇2年(673)には境内に隣接して神宮寺の無辺光院(慈眼院)が建立されている。

聖武天皇の御代、天平14年(742)の大旱魃の際には500石を朝廷から賜っている。

天正年間(1573-1593)に兵火によって焼失し、
天正13年(1585)には羽柴秀吉により社領が没収されたが、
慶長7年(1602)には豊臣秀頼によって社殿が再建されている。

明治時代になると神仏分離により隣接している無辺光院と分離し、
明治6年(1873)には郷社定則により郷社に指定され、
大正13年(1924)に府社に昇格した。


【三之鳥居】



【鳥居】



【比賣神社】






重要文化財。


【丹生神社】











【恵毘須宮】





【岡前神社】





【赤之宮】





【参道】



【四之鳥居】



【神門】



【拝殿】




パンパンとお参り。


【狛犬】





【新道宮】


御祭神:菅原道真公


【本殿】


これにて日根神社の参拝終了。

雰囲気や社殿も10年前と全く変わらず嬉しかったね。
もっとも神社の歴史に比べれば10年なんて大した年月じゃないんだろうけど。

慈眼院(2022年5月3日参拝)

2022年08月18日 | 仏閣
岸和田界隈は地元に根ざした小さな神社仏閣が多く、
気軽に参拝出来るのが少ないので泉佐野市へ移動。

もっとも泉佐野市にも余り有名な神社仏閣はありませんが、
国宝の多宝塔があるのをご存じだろうか。

それはもう優美な多宝塔で国宝に相応しいものです。

その多宝塔を見ようと10年振りの参拝です。

<2012年5月4日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/f7c081c2afc542d09195f9f4f1233427



所在地:大阪府泉佐野市日根野626
宗派:真言宗御室派
御本尊:薬師如来
創建:(伝)天武2年(673)
開基:覚豪
札所:仏塔古寺十八尊、和泉西国三十三箇所 客番


【寺前】


無料駐車場はこの前にあります。


【鐘楼堂】





【修行大師】



【寺号石標】



【本堂】



【庫裏】



【多宝塔】






えー、多宝塔を見るには事前予約が必要だったことを、
現地に到着してから思い出しました。

しかし、外からでも何とか見れるポイントがあるんです。

それは隣に鎮座している日根神社の参道横から見れます。






優美な多宝塔健在です。
本当に美しいですね。






文永8年(1271)建立されたもの。


【金堂】


鎌倉前期の1275-1332年に建立された重要文化財。

これにて慈眼院の参拝終了。
節分の日に多宝塔と金堂の御開帳をされていましたが、
コロナの影響で現在致していないようです。

再開されたらまた参拝したいと思います。


感田神社(2022年5月3日参拝)

2022年08月17日 | 神社
岸和田城界隈から少し離れて感田神社という神社に到着。
有名ではなく地元に根ざした神社です。

車は境内に無料で4台程停められますね。


所在地:大阪府貝塚市中町10-1
御祭神:天照皇大神、素盞嗚尊、菅原道真
創建:不明
社格:郷社


【由緒】
創建年代は明らかではありませんが、
海塚村の牛頭天王社と堀村(同堀)の天神社から祭神を勧請し、
陶器のほこらを造ったのが始まりだといわれています。

慶安元年(1648)に本社などが再建され、
境内にあった神宮寺である宗福寺の住職が神事にあたるようになりました。

当初は感田瓦明神と称しましたが明和5年(1768)に大明神の号を授けられ、
感田瓦大明神と公称するようになりました。

文化10年(1813)落雷により本殿などが焼失しましたが、翌年には再建。
明治元年(1868)神仏分離政策により宗福寺は廃寺となり、新たに神職がおかれました。

同5年(1872)には郷社となり、同40年(1907)に貝塚町北にあった海幸神社を合祀しました。
昭和20年(1945)7月の貝塚空襲では本殿、神饌所、神楽殿、潜戸神社が全焼、
神馬舎が一部被災しました。

神馬舎の神馬は神馬舎と同時期の宝暦8年(1758)に岸上武左衛門により製作され、
文化7年(1810)に彩色がほどこされたことが、残されている奉献木札から判明しています。

一之社(琴平神社)本殿と神門は安永年間の建立で、いずれも精巧な装飾が施されています。
特に神門は大阪府下でも数少ない楼門形式で、大阪府近世社寺建築調査の際に実測調査が行われ、
大工種子島勘左衛門らが建立に関わっていることが判明しています。

三之社・四之社・五之社の各本殿は小規模ながら幕末期の建立、参集殿は明治期の建築ですが、
座敷には二間の床の間が設けられるとともに四周に長押を回して格式を整える等、
江戸時代の形式をよく伝えています。


【鳥居】



【神門】






立派な楼門です。

安永9年(1780)建立されたもの。


【御神木】



【六之社】







【三之社・四之社・五之社】





【手水舎】





【神楽殿】


昭和29年(1954)建立されたもの。


【一之社】






安永2年(1773)建立されたもの。


【拝殿】





【境内】



【七之社】







【狛犬】





【二之社】







【神馬舎】



【南門】


明治22年(1889)建立された立派な門です。

車はこの門をくぐって境内に停めますが、
ちょっと狭いので運転注意です。

これにて感田神社の参拝終了。
御朱印ありです。

岸城神社(2022年5月3日参拝)

2022年08月15日 | 神社
所在地:大阪府岸和田市岸城町11-30
御祭神:天照大神・素戔嗚尊・品陀和氣命
創建:南北朝時代
社格:郷社


【由緒】
岸城神社の境内地は当時の岸和田城主、小出秀政によって
隣邑に鎮座していた牛頭天王と、岸和田城築造以前に当地で祀られていた
天照大神と八幡神が併せられ成立しました。

その後、天照大神は天照太神小社として別の境内に祀られ、
牛頭天王と八幡神とは同境内に祀られて御宮と呼ばれておりました。
また同境内には宮寺・日光寺が置かれていました。

しかし慶応四年に出された神仏判然令に伴い、宮寺・日光寺は廃寺となり、
牛頭天王社と八幡社を合祀し、岸城神社と改称されました。
この頃、それまで神明門にあった神明社は岸城神社境内へと移され、現在に至ります。


【鳥居】


車は境内の広場に無料で停めれます。


【狛犬】





【鳥居】



【拝殿】






大阪でも屈指の立派で美しい拝殿です。


【狛犬】




備前焼の狛犬。

コロナ渦になってから備前に行ってないなぁ。
いいところなんだからまた行きたい。


【拝殿・本殿】



【神楽殿】



【岸和田戎殿】




御祭神:蛭子神・事代主神


【七間社】



【稲荷社】







【神宮遥拝所】



【御神馬】


これにて岸城神社の参拝終了。

御朱印はありますがいただいておりません。
狂ったように御朱印御朱印を漁るようなことをしなくなりましたね。

ただ、お遍路と西国の御朱印は満願まで頑張ります。


【五風荘】






岸城神社の近くに一般人が入り難い雰囲気の門がある。

調べてみるとがんこフーズが経営する食事処で、
そこそこリーズナブルに食事が出来ます。

お庭は食事しなくても無料開放しているけど、
やっぱりちょっと気軽に入れないな。


【岸和田城】










これで見納め。

岸和田城(2022年5月3日見学)

2022年08月11日 | 旅行・その他
5/3から私のGW突入。
コロナもまだまだ油断は出来ないし遠出は出来ない。
でも天気も良いしどっか行きたい。

そんな時に思い浮かべたのが岸和田界隈の神社仏閣。
そういやこの辺りは参拝してないなと思い即決。

まずはランドマークの岸和田城に行ってみることにした。

駐車場は内堀沿いにある岸和田市役所第4駐車場に停めました。
ここは1時間100円程度のリーズナブルな駐車場で助かります。


所在地:阪府岸和田市岸城町9-1
天守構造:複合式望楼型5重5階
築城主:(伝)和田高家
主な城主:小出氏、岡部氏、三好氏
築城:応永年間(1394-1428)
廃城:明治4年(1871)
再建:昭和29年(1954)
開場時間:午前10時~午後5時
入場料:高校生以上 300円、中学生以下 無料


【縁起】
伝承では建武新政期に楠木正成の一族、和田高家が築いたといわれています。

天正13年(1585)羽柴秀吉は紀州根来寺岸和田城の写真討滅後、
叔父小出秀政を城主とし、秀政によって城郭整備され、天守閣もこの時に築かれました。

小出秀政・吉政・吉英、松平康重・康映をへて寛永17年(1640)、
岡部宣勝が入城、以後、明治維新まで岡部氏13代が岸和田藩を統治しました。

天守閣は文政10年(1827)に落雷で焼失、
維新期には櫓・門など城郭施設を自ら破壊した為、
近世以前の構造物は堀と石垣以外には残存していません。

現天守閣は昭和29年に建造された3層3階の天守。
城跡は昭和18年に大阪府指定史跡となりました。

平成19年4月1日からは観光施設として岸和田城ウエディングをはじめ、
多聞櫓・隅櫓をギャラリーや各種イベントに使用するなど、
観光振興の拠点として活用しています。


【本丸隅櫓】




昭和44年(1969)復興されたもの。


【大手門】






こちらも昭和44年(1969)復興されたもの。


【甑用大釜】







【狭間】




覗きたくなるよね~。


【天守】




昭和29年(1954)に再建されたもの。
総工費3460万円だそうです。

当時の貨幣価値は下記の通りとなるので想像してください。

大卒初任給(公務員)8.700円 高卒初任給(公務員)5.900円
牛乳:15円 かけそば:25円 ラーメン:35円 喫茶店(コーヒー):40円
銭湯:15円 週刊誌:25円 新聞購読料:280円 ※9月改訂 新料金 330円 映画館:130円


【岸和田城庭園 八陣の庭】




昭和28年(1953)に重森三玲が設計・作庭を行った回遊式枯山水庭園。

庭園の平面は中世城郭の縄張図を参照しつつ現代風にアレンジされ、
三重の屈曲線で仕切られた上・中・下三段で構成されています。

上段中央に大将を表す石組を配置し、中・下段には大将を守るように8組の石組が配置。

これは諸葛孔明の八陣法をテーマとしたもので、中段には虎、風の各陣を配置し、
下段には天、地、雲、竜、鳥、蛇の各陣を配置しています。


【天守】






裏側もじっくり見れます。


【城内】



【天守】





【岸和田城庭園 八陣の庭】













【本丸隅櫓】






中に入ると展示スペースとなっていました。


【二の丸東櫓門】



【内堀】







【天守】












これにて岸和田城の見学終了。
結局登城はしませんでした。

御城印は今年の2月から岸和田城天守閣内受付にて販売しているそうです。

住吉大社末社 大歳社(2022年5月2日参拝)

2022年08月08日 | 神社
本日最後の参拝となるのが大歳社です。

こちらは初辰まいり最後に参拝する末社で、
先ほど参った浅澤社の真横に鎮座しております。

こちらには専用の駐車場はありませんので、
住吉大社か近隣の有料駐車場をご利用ください。


所在地:大阪府大阪市住吉区住吉2-9-98
御祭神:大歳神
創建:不明
社格: 住吉大社末社


【鳥居】



【境内】


末社にしては拾い境内です。


【拝殿】



【狛犬】





【手水舎】



【おいとしぼし社】



【おもかる石】


関西では他に伏見稲荷大社のものが有名ですね。
大阪の石切神社にもあります。

とりあえず石を持ったら重かった。(苦笑)


【鳥居】


おいとしぼし社の鳥居。

これにて本日の参拝終了。

これから仕事です。(号泣)

住吉大社末社 浅澤社(2022年5月2日参拝)

2022年08月07日 | 神社
住吉大社の初辰まいりの4社の内の一つである浅澤社へ。

こちらは住吉大社から100メートルぐらい離れた場所に鎮座している、
いわゆる境外社で女性の為の神様が祀られています。


所在地:大阪府大阪市住吉区住吉2丁目11-21
御祭神:市杵島姫命
創建:不明
社格:住吉大社境外末社


【由緒】
創建の由来は不詳。
古くは当地から南にかけて清水の湧く大きな池があり、その池は浅沢池と呼ばれ、
カキツバタが美しく咲き乱れる名勝であったとされています。

その為、古くから歌人たちに愛され万葉集を始めとする歌集に収められた歌の中に、
その名を見ることが出来るそうです。

なお、現在は住吉大社の末社として弁天さんとも称される市杵嶋姫命を祀り、
美容芸能や女性守護の神として信仰を集めているとされています。

ちなみに住吉大社に参拝する女性は当社にも必ず参る慣わしがあります。


【鳥居】


住吉大社の鳥居をくぐり境内を出る。


【灯籠】




ほどなくして到着。


【カキツバタ】











【拝殿】



【鳥居】



【拝殿】



【本殿】


これにて浅澤社の参拝終了。

次回はいよいよラストになる大歳社です。

住吉大社 其の二(2022年5月2日参拝)

2022年08月06日 | 神仏霊場巡拝の道
楠䚯社参拝後、住吉大社の境内を巡ります。


【参集所】


社務所です。


【車祓所】




祈祷料は7千円からです。


【誕生石】








源頼朝の寵愛を受けた丹後局 がここで出産した場所と伝えられ、
その子が薩摩藩島津氏の始祖・島津忠久公とのこと。


【島津忠久】
島津家の誕生は源平の頃から始まります。
頼朝の寵愛を受けていた丹後局が子供を身ごもり、
これを知った頼朝の正室北条政子に妬まれました。
そのため鎌倉を逃れ、大阪府の住吉大社につき忠久を産みました。

住吉大社の境内には忠久誕生石が島津家における稲荷信仰や雨を瑞兆とする慣わしは、
この故事に由来するものであるとされています。

その後、元旦参拝のため住吉大社を訪れた摂政近衛基通に救われます。
丹後局は近衛基通の家来・惟宗広言のもとに嫁ぎ、
忠久も惟宗を名乗ることになりました。

頼朝は忠久誕生の知らせを受け三郎の名を与えました。
1185年に頼朝と初めて対面し頼朝の家臣畠山重忠の一字を得て忠久と名乗る事になり、
その後九州をおさめるようになりました。


【反橋】


現在の石造橋脚は慶長年間に淀君が豊臣秀頼公の成長祈願の為に、
奉納したと伝えられております。


【角鳥居・幸寿門】



【市戎大国社】



【五月殿】


御田植神事に用いられる建物です。


【猿回し】






猿回しといえば浅草神社を思い出すのですが、
大阪では珍しく猿回しを見れました。


【神館西門】


文政11年(1828)に建立された気品のある門です。


【船玉社】






摂社。


【幸福門】


江戸時代前期に建立されたもの。


【石舞台】






慶長12年(1607)建立された重要文化財。
豊臣秀頼が寄進されたもの。

四天王寺、厳島神社とともに日本三舞台と称されてるそうです。


【神館】



【南門】



【狛犬】




慶長12年(1607)建立されたもの。

これにて住吉大社本社のめぼしい所は見てまわりました。

しかしまだこれで終わりではない。

浅澤社と大歳社は次回へ。

住吉大社末社 楠珺社(2022年5月2日参拝)

2022年08月02日 | 神社
本社の参拝を終え次は楠珺社です。
商売繁盛と家内安全の神様が祀られている末社です。

末社とはいえ初辰まいりの中心的な神社であります。


所在地:大阪府大阪市住吉区住吉2-9
御祭神:宇迦魂命
創建:不明
社格:住吉大社末社


【南瑞籬門】


江戸時代に建立されたもの。


【南中門】


江戸時代に建立されたもの。


【若宮八幡宮】


摂社。
江戸時代後期に建立されたもの。


【五大力守】




見たら拾いたくなるよねぇ。(笑)


【南高蔵・北高蔵】


慶長12年(1607)建立された重要文化財。


【海龍社】





【御神木】





【貴船社】





【鳥居】



【楠珺社拝殿】





【御神木】





【鳥居】



【大神宮】


伊勢神宮遙拝所。


【御文庫】




江戸時代に建立されたもの。


【文華館】




楠珺社の参拝は以上です。