Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

普門院 品川寺(2021年11月27日参拝)

2022年04月11日 | 江戸三十三観音霊場


本日最後の参拝は品川寺です。
品川寺は青物横丁駅の近くにあります。

お寺の名前は「ほんせんじ」と読みますけど、
普通は「しながわでら」ですよねぇ。(笑)


所在地:東京都品川区南品川3-5-17
宗派:真言宗醍醐派
御本尊:水月観音、聖観音
創建:(伝)大同年間(806–810)
開基 :(伝)弘法大師
札所:江戸三十三箇所霊場、江戸六地蔵、東海七福神、東海三十三観音霊場


【縁起】
品川寺は大同年間に開創された品川で最も古いお寺です。
中世といわれた時代(1200年頃)からは港町として栄え、
江戸時代(1630年~)になると東海道五十三次の第一番目の宿場町となり、
旅人の町として最も栄えました。

御本尊水月観音は竜宮出現の像と伝えている。
その後関東は大いに乱れ、多くの自社の兵火に焼失し、
永禄9年小田原の北条氏政今川家に加勢して武田信玄と戦う時に、
信玄の北からの急撃により、江戸・品川の民家寺社を焼き払った。

当寺も兵火の為ことごとく焼失し、竹森、蔭村という二人の武士によって本尊は奪われたが、
甲州に帰ってまもなく発狂し、本尊を元の地へ遷す様霊夢があって、
一人の乞食の聖に頼み旧地にかえしたが、堂宇も焼け亡んでいる為、
その礎石の上にわら小屋を作り安置した。

その後弘尊法印が堂宇を建立して海照山普門院と唱える様になった。

江戸時代末期には寺域が荒廃し、大梵鐘も海外に搬出されたこともございましたが、
大正5年より復興計画をめぐらせ、昭和5年5月5日に大梵鐘が、
スイスのジュネーブより贈還されました。
これを期に鐘楼、会堂、客殿、拝殿、会館と建立され、今日に至っています。


【地蔵菩薩】






いきなり大きな地蔵菩薩がお出迎え。

宝永5年(1708)建立されたもの。


【山門】



【大イチョウ】







【稲荷堂】



【庚申塔・道祖神】



【本堂】




早速本堂へお参り。


【内陣】


こちらで御朱印をいただけます。




厨子の前には御前立でしょうか、
聖観音菩薩が祀られていました。


【仁慈の鐘】




戦争裁判殉国者慰霊の鐘で東条英機、板垣征四郎等、
A級戦犯7人の名前が刻まれていました。

何でA級戦犯なんかの為に仁慈の鐘を造ったんだろ。
奴らのせいで何人の罪の無い国民が死んだことか。

プーチンも足下にも及ばない極悪非道な行いをやって(やらせて)、
日本を破滅に追い込み国民が全員死んでいいような戦いを強いた罪は、
末代まで祟られるほど果てしなく重い。

日本人の中にはお国の為に死ねば英霊になるという考えがあるが、
A級戦犯は絶対に英霊では無い。

殺人犯は英霊にはならないのにA級戦犯が英霊なんておかしい。
だから靖国神社にA級戦犯が祀られていることは反対です。

A級戦犯が合祀されてから昭和天皇は以降参拝しなかったが、
その理由は強い不快感をお持ちになっていたからという。

むしろ昭和天皇を親拝させなくした靖国神社の宮司に問題があるとみる。
これこそまさに反天皇の所業ではないか。

そして現在において中国と韓国から激しい批判を浴びる原因にもなった。
戦後から売国奴になった朝日新聞の影響も大きいが。

ほんと、A級戦犯合祀問題は根深い。

こんなことを書いていますが、
私は右翼でも左翼でも中国人、韓国人ではありません。

君が代を歌うし国旗掲揚も全く気にしません。
あの戦争が無ければと思う中道の日本人ですので悪しからず。


【神変大菩薩】





【十三重石塔】





【花梨】





【弁天堂】







【弁財天】



【毘沙門天】



【恵比寿】



【布袋尊】



【祈念碑】


青い部分にGeneve avenue de la paixと書かれています。

avenue de la paixとはジュネーブにある国際連合本部前のラ ペ通り。
フランス語で平和通りということですが、
鐘楼のご縁によりジュネーブ市と品川区は平成三年(1991)友好都市堤携を結び、
品川にはジュネーブ平和通りと名付けられた大通りがあります。


祈念碑にマリー テェレーズ クルリーと刻まれている。

ジュネーブにあるアリアナ美術館のキュレーターだそうです。


【鐘楼堂】






鐘楼は1867年 パリ万博に出品される名目でヨーロッパへ渡り、
1873年 ジュネーブ出身のルヴィリオ氏がスイス・アーラウの鋳造所で梵鐘を見つけて買い取る

アリアナ美術館で保存されていた鐘楼は、
1930年 60年ぶりに梵鐘が品川寺に戻る


https://grandtourofswitzerland.jp/cms/284/?lang=jp

鐘楼について詳しくかつ貴重な写真が、
「Grand Tour of Switzerland in Japan」のHPで見れます。

ご興味ある方はどうぞ。


【英霊堂】





【御朱印】


これにて本日の参拝終了。

もっと時間があったら品川神社とか参拝したかったんですけど、
これはしょうがない。

大聖護國寺(2021年9月4日参拝)

2022年02月08日 | 江戸三十三観音霊場
今日は所用があり東京へ。
でも時間が余るように早めに東京駅に到着している。
まぁ、そうなりゃ普通神社仏閣巡りをしますよね~。(笑)

そこで東京メトロ有楽町線に乗り護国寺駅に到着。
駅名でも分かるように徳川家所縁の有名寺院である護国寺があります。

ここは前から参拝したかったのですが、
ようやく念願が叶いました。

お寺は駅から出てすぐにあって助かります。


所在地:東京都文京区大塚5-40-1
宗派:真言宗豊山派
後本尊:如意輪観世音菩薩
創建:天和元年(1681)
開基:桂昌院
開山:亮賢上人
札所等:御府内八十八箇所霊場、江戸三十三箇所霊場、東国花の寺百ヶ寺


【演技】
当寺の創建は天和元年2月(1681)五代将軍徳川綱吉公の生母桂昌院の発願により、
上野国碓氷八幡宮の別当大聖護国寺の亮賢僧正を招き開山とし、
幕府所属の高田薬園の地を賜い堂宇を建立、
桂昌院念持仏の天然琥珀如意輪観世音菩薩像を本尊とし、
号を神齢山悉地院護国寺と称し、寺領三百石を賜ったことに始まり翌2年堂宇は完成した。

明治16年、大正15年と火災で堂宇の多くを失ったが、観音堂は元禄以来の姿を変えず、
また、近江三井寺より移築された月光殿(重文)は桃山期の建築美を今に伝えている。

その他、薬師堂、大師堂、多宝塔、忠霊堂や創建当時のものと伝えられる仁王門、惣門。
そして中門と多くの堂宇が保存、または再建されている。

元禄文化の粋を集めた書画・什器の他、国宝、重要文化財等の数多くが寺宝とされている。
 
震災、戦災と二度の大災害に襲われた東京の都心にありながら、
江戸の面影を今に伝える当寺の姿は、訪れる人々の心のふれあいの場として、
昔も今も変りなく親しまれている。


【仁王門】




徳川家祈願寺だけあって堂々たる仁王門です。


【仁王像】





【増長天・広目天】





【境内】


広い境内です。


【本坊】



【手水舎】





【不老門】


昭和13年(1938)4月建立されたもの。


【参道】



【仁王像】



【大仏】



【地蔵菩薩】



【六地蔵】



【鐘楼堂】




鐘楼堂は江戸中期に建立され、梵鐘は天和2年(1682)に寄進されたもの。
銘文には五代将軍綱吉の生母桂昌院による観音堂建立の事情が述べられています。


【大師堂】




元禄14年(1701)に再営された旧薬師堂を大正15年以降に大修理し、
現在の位置に移築して大師堂にしたもの。


【筆塚】



【一言地蔵尊】





【身代地蔵】



【三笠亭・箒庵・仲麿堂】


三笠亭と箒庵は、髙橋箒庵が護国寺に寄進した最初の茶室。
建物を同じくする仲麿堂には阿倍仲麿像が安置されているそうです。


【観音堂】


こちらも堂々たる本堂です。
天和2年(1682)建立されたもの。

御本尊は桂昌院の念持仏である唐物天然琥珀の如意輪観世音菩薩ですが、
現在は秘仏です。

堂内は当然の如く撮影禁止でした。


【多宝塔】




昭和13年4月の建立。
どこかで見た多宝塔だと思ったら石山寺の多宝塔の模写だとか。
どうりで優美だと思ったよ。

大日如来が祀られています。


【月光殿】


こちらは残念ながら非公開でした。


【大隈家墓所】




内閣総理大臣大隈重信の墓所。

他にも大山倍達他偉人の墓が護国寺にあります。


【薬師堂】





【阿伽井】



【桂昌殿】






葬祭場でした。


【惣門】




仁王門と共にこちらも立派な門です。
さすが徳川家祈願寺だけありますね。


【豊島岡墓地】




京都にあるような気品ある門で壁の5本線を見て、
皇族専用の勅使門かと思ってましたが、
後で調べてみると天皇・皇后以外の皇族専用の墓地の正門だとか。

そういや天皇は天皇陵に葬られるのは知ってましたが、
他の皇族の墓所って考えたことも無かったし知らなかったな。

ここに墓参出来るのは天皇や皇族の他、事前に許可を受けた縁故者または関係者に限られる。
皇族の葬儀や祭事に際して記帳や参拝を受け付ける場合などを除き、
一般国民が敷地内に立ち入って墓前参拝をすることは出来ない。


【御朱印】


500円でした。
東京は物価が高いの~。

親王院東福寺(2021年5月30日参拝)

2021年07月17日 | 江戸三十三観音霊場
金王八幡宮の隣にお寺があります。
見た感じそんなに大きくもなく有名でもない。

しかし、このお寺の開基は後に鎌倉幕府を開いた源頼朝や、
室町幕府を開いた足利尊氏等の祖先にあたり、
八幡太郎と呼ばれた源義家という由緒あるお寺です。


所在地:東京都渋谷区渋谷3-5-8
宗派:天台宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:承安3年(1173)
開山:円鎮僧正
開基:源義家
札所:東京三十三観音霊場


【縁起】
天台宗江戸山王城琳寺末、開山僧円鎮、養和元年閏2月7日寂す。
当時は源義家堂社造立のとき、共に建立ありて則親王院と名付しか、
建久2年鶴岡八幡社再興の時、当社も修理を加へられ鶴谷山と名付く。

其後建仁2年円證と云僧住せしか渋谷高重此僧を帰依し伽藍を造立し、
渋谷山円證寺と号し院を常照と改む。
本尊弥陀は慈覚大師の作。

此像は開山円鎮旅僧より伝授す。
鎮其報として地蔵像を贈る。
彼僧欣然として携去て行方を知らず鎮其忽行方を失ふを怪て是を尋るに、
金王丸影堂中に彼贈りし地蔵の像あり。

是金王丸の仮に旅僧に現して授けしに疑なしとて益信仰浅からす。
終に彼弥陀を本尊と崇め八幡の本地佛とす。


【山門】


緑が豊富で大都会の渋谷にあるとは思えない佇まいです。


【地蔵尊】



【参道】


本当に緑が多くて癒されますね。


【本堂】






本堂は残念ながら閉まっていました。


【扁額】



【客殿】



【合掌地蔵尊・馬頭観音】


向かって右側が合掌している珍しい地蔵尊。




向かって左側が馬に乗っている女性のような観音様でした。


【栄範地蔵尊・栄傳地蔵尊】


栄範、栄傳は享保から安永にかけて寺運隆昌に尽力した
三十八世、三十九世の住職。


【鐘楼堂】





【宇田川地蔵】







【庚申塔】



これにて東福寺の参拝終了。

御朱印はあるようですが、
コロナの時なので寺務所に寄っていないので、
今回はいただいておりません。

永平寺別院 長谷寺(2021年3月28日参拝)

2021年05月28日 | 江戸三十三観音霊場
本日メインである永平寺別院 長谷寺に到着。

東京の港区西麻布って夜の街の繁華街というイメージあるけど、
立派なお寺があるとは知りませんでした。

ましてやあれほど立派な観音様がいらっしゃるとは。

また、阿久悠や坂本九、沖雅也など、
多くの著名人の菩提寺であります。


所在地:東京都港区西麻布2-21-34
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼佛
創建:慶長3年(1598)
開山:門庵宗関大和尚
札所:江戸三十三観音霊場


【山門】


近代的な雰囲気を感じる山門ですが、
永平寺別院に相応しいものです。


【境内】



【法堂】




堂々たる法堂です。

嬉しいことに堂内に入ることが出来ました。


【御本尊】





【風神雷神】





【鐘楼堂】



【観音菩薩】




観音さんもマスクする時代。


【僧堂】


僧堂は普賢菩薩が祀られている僧侶の修行の場所であり、
さすがに堂内はしまっていました。


【観音堂】


こちらに麻布大観音がいらっしゃいます。


【麻布大観音】

おー、これは立派な観音様です。












お顔をよく見ると女性的に見えますね。

それもそのはず、
昭和天皇の皇后である香淳皇后がモデルとされています。


【大夜叉明王】



【微通亭】



【狛狐】





【長谷寺庭園】





















【石仏】



【地蔵尊】




こちらもマスクをされていました。(^^

長谷寺には御朱印やオリジナル朱印帳はありますが、
コロナ禍なので今回はパス。

また訪れた時にいただくこととしょう。

天徳寺(2020年2月16日参拝)

2020年08月31日 | 江戸三十三観音霊場
今日はちょっとした所用があり日帰りで東京へ。
所用がある場所は港区虎ノ門なので近くの神社仏閣を少しだけ参拝。

虎ノ門には物凄い石段がある有名な愛宕神社があるが、
今日は生憎の雨であの男坂を登るのは危険。

何より所用の前に疲れ切るのは目に見えてるので回避し、
愛宕神社の近くにある天徳寺を参拝することに。



所在地:東京都港区虎ノ門3-13-6
宗派:浄土宗
御本尊:聖観世音菩薩
創建:天文2年(1533)
開山:三蓮社縁誉称念
札所:江戸三十三観音霊場


【縁起】
天徳寺は浄土宗の江戸紫衣四箇寺の一つであった。

天文2年(1533)捨世派の祖称念が、木野内宮内少輔の助力を受けて、
師の増上寺七世周仰を開山に迎え、江戸城紅葉山に天地庵として開創。

同23年、後奈良天皇から光明山天徳寺の勅額を拝領して天徳寺となる。
続いて紫衣の綸旨を得て天正13年(1585)桜田霞が関に移転、
更に慶長16年(1611)西久保に移り、別院一院に塔頭一五院を擁した。

徳川家康公及び秀忠公より朱印地50石を、
元禄11年(1698)には東山天皇から常紫衣の綸旨を賜る。

宝暦13年(1763)知恩院門跡五世尊峰法親王の増上寺入山の学寮となり、
慶応3年(1867)には瓜連うりづら常福寺の檀林号を移して檀林を表した。




【門】



【寺務所】


旧本堂もこちらにあるそうだ。


【如意輪観音菩薩・阿弥陀如来】



【聖観音菩薩】



【鐘楼堂】


こんなモダンな鐘楼堂は近年建てられたものだろうね。


【本堂】




独特の雰囲気を感じる八角の本堂で、
平成17年(2005)建立されたもの。

残念ながら本堂の中に入って参れませんでした。


今日は御朱印帳を持ってきていなかったので、
御朱印はいただいておりません。

はとバス観光・浅草寺編(2018年10月14日参拝)

2018年11月11日 | 江戸三十三観音霊場
米久本店で昼食を終えると50分間自由行動。

まぁ、そうなると当然浅草寺に参拝しますわな。

浅草寺も何だかんだいって3年振りの3回目の参拝です。

ここはベタな観光地で人がウンザリするほど居るけど、
仲見世通りが楽しいし、伽藍も立派なので好きなお寺です。


<2013年7月14日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/6459c1b565c5bd2e46eaa2d5b79db06e

<2015年11月28日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/2a82cd9e73d73f0390adf7d1dea32e92



所在地:東京都台東区浅草2丁目3番1号
宗派:聖観音宗
御本尊:聖観音菩薩
創建:(伝)推古天皇36年(628)
開基:(伝)土師中知
札所:坂東三十三箇所霊場、江戸三十三観音霊場、浅草名所七福神



【五重塔】


五重塔の最上層にはスリランカのイスルムニヤ寺院から、
昭和41年(1966)に奉戴した仏舎利が納められているそうです。


【本堂・東京スカイツリー】




観音堂と東京スカイツリーのコラボ。(^^

やっぱり東京スカイツリーは遠くから見ても美しい。
実にデザインが秀逸です。


【本堂】




観光客がウジャウジャいます。(^^;




立派な本堂です。

旧本堂は国宝であったが戦災で惜しくも焼失、
現在の本堂は昭和33年(1958)に再建されたもの。


【大提灯】


内陣は撮影不可でしたが、
外陣から見える天井画は撮影OKだと思う。


【境内】



【宝蔵門】


東京スカイツリーとのコラボ。




五重塔とのコラボ。


【五重塔】





【本堂】



【宝蔵門】



【弁天堂】





【狛犬】



【弁天池】



【猿回し】


仲見世通りに行く前に浅草神社を軽く参拝。

浅草神社といえば猿回しというぐらい、
毎回参拝する度に猿回しの芸を見ている。

今日もお猿さんが居ました。(^^






楽しく見学させていただきました。(^^

今回は浅草神社の御朱印はいただいておりません。


【仲見世通り】


雷門前から撮影したもの。

観光客がいっぱい居て歩き難いので、
普通は避けて通りたくなるけど、
仲見世通りは色んなお店があって楽しいんですよね。

こう思えるのは仲見世通りに魅力があるからだろう。


【雷門】




まさに浅草のシンボル。


【龍神】




このドヤ顔がたまらない。(笑)


【御朱印】


影向堂でいただきました。

御朱印は二体ありましたね。

目黒不動尊 瀧泉寺 其の二(2018年8月4日参拝)

2018年08月23日 | 江戸三十三観音霊場
目黒不動尊の女坂の階段の途中に何やら渋いお堂があります。


【神変大菩薩】




役小角が祀られていました。

ここだけ異質な雰囲気を感じましたね。


【倶利伽羅剣】



【シャチホコ】


シャチホコの口から冷たい水が出てた。

私も恐らく千を超えるお寺を参拝してると思うが、
こんなの初めて。(笑)

水は飲めませんが手を洗うと冷たくて気持ち良かった。(^^


【地蔵堂】




地蔵大菩薩と左右に閻魔王と奪衣婆が祀られていました。


【交通安全自動車祈祷殿】





【本坊・朱印受付所】


朱印受付の案内板が無ければ少し入り難いかも。


【阿弥陀堂】


阿弥陀堂右手に御朱印受付がありました。






堂内を見ると阿弥陀三尊が祀られていました。


【観音堂】


聖観音菩薩、千手観音菩薩、十一面観音菩薩が祀られていました。

それにしても観音堂の前に居る三人組の女子達は、
暑いのに何をするでも無く、ずーっと立っていた。

何をしてるのかよく分からん。(^^;


【釈迦如来】



【垢離堂】


本坊から出て男坂、独鈷の滝を過ぎると、
青竜大権現を祀る垢離堂がありました。


【前不動堂】


大聖不動明王が祀られています。


【狛犬】




なんかスゲー謝ってるような感じですよね。

ここの狛犬はこんな弱そうなのが多い。(^^;


【宝篋印塔】



【勢至堂】


勢至菩薩が祀られていると思うけど、
柵があり進めないようになっていました。

こういう柵があり進めないようにしているのが、
目黒不動の特徴の一つです。


【六体地蔵】



【大黒天】



【鳥居】


渋谷駅、恵比須駅行きバス停前に鳥居があり、
先に進むと弁天堂があります。

ちなみに反対側には五反田駅行きのバス停がありました。

目黒不動尊がラストの参拝ならバスに乗ったんだけどな。

というか、初めに目黒駅で降りずに、
一駅前の五反田駅でバスに乗って、
目黒不動尊を起点にすれば良かったよ。

バスというのは盲点だったし、
そこまで調べられなかったね。


【参道】



【手水鉢】




何でこんな色をしているんだろ。

硫黄の温泉でも流れているのかな。(笑)


【弁天堂】


恵比寿神・弁財天・大黒天の三福神を筆頭に、
七福神全てを祀っている弁天堂です。

こちらも柵で入れないようにしていました。

この辺りは盗難やイタズラが多いのだろうか。


【稲荷社】





【豊川稲荷】



【弁天池】


何かいるぞ!


【一寸法師】


こ、これは?

おい!これはちょっとやりすぎだろ。(笑)


【御朱印】


三体の内の二体をいただきました。


暑い中の参拝であったが、
見所が多くてなかなか良いお寺であった。

目黒不動尊 瀧泉寺 其の一(2018年8月4日参拝)

2018年08月22日 | 江戸三十三観音霊場
目黒不動尊は仏閣巡りをしている人間なら、
そこそこ知ってるであろうチョイ有名寺院です。

いつかは参拝したいと思っていたので嬉しいです。

それにしても暑い。

35℃を超える猛暑日に参拝するのは、
もはや苦行といっても過言では無い。(苦笑)

本来なら私のような必死系が、
こんな暑い時に参拝するのは自殺行為なのだが、
滅多に来れない東京なんで頑張って参拝するよ。

美味そうな鰻屋を通り過ぎて目黒不動に到着。

駐車場は近隣の有料駐車場を利用となります。


所在地:東京都目黒区下目黒3-20-26
宗派:天台宗
御本尊:目黒不動明王
創建:伝・大同3年(808)
開基:伝・慈覚大師円仁
札所:関東三十六不動霊場、江戸三十三観音霊場、山手七福神、江戸五色不動


【縁起】
当山の開基は今から一千百余年前の平安時代(808)に遡ります。

15歳の慈覚大師・円仁(後の天台座主第三祖)が、師の広智阿闍梨に伴われて、
故郷の下野国から比叡山の伝教大師最澄の元へ向かう途中、
目黒の地に立ち寄りました。
 
その夜の夢中、面色青黒く右手に降魔の剣を提げ、左手に縛の縄を持ち、
とても恐ろしい形相をした神人が枕の上に立ち現れて、
「我、この地に迹を垂れ、魔を伏し、国を鎮めんと思うなり。
来って我を渇仰せん者には、諸々の願ひを成就させん」と告げ、
夢覚めた後その尊容を黙想し自ら、像を彫刻して安置したのに創まります。

その後、大師は唐の長安にある青竜寺の不動明王を拝し、
先の神人がこの明王であると分かり、帰朝して堂宇を建立します。

棟札に大聖不動明王心身安養咒願成就瀧泉長久と認め、
この瀧泉をもって寺号と成し、山号は清和の御代に泰叡の勅額を賜り、
泰叡山と称しました。

関東最古の不動霊場として、熊本の木原不動尊、千葉の成田不動尊と併せて、
江戸時代には徳川三代将軍家光がこの地で鷹狩りををした際、
その愛鷹が行方知れずになり自ら不動尊の前に額ずき祈願を籠めました。

すると忽ち鷹が本堂前の松樹に飛び帰ってきたので、
家光公はその威力を尊信し、諸堂末寺等併せて、
五十三棟に及ぶ大伽藍の復興を成し遂げました。

五色不動(目黒・目白・目赤・目黄・目青)の一つとして江戸城守護、
江戸城五方の方難除け、江戸より発する五街道の守護に当てられ、
江戸随一の名所となりました。

また、湯島天神、谷中の感応寺(現在の天王寺)と並んで、
江戸の三富と呼ばれました。

明治時代には二宮尊徳は報徳仕法の成功を祈誓し、
西郷隆盛は主君島津斉彬公の当病平癒の為に日参、
東郷元師は日本海海戦の勝利を立願しました。

その所願は円満成就し、いよいよ不動尊信仰は隆昌を極めました。

しかし、第二次世界大戦の東京大空襲にて伽藍の大部分を失いましたが、
戦後復興し現在に至る。


【仁王門】


堂々たる立派な仁王門です。


【狛犬】



【金剛力士】





【境内】


暑い日はあんまり階段を登りたくないなぁ。(^^;


【狛犬】


こちらも何とも変わった狛犬です。


【宝篋印塔】



【独鈷の滝】



【水掛不動明王】



【男坂】



【女坂】


対して差は無いと思うが、
男坂を登ります。


【鳥居】



【本堂】




本山クラスの立派な本堂です。

御本尊は秘仏として12年に一度、酉年にご開帳されるそうです。

内陣は撮影不可でした。


【狛犬】



【大日如来】


本堂裏手に回ってみます。






裏手には丈六の大日如来が祀られていました。






なかなか個性的にお顔をされています。




暑いので全てを撮影していませんが、
大日如来を守るかのように四方に四天王が祀られていました。


【延命地蔵尊】


本堂向かって右側に祀られているのは、
ちょっと珍しい坐像の地蔵菩薩です。


【二宮尊徳】



【虚空蔵菩薩】



【御神牛】




何故にあんな石柱の上に。

しかも小さい。(^^;


【ハチ】




何の花か知りませんが、
花粉をせっせと集めるハチ。


【不動明王】




不動明王といえば立像か坐像ですが、
この不動明王は半跏像でした。


【鐘楼堂】



【境内】




奥には八大童子の山とか見るべきものがあるのですが、
何故か侵入禁止でした。


【意志不動】




本堂向かって左側に祀られていました。


【不動明王石柱】


お墓みたいですね。(^^;


【微笑観世音菩薩】





【縁結び 愛染明王】




良縁成就がしたくて回りました。(笑)


【青銅製灯篭】


第一区筒先が奉納したもの。

江戸消防記念会のHPによると、
目黒区は現在第八区となっていました。


この後、女坂を下りて参拝を続けますが、
長くなりましたので続きはまた明日。

無縁寺 回向院(2018年2月17日参拝)

2018年03月18日 | 江戸三十三観音霊場


葛飾八幡宮に参拝後、本八幡駅前の店で昼飯。

やっぱり海鮮丼より寿司の方がいいな。(^^;


さて、本日泊まるホテルがある東京の森下駅界隈は、
あの国技館がある両国には徒歩圏内。

この辺りには回向院をはじめ幾つかの寺社があるので、
国技館を見ることも無く回向院へ。


所在地:東京都墨田区両国2-8-10
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:明暦3年(1657)
札所:江戸三十三観音霊場


【縁起】




回向院は今からおよそ360年前の明暦3年(1657)に開創。

この年、江戸には振袖火事の名で知られる明暦の大火があり、
市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われました。

当時の将軍家綱公はこのような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと、
隅田川の東岸、当院の現在地に土地を与え、万人塚という墳墓を設け、
遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。

この時、お念仏を行じる御堂が建てられたのが回向院の歴史の始まりです。

無縁寺・回向院は一方、境内堂宇に安置された観世音菩薩や弁財天等が、
江戸庶民に尊崇され、様々な巡拝の札所にもなりました。

度重なる大火に被害を蒙り、明治の廃仏毀釈、大正の大震災、
更には第二次大戦下の大空襲等によって、幾度か存亡の危機に立たされるも、
時の住職、檀信徒により、法灯と絶やさず現在に至る。



【山門】


とてもモダンで印象的な山門です。

昭和58年(1983)に再建されたもの。

境内に10台分程の車を停めれるスペースがありました。


【境内・本堂】


右手は竹がありオシャレな雰囲気。

奥に見えるのが本堂です。


【力塚】


昭和11年(1936)に相撲協会が、
歴代年寄の慰霊の為に建立したそうです。


【聖観世音菩薩】




天女のようであり遊女のような観音様のお姿です。


【慈母観音】



【石仏】





【本堂内陣】


御朱印帳を預け本堂へ。

内陣はミュージアムのような照明で、
居心地はとても良い。


【阿弥陀如来】


御本尊。

予想以上に立派で拝み甲斐がありました。(^^


【二十五菩薩】



【馬頭観音堂】


納骨堂かと思うようなお堂ですが、
馬頭観音が祀られています。

将軍家綱公の愛馬が死亡し上意によってその骸を当院に葬られ、
その供養をする為、回向院二世信誉貞存上人は馬頭堂を建て、
自らが鑿をとって刻し安置したのが馬頭観世音菩薩像だそうです。


【小鳥供養塔】



【塩地蔵】


右手に錫杖、左手に宝珠を持たれており、
参詣者は願い事が成就すると塩を供えたことから、
塩地蔵と呼ばれています。


【鼠小僧次郎吉の墓】






これがあの有名な鼠小僧の墓で、
墓石を削って持っていると御利益があるとかで、
随分削られていました。

墓を削るなんて何て罰当たりなんだろうと思っていましたが、
白い墓石はいわゆる御前立だそうです。

私も下の石で削ってみましたが、
削れるのはほんの少しでした。


【猫塚】



【念仏堂】


洒落たホテルのような外観。

おおよそお寺の中にあるお堂とは思えない造りですね。

どうやら葬儀場のようです。


【屏風】


これは欲しいなぁ。

飾る場所がないけど。(^^;


【堂内】



【御朱印】


御朱印は二体ありました。