本日最後の参拝は品川寺です。
品川寺は青物横丁駅の近くにあります。
お寺の名前は「ほんせんじ」と読みますけど、
普通は「しながわでら」ですよねぇ。(笑)
所在地:東京都品川区南品川3-5-17
宗派:真言宗醍醐派
御本尊:水月観音、聖観音
創建:(伝)大同年間(806–810)
開基 :(伝)弘法大師
札所:江戸三十三箇所霊場、江戸六地蔵、東海七福神、東海三十三観音霊場
【縁起】
品川寺は大同年間に開創された品川で最も古いお寺です。
中世といわれた時代(1200年頃)からは港町として栄え、
江戸時代(1630年~)になると東海道五十三次の第一番目の宿場町となり、
旅人の町として最も栄えました。
御本尊水月観音は竜宮出現の像と伝えている。
その後関東は大いに乱れ、多くの自社の兵火に焼失し、
永禄9年小田原の北条氏政今川家に加勢して武田信玄と戦う時に、
信玄の北からの急撃により、江戸・品川の民家寺社を焼き払った。
当寺も兵火の為ことごとく焼失し、竹森、蔭村という二人の武士によって本尊は奪われたが、
甲州に帰ってまもなく発狂し、本尊を元の地へ遷す様霊夢があって、
一人の乞食の聖に頼み旧地にかえしたが、堂宇も焼け亡んでいる為、
その礎石の上にわら小屋を作り安置した。
その後弘尊法印が堂宇を建立して海照山普門院と唱える様になった。
江戸時代末期には寺域が荒廃し、大梵鐘も海外に搬出されたこともございましたが、
大正5年より復興計画をめぐらせ、昭和5年5月5日に大梵鐘が、
スイスのジュネーブより贈還されました。
これを期に鐘楼、会堂、客殿、拝殿、会館と建立され、今日に至っています。
【地蔵菩薩】
いきなり大きな地蔵菩薩がお出迎え。
宝永5年(1708)建立されたもの。
【山門】
【大イチョウ】
【稲荷堂】
【庚申塔・道祖神】
【本堂】
早速本堂へお参り。
【内陣】
こちらで御朱印をいただけます。
厨子の前には御前立でしょうか、
聖観音菩薩が祀られていました。
【仁慈の鐘】
戦争裁判殉国者慰霊の鐘で東条英機、板垣征四郎等、
A級戦犯7人の名前が刻まれていました。
何でA級戦犯なんかの為に仁慈の鐘を造ったんだろ。
奴らのせいで何人の罪の無い国民が死んだことか。
プーチンも足下にも及ばない極悪非道な行いをやって(やらせて)、
日本を破滅に追い込み国民が全員死んでいいような戦いを強いた罪は、
末代まで祟られるほど果てしなく重い。
日本人の中にはお国の為に死ねば英霊になるという考えがあるが、
A級戦犯は絶対に英霊では無い。
殺人犯は英霊にはならないのにA級戦犯が英霊なんておかしい。
だから靖国神社にA級戦犯が祀られていることは反対です。
A級戦犯が合祀されてから昭和天皇は以降参拝しなかったが、
その理由は強い不快感をお持ちになっていたからという。
むしろ昭和天皇を親拝させなくした靖国神社の宮司に問題があるとみる。
これこそまさに反天皇の所業ではないか。
そして現在において中国と韓国から激しい批判を浴びる原因にもなった。
戦後から売国奴になった朝日新聞の影響も大きいが。
ほんと、A級戦犯合祀問題は根深い。
こんなことを書いていますが、
私は右翼でも左翼でも中国人、韓国人ではありません。
君が代を歌うし国旗掲揚も全く気にしません。
あの戦争が無ければと思う中道の日本人ですので悪しからず。
【神変大菩薩】
【十三重石塔】
【花梨】
【弁天堂】
【弁財天】
【毘沙門天】
【恵比寿】
【布袋尊】
【祈念碑】
青い部分にGeneve avenue de la paixと書かれています。
avenue de la paixとはジュネーブにある国際連合本部前のラ ペ通り。
フランス語で平和通りということですが、
鐘楼のご縁によりジュネーブ市と品川区は平成三年(1991)友好都市堤携を結び、
品川にはジュネーブ平和通りと名付けられた大通りがあります。
祈念碑にマリー テェレーズ クルリーと刻まれている。
ジュネーブにあるアリアナ美術館のキュレーターだそうです。
【鐘楼堂】
鐘楼は1867年 パリ万博に出品される名目でヨーロッパへ渡り、
1873年 ジュネーブ出身のルヴィリオ氏がスイス・アーラウの鋳造所で梵鐘を見つけて買い取る
アリアナ美術館で保存されていた鐘楼は、
1930年 60年ぶりに梵鐘が品川寺に戻る
https://grandtourofswitzerland.jp/cms/284/?lang=jp
鐘楼について詳しくかつ貴重な写真が、
「Grand Tour of Switzerland in Japan」のHPで見れます。
ご興味ある方はどうぞ。
【英霊堂】
【御朱印】
これにて本日の参拝終了。
もっと時間があったら品川神社とか参拝したかったんですけど、
これはしょうがない。