Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

千光寺山ロープウェイ~文学のこみち(2018年3月10日乗車)

2018年03月31日 | 旅行・その他
慈観寺の隣には妙宣寺と艮神社がありますが、
早く千光寺に参拝したかったので後回しにして、
千光寺山ロープウェイ乗り場へ。

艮神社の前に乗り場があります。


所在地:広島県尾道市東土堂町20-1
料金:(片道)大人320円、小児160円(往復)大人500円、小児250円




片道だけロープウェイを利用。

帰りは歩きという観光客が多いようですね。




天寧寺の三重塔が見えます。

後で行くので楽しみ。




艮神社の本殿が真下に。

ドローンならともかく、
本殿の上を自分の目で見れるのは貴重です。






ゆっくりロープウェイは頂上へ近づく。






千光寺の象徴である玉の岩が見えてきました。

この角度から見るのがロープウェイならではですね。(^^




千光寺の本堂を通り過ぎていきます。




鎖場があるくさり山という巨石群が見えます。

鎖場を登りたい気持ちはあるが、
実は一週間前に酷い寝違いを起こしてしまい、
ついには右肩まで痛めてしまったんですよね。

まだまだ完調では無いので回避した方が無難だな。




よくこんな場所に建てるよね。




文学のこみちの岩場のようです。




山頂駅に到着。

楽チンでいいわ。(^^

頂上は千光寺公園となっており、
展望台や売店があり観光客が多い。




確かに素晴らしい風景です。

尾道に来たなら必ず訪れなければならないと断言する。

とはいえ、目的が千光寺参拝なので、
公園は2分程で退散し、文学のこみちを歩き千光寺へ。

文学のこみちは道沿いの自然の巨石に尾道ゆかりの作家・詩人等、
文化人らによる作品を刻んだ25基の石碑があり、
それらを見ながら進むと千光寺に行けます。

ただ、千光寺までの案内板はあるけど、
この先を進んでいいのかイマイチよく分からない。

このあたりはもうちょっと改善して欲しい。


【正岡子規】





【十返舎一九】





【文学のこみち】




このような巨石の間をくぐる所もあります。

ロープウェイが近いです。


【志賀直哉】




とりあえず有名どころはパシャリ。

あと松尾芭蕉があるようですが見つけられず。


【尾道水道】


休憩がてら景色を楽しむ。(^^


【大明神】


勝七大明神等三つの大明神が祀られていました。


【石段】


どうやら千光寺に着いたようです。

続きは後ほど。

慈観寺(2018年3月10日参拝)

2018年03月30日 | 尾道社寺めぐり
福善寺から徒歩3分ほどで、
ロープウェイ乗り場近くの慈観寺に到着。

こちらは地味なお寺ながら本堂が立派なのと、
珍しい時宗のお寺なので寄ってみました。


所在地:広島県尾道市長江1-4-7
宗派:時宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:貞治元年(1362)
開山:慈観上人
札所:尾道社寺めぐり


【縁起】





【山門】


普段は入りづらい雰囲気なのか、
観光客は誰も境内に入ろうとはしません。

皆さん千光寺しか見えていないようです。(苦笑)


【本堂】


豪壮なカッコいい本堂です。

本堂には平田玉蘊という女流画人が描いた襖絵があり、
見たい方はお知らせくださいと書いてある。

正直襖絵より堂内に入れて、
御本尊を見て拝めるチャンスだと喜んだのですが、
残念ながらお寺の方は御不在。

ま、こういうこともあるわな。
次回、尾道に訪れた時の宿題ということで。


【牡丹】


牡丹寺と言われているように、
5月頭頃には牡丹がいっぱい咲いているようです。

この頃になると観光客も結構居るかも知れませんね。


【夫婦松】






夫婦杉や夫婦松という木は何本も見てきましたが、
これほど絡み合ったものは見たことがありません。

やらしいわ~。(^^


【虚空堂】




虚空蔵菩薩が祀られていますが、
普段は秘仏のようです。

他に薬師如来、十一面観音菩薩等も祀られています。


http://blog.livedoor.jp/ijoyr884-yghd/archives/51592767.html

garage884様のブログで貴重なお姿が見れますので、
ご興味がある方はどうぞ。


【地蔵尊】



【鐘楼堂】


鐘の無い鐘楼堂です。

戦時中に出されて帰ってこなかったんでしょうかね。


【牡丹庵】


寺カフェのようですが閉まってました。

牡丹が咲く頃は開いてるんでしょうね。


御朱印はございませすが、
御不在でしたのでいただけませんでした。

福善寺(2018年3月10日参拝)

2018年03月29日 | 尾道社寺めぐり
御袖天満宮から千光寺ロープウェイを徒歩で目指すが、
その前に一際大きなお堂を持つお寺があるので寄ってみる。

それが福善寺という浄土真宗のお寺です。


【猫】




尾道といえば猫も有名ですよね。


所在地:広島県尾道市長江1-9-1
宗派:浄土真宗本願寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:天正元年(1573)
開山:行栄法印
札所:尾道社寺めぐり


【縁起】



【門柱】


千古輝を検索しても意味は分かりませんでした。


【石段】


地元民しか通らないような石段ですね。


【本堂】


山門を通らずいきなり本堂前に出てきました。

しかし本堂は残念ながら中を見る事も出来ません。

浄土真宗の本堂は自由に参っていい寺院が多いのですが。


【親鸞聖人七百回忌記念碑】



【鬼瓦】



【鼓楼・大玄関】



【風景】


千光寺です。


【山門】


ちゃんと山門がありました。

私が歩いた石段は裏ルートみたいなもんですね。


本堂内陣が参拝出来ないので、
ササッと参拝を済ませ千光寺ロープウェイへ。


ちなみに尾道社寺めぐりの札所ではあるが、
スタンプのみで御朱印はありません。

御袖天満宮(2018年3月10日参拝)

2018年03月28日 | 菅公聖蹟二十五拝
大山寺の真横には御袖天満宮が鎮座しております。

この神社は何といっても映画「転校生」の舞台となった、
階段が余りにも有名ですよね。

私も階段で転げ落ちて可愛い女の子と体が入れ替って、
あんなことやこんなことをしたいと思います。(笑)

といっても、映画は観た事が無いというのは、
ここだけの秘密です。(^^;



所在地:広島県尾道市長江1丁目11-16
御祭神:菅原道真公
創建:延久年間
社格:郷社
札所:菅公聖蹟二十五拝、尾道社寺めぐり


【由緒】
延喜元年(901年)菅原道真公が藤原時平の讒言によって左遷され、
大宰府へ船で向かう際、尾道に上陸すると土地の人々から馳走され、
これに感謝して自らの着物の片袖を破り自身の姿を描いて与えた。

菅原道真公薨後の延久年間(1069-1074)天神坊の境内に、
その袖を御袖の御影と称して祀る祠を建立したのが創祀で、
御袖を祀る事から御袖天満宮と称されたという。

なお、天神坊は後に大山寺となって明治の神仏分離まで、
別当寺として当神社を管掌し、現在も境内に隣接している。

近代社格制度において郷社に列した。


【拝殿】


大山寺から境内に入ると拝殿。

まずはパンパンと参拝。


【さすり牛】



【境内社】



【社務所】


以前の拝殿だったそうです。


【御神木】



【蔵】



【筆塚】



【石段】


ここがロケ地の階段ですが、
肝心の可愛いコがいません。(笑)




この石段は登るとかなりしんどいです。(^^;


【白梅】





【御神木】



【神門】


渋い、実に渋い神門です。


【桃咲稲荷神社】





【厳島神社】





【力石】






尾道はこんな現代作家の作品が各所にあるのかな。


【神門】




この辺りはとても雰囲気がいい。(^^


【鳥居】


拝殿の中で掃除をされている方が居て、
御朱印をお願いしようかと思ったが、
作業を邪魔すると悪いので止めておいた。

二時間後、また戻ってきたらまだ掃除されていた。
御苦労様です。

そういう訳で御朱印はいただいておりません。

天神坊 大山寺(2018年3月10日参拝)

2018年03月27日 | 尾道七佛めぐり


西国寺から約600メートル離れた大山寺へ徒歩で向かう。

こういう尾道らしい細道を歩きます。

火事が起こったら大変だろうなぁと思いながら歩く。


【愛宕神社】


途中で小さな神社発見。

柱の太さが途中で変わっている珍しい鳥居です。


【愛宕祖霊殿】


およそ神社らしからぬ建物です。

祖霊殿というらしい。

ということは、
この神社は地域の方々の御先祖を祀った神社のようですね。


【風景】


尾道中心街。




ロープウェイと千光寺が見えます。

千光寺に参拝するのが楽しみです。

暫く細い道を歩くと大山寺に到着。


所在地:広島県尾道市長江1-11-11
宗派:真言宗醍醐派
御本尊:大日如来
創建:平安時代前期
開山:不明
札所:尾道七佛めぐり


【縁起】



【山門】


このお寺まで車で来ることは出来ませんので、
徒歩かバイク、自転車で訪れてください。


【地蔵堂】


こちらに霊験あらたかな日限地蔵尊が祀られ、
地元の方々もお参りに来られていました。

扉は開いていないだろうと思っていたら、
開いてました。(^^






重軽地蔵やおさすり観音等も祀られていて、
気軽にお参り出来ます。


【庚申堂】


青色金剛神が祀られているそうです。


【三猿像】


「見てご猿、言うてご猿、聞いてご猿」

世の中の正しいことを、よく見よう・よく言おう・よく聞こう、
という願いを込められているそうです。 


【十三重石塔】



【宝篋印塔】



【境内】




とても綺麗に手入れされた境内です。


【本堂】


本堂は残念ながら閉まっていました。


【鐘楼堂】


NHK朝ドラてっぱんで使われた鐘楼です。


【梅】








もうすぐ春ですね。


【白梅】





【六角堂】



【御朱印】


御住職がお留守で書置きをいただきました。

総持院 西国寺(2018年3月10日参拝)

2018年03月26日 | 尾道七佛めぐり
烏須井八幡神社から観光地である尾道に到着。

いよいよ、胸が高まります。

尾道界隈には沢山の神社仏閣がありますが、
まずは本日のメインの一つである西国寺へ。

ここは重文の三重塔や金堂をはじめ、
尾道でイチニを争う伽藍を擁する大本山です。

楽しみです。(^^


所在地:広島県尾道市西久保町29-27
宗派:真言宗醍醐派
御本尊:薬師瑠璃光如来(秘仏、国の重要文化財)
創建:伝・天平年間(729–749)
創建:伝・行基菩薩
札所:中国三十三観音霊場特別霊場、中国四十九薬師霊場、山陽花の寺二十四か寺、
備後三十三観音霊場、尾道七佛めぐり、尾道社寺めぐり


【縁起】
寺伝によれば奈良時代の天平年間に行基が巡国中に、
この地で加茂明神の霊夢を見たことにより建立されたという。

西國寺由来記によれば平安時代初期の治暦2年(1066)、
火災により堂宇の大半を焼失したが、白河天皇の勅命により、
当時の住職・慶鑁によって復興された。

永保元年(1081)には愛宕山の山麓から中腹にかけて巨大な伽藍が完成。

永保2年(1082)白河天皇の祈願所となった。

さらに天仁元年(1108)には法皇となった白河上皇により勅願寺となり、
官寺として100を超える末寺を持った。

山陽道随一の伽藍を誇り正和元年(1312)、
花園天皇の綸旨を受け寺院の名称を西國寺とした。

現在においても、数ある尾道市の寺院の中で最大の規模を誇っている。

南北朝時代の永和年間(1375-1378)に再び火災により焼失した。

備後国の守護大名であった山名氏が寺院の復興にあたり、
至徳3年(1386)には早くも金堂が復興し現在にその姿を留めている。

宗派は一時、醍醐派より分かれ真言宗西國寺派の総本山を称していたが、
現在は醍醐派に帰属している。


【金堂】


表参道の山門付近には駐車場はありませんが、
裏参道には5,6台停めれる無料駐車場があります。

数十メートル歩くといきなり大きなお堂が見えた。






本堂にあたります。

南北朝期に備後の守護山名一族によって再建されたもの。

こちらは残念ながら閉まっていました。


【風景】


とりあえず金堂参拝後は三重塔へ。


【唐門】



【閂門】


奥にお目当ての三重塔が見えます。(^^


【境内】


左手に見えるのが持仏堂です。


【蔵】



【持仏堂】


拝観出来るということで受付に行くと、
これから法要があるということでダメでした。(泣)

法要が終わったら大丈夫とのことで、
後でお願いすることにしよう。


【大玄関】


拝観はここから入ります。


【風景】


唐門から見た風景。

素晴らしい。(^^


【大師堂】



【不動明王】



【不動堂】





【毘沙門堂】



【力石】



【弥勒堂】



【石段】



【梵字池】



【小林和作墓】


誰かと調べたら現代の洋画家でした。

南無阿弥陀仏。


【三重塔】


おー、尾道にこれほどの三重塔があるとは。

尾道といえば千光寺や天寧寺の三重塔ばかりが、
フューチャーされますが、
西国寺にはこのような素晴らしい三重塔があります。

まさに必見。




重要文化財。

永享元年(1429)室町幕府6代将軍足利義教の寄進により建立されたもの。




近くで見ようと思ったら通行止め。

無念じゃ。


【お遍路ミニ霊場】




境内のあちこちに祀られています。


【空環宝珠】




金堂の辺りに戻ってきました。


【鐘楼堂】



【英霊殿】



【尾道護国神社】



【加茂明神社】



【石段】


急な石段を下りて行くと山門があります。


【十王堂】


閻魔王を中心に極彩色の十王の像が祀られているそうです。


【金毘羅社】


いつもなら拝殿の中を見るのだが、
今日は急いでいた為か見なかった。

拝殿の中には大きな異形のカラス天狗が祀られており、
あのカラス天狗を見なかったのは後悔したよ。


【金剛院】


参道からは金剛院の境内に入る事は出来ませんでした。

御朱印はあるようです。


【持善院】


こちらは御朱印はございません。


【山門】


ようやく山門に到着。

室町時代後期に建立されたもの。


【草鞋】


これを見るといかにも観音霊場という雰囲気がしますね。


【金堂】


三時間後、持仏堂拝観の為に戻ってきた。


【三重塔】


ここから見る三重塔が絶景。

たまりませんね。(^^


【持仏堂】




画像はネットで拾ったものです。

大日如来や両部曼荼羅が祀られていました。


【釈迦如来】


隣りの奥の奥の部屋には閻魔大王、十王像、地蔵菩薩の他に、
重文の釈迦如来が祀られ、仏像好きの目を引きます。

寺伝では快慶作とされていますが、
お顔を見る限りちょっと違うような気がする。

快慶ならもっとキリっとしたお顔をしていると思う。

勿論、本像は慶派の仏師作なのは間違いない。

持仏堂拝観はこれにて終了。

拝観料500円は少し高いかな。

これが金堂だったら満足度は高いと思う。


そういえば西国寺のHPではお茶・茶菓子付きと書いてあるのに、
私にはそれが無かったわ。

あ、だから高く感じたのか。(苦笑)

何か損した気分。(^^;


【御朱印】


四体あるうちの二体をいただきました。

烏須井八幡神社(2018年2月3月10日参拝)

2018年03月25日 | 尾道社寺めぐり
2月は東京に行ったように、
今年は例年以上に旅行を兼ねて、
いろいろ地方に行こうと思っている。

その第二弾として今日から一泊二日で尾道と鞆の浦、
しまなみ海道の神社仏閣を巡る旅に出かけます。

尾道は映画のロケ地としても有名で、
私にとっての憧れの地。

その尾道には個性豊かな寺社が多いので、
いつの日か行かねばと思っていたのよね。

その願いがようやく叶いました。(^^

新幹線に乗って福山駅経由で新尾道駅到着。

予約していたレンタカーで、
新尾道駅から約10分程の距離に鎮座する烏須井八幡神社へ。


所在地:広島県尾道市西則末町11−31
御祭神:応神天皇、神功皇后、中哀天皇
創建:不明
社格:村社
札所:尾道社寺めぐり


【由緒】
この地は日本武尊が西征の際に滞在された地として、
また神功皇后が三韓征伐の際にも立ち寄ったと伝えられています。

その際、烏が良水が湧く井戸を皇后に知らせたので、
皇后はその良水を用いられ、そこから烏須井と名づけられたされる。

院政期から南北朝時代にかけて、この地は皇室大炊寮の荘園でした。
 
朝廷の意向により地域に散在していた「社」を纏め、
八幡神社としたと伝えられています。
 
一説には御調八幡宮の分霊を勧請したともいわれています。

御調郡尾道、向島東、向島西、三成村、本郷村、
5ケ町村の氏神であったところから、五箇村頭八幡宮と称されました。
 
また神社の東にある臼井清水に因み、
臼井(烏須井)八幡宮と呼ばれました。

寛永12年(1635)に再興され、明治維新に際し栗原八幡神社と改称。
日に村社の社格を与えられました。

現在は烏須井八幡神社と称され、
縁結びの八幡さんとして知られています。


【鳥居】


鳥居横に10台分程の無料駐車場がありました。


【狛犬】



【神紋】


これは見覚えのある五七の桐ですよね。

ということは太閤さんと関係があるのかな。

でも、帰宅してから調べてみたら日本政府の紋でもあるから、
それを神紋にしているんでしょうね。


【随神門】




良い感じです。(^^


【拝殿】



【本殿】



【休憩所】


中に長椅子が置いてあり休憩する場所でした。

こういうタイプの休憩所は珍しい。

前は何か祀られていた拝殿だったか、
或いは神輿とか置いてあったのかも知れない。


【蔵】



【宝物殿】



【境内社】












本殿の後ろには御祭神が分からない境内社。


【石碑】



【境内】


天気も良いし清々しい。(^^


【烏須井蜻蛉玉】


これが願いが叶うとされる願い玉です。

手作りなので一つとして同じモノがないとかで、
赤や青や白とかいろんな色の願い玉があり、
選ぶのが迷うほど種類がありました。

これを目当てに神社を訪れる人も多いとか。
特に恋愛成就に必至な女子達とか。(笑)


これ、1個千円ですよ。

値段を見た時は一瞬買うのを躊躇しました。(^^;

それでも買ってしまいました。

男は幾つになってもモテたいのです。(笑)


【御朱印】


人の良さそうな奥さんが御朱印代はいただいていないと言う。

やっぱり良い人だ。

顏に出てるもん。(^^

墨書きをしていただいた宮司さんもまた良い人相の方。

前のページの渋谷氷川神社の御朱印を見て、
宮司さんは懐かしいという。

理由を聞くと國學院大学に通っていたそうです。

気分良く神社を後にし、尾道へ向かう。

渋谷氷川神社(2018年2月18日参拝)

2018年03月24日 | 神社
お台場から渋谷に移動。

渋谷駅前からタクシーに乗って所用がある國學院大学へ。

所用を済ませ近くに鎮座する渋谷氷川神社を参拝することに。

本日最後の参拝となります。


所在地:東京都渋谷区東2-5-6
御祭神:素盞嗚尊、稲田姫命、大己貴尊、天照皇大神
創建:寛治6年(1092)
社格:村社


【由緒】
正確な創建時期は不明であるが、
江戸七氷川の一つで渋谷区最古の神社とされている。

慶長10年(1605)に当社別当であった宝泉寺第百代住職・実円の記した
氷川大明神宝泉寺縁起によれば、日本武尊東征の際、
当地に素盞鳴尊を勧請したという。

弘仁年中(810~823)慈覚大師が宝泉寺を開基し、
同寺が別当になったとされており、(正徳3(1713)年幕府に出した書状には、
起立の年数知れず申候と残されている。

源頼朝による勧請説や金王丸常光による崇敬などの説もあるが、
いずれも定かではない。

江戸時代には奉納相撲が盛んに行われ、世田谷八幡宮、大井鹿嶋神社と共に、
江戸郊外三大相撲の一つに数えられた。

社殿については慶長時代以降何度かの再建・修復かを経ているが、
現社殿は昭和13年(1938)年11月3日に総檜造で造営・正遷座され、
第二次大戦末期の空襲においても罹災せず、
都内有数の木造神社建築となっている。


【鳥居】


こちらは表鳥居ではなく裏鳥居となります。


【拝殿】






建立されてから歴史は浅いものの、
なかなかの渋さの拝殿です。

好きなタイプの拝殿です。

また、境内はとても静かです。


【厳島神社・稲荷神社】





稲荷神社。




狛狐。

こいつは凶暴そうです。




厳島神社。




狛犬。


【神楽殿】



【八幡神社】



【秋葉神社】



【本殿御敷地旧趾】



【鳥居】


こちらが表鳥居となります。

階段の下には一之鳥居や相撲場跡等があるようだが、
階段を降りて行く体力は無かった。(^^;


【狛犬】



【御朱印】


今年の元日から500円に値上げしたそうです。

やっぱり東京は物価が高いの~。(^^;


これにて本日の参拝終了。

本当は近くの金王八幡宮に参拝予定ではあったが、
新幹線の時間を考えると今回は時間切れで回避。

またの機会に。


タクシーが見つからず神社から渋谷駅まで歩いて行く。

しかし渋谷駅前は大規模な工事をしており、
駅に辿り着くまで少々時間がかかってしまったが到着。

渋谷駅構内は複雑怪奇な新宿駅と違って分かり易いので助かる。(^^

無事に新幹線指定席に乗って帰宅。

アクアシティお台場神社(2018年2月18日参拝)

2018年03月23日 | 神社


新宿からお台場へ移動。

お台場といえばフジテレビですが、
今回はフジテレビで所要がありお台場に来ました。

お台場に行ったのは2007年大晦日以来。

パシィフィコ横浜で行われる倉木麻衣のCDL前に、
暇つぶしと食事を兼ねてお台場に行ったんですよね。

あの時は確かアイドリングというアイドルグループの、
イベントををやっていたね。(遠い目)


【フジテレビ】


所用を済ませドラゴンボールのグッズを買いに行こう。


【屋上庭園】


グッズ売り場はエレベーターで7階にあります。

しかし、風がビュービューで寒過ぎて泣きそう。(^^;


【球体展望室はちたま】


上に見えるのが展望室で入場料金550円要です。


【ワンピース】


記念に。(^^


【風景】


7階庭園から見たパレットタウン大観覧車。

景色を楽しむ余裕が無いほど寒い。

撤収。


【自由の女神像】






お台場には自由の女神のレプリカがあります。

この目で見るまではバカにしていたのですが、
実際に見ると後ろの海の風景も相まって良いです。(^^


【風景】




レインボーブリッジと東京タワーがここから見えました。(^^

日本人より中国人の観光客が多かったと思います。(笑)


さて、アクアシティお台場神社へ行くとしよう。



所在地:東京都港区台場1-7-1
御祭神:天照皇大御神、豊受大御神
創建:平成十六年(2004)


【由緒】



【第一鳥居】


6階のエレベーターに鳥居があるのが笑ってしまう。(^^


【第二鳥居】


7階に到着。


【御神籤販売機】



【境内】


アクアシティお台場の屋上アクアガーデンに鎮座しております。


【鳥居】


後ろのフジテレビの球体はちたまが見えて、
インスタ蠅、いやもとい、映えしますよ。(^^


【社殿】




いわゆる会社の屋上にある稲荷社と同じ感じですね。


【狛狐】


ん?

この神社は稲荷神社では無いはず。

何故、狛狐がいるのだろうか。

この神社を勧請したアクアシティお台場の関係者が無知なのか、
屋上には稲荷社が定番だから、あえて狛狐を置いたのか。


【風景】


アクアガーデンから見た風景。

寒い。

さっさとラーメンを食うとしよう。

当然のことながら御朱印はございません。

御朱印ハンターの方々がお願いすれば、
いつかは勧請元の芝大神宮が授与するかもね。(苦笑)

ちなみに埋立地のお台場唯一の神社みたいです。

というか、フジテレビの屋上にも小さな祠はあると思うけど。


【特製濃厚海老豚骨つけめん】


5階の東京ラーメン国技館では有名店が6つ出店していて、
比較的空いていた頑者に入店。

ちなみに札幌みそのや博多だるまは行列がありました。

ちょっとエビ風味か強かったかな。

でもチャーシューはご飯が欲しくなるほど旨かったです。

11年振りのお台場もこれにてオサラバ。

太宗寺(2018年2月18日参拝)

2018年03月22日 | 江戸六地蔵
東京二日目の朝。

今日も寒そうだ。

森下駅から都営新宿線に乗って新宿三丁目駅で下車。

こちらで降りた目的は太宗寺というお寺があるからです。

以前テレビで見た奪衣婆像が余りにも強烈で、
一度参拝しなければならないと思ったもので。

先に新宿御苑に行ってみたけど有料だったので回避して、
アパホテル近くにあるお寺に到着。


所在地:東京都新宿区新宿2-9-2
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:寛文8年(1668)
開基:太宗
札所:江戸六地蔵、新宿山ノ手七福神


【縁起】
寺伝によれば、
慶長元年(1596)頃に庵主太宗が開いた草庵太宗庵が前身である。

寛永6年(1629)安房国勝山藩主内藤正勝の葬儀を行ったことを契機に、
寛文8年(1668)に正勝の長男重頼から寺地の寄進を受け、
太宗を開山として太宗寺が創建された。

元禄4年(1691)内藤氏は信濃国高遠藩へ移封されたが、
太宗寺はその後も高遠藩内藤氏の菩提寺として、
歴代藩主や一族の墓地が置かれた。

この寺には閻魔像・奪衣婆像が安置されており、
江戸時代から庶民に信仰されてきた。

現在も毎年7月15日・16日の縁日に御開扉されている。

なお、寺号太宗寺は創建時の庵主太宗の名をいただき、
山号霞関山は当時四谷大木戸一体が霞ヶ関と呼ばれていたことに因み、
院号本覚院は内藤正勝の法名本覚院を拝しています。


【入口】


太宗寺には山門が無いようですね。

しかも境内はコンクリートで殺風景な感じ。

全く好きでは無い境内の雰囲気ですが、
閻魔大王と奪衣婆を祀るお寺はこの方がいいのかも知れない。


【地蔵菩薩】




正徳2年(1712)に造立されたもの。


【閻魔堂】


こちらにあの巨大な奪衣婆が祀られています。


【閻魔像】




毎年7月15日と16日のみ御開帳されるので、
このように普段は金網越しに少ししか見れません。

そういやお盆といえば8月15日頃が定番ですが、
東京(一部除く)は新盆で7月15日あたりなんですね。


【奪衣婆】




何とか顏が見えました。

あの姿を近くで金網無しで見ると悪夢を見そうなんで、
これぐらいが良いかもね。(^^;




奪衣婆が右手に持っているのは三途の川で、
亡者から剥ぎ取った衣服。

江戸時代の新宿は遊女が客を取る色町だったそうで、
その為、奪衣婆は鬼にも関わらず商売神として信仰され、
現在でも新宿界隈で水商売をする女性が秘かに参拝しているとか。


【本堂・庫裏】


左手のモダンな建物が本堂ですが、
残念ながら閉まっていた堂内を見ることも出来ませんでした。

うーむ、これはいただけません。

開かれた浄土宗らしからぬ対応で残念です。


【護摩堂】





【三日月不動】





【布袋尊】



【塩かけ地蔵】


塩かけ地蔵は腫れ物などにご利益があり、
塩をもらって患部に刷り込むと治るという。

治ったお礼に塩を倍にしてかける風習がある






東京のお地蔵さんは縄で縛られたり、
いろいろ個性的なお地蔵さんが多いですね。(^^


【稲荷社】



【切支丹灯籠】







【猫】



【御朱印】

深川神明宮(2018年2月17日参拝)

2018年03月21日 | 深川七福神めぐり
江島杉山神社から900メートル離れた場所に鎮座するのは、
深川発祥の地に鎮座する深川神明宮です。

本日最後の参拝となります。

しかし400年前はこの辺りが葦の生い茂る三角州で、
住む人もまだいなかったとは。

今では信じられないですね。



所在地:東京都江東区森下1-3-17
御祭神:天照大御神
創建:不明
札所:深川七福神めぐり
社格:郷社


【由緒】
慶長年間(1596-1615)摂津国の深川八郎右衛門は、
一族を率いて当地に新田を開拓し、その屋敷内にかねてから所蔵していた、
太神宮と書かれた後土御門天皇のご宸筆一幅を奉斎し守護神としていた。

後に伊勢・皇大神宮の御分霊を勧請したのが創建とされ、
以来深川総鎮守神明宮と称され崇敬を集めてきた。

慶長元年(1596)年に八郎右衛門が開基、秀順法師が創立した泉養寺が、
江戸時代を通じて別当として奉仕していた。

明治に入ると社号を天祖神社と改め、郷社に列した。

いつしか深川総鎮守神明宮と称せられ、
多くの崇敬を集めるようになり今日に至る。


【神明鳥居】



【伊東深水誕生の地】


美人画の巨匠伊東深水誕生の地だったのね。

ちなみに朝丘雪路は実の娘です。


【神輿庫】




両端にはこのような絵が描かれた神輿庫がありました。

これだけの神輿があるぐらいだから、
恐らく相当豪壮な祭りなんでしょうね。


【拝殿】







【狛犬】



【寿老神社】



【和合稲荷神社】



【境内社】



【神明幼稚園】



【御朱印】


御朱印代は500円でした。

東京は500円の神社が多いですね。

やっぱり御朱印代も物価高といったところか。(^^;

深川七福神めぐりの御朱印は1月の半ばまで授与可能とのこと。


【ラーメン 吉田屋】


森下駅界隈の店は一人では入り難い店ばかりで、
結局、家系のラーメンを食うことに。

全部乗せを注文。
チャーシューは旨かった。

ただキャベツともやしが多いので、
野菜の水分によってスープが薄くなる。

スープは濃い目にしてもらった方がいいね。


【サンモリシタホテル】


本日のお宿。

狭い室内でしたが静かに寝れました。(^^

江島杉山神社(2018年2月17日参拝)

2018年03月20日 | 神社
勝海舟生誕の地より5分ほど歩くと江島杉山神社に到着。

こちらはあの江ノ島弁財天の御分霊が祀られた神社です。


所在地:東京都墨田区千歳1-8-2
御祭神:市杵島比売命
配合神:倉稲魂命・大国主命・杉山和一大人命
創建:明治23年(1890)
社格:村社


【由緒】


当社は江ノ島弁財天の御分霊と同社を篤く崇敬した
杉山和一検校を祀った神社である。

明治時代に入り政府によって屋敷は没収されたが、
弁財天社のみ残り江島神社と称した。

明治23年(1890)に杉山和一を祀る杉山神社が創建された。

大正12年(1923)関東大震災により社殿焼失、
大正15年(1926)に再建された。

昭和20年(1945)太平洋戦争の空襲により社殿焼失。
昭和27年(1952)江島神社に杉山神社が合祀され、
江島杉山神社となり、現在に至る。


【杉山和一】
慶長15年(1610)に藤堂高虎が、
藩主である伊勢国津藩の藩士の長男として誕生するも幼く失明。

江戸の盲人鍼医であった山瀬琢一に入門後破門される。

失意のどん底にあった和一は目が不自由な自分は、
生きる為に何かを成就させねばと芸能の神また盲人の守護神であり、
和一が信仰していた江ノ島弁財天の岩屋に籠り断食修行を行う。

天和2年(1682)には世界で初めて視覚障害者の為に、
現在の学校にあたる鍼治講習所を設け鍼灸・あん摩療法の生業の道を開く。

その名声を聞いた5代将軍徳川綱吉が和一を扶持検校として召し抱え、
自身の治療にあたらせた。

綱吉公は高齢の和一が江戸から江ノ島弁財天まで月参りしているのを不憫に思い、
元禄6年(1693)に当地本所一つ目に三千坪余りの土地を与え、
そこに弁財天を分社して祀らせた。

この神社は一つ目弁天社と呼ばれた。


【鳥居】



【狛犬】



【鳥居】



【拝殿】


綺麗な拝殿です。


【杉多稲荷神社】



【銭洗】


お金を洗いたい人は洗いまくってください。(笑)


【弁才天】



【美玉洗】





【岩屋】


怪しげな洞窟がある。

当然入っていきます。(^^

江ノ島の洞窟を模して寛政5年に造られたそうです。

意外と古いんですね。




杉山和一大人命。

洞窟はそんなに長くはありませんが、
ちゃんと洞窟してました。(^^






突き当りと左折した先に宗像三神と宇賀神が祀られていました。

雰囲気があって良かったです。

私の次に入っていった白人の男性は洞窟内に入って、
どう思ったことだろう?(^^;


【御朱印】

松坂稲荷大明神・吉良上野介邸跡(2018年2月17日参拝)

2018年03月19日 | 神社
両国界隈には国技館の他、旧安田庭園にある刀剣博物館、
すみだ北斎美術館、江戸東京博物館等行ってみたい所はある。

しかし今は寺社巡りが第一ということで、
吉良上野介邸跡にある松坂稲荷大明神を参拝することに。

回向院から徒歩数分で吉良上野介邸跡に到着。


所在地:東京都墨田区両国3-13-9
御祭神:倉稲魂命、伏見稲荷
創建:不明


【全景】


狭い跡地に松坂稲荷大明神が鎮座しているようです。


【石碑】



【案内板】





【社殿】



【由緒】


この通り小さな神社ですので、
御朱印はございません。


【吉良上野介像】





【みしるし洗いの井戸】



【吉良上野介義央公追慕碑】



【吉良家家臣二十士碑】



【吉良亭正門跡】




数十メートルほど離れた場所にありました。


また、50メートルほど離れた場所に、
勝海舟生誕の地があるので行ってみた。


【両国公園】



【写真パネル】


公園の端っこにあります。




私に負けず劣らずの男前ですね。

はい、言った者勝ちです。(笑)


【勝海舟生誕之地】


ちなみに墓所は大田区の洗足池公園にあります。

無縁寺 回向院(2018年2月17日参拝)

2018年03月18日 | 江戸三十三観音霊場


葛飾八幡宮に参拝後、本八幡駅前の店で昼飯。

やっぱり海鮮丼より寿司の方がいいな。(^^;


さて、本日泊まるホテルがある東京の森下駅界隈は、
あの国技館がある両国には徒歩圏内。

この辺りには回向院をはじめ幾つかの寺社があるので、
国技館を見ることも無く回向院へ。


所在地:東京都墨田区両国2-8-10
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:明暦3年(1657)
札所:江戸三十三観音霊場


【縁起】




回向院は今からおよそ360年前の明暦3年(1657)に開創。

この年、江戸には振袖火事の名で知られる明暦の大火があり、
市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われました。

当時の将軍家綱公はこのような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと、
隅田川の東岸、当院の現在地に土地を与え、万人塚という墳墓を設け、
遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。

この時、お念仏を行じる御堂が建てられたのが回向院の歴史の始まりです。

無縁寺・回向院は一方、境内堂宇に安置された観世音菩薩や弁財天等が、
江戸庶民に尊崇され、様々な巡拝の札所にもなりました。

度重なる大火に被害を蒙り、明治の廃仏毀釈、大正の大震災、
更には第二次大戦下の大空襲等によって、幾度か存亡の危機に立たされるも、
時の住職、檀信徒により、法灯と絶やさず現在に至る。



【山門】


とてもモダンで印象的な山門です。

昭和58年(1983)に再建されたもの。

境内に10台分程の車を停めれるスペースがありました。


【境内・本堂】


右手は竹がありオシャレな雰囲気。

奥に見えるのが本堂です。


【力塚】


昭和11年(1936)に相撲協会が、
歴代年寄の慰霊の為に建立したそうです。


【聖観世音菩薩】




天女のようであり遊女のような観音様のお姿です。


【慈母観音】



【石仏】





【本堂内陣】


御朱印帳を預け本堂へ。

内陣はミュージアムのような照明で、
居心地はとても良い。


【阿弥陀如来】


御本尊。

予想以上に立派で拝み甲斐がありました。(^^


【二十五菩薩】



【馬頭観音堂】


納骨堂かと思うようなお堂ですが、
馬頭観音が祀られています。

将軍家綱公の愛馬が死亡し上意によってその骸を当院に葬られ、
その供養をする為、回向院二世信誉貞存上人は馬頭堂を建て、
自らが鑿をとって刻し安置したのが馬頭観世音菩薩像だそうです。


【小鳥供養塔】



【塩地蔵】


右手に錫杖、左手に宝珠を持たれており、
参詣者は願い事が成就すると塩を供えたことから、
塩地蔵と呼ばれています。


【鼠小僧次郎吉の墓】






これがあの有名な鼠小僧の墓で、
墓石を削って持っていると御利益があるとかで、
随分削られていました。

墓を削るなんて何て罰当たりなんだろうと思っていましたが、
白い墓石はいわゆる御前立だそうです。

私も下の石で削ってみましたが、
削れるのはほんの少しでした。


【猫塚】



【念仏堂】


洒落たホテルのような外観。

おおよそお寺の中にあるお堂とは思えない造りですね。

どうやら葬儀場のようです。


【屏風】


これは欲しいなぁ。

飾る場所がないけど。(^^;


【堂内】



【御朱印】


御朱印は二体ありました。

葛飾八幡宮(2018年2月17日参拝)

2018年03月17日 | 神社




法華経寺近くに鎮座する安房神社。

普段は閉まっているであろう拝殿の扉が開けられており、
殿内には雛段が置かれていました。

さくっと参拝を済ませ葛飾八幡宮へ向かう。

葛飾といえば寅さんの舞台である東京葛飾を思い浮かべますが、
千葉県の京成八幡駅近くに鎮座しております。

車じゃなく電車で参拝する時は駅から近いと助かる。(^^


所在地:千葉県市川市八幡4-2-1
御祭神:誉田別命・息長帯姫命・玉依比売命
創建:寛平年間(889-898)
社格:県社



【由緒】
創建は平安朝の昔、宇多天皇の勅願により、
下総国総鎮守として御鎮座、以来歴朝の御崇敬篤く、
代々の国司・郡司をはじめ国民の信仰深く、
下総国における葛飾文化、八幡信仰の中心となりました。

葛飾という地名は現在東京都葛飾区としてしか残っておりませんが、
その昔武蔵国と下総国の境は隅田川でした。

隅田川より東、鎌ヶ谷あたりまでは下総国葛飾郡であり、
その葛飾郡に鎮座坐す八幡さまとして、
葛飾八幡宮という名称がつけられたものと思われます。

明治時代の神仏分離令により、別当寺であった法漸寺は廃寺。

明治13年(1880)には郷社、後に県社に列した。
明治39年(1906)には幣饌料供進社に指定された。


【一之鳥居】


線路近くにある堂々たる一之鳥居。

昔はこの周辺も長閑な田園だったが、
今はマンションや商業施設が立ち並び繁栄している街です。


【二之鳥居】


良い雰囲気です。(^^


【随神門】


元は天台宗上野寛永寺の末寺であった法漸寺の仁王門でしたが、
神仏分離令により随神門となったもの。

かつては仁王像が安置されていましたが、
現在は行徳の徳願寺に遷されているそうです。


【狛犬】



【参道】




長い参道です。


【神門】



【拝殿】




拝殿でお参りした後、
境内の片隅で羽生君のフィギュアフリーをスマホのテレビで観戦。

見事な演技で金メダル。(^^

こういう時にテレビが見れないアイフォンじゃなくて良かったよ。


【神楽殿】







【本殿】



【鐘楼堂】


法漸寺の数少ない遺構です。


【力石】



【源頼朝公駒どめの石】


源頼朝公が当社で戦勝を祈願した時、
頼朝公の馬が前足を掛けた蹄の跡があるそうです。


【厳島社】





【千本公孫樹】


国指定天然記念物。


【神輿舎】





【葛飾天満宮】



【尾上稲荷社】




何故か不動明王がいらっしゃいました。


【狛狐】



【道祖神・石祠】



【八坂社】



【道祖神】



【庚申塔】


病魔や病鬼を払い除くといわれる青面金剛像。




足元には謹慎の態度を表すという三猿。


【浅間社】



【境内】



【御朱印】


兼務社の六所神社の御朱印もいただけますが、
参拝していないのでいただいておりません。