Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

高円寺(2021年9月4日参拝)

2022年02月27日 | 仏閣
続いて高円寺という地名の由来となったお寺の高円寺へ。
こちらも駅から近いので助かります。

三代将軍徳川家光公がこのお寺に立ち寄られたというお寺です。


所在地:東京都杉並区高円寺南4-18-11
宗派:曹洞宗
御本尊:聖観音菩薩
創建:弘治元年(1555)
開山:建室宗正


【縁起】
当寺は中野成願寺3世建室宗正によって開山された曹洞宗の寺です。
御本尊は観音菩薩像で室町期の作と伝えられる阿弥陀如来坐像も安置されています。

かつてこの地は周辺に桃の木が多くあったことから桃園と称され、
御本尊は桃園観音、寺は桃堂の名で呼ばれていました。

当寺が広くその名を知られるようになったのは、
第5世耕岳益道の時、三代将軍徳川家光の知遇を得たことによります。
現本堂裏の高台が御殿跡と呼ばれるのは、家光公が遊猟のおり、
当寺に立ち寄り休息した茶室跡に由来するといわれ、付近には御殿前の名称が残りました。

境内にある茶園の名残も家光の寄進と伝えられます。
また、それまで小沢村と呼ばれた村名を寺名をとって、
高円寺村と改めさせたのも家光といわれています。

今日まで寛保2年(1742),弘化4年(1847),明治33年(1900)、
昭和20年(1945)と4度も罹災し、堂舎と共に古記録類の多くを焼失しました。

現在の本堂は昭和28年に建立したものです。


【山門】


こちらは裏門みたいなものでしょうか。
閉じられていました。






こちらが正式な山門ですね。
ただ一般人は門の下はくぐれず横から境内に入れました。

うーむ、これは排他的なお寺かも知れん。


【参道】




綺麗に手入れされた参道と境内です。


【本堂】


本堂は閉められていました。


【地蔵堂】



【稲荷社】


石鳥居の柱には龍の彫刻がありました。
ありそうでなかなか無い鳥居ですね。

都内には品川神社と馬橋稲荷神社と3つしか無いそうです。


【庫裏】


このお寺はやはり排他的な雰囲気が境内から漂う。
ただ私がそう感じただけで実際は違うかも知れませんけど。

御朱印は恐らくないはずです。

高円寺駅、新高円寺駅界隈には魅力的なお寺がまだ沢山あります。
今回は時間が無いので参拝出来ませんでしたが、
いつの日かお寺巡りをしてみたいと思います。

長仙寺(2021年9月4日参拝)

2022年02月25日 | 仏閣
氷川神社から200メートルぐらい離れた場所にある長仙寺へ。
こちらは不動明王が御本尊の真言宗のお寺です。


所在地:東京都杉並区高円寺南3-58-4
宗派:真言宗豊山派
御本尊:不動明王
創建:宝永元年(1704)
開山:真秀和尚


【縁起】
日王山阿遮院長仙寺は真言宗豊山派の寺で不動明王を本尊としています。

寺伝によると宝永元年(1704)中野法仙寺の住僧であった真秀が、
この地に一庵を建て日王山阿遮院と号したのが開創といわれます。

その後、寺容も整い長仙寺と称してきましたが、寛政8年(1796)本堂を焼失し、
54年を経て嘉永3年(1850)明情和尚の代に再建されました。

昭和になり高円寺町の発展とともに寺勢再興し、昭和10年本堂を新築しましたが、
同20年4月戦災のため惜しくも堂宇を全焼しました。

現在の本堂は昭和44年に建立されたものです。


【山門】


昭和56年(1981)建立されたもの。


【仁王像】




平成10年(1998)像立されたもの。


【庫裏】


お寺のまわりは高円寺駅周辺で商店街もあって賑やかですが、
お寺に入ると一転して静かになるから不思議ですね。


【庭園】


見事に手入れされた庭園です。








この辺りはちょっと寂しげ。
もうちょっと何とかすれば良い庭園になると思うんだけど。


【如意輪観音菩薩】


享保9年(1724)の造立されたもので、
独特のポーズから歯痛を除いてくれると信仰されてきた仏様だそうです。


【石段】



【本堂】




昭和44年(1969)に再建されたもの。


【御本尊】






室町時代作といわれ第二次世界大戦の空襲の際、
当時の御住職が命懸けで守ったそうです。

お寺にとって御本尊は命ですからね。


【灯籠】



【庫裏】


これにて長仙寺の参拝終了。

御朱印はあるようですが、
天気も悪いし時間も無いのでいただいておりません。

高円寺氷川神社(2021年9月4日参拝)

2022年02月23日 | 神社
雑司が谷から高円寺へ移動。

こちらには全国で唯一とされる珍しい神社があるので、
これは行っておかないと思い氷川神社へ。

氷川神社は高円寺駅からとても近いので助かります。
車も境内に無料で停められますね。


所在地:東京都杉並区高円寺南4-44-19
御祭神:素盞嗚命
創建 :不明
社格:村社、神饌幣帛料供述神社


【由緒】
当社は旧高円寺村小名原の鎮守で御祭神は素盞嗚尊です。
創建については口碑によれば天文年間(1532-1515)
村内曹洞宗高円寺の創建と同じ頃といわれます。

また社伝によれば源頼朝が奥州征伐の際、この地に着き、
安達藤九郎盛長に命じて社殿を建立させたとも、
家臣の村田兵部某が高円寺村にとどまり農民となった時、
大宮の氷川神社を勧請して社殿を建立したのが起源ともいわれています。
しかし詳細なことは詳かではありません。

江戸時代には原の鎮守様として農民の信仰を集め、
高円寺が別当職を務めていたといわれます。

明治維新後、別当職を廃し明治7年社格を村社に被定し、
同40年5月4日、神饌幣帛料供述神社に列す。
太平洋戦争後、即ち昭和20年8月15日以降は宗教法人氷川神社となり現在に至る。

境内には三社の末社が祀られていますがなかでも気象神社(祭神八心思比顕命)は、
全国でも数少なく、非常に珍しい神社です。

この社は戦時中旧馬橋4丁目にあった陸軍気象部内にあったものですが、
戦後、関係者の要請で当神社の境内に遷されました。


【鳥居】



【拝殿】






まずはお参り。
こじんまりとした神社です。


【本殿】



【手水舎】



【鳥居】





【絵馬】


下駄の形をした珍しい絵馬です。
私が子供の時は下駄じゃなく靴を飛ばして天気を占っていましたけど、
今の子供はそんな風習をやっているのかな。


【狛犬】





【気象神社】


こちらが日本で唯一とされる気象神社です。

御祭神の八意思兼命は神話によると、
太陽神である天照大御神が天の岩戸に隠れて世の中が暗闇になった時、
岩戸を開けて天照大御神を外界に戻す知恵を考え出し、
再び世界に太陽を取り戻しことから気象の神様と祀られるようになったそうです。

何ともこじつけが凄い。(^^;


【御朱印】


月毎にこのようなカラフル御朱印をいただけます。

一体500円で別々に購入可です。
これは500円の価値が十分ありますね。




名刺とコースターのようなモノを無料でいただけました。

雑司ヶ谷鬼子母神堂(2021年9月4日参拝)

2022年02月21日 | 雑司が谷七福神巡り
雑司ヶ谷界隈のメインである鬼子母神堂に到着。
こちらは私でも知っていた有名寺院なので参拝が楽しみです。


所在地:東京都豊島区雑司が谷3-15-20
宗派:日蓮宗
御本尊:鬼子母神
創建:天正6年(1578)
札所:雑司が谷七福神巡り


【縁起】
当山におまつりする鬼子母神の御尊像は室町時代の永禄4年(1561)5月16日、
雑司の役にあった柳下若挟守の家臣、山村丹右衛門が清土の地の辺りより掘りだし、
星の井(清土鬼子母神境内にある三角井戸)あたりでお像を清め、
東陽坊(後、大行院と改称、その後法明寺に合併)という寺に納めたものです。

東陽坊の一僧侶がその霊験顕著なことを知って、
ひそかにご尊像を自身の故郷に持ち帰ったところ、意に反して病気になったので、
その地の人々が大いに畏れ、再び東陽坊に戻したとされています。

その後、信仰はますます盛んとなり、安土桃山時代の天正6年(1578)
稲荷の森と呼ばれていた当地に、村の人々が堂宇を建て今日に至っています。

現在のお堂は本殿が寛文4年(1664)徳川4代将軍家綱の代に、
加賀藩主前田利常公の息女で広島藩主浅野光晟に嫁した
自昌院殿英心日妙大姉の寄進により建立され。

昭和35年に東京都有形文化財の指定を受け、
平成28年7月には国指定 重要文化財になりました。


【参道】



【大公孫樹】


樹齢約700年。


【金剛力士】





【鳥居】









【狛狐】





【武芳稲荷堂】



【鬼子母神堂】




立派なお堂です。
こちらでお参りと御朱印をいただきました。


【法不動堂】



【石碑】



【石塔】



【鬼子母神堂】




裏側には妙見堂がありました。


【狛犬】





【御首題・御朱印】


4体ありますがコロナ対策で書き置きのみでした。




私はいただいたのがこの二体です。

鬼子母神堂は日蓮宗寺院らしい雰囲気でしたが、
参拝出来て良かったと思えるお寺でした。

本納寺(2021年9月4日参拝)

2022年02月20日 | 仏閣
大鳥神社のお隣にお寺がある。
小さなお寺で日蓮宗の本納寺です。

とりあえず参拝。


所在地:東京都豊島区雑司が谷3-19-14
宗派:日蓮宗
御本尊:一塔両尊
創建:慶安3年(1650)
開山:実蔵院日相上人


【縁起】
寛永5年(1628)実蔵院日相上人が現在の地に三宝諸尊を祀ったことに始まります。
慶安3年(1650)本納寺は正式に寺院として開かれました。

大正12年(1923)9月1日の関東大震災により大破し改築。
明治41年(1908)白山浄心寺墓地及び大塚仲町本伝寺墓地の一部を改葬移転、
現在の墓地地域をなす。


【山門】



【本堂】




本堂は閉まっていました。
これは想定内です。

本堂内陣の様子はお寺のブログで見ることが出来ます。

http://www.honoji.or.jp/blog/


【庫裏】


本堂の裏手は墓地でした。

以上です。

御首題と御朱印はありますが、
ピンポン押すことなく鬼子母神堂へ向かう。

雑司が谷 大鳥神社(2021年9月4日参拝)

2022年02月18日 | 雑司が谷七福神巡り
文京区護国寺界隈にはまだまだ魅力的な寺社がある。

本当は東京カテドラル聖マリア大聖堂や永青文庫、
ホテル椿山荘東京にある旧竹林寺三重塔に行きたかったが、
歩くには結構遠いけどタクシーだと近距離過ぎるという、
実に中途半端な場所にあるし所用がある場所に、
少しでも近づいていたい為、今回は泣く泣く回避。

またの機会に。


【都電荒川線】




護国寺駅から東池袋駅で都電荒川線に乗り換え、
雑司が谷駅で下車。

都電荒川線はたった一駅だったけど、
味のある電車でしたね。(^^

駅前に雑司ケ谷霊園があり夏目漱石さんの墓参りをした。

しかし折角写真を撮ったのに何故かSDカードからデータが消えていた。
撮ってはいけないお墓だったのか。(ガクガクブルブル)

なので写真はありません。(泣)

雑司が谷駅には有名な鬼子母神堂があり参拝しますが、
その前に大鳥神社にお参り。


所在地:東京都豊島区雑司が谷3-20-14
御祭神:日本武命、倉稲魂命、蛭児大神
創建:正徳2年(1712)
札所:都電神社めぐり


【由緒】
出雲藩主松平出羽守の嫡男・万千代が疱瘡にかかり、
千登世橋近くの高田村下屋敷で療養していた。

出雲国鷺浦・鷺大明神に祈願し平癒した為、鬼子母神境内に鷺大明神を勧請、
手水舎の傍らに奉斎したのが創祀といわれている。
以来厄病除けの神として尊崇されていた。

明治政府による神仏分離令により鬼子母神から分離し、
神社として存続を図ることとなり大鳥神社と改称、
大門ケヤキ並木沿いにあった料亭・蝶屋の敷地内に遷された。

旧幕臣であった矢嶋昌郁氏はこの状況を憂い社地として二百坪を奉献、
明治20年(1887)に現在地へ遷座し、大正6年(1917)に社殿が新築された。

昭和15年(1940)社地北側を流れていた弦巻川の暗渠化に伴い、
社殿配置の変換が行なわれた。
また同年、境内に隣接していた宮司の私有地(120数坪)を寄進・境内に編入している。
昭和30年(1955)境内に隣接する土地約150坪を買取り社地を拡張した。
昭和56年(1981)には旧社殿の老朽化に伴い、現社殿への造替と境内整備が行われた。


【狛犬】





【拝殿】


こじんまりとした神社ですが、
巫女さんもいて活気のある神社でしたね。


【賽銭箱】



【西宮神社】


関西人にとって馴染み深い西宮神社から勧請されたそうです。


【三杉稲荷神社】





【神輿庫】



【御朱印】


カラフル御朱印をいただきました。
500円也。

本伝寺(2021年9月4日参拝)

2022年02月16日 | 仏閣
先ほど参拝した西信寺から100メートルもない距離に、
日蓮宗の本伝寺というお寺があります。

まぁ、近くにお寺があったら参拝しますよね~。


所在地:東京都文京区大塚4-42-23
宗派:日蓮宗
御御本尊:十界勧請曼荼羅・釈迦如来
創建:元和年間(1615-1624)
開山:法仙院日影上人


【縁起】
本尊は十界勧請曼荼羅。
當寺の開創は元和年中で開山は法仙院日行上人、
開基檀越は横山氏、秋山氏と傳へられてゐる。

江戸名所圖會にはその開創について昔は禪宗にして重光山善性寺と號く。
元和年間瑞應禪師今の宗風に轉じ、自らの名を法仙院日行と改め、
寺號をも本傳寺とすとあり、更に経讀日蓮大士縁起として日行改宗の因縁を記してゐる。

又其寺中通玄院持の『波切不動尊』についても、
日蓮上人に關する縁起が記されてゐる。

即ち當寺は大塚の巨刹として知られ、寺中には前記通玄院の外に、
圓珠院、萬祥院(或は妙祥院)等があり、文政には境内除地2352坪、
外に傳通院領九畝二十九歩あつた。維新後寺中は總べて本坊に併合せられ、
浪切不動尊も本坊持となつた。


【山門】




恐らく檀家寺だと思うのですが、
とても威風堂々たる山門です。




こちらにはもう一つ山門があります。
こちらは勅使門でしょうか、気品がありますね。


【本堂】




本堂の扉がまさかのシャッター。

数多くのお寺に参拝してますが、
シャッターがあるのは初めて見ました。

これだと泥棒対策万全ですね。(笑)




すると参拝者の私がいることをお寺の方が分かったからか、
シャッターが開いた。(笑)

お手数をお掛けして申し訳ございません。(笑)
お陰様で何の邪念もなくお参りが出来ました。


【彫刻】



【波切不動堂】




厨子の前に御前立ちと思われる不動明王が拝めました。

紅白の紐は結縁のものかと思いましたが、
見た感じ単なる鈴を鳴らす為のものかと思われ。


【浄行堂・稲荷神社】



【庫裏】



【境内】



【石仏】




ブルーシートに包まれた石仏は一体?

後ろの砕かれた石を見てると同じ運命を辿ることが無いことを祈る。
まぁ、さすがにそれはないと思うけど。


これにて本伝寺の参拝終了。

御朱印や御首題はありますが、
ピンポンを押すことなく退散。

このところピンポンを押してまで御朱印をいただきたいと思わなくなってきた。


【音羽通り】


ここは江戸時代に大奥の女中達が護国寺に参拝する時の参道で、
当時はかなり参道界隈も賑わっていたそうです。

音羽という地名は大奥の奥女中であった音羽が、桂昌院に仕えていたこともあり、
護国寺の門前町である土地を与えられました。
そこから音羽という地名になったそうです。


【蕎麦人 弁慶】


護国寺駅前にあるお蕎麦屋さんで昼食。

鰻と蕎麦という組み合わせは珍しいな。
関東ではよくあることなのかな。

美味しかったです。

西信寺(2021年9月4日参拝)

2022年02月14日 | 仏閣
吹上稲荷神社から数百メートル離れた場所に、
浄土宗の西信寺というお寺があります。

事前チェックではそんなに見どころがあるお寺ではありませんが、
そこにお寺がある限り参拝です。


所在地:東京都文京区大塚5-2-10
宗派:浄土宗
御本尊:阿彌陀如来
創建:寛永2年(1625)
開山:本蓮社譽單稱長察大和尚


【縁起】
西信寺は江戸初期に長察によって開山された浄土宗の寺で、
約400年にもおよぶ歴史を持つ由緒ある寺院。

寛文二年西岸寺開山の本蓮社覺譽上人が當寺を開創し、
想譽上人を中興としてゐる。

従来餘り著名ではなかつたが、明治四十年頃長崎村に墓地を設け、
犬猫の埋葬を開始してから寺門大いに繁榮し、世間に喧傳されるに至つた。

当寺に理容業の始祖と言われるの北小路采女助の墓所である。

采女助の墓はもともと西信寺の向かいにあった大慈寺という寺にあったが、
明治時代の廃仏毀釈によって大慈寺が廃寺となった際、
過去帳とともに西信寺に移され、
地元理容関係者によって手厚く守られてきたという。


【山門】


シンプルですが良い雰囲気の山門です。


【北小路采女助】


下関で髪結職で高い収入を上げていた新羅人に親子で学び、
亀山八幡宮裏の中之町に武士らを相手にした髪結所を開く。
この店に床の間があり亀山天皇を祀る祭壇と藤原家の掛け軸があったことから、
「床屋」と呼ばれるようになったと言われているそうです。

采女助を祀る碑は全国に存在しているが、
過去帳を伴う墓は西信寺のみです。


【境内】


綺麗に手入れされています。


【鐘楼堂】



【本堂】




明治44年(1911)建立されたもの。


【内陣】




本堂は残念ながら閉まっていましたが、
ガラス越しに拝めて良かった。




御本尊は行基菩薩作、脇士勢至観音像は恵心僧都作だそうです。
また、海中出現観音や地蔵菩薩が祀られています。

画像はネットで拾ったものです。

これにて西信寺の参拝終了。

御朱印は無いと思っていましたが、
こちらで2名いただいている方々を発見しました。

https://jinja-bukkaku.net/sp/detail.htm?jbId=16228

吹上稲荷神社(2021年9月4日参拝)

2022年02月12日 | 神社
護国寺にの近くに幾つか寺社がありますので行ってみましょう。
まずは徒歩で吹上稲荷神社へ。


所在地:東京都文京区大塚5-21-11
御祭神:保食之大神
創建:元和8年(1622)


【由緒】


元和8年(1622)徳川秀忠が下野国日光山より稲荷大神の御神体を戴き、
江戸城中紅葉山吹上御殿に東稲荷宮と称し、海川山野産食物の神として、
幕府が崇敬し奉り、武家諸公の信仰が厚かった。

後に徳川家から水戸家の分家松平大学頭家へ、
そして宝暦元年(1751)に大塚村民の鎮守神として現小石川四丁目に移遷し、
崇敬者多数に及び武家の信仰も厚かった。
また、この時に江戸城内吹上
御殿に鎮座せられるを以て吹上稲荷神社と改名奉った。

その後、護国寺月光殿から大塚上町へ、そして大塚仲町と移遷し、
明治45年(1912)に大塚坂下町(現在地)に遷座し奉り今日に及ぶ。


【鳥居】




大通りからそれて行くと住宅街。
その一角に鎮座しておりました。

車は近くのコインパーキングになりますかね。
護国寺に停めるのもありかも。(小声)


【狛狐】





【手水舎】



【拝殿】




狭い境内ですが拝殿はなかなか立派でした。


【境内社】



江戸幕府に崇敬された神社ではあったが、
今は庶民的なひっそりとした神社でしたね。

御朱印はご不在でいただけませんでした。

護國寺 音羽富士<浅間神社>(2021年9月4日登拝)

2022年02月10日 | 神社
護國寺本坊近くに鳥居を発見。
こちらには関東ではお馴染みの富士塚があります。

どんな小さな山なのか行ってみましょう。


所在地:東京都文京区大塚5丁目40−1
御祭神:木之花咲耶姫
創建:文化14年(1817)


【富士道】



【鳥居】



【石碑】


私立獣医学校発祥之地と刻まれ、
明治14年に開校されたそうだ。


【一合目】


さて、登山開始です。(笑)


【富士塚】


荒々しい富士です。(笑)


【山頂】


わずか3分で登頂。
楽ちんだけど物足りない。(笑)


【浅間神社】


お参り。


【風景】


見晴らしは良くありません。(笑)

東京には100以上の富士塚があるそうで、
中でも護国寺や品川神社他にある江戸七富士巡りとかあるそうで。

ご興味がある方は一日でも回れるようですよ。

大聖護國寺(2021年9月4日参拝)

2022年02月08日 | 江戸三十三観音霊場
今日は所用があり東京へ。
でも時間が余るように早めに東京駅に到着している。
まぁ、そうなりゃ普通神社仏閣巡りをしますよね~。(笑)

そこで東京メトロ有楽町線に乗り護国寺駅に到着。
駅名でも分かるように徳川家所縁の有名寺院である護国寺があります。

ここは前から参拝したかったのですが、
ようやく念願が叶いました。

お寺は駅から出てすぐにあって助かります。


所在地:東京都文京区大塚5-40-1
宗派:真言宗豊山派
後本尊:如意輪観世音菩薩
創建:天和元年(1681)
開基:桂昌院
開山:亮賢上人
札所等:御府内八十八箇所霊場、江戸三十三箇所霊場、東国花の寺百ヶ寺


【演技】
当寺の創建は天和元年2月(1681)五代将軍徳川綱吉公の生母桂昌院の発願により、
上野国碓氷八幡宮の別当大聖護国寺の亮賢僧正を招き開山とし、
幕府所属の高田薬園の地を賜い堂宇を建立、
桂昌院念持仏の天然琥珀如意輪観世音菩薩像を本尊とし、
号を神齢山悉地院護国寺と称し、寺領三百石を賜ったことに始まり翌2年堂宇は完成した。

明治16年、大正15年と火災で堂宇の多くを失ったが、観音堂は元禄以来の姿を変えず、
また、近江三井寺より移築された月光殿(重文)は桃山期の建築美を今に伝えている。

その他、薬師堂、大師堂、多宝塔、忠霊堂や創建当時のものと伝えられる仁王門、惣門。
そして中門と多くの堂宇が保存、または再建されている。

元禄文化の粋を集めた書画・什器の他、国宝、重要文化財等の数多くが寺宝とされている。
 
震災、戦災と二度の大災害に襲われた東京の都心にありながら、
江戸の面影を今に伝える当寺の姿は、訪れる人々の心のふれあいの場として、
昔も今も変りなく親しまれている。


【仁王門】




徳川家祈願寺だけあって堂々たる仁王門です。


【仁王像】





【増長天・広目天】





【境内】


広い境内です。


【本坊】



【手水舎】





【不老門】


昭和13年(1938)4月建立されたもの。


【参道】



【仁王像】



【大仏】



【地蔵菩薩】



【六地蔵】



【鐘楼堂】




鐘楼堂は江戸中期に建立され、梵鐘は天和2年(1682)に寄進されたもの。
銘文には五代将軍綱吉の生母桂昌院による観音堂建立の事情が述べられています。


【大師堂】




元禄14年(1701)に再営された旧薬師堂を大正15年以降に大修理し、
現在の位置に移築して大師堂にしたもの。


【筆塚】



【一言地蔵尊】





【身代地蔵】



【三笠亭・箒庵・仲麿堂】


三笠亭と箒庵は、髙橋箒庵が護国寺に寄進した最初の茶室。
建物を同じくする仲麿堂には阿倍仲麿像が安置されているそうです。


【観音堂】


こちらも堂々たる本堂です。
天和2年(1682)建立されたもの。

御本尊は桂昌院の念持仏である唐物天然琥珀の如意輪観世音菩薩ですが、
現在は秘仏です。

堂内は当然の如く撮影禁止でした。


【多宝塔】




昭和13年4月の建立。
どこかで見た多宝塔だと思ったら石山寺の多宝塔の模写だとか。
どうりで優美だと思ったよ。

大日如来が祀られています。


【月光殿】


こちらは残念ながら非公開でした。


【大隈家墓所】




内閣総理大臣大隈重信の墓所。

他にも大山倍達他偉人の墓が護国寺にあります。


【薬師堂】





【阿伽井】



【桂昌殿】






葬祭場でした。


【惣門】




仁王門と共にこちらも立派な門です。
さすが徳川家祈願寺だけありますね。


【豊島岡墓地】




京都にあるような気品ある門で壁の5本線を見て、
皇族専用の勅使門かと思ってましたが、
後で調べてみると天皇・皇后以外の皇族専用の墓地の正門だとか。

そういや天皇は天皇陵に葬られるのは知ってましたが、
他の皇族の墓所って考えたことも無かったし知らなかったな。

ここに墓参出来るのは天皇や皇族の他、事前に許可を受けた縁故者または関係者に限られる。
皇族の葬儀や祭事に際して記帳や参拝を受け付ける場合などを除き、
一般国民が敷地内に立ち入って墓前参拝をすることは出来ない。


【御朱印】


500円でした。
東京は物価が高いの~。

高台寺 夜間特別拝観(2021年8月15日参拝)

2022年02月06日 | 仏閣
高台寺の夜間拝観でプロジェクションマッピングをやっているので、
どんなもんかと参拝することにした。


【高台寺天満宮】




高台寺の駐車場横に皆さんご存じの高台寺天満宮が鎮座。
まずはお参り。

夜間でも御朱印対応されておりました。


【さざれ石】



【台所坂】




下って行くと圓徳院に行けますが、
今回は高台寺直行です。


所在地:京都府京都市東山区高台寺下河原町526
宗派:臨済宗建仁寺派
御本尊:釈迦如来
創建:慶長11年(1606)
開基:高台院


【前庭】




夜でも素敵な前庭です。


【庫裏】


ここからではなく左手にある拝観入口で拝観料600円を支払い境内へ。

御朱印は限定の書き置きのものが売られていました。
堂内では売られていませんのでご注意を。

早速方丈へ。

【プロジェクションマッピング】




方丈前庭の洗心庭でプロジェクションマッピングされていました。
高台寺の夜間拝観にしてはコロナの影響があって、
拝観者は非常に少なかったです。












正直なところ、そんなに良いとは思えませんでした。


【百鬼夜行展】






方丈内はこれだけ撮影可でした。


【参道】



【開山堂】




暗すぎて写真撮ってもあんまり写りません。(^^;
勿論堂内は撮影不可です。


【霊屋】



【傘亭・時雨亭】





【竹林】





【キャンドル】




雲居庵隣の小さな建物の中に、亡き方達の魂を供養する為に、
ガラスの器に蝋燭に火が灯されていました。

これにて高台寺の夜間拝観終了。

うーん、高台寺の最大の見どころは見事な庭園だと思うんです。
庭園が余り好きでは無い私ですら巨石を配された庭園は凄い。

その見事な庭園にはライトが必要最小限で暗くよく見えない。
それが個人的には残念でした。


【八坂の塔】




夜はひっそりとしてこれもまたよし。

これにて本日の参拝終了。

清水寺宝性院塔頭 真福寺大日堂(2021年8月15日参拝)

2022年02月05日 | 仏閣
キングオブ京都の清水寺から同じく夜間拝観している高台寺へ。

清水寺を下ってすぐに真福寺大日堂という小さなお堂があります。

昼間でもスルーする人が多いですけど、
ある意味とても貴重な仏様が祀られているのでお参りしましょうね。






所在地:京都府京都市東山区清水2丁目248
宗派:真言宗
御本尊:大日如来
創建:不明


【縁起】
大日堂は戦国時代の天文3年(1534)に建立されたとも、
中御門富小路に建立されていた尊体寺が現在の場所に移され、
寺号を真福寺に改めたとも言われています。

その後江戸時代後期の天保年間(1831年~1845年)に僧・一円が中興しました。
なお大日堂は近代まで清水寺の法相宗と真言宗を兼学でした。

宝性院は清水寺の執行職を務めた清水寺の塔頭。
清水寺はかつて三職六坊と言われる塔頭によって維持・運営、
三職は寺主に当たる執行、副寺主に当たる目代、
寺の維持管理などに当たる本願を指し、執行は宝性院、
目代は慈心院、本願は成就院が努めました。

宝性院・成就院は現在も存在し、慈心院は本堂のみが随求堂として残されています。
六坊は三職に次ぐ寺格を有する義乗院・延命院・真乗院・智文院・光乗院・円養院です。
延命院は現在も存在し、真乗院は安土桃山時代に織田信長によって廃絶され、
成就院が寺籍を継ぎ、義乗院・智文院・光乗院・円養院は明治維新後の廃仏毀釈で廃絶しました。


【大日如来】






東日本大震災で倒された名勝・高田松原の松を使って造仏された大日如来坐像が安置されています。

海水を吸った傷だらけの松の木で彫刻用に適しない木材であったが、
京都伝統工芸大学校の学生の皆さんの努力と、
復興イベント「1万人のひとノミひと削り」活動により見事完成。

以前の御本尊は弘法大師作とも言われる大日如来坐像(重要文化財)を安置していたが、
現在は宝蔵殿に収蔵されています。


【清水坂】



【産寧坂】







【灯籠】


オシャレ。
これ欲しいです。(笑)


【八坂の塔】


月とのコラボがいい。