Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

三都神社(2023年3月19日参拝)

2023年05月29日 | 神社
続いて狭山市に戻り次の神社へ。
江戸時代までは熊野三所権現と呼ばれた三都神社に到着。

駐車場の場所が分かりにくいですが、
ちょっとした坂道を進んで行けば到着します。


所在地:大阪府大阪狭山市今熊5-647
御祭神:伊邪那岐命・伊邪那美命・素盞鳴尊
創建:不明
社格:村社


【由緒】



【文殊地蔵尊】






神社の石段前に祀られていた地蔵尊ですが、
普通は文殊菩薩ですので文殊地蔵尊というのは珍しいですね。


【石段】


駐車場が分からない場合は石段手前に停められるスペースはあります。
この場所だったらまぁ大丈夫でしょ。


【鳥居】



【手水舎】



【拝殿】



【戎社拝殿】



【戎社本殿】



【狛犬】





【境内社】









【毘沙門天堂・祖霊社】




神社に毘沙門天が祀られているようだ。




鎌倉時代末期作の毘沙門天を中心に、
不動明王などの諸仏が祀られていました。

明治維新前までは境内に金蔵寺というお寺があったそうで、
これらの諸仏は金蔵寺のものだったかもしれませんえ。


【ウメ】




桜はさすがに早いと思い画像をグーグル検索してみたらウメでした。
ベニバスモモやアーモンドも桜と似てるらしく紛らわしい。(^^;


【坂道】


これが境内の無料駐車場へ続く道です。

御朱印対応されていますが、
ちょうど御祈祷されておりいただけませんでした。

熊野権現社(2023年3月19日参拝)

2023年05月27日 | 神社
観音院の横に鎮守社と思われる神社が鎮座しています。
観音院の駐車場は神社の前にあります。


所在地:大阪府堺市南区岩室213
御祭神:熊野権現
創建:不明


【鳥居】



【境内】


こちらが駐車場になります。


【稲倉大明神】





【拝殿】



【狛犬】





【ブランコ】


これはブランコでいいのかな。
まぁ、大人は乗ったらアカンやつやけど。


【桜】


境内に桜が咲いていました。


















桜で合ってるかな。
ヤマモモだったりして。

どちらにせよ綺麗だからいい。

これにて熊野権現社の参拝終了。
御朱印はもちろんございません。

観音院(2023年3月19日参拝)

2023年05月25日 | 和泉西国三十三箇所観音霊場
続いて少し移動して観音院という、
どこにでもある名前のお寺へ。

こちらは事前チェックで本堂の内陣で拝めることが分かっていたので、
とても楽しみです。

車はちょっとした広場に停められましたが、
そこに辿り着くのがちょっと難しかったです。


所在地:大阪府堺市南区岩室213
宗派:高野山真言宗
本尊 十一面観音菩薩
創建:不明
開基 :(伝)行基菩薩
札所等:和泉西国三十三箇所観音霊場


【縁起】



【山門】




法道寺と違ってこちらは簡素な山門でした。


【六体地蔵】



【本堂】






平成7年(1995)再建されたもの。

嬉しいことに内陣に上がって拝むことが出来ます。
やっぱりお寺はこうでなくっちゃ。


【内陣】






美しい厨子の前に御前立ちがいらっしゃり御本尊は秘仏。

毎年8月10日御開帳とのこと。






三十三観音像。






恐らく弘法大師像。


【阿弥陀堂】




厨子には不動明王の掛け軸。
大きな木の厨子の中に重文の阿弥陀如来が祀られているのでしょうか。






大日如来や役行者等が祀られていました。


【境内】





【鐘楼堂】



【宝篋印塔】





【六体地蔵】



あと水子観音像や納骨堂っぽい聖霊殿がありましたが、
撮影は止めておきました。

御朱印はご不在でいただけませんでした。

国神社(2023年3月19日参拝)

2023年05月24日 | 神社
法道寺の山門の真ん前に鳥居を発見。

見た感じは地味で小さな神社だろうと想像出来たが、
とりあえず寄ってみた。


所在地:大阪府堺市南区鉢ヶ峯寺
御祭神:天照皇大神、熊野大神、山王大神、金峯大神、白山大神
創建:景行天皇24年(94)
社格:式内社、村社


【由緒】
大鳥美波比神社の社伝によれば、
垂仁天皇18年に天照大神が白鳳となって上野峯(鉢峰)に始現し、
景行天皇24年に託宣により武内宿禰が祠を建てたと伝えられています。

この上野峯とははっきりしないものの、
一説には当社の鎮座地であるとも言われ当社は大鳥美波比神社の旧地であることになり、
遷座後に旧地に社殿を創建し神を祀ったのが当社となるのでしょう。

江戸時代以前は五所権現と称し、長福寺(法道寺)の鎮守社でした。
御祭神である天照皇大神、熊野大神、山王大神、金峯大神、白山大神の五柱は、
この五所権現を引き継いだものです。

式内社国神社としての本来の御祭神は不明ながら、
一説にはオオクニヌシではないかとするものもあります。

明治43年(1910)に片蔵地区に鎮座する櫻井神社に合祀されました。

現在、櫻井神社で行われている上神谷のこおどりは、
元々は当社で行われていたものです。

また櫻井神社に蔵されている鎌倉初期の作という神像三躯は、
当社に伝えられていたものを移転したと言われています。


【鳥居】




なかなかの雰囲気。
まぁ、普通の人は避けちゃうよね。


【参道】



【本殿】


小さな境内社といった感じ。

しかし調べてみるともの凄い古社であり、
尚且つ式内社だったと言われている神社であります。

その真偽は今の状況を見ると疑いたくなりますが、
櫻井神社に合祀されたのであながち嘘でも無さそうですね。

法道寺(2023年3月19日参拝)

2023年05月22日 | 河泉二十四地蔵霊場
狭山神社参拝後、本日のメインである法道寺へ。

今まで何故見逃していたのか不思議な古刹ですが、
初めて参拝します。

こちらの見所は多宝塔と大阪では珍しい食堂です。

お寺は警備員が何人もいる大きな墓地に隣接しており、
車は無料駐車場に停められました。


所在地:大阪府堺市南区鉢ヶ峯寺401
宗派:高野山真言宗
御本尊:薬師如来
創建:天智天皇9年(670)
開山:法道
札所:河泉二十四地蔵霊場、和泉八十八ヶ所霊場


【縁起】


当寺は所蔵の縁起書(延長8年写本)によれば天智天皇9年法道仙人が当山で飛鉢の法を行じ、
その霊験を聞き及んだ天智天皇の勅願によって、閑谷院長福寺として開創されました。
この鉢を収めた山を鉢塚山といい、これによって山号を鉢峯山といいます。

南北朝時代には楠木正成の一族であった橋本正員の菩提寺となりました。
その後、8代将軍徳川吉宗の嫡子が長福丸と名付けられたことにより、
同名であることをはばかり、法道仙人の開基であることから、
享保元年(1716)法道寺と改名しました。

往時は多数の搭頭寺院を要する大寺院でした。

境内にある建物のうち鎌倉時代後期の食堂、南北朝時代の多宝塔は国の重要文化財に指定。
また、南北朝時代に制作された仏画十六羅漢像(重文)、高麗時代の阿弥陀三尊図(市指定)、
鎌倉時代弘安6年(1283)に造立された金剛力士像(市指定)など数多くの文化財を有しています。


【山門】




見事な山門です。
否が応でも期待感が上がる。


【仁王像】




弘安6年(1283)作の堺市指定有形文化財。


【金堂】








なかなか立派な本堂ですが、
残念ながら開いていませんでした。


【山門】


境内から見た山門。


【大師堂】



【多宝塔】


さすが重文だけあって見事な多宝塔です。
大阪にもまだこんな多宝塔があったのかぁ。






多宝塔の周りはきっと桜が咲いたら美しいだろう。
今は葉っぱもなく寂しい感じだけど、
咲いてる様子を想像してみると楽しくなるね。


【食堂】




鎌倉時代後期の建立の重要文化財。

食堂は奈良の薬師寺が有名ですが、
大阪では金剛寺と法道寺の二ヶ寺のみとのこと。


【石仏・宝篋印塔】



【南門】


これにて法道寺の参拝終了。

本堂にあたる金堂が閉まっていたのが残念ですが、
伽藍好きには満足出来るお寺でした。

もっと有名になってほしいですね。

狭山神社(2023年3月19日参拝)

2023年05月20日 | 神社
いろいろプライベートが忙しく、
なかなか自由になる時間が無かったが、
今日は時間が確保出来たので約一ヶ月振りに寺社参拝します。

まず大阪でまだ参拝していない寺社を目指し、
狭山市に鎮座するその名も狭山神社へ。

無料駐車場に車を停めいざ参拝開始。


所在地:大阪府大阪狭山市半田1-223
御祭神:天照皇大神・素盞嗚命
創建:不明
社格:式内社、郷社


【由緒】
創建の年代は不詳であるが崇神天皇の勅願により、
狭山池の築造以前に創建されたという伝承がある。

延喜式神名帳では近隣の狭山堤神社(現 当社摂社)と共に大社に列格している。

南北朝時代、当地は南北両軍の激戦地となり度々兵火にかかった。
現在の社殿は室町時代中期の明応2年の再建と推定されている。

明治5年(1872)に郷社に列格し明治40年1月に神饌幣帛料供進社に指定された。
同年12月26日、字明神山にあった村社狭山堤神社を合祀した。

また明治40年には八雲神社(祭神 素盞嗚命)、
明治42年には村社狭間神社(祭神 稲田姫命・大山祇神)を合祀した。


【注連縄柱】



【境内】


なかなか良い雰囲気の神社です。


【手水舎】



【神器庫】






右手側には私の大好きな茅葺屋根の建物。
大阪では滅多に見られないものです。


【拝殿】


まずはお参り。

本殿は見えませんでした。


【狛犬】





【狭山堤神社】


狭山神社には二つの式内社が鎮座している珍しい神社で、
こちらの狭山堤神社も式内社です。


【境内社】


足玉社と水本社。


【戎神社】







【岳主社】



【狭山稲荷神社】



【境内社】


岐社・埴土社。


【社務所】



【参道】



【鳥居】


道を挟んだ奥に鳥居が見えました。
こんな所にあったのか。

見に行こうかと思ったが交通量が多い道路でしたので止めておきました。

御朱印はありますが今回はいただきませんでした。

東本願寺 大寝殿・白書院 其の二(2023年2月16日特別拝観)

2023年05月18日 | 仏閣
大寝殿拝観の次は白書院です。


【白書院】


大寝殿よりは広くはないですね。
ま、そりゃそうか。


【障壁画】





【扁額】


国豊民安と書かれています。

書いたのは閑院宮載仁親王で、
親王は伏見宮邦家親王の息子で真言宗醍醐派総本山三宝院門跡で皇族軍人。
大日本帝国憲法下最後の国葬を行った人物。


【掛け軸】








狩野親信作。


【違棚】





【格天井】



【付書院】



【欄間】



【帳台構】




豪華絢爛です。

これにて白書院の拝観終了。

西本願寺のそれと違って派手なイメージでしたね。


【庭園】


奥に御影堂が見えます。


【白書院】



【審門院】


ここから先は立ち入り禁止。

秩序を保持し同派の規定による申立及び係争又は紛争に関する事項並びに、
僧侶の懲戒に関する事項について監察、提訴及び審決を行うのが審門院。


【御影堂】




重要文化財。

西本願寺と違って内陣は撮影不可でした。


【造り合い廊下】




【阿弥陀堂】


阿弥陀堂も撮影不可でした。


【境内】





【京都タワー】



【境内】



【阿弥陀堂門】



【阿弥陀堂】



【御影堂】



【阿弥陀堂門】






ただただ美しい。


【御影堂門】










こちらは豪壮な山門で、
上に登ったら結構な高さを感じましたよ。


【堀】





東本願寺 大寝殿・白書院 其の一(2023年2月16日特別拝観)

2023年05月16日 | 仏閣


京の冬の旅では40年振りとなる東本願寺大寝殿・白書院特別拝観です。
人数限定で僧侶の説明付き2500円と自由拝観800円の2パターンがありました。

東本願寺は何回か参拝していますが、
大寝殿と白書院は初めての拝観なので楽しみです。

車は無料駐車場に停めていざ参拝開始。


<2022年1月22日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/d0f6a9fc89fdc1ee2596c8c2135c231c


所在地:京都府京都市下京区烏丸通七条上ル常葉町754
宗派 :浄土真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:慶長7年(1602)
開基:教如上人(本願寺第12世)


【大玄関】



【大寝殿】



【境内】


後ほど参拝します。


【御影堂門】



【参拝接待所】


こちらが拝観入口となり廊下を歩いて行きます。


【廊下】


ここは初めて歩きます。
このまま進んで行くと拝観受付があります。


【親鸞聖人御影】



【教行信証】


親鸞聖人真筆。


【階段】


下へ下りて行きます。
エレベーターもありますので足が悪い方も安心です。


【ギャラリー】



【ホール】



【廊下】





【真宗視聴覚ホール】


凄い現代的なホールがあります。
存在すら知らんかった。




中に入るとこんな素晴らしい会場でした。

平成10年(1998)建立されたもの。


【鼉太鼓・模型】





【御影堂内陣構造模型】





【鼉太鼓】







【廊下・休憩所】


奥の右側に拝観受付がありました。


【御駕籠】





【縁側】


ここが有料ゾーンの大寝殿。


【菊門】









【大寝殿】




中はこんな感じで撮影は全てOKでした。


【風竹野雀】




日本画家竹内栖鳳氏の作品。

ガラスが中途半端にあって反射により撮影しにくい。


【古柳眠鷺】





【歓喜図・違い棚】



【雀】


歓喜図の中の雀。

これにて大寝殿の拝観終了。
次は白書院へ向かいます。


【廊下】







【大寝殿】



【廊下】








ようやく白書院が見えてきました。


【能舞台】




明治時代に建立されたもの。

昨年10月に我が恋敵の西川貴教がここでコンサートをしていたようです。
https://www.higashihonganji.or.jp/news/notice/00543043/




右手側は白書院です。


【庭園】






長くなりましたので白書院は次回。

長尾天満宮(2023年2月16日参拝)

2023年05月14日 | 神社
醍醐寺子院(*)の理性院の前に神社の鳥居がある。
(*塔頭は禅宗寺院で用いられる為、当ブログでは子院と明記しています)

醍醐寺の横に神社があるとは知らなかったよ。(^^;

ちょっと良い感じの鳥居と参道だったので寄ってみた。


所在地:京都府京都市伏見区醍醐伽藍町18
御祭神:菅原道真公、大己貴命、須佐男命
創建:天慶三年(940)


【由緒】


延期3年(903)菅原道真公没後、醍醐寺開山聖宝の弟子観賢により道真の墓を築いたという。
天慶三年(940)第60代醍醐天皇の御願により、菅原道真公を祀ったことに始まるという。

慶長5年(1600)豊臣秀吉の命により紀州の満願寺を解体移築し下醍醐の金堂を建立。
この時工事中に怪我人が続出した為、醍醐天皇の御願寺に、
功徳することへの菅原道真公の祟りがあるとして勧請されたともいう。

応仁の乱のとき下醍醐一帯が五重塔を除き悉く消失、当社も難を免れませんでした。
1801年に再建されましたが1805年に再び火災にかかり消失。
現在の本殿は1821年に再建されました。


【一之鳥居】



【参道】


結構長い参道で疲れてる時は行く気を無くしそうです。(^^;

すっきりとした明るい参道ですが、
以前は木々に覆われ鬱蒼としていました。

しかし2018年台風21号により倒木の被害が発生し、
倒木は全て取り払われ今のような参道に生まれ変わりました。

台風21号は本当に強烈だったもんなぁ。
会社に車で行ってる時に街路樹が倒れまくっていたのは未だに忘れられない。


【二之鳥居】


車は鳥居辺りに停められそうですが、
神社の許可なく停めることは禁じられている為、
有料駐車場に停めましょう。


【石段】


結構長い石段で疲れてる時は行く気を無くしそうです。(ほぼコピペ)


【頼政道跡】





【石段】


結構疲れました。(^^;




石段を登りきった、頑張った自分。(笑)


【衣裳塚】






登りきったら右手にあります。

醍醐寺が気に入った藤原道真公が太宰府で亡くなると、
その衣服と遺物が太宰府から持ち帰られ、
観賢が生前の意思にしたがって埋めたが、
秀吉公が金堂を醍醐寺を移築しようとした際、
事故が多発し道真公の祟りと恐れられ、長尾天満宮を創建し埋設したそうです。


【皇大神宮】




石段を登ると正面にあります。

ちょっと薄暗い雰囲気です。
稲荷社でも鎮座しているのかというほど。


【参道】


左側に本殿が鎮座しております。


【拝殿】




実に力強い必勝の文字です。


【本殿】









【狛犬】





【境内社】





【御神牛】



【蔵】



【御朱印案内】


受付中とのことですが、
社務所は閉まってるし電話番号や宮司宅も分かりません。

なのでいただいておりません。


【石段】


行きとは違うルートの石段があるので帰りはこちらから。


【境内】


醍醐寺の伽藍が少し見えましたが、
フェンスがあるので入ることは出来ません。


【境内社】


詳細不明。


【参道】


ここは私のようなマニアか神社関係社しか歩かないでしょう。

これにて長尾天満具の参拝終了。

あの石段があるので何回も行きたいとは思わないが、
参拝出来て良かったとは思っている。


【門】


醍醐寺の桜馬場を通り過ぎ醍醐寺の有料駐車場方面へ。


【霊宝館入口】



【醐山料理 雨月茶屋】


お食事処で面構えからして結構高いです。




こちらは喫茶部門でお気軽に入れます。(笑)


【珈琲セット】


京の冬の旅でハンコが3つ揃いましたので無料でいただきました。

美味しゅうございました。


醍醐寺子院 理性院(2023年2月16日参拝)

2023年05月12日 | 仏閣


京の冬の旅で初公開される理性院。
こちらは醍醐寺の別格本山でありますが、
恥ずかしながら全く知りませんでした。

私のアンテナに全然ヒットしないとは、
一体どんなお寺なんだろうか。


【駐車場】


醍醐寺に車で行くと毎回醍醐寺の有料駐車場に停めるのですが、
今回は理性院に近い民間の有料駐車場に停めることにした。

醍醐寺の有料駐車場は一回千円ですが、
こちらは短時間であれば安く済むので。


所在地:京都府京都市伏見区醍醐東大路町21
宗派:真言宗醍醐派
御本尊:太元帥明王
創建:永久3年(1115)
寺格:醍醐寺別格本山
開山:理性房賢覚


【縁起】
理性院は醍醐寺の僧・賢覚が平安時代の1115年に父・賢円の住房に、
大元帥像を安置したことに始まります。
以来、当院では大元帥法を伝えています。

大元帥法は真言密教の大法の一つであり、国家安穏、敵軍降伏のため修法として、
平安時代以来、重んじられてきました。

真言宗醍醐派の別格本山で三宝院・金剛王院・無量寿院・報恩院とともに、
醍醐五門跡の一つに数えられていました。

醍醐五門跡とは室町時代初めまで、
醍醐座主を住僧の中より交代で出していた五つの子院を言います。

小野六流のうち醍醐三流(三宝院流・金剛王院流・理性院流)の
理正院流の本寺でもあります。


【門】


この閉められた門は勅使門か何かでしょうか。


【山門】



【千体地蔵】




ここまでは無料ゾーンです。


【中門】



【境内】





【本堂】





【客殿】


拝観入口。


【上段の間】






こちらは嬉しいことに撮影OKでした。
やっぱりこうでなくっちゃ。


【水墨山水図】
















あの狩野探幽作でしかも18歳の頃のものとされています。

やはり探幽といえどまだまだ荒削りな作風で、
まだまだこれからだなと思いました。(←上から目線)


【庭園】


客殿の次は本堂へ向かう。


【廊下】







【庭園】









【不動明王】






重要文化財。

このような立派なお不動さんがいらっしゃるとは。
しかも御本尊でないとか。


【厨子】


秘仏の御本尊太元帥明王が安置されていますが、
80年に一度の御開帳とのこと。

次回は2065年に御開帳ですが、
何とか生きているかな。(笑)

それにしても太元帥明王が御本尊とは珍しい。
係員の説明がありましたが奈良の秋篠寺しか知りません。

秋篠寺は秘仏ですが毎年6月6日に御開帳されます。

撮影禁止でしたので画像はネットで拾ったものです。


【毘沙門天】






鎌倉時代作。

こちらも素晴らしい毘沙門天でした。

これにて初めての理性院の参拝終了。

御朱印は書き置きがあったらしいが、
狩野探幽と仏様達のお姿に興奮しすっかり忘れていたよ。

さて、三宝院も冬の旅で公開されているので行ってみましょう。


【石柱】



【仁王門】






修験道の方々が参拝に来られていました。

ちなみに仁王門から先は有料ゾーンとなります。
理性院は向かって左に少し行くとあります。

うーむ、こんなに近くに理性院があったとは。
左方面は駐車場以外用事は無いからなぁ。


【唐門】






国宝。


【三宝院】




三宝院は伽藍との共通拝観料千円に加え特別拝観料800円別途必要。
二重で取られるような気がしてぼったくられ感半端ないので、
拝観は止めました。

お寺の維持はお金がかかる。
醍醐寺ほどのお寺ならなおさら。

しかしながら、我々庶民にとったらやっぱり高い拝観料です。
せめて1500円までにしておかないと逆に拝観しなくなって、
逆に拝観収益が減ると思うけど。


【桜馬場】

野崎観音<慈眼寺>(2023年2月12日参拝)

2023年05月11日 | 河内西国三十三所観音霊場.
今日は母親の要望で大阪の野崎観音へ。
ここは私の父親と行ったことがあるのですが、
母親も一緒に参拝したことがあるらしく、
どうやら想い出にひたろうと思ってるようだ。

野崎観音とはあくまで通称で本名は慈眼寺。
大阪で慈眼寺と聞いてピンとくる人はほとんどいなく、
通称の野崎観音で非情に親しまれているお寺です。

野崎観音は約11年振りの参拝です。


<2011年12月28日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/a1acfc824814da5065bb4ed56e6a2c87


所在地:大阪府大東市野崎2-7-1
宗派:曹洞宗
御本尊:十一面観世音菩薩
創建年:天平勝宝年間(749~757)
開基:行基菩薩
札所:河内西国三十三箇所特別客番


【縁起】
野崎観音は福聚山慈眼寺といい禅宗のお寺です。
今から1300年ほど前、天平勝宝年間に大仏開眼のため来朝した婆羅門僧正が、
野崎の地は釈迦が初めて仏法を説いた鹿野苑(ハラナ)によく似ていると行基様に申されました。
感動された行基菩薩は観音様のお姿を彫みこの地に安置されたのがお寺のはじまりです。

幾多の戦乱のため荒れ果て永禄8年(1565)三好・松永の兵によって全焼。
御本尊の観音様だけが残りました。

長い間、小さいお堂のままでお祀りしてありましたが、
元和2年(1616)青厳和尚がこのお寺を復興され、
元禄宝永頃に野崎詣りが盛んになると共に、お寺も栄え、現在に到っています。


【山門】


この山門をくぐって境内に4,5台停められますが、
健常者は下の無料駐車場に停めてくださいね。

石段から見る龍宮門のような楼門がいいしね。


【茶室】



【池】



【本堂】










早速参拝。


【江口の君堂】



【三十三所観音堂】



【鐘楼堂】



【楼門】



【地蔵尊】



【大師堂】



【南條神社】






鎮守社。

妙心寺塔頭 玉鳳院(2023年2月8日参拝)

2023年05月09日 | 仏閣


本日最後の参拝となるのが玉鳳院。
通常は非公開ですが京の冬の旅で公開しておりましたので、
今日のタイミングで訪れました。

こちらには何しろ我が御屋形様の武田信玄公の供養塔があるので、
参拝はMUSTでございます。


所在地:京都府京都市右京区花園妙心寺町57
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:不明
開山:無相大師(関山慧玄)


【縁起】
花園法皇がその離宮を改めて妙心禅寺とし、関山慧玄を迎えた時、
参禅する場所として丈室の後方に新たに構えた建物が玉鳳院である。

玉鳳院は法皇が建てた山内最古の塔頭寺院である。

現在の建物は明暦2年(1656)の再建になり、
花園法皇の法体木像を安置している。

檜皮葺屋根の寝殿風の方丈は、狩野永真(安信)や洞雲(益信)の筆と伝わる
障壁画「麒麟図」「竜図」「秋草図」などで飾られている。

今日、院内には山内最古の建物である開山堂をはじめ、
玉鳳院方丈、庫裏、鐘楼、祥雲院殿霊屋などが擁され、
妙心寺開創以来の由緒を持つところとして聖域視されている。

豊臣棄丸所用の木造玩具船(重文)を有する。


【山門】



【向唐門】




開いているのを初めて見ました。


【方丈】


絶賛工事中でしたが拝観することは可能でした。


【平唐門】






この穴は応仁の乱の時のヤジリの痕だそうです。


【方丈】


玉座もありこれぞThe京都の方丈です。


【竜図】




堂内はおろか庭園も撮影禁止でしたので、
画像はネットで拾ったものです。


【麒麟図】


狩野永真や洞雲の筆とされる障壁画。


【微笑庵】


こちらは開山堂にあたり関山慧玄の遺骸がこの微笑庵に安置されている為、
妙心寺の中でも最も大切な場所だそうです。

関山慧玄は朝廷から本有円成、仏心、覚照、大定聖応、光徳勝妙、自性天真、
放無量光の国師号が与えられ、また、明治天皇から無相大師と追諡された程の高僧。

ちなみに大師号で一番多いのは50年に一度贈られる法然上人が8回です。


【霊屋】



【供養塔】


開山堂の横に武田信玄、武田勝頼、武田信勝、武田信豊の供養塔と、
向かって左側に織田信長と織田信忠の供養塔がありました。

初めて見た時は驚きと共に感動したもんです。

妙心寺の中で最も重要な開山堂の横に供養塔があるとは、
さすが超有名武将達だけありますね。


【養源院】






妙心寺中興開山日峰宗舜禅師の塔所。


【蓮池】



【サギ】




これにて本日の参拝終了。


【昼食】


花園会館にある花ごころで昼食。

さて、これから職場へ行きますか。
しかし昼から仕事なんてしたくないわ~。(^^;

妙心寺塔頭 壽聖院(2023年2月8日参拝)

2023年05月07日 | 仏閣


本日のメインである壽聖院の拝観時間がようやくきた。

ここは私も知らなかったぐらい存在感の薄い塔頭です。
それもそのはず、京の冬の旅では初公開、
檀家さんや座禅体験以外は入れない塔頭寺院です。

この塔頭は石田三成公が父を弔う為に建立されたもの。
しかも狩野永徳の設計と伝わる庭園もあるとか。

何これ?凄すぎへんか?

京都の寺院は調べれば調べるほど、
こんな縁起や歴史が出てくるんですけど。

京都恐るべし。


所在地:京都府京都市右京区花園妙心寺町44
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:慶長4年(1599)
開基:石田三成公
開山:伯蒲禅師


【縁起】
当院は慶長4年(1599)に石田三成がその父である正継公の菩提寺として、
当時学徳高き伯蒲禅師を院主に迎え創建したものです。

創建当時の壽聖院は今日の敷地の四倍を有し、
周囲には堀と土塀をめぐらし本堂は壮大を究めました。

客殿の軒先は金箔瓦で葺きあげ、
さながら石田家京都屋敷の観を呈するものであったと伝えられています。

しかし慶長5年(1600)関ヶ原の戦いにて三成公率いる西軍は敗れてしまい、
当院も縮小を余儀なくされます。

その後、三成の長男の石田重家は出家し寿聖院開山の伯蒲禅師に弟子入り、
寿聖院の三代目の住職となり往時の1/4程度に縮小はしたものの寿聖院を再建。

壽聖院の北門であった門は妙心寺全体の北門として現在は利用され、
当時の勝手口が現在壽聖院の正門として残るのみです。

一度全て取り壊された建物はしばらくして建て直されました。
また、本堂の前に広がる庭園は絵師狩野永徳が設計したと伝わり、
その景観は桃山時代より変わっておりません。

庭園にある瓢箪池は三成公の指示により、
主君の豊臣秀吉公の戦勝の瓢箪印をモチーフに造られています。


【山門】


こじんまりとした山門です。
そりゃ以前の山門は妙心寺の北門になって、
ここの山門は当時の勝手口なんだから。

10時になったのでようやく拝観開始。


【石柱】



【前庭・庫裏】





【池泉式庭園】










狩野永徳設計の庭園ですが、
庭園設計については天才ではなかったようです。(^^;


【書院】



【襖絵】


書院の中は撮影禁止でしたので、
画像はネットで拾ったものです。

村林由貴さんという作家の襖絵。

退蔵院方丈襖絵プロジェクトとして襖絵作成のアトリエとなったのが、
ここ壽聖院だったそうです。


【肖像画】


宗亨禅師。
石田三成公の嫡男石田重家が関ヶ原の合戦後、
密かに大坂城を脱出し壽聖院に逃れ出家。
まだ十代前半だったことにより徳川家康公により助命された。




石田政継。
石田三成公の父。


【石田一族墓所】






墓所の拝観が出来ました。
これは嬉しかったですね。


【御朱印】




書き置きの御朱印5種と御朱印帳がありました。




全部いただくのは節操がないので、
今回はこちらをいただきました。

妙心寺塔頭 天祥院(2023年2月8日)

2023年05月05日 | 仏閣


続いて本日のメインである壽聖院という塔頭へ。

妙心寺境内図の左上の方にお寺はあります。


【参道】


この奥に進みます。


【山門】




一番奥には別の塔頭の天祥院がありますが、
こちらも普段は非公開寺院です。

壽聖院は10時から拝観で開始まであと5分。

天祥院を門からちょっとのぞいてみましょう。


所在地:京都府京都市右京区花園妙心寺町43
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:正保2年(1645)
開基:松平忠弘
開山:乳峯義元


【前庭】



【庫裏】


いかにも禅宗塔頭寺院の前庭と庫裏です。


【石像】


中国っぽい石像ですね。
仙人でしょうか。


天祥院はパッと見は地味ですが、
調べてみるととんでもない絵師と深い関わりがあり驚いた。

なんとあの狩野山雪の襖絵が奥書院に飾られていたそうです。
火事により表裏の各4面のみ助け出され海外に流出。

何でも廃仏毀釈により売られてしまったとか。

全くもって明治政府は碌な事をしませんね。


【狩野山雪】
江戸時代初期の狩野派の絵師。
織田信長・豊臣秀吉に仕えた永徳の時代にピークを迎えたあとは、
江戸に幕府が開かれたこともあり狩野一派も江戸に移り、
探幽が再び一時代を築くが、京に残り京狩野として活動を続けたのが永徳の弟子の山楽。
その京狩野の狩野山楽の婿養子で後継者であるのが山雪。


【老梅図襖】


メトロポリタン美術館の日本ギャラリーにおいて、
狩野山雪の老梅図襖はこの画像のように展示されているそうです。

狩野山雪晩年の最高傑作の一つとされる老梅図襖は、
かつては妙心寺の塔頭・天祥院の奥襖絵であったが廃仏毀釈により流出。
大蔵大臣や京都の実業家の所蔵を経て、
メトロポリタン美術館のコレクションとなったとか。


【群仙図襖絵 】






こちらも実に素晴らしい作品で重文間違いなし。

この二つの老梅図襖と群仙図襖は元は妙心寺塔頭の天祥院方丈の表裏各4面の襖絵で、
明治時代に天祥院が焼失した際、偶然取り外されていた為、難を逃れる。

しかし、寺院再建の為に売りに出され紆余曲折を経て現在は、
メトロポリタン美術館とミネアポリス美術館に所蔵されています。

2013年に京都国立博物館で狩野山楽・山雪展が開催され、
この二つの襖絵は里帰りし同一ケース内で本来の襖の表裏として展示されました。

私も2013年5月2日に拝観して狩野派好きとして、
当時感動しておりました。(^^


https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/e22db05b0b5229e33e1dc110fbeea9c0

狩野山楽・山雪展メインの襖絵の二つがこんな地味な天祥院にあったとは。(^^;)
今日まで天祥院の存在を知らなかったよ。

奈良や大阪は勿論他の地域でもこのような寺院に、
超有名な絵師による襖絵はほとんど存在しない。

これが京都の凄さであり奥の深い所以です。

京都寺院恐るべし。

壽聖院の特別拝観があって真横に偶然あった天祥院。

現在の天祥院には平成20年(2008)綴プロジェクトにより、
老梅図襖の高精細複製があるそうです。

京都文化協会主催で狩野山雪の老梅図襖の高精細複製の特別公開が、
2012年3/31と4/7にあったそうですが、
また特別拝観してくれないかな。

高精細複製であっても老梅図襖はこの目でまた見てみたい。

妙心寺塔頭 桂春院(2023年2月8日参拝)

2023年05月03日 | 仏閣


続いて桂春院という塔頭を発見。

妙心寺の境内図を見てもらうと大伽藍から離れた右端にある為、
目的が無いと通らない場所にお寺はあります。

桂春院は珍しく通年拝観されていますので、
たまたま通っただけとはいえ何かの縁と思い参拝することにした。


所在地:京都府京都市右京区花園寺ノ中町11
宗派 臨済宗妙心寺派
御本尊:薬師如来
創建:慶長3年(1598)
開基:津田秀則


【縁起】
慶長3年(1598)に織田信長嫡男の織田信忠が次男織田秀則(津田秀則)が、
水庵宗掬を開祖として見性院を創建。

秀則死後、美濃の豪族・石河貞政が寛永9年(1632)に父の50年忌の追善供養の為に、
桂南守仙を請じて建物を整備し、父の法名天仙守桂大禅定門・母の法名裳陰妙春大姉から、
1文字ずつをとり桂春院と改めた。

江戸時代に小堀遠州の弟子玉淵坊により作庭された四つの庭園は、
修行に入った人が悟りを開くまでを表しており、国の名勝・史跡に指定されている。


【参道】



【山門】


いわゆる門構えがいい、といった山門です。


【前庭】




この前庭はとても雰囲気が良い。


【庫裏玄関】


拝観料500円を支払い参拝開始。


【清浄の庭】




石組みの滝の響き白砂の渓流の音の表現を眺めて、
身を清める枯山水のお庭とのこと。


【花頭窓】



【侘の庭】





【書院】









【思惟の庭】




左右の築山に点在する石を十六羅漢石、中央の礎石を坐禅石を配置して庭園。


【真如の庭】




本堂・方丈から見る真如の庭。

小さな庭石をさりげなく七・五・三風に配置して十五夜の満月(悟り)を
表現しているそうですが、椅子に座って庭を眺めていると凄く落ち着きます。

ストレス社会にいるとたまにはこういう落ち着く場所が無いと、
人間は本当にダメになります。

そういう場所を各々が見つけてくださいね。

本堂の内陣はいかにも禅宗塔頭寺院のこじんまりとしたもの。

襖絵は見事なものでした。
必見です。


【手水鉢】


こちらのお庭は下りて散策することが出来ます。
本堂や書院から見るお庭が多い中、
庭園を散策出来るのは意外と少ないので貴重です。


【真如の庭】



【本堂】



【庭園】



【三尊石】



【本堂】



【鎮守社】



【苑路】



【地蔵尊】



【狛犬】



【石塔】



【庭園】



【御朱印】


今回、仕事をサボって、いやもとい、午前半休だったので、
御朱印帳を持ってきておらず次回に持ち越し。

手書きの月替り御朱印がありますので、
気になる方はチェックしてくださいね。