西本願寺の特別拝観を終え、
本日最後の参拝はお隣の興正寺です。
【築地塀】
【北小路門】
西本願寺と興正寺を隔てる門です。
さて、最後の参拝開始です。
約8年振りの参拝です。(遠い目)
<2014年5月1日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/f5677ce1313c9e327afca0adefe26ff7
所在地:京都府京都市下京区堀川七条上ル花園町70番地
宗派:真宗興正派
御本尊:阿弥陀如来
創建:鎌倉時代
【沿革】
興正寺の寺号は、日本に仏教をひろめた聖徳太子の事績にちなみ
「正しい法を興しさかえさす」との意味が込められています。
創建は鎌倉時代にさかのぼり、当初は京都の山科に建立されました。
興正寺は創建後数年を経て山科から京都東山の渋谷へと移りますが、
その際、ご本尊が光を放ったことから、
後醍醐天皇より佛光寺の寺号を賜り名を改めます。
佛光寺の教勢は飛躍的に拡大し隆盛を極めました。
室町時代、蓮教上人は本願寺の蓮如上人と歩みを共にし、佛光寺を弟に譲り、
再び山科の地に多くの門徒と共に興正寺を興しました。
その後は本願寺と歩調を合わせ、度重なる移転にも常に行動を同じくしています。
桃山時代、現在の地へ移転し堂舎が隣接して建てられているのも
本願寺との深い関係を示しています。
また一方で興正寺には本山として独立しようとする気運も根強く、
明治九年、興正寺は独立した一派の本山となりました。
明治35年11月、不慮の火災により本堂その他、ほとんどが灰燼に。
この本堂は起工から実に128年の年数をかけ、日光の本廟・知恩院の三門とともに、
日本三建築の一つと称せられた壮大華麗な大伽藍でありました。
第二十八世本常上人は直ちに再建の工を起こされ、
明治45年、現在の両堂大伽藍が京洛の地にそびえ立つに至ったのであります。
【阿弥陀堂門】
明治45年(1912)の宗祖650回大遠忌を期して再建されたもの。
【山門】
こちらは堂々たる見事な門です。
明治45年(1912)の宗祖650回大遠忌を期して再建されたもの。
【御影堂】
明治45年(1912)の宗祖650回大遠忌を期して再建されたもの。
絶賛工事中で堂内に入れませんでした。
【阿弥陀堂】
こちらが本堂です。
現在の本堂は明治45年(1912)の宗祖650回大遠忌を経て、
大正4年(1915)に再建されたものです。
【御本尊】
南無阿弥陀仏
【内陣】
【紅梅】
【白梅】
【鐘楼堂】
安永3年(1774)の桃園天皇の13回忌に際し、
皇太后恭礼門院から梵鐘とともに寄進。
経蔵とともに明治35年(1902)の火災を免れた貴重なもの。
【経蔵】
孝明天皇より「法宝蔵」の勅額が下賜。
経蔵に勅額の下賜されたのは異例とのこと。
嘉永元年(1848)建立されたものですが、当時の門主は27世本寂上人。
叔母に新朔平門院がいて、彼女は孝明天皇の養母であることから、
その縁で勅額が下賜されたそうです。
これにて本日の参拝全て終了。
興正寺はスタンプっぽい御朱印があったと思いますが、
恐らく今もあると思われます。
【がんこ 西本願寺別邸】
西本願寺の聞法会館の地下にあるがんこで早めの夕食。
普通に美味しかったです。
本日最後の参拝はお隣の興正寺です。
【築地塀】
【北小路門】
西本願寺と興正寺を隔てる門です。
さて、最後の参拝開始です。
約8年振りの参拝です。(遠い目)
<2014年5月1日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/f5677ce1313c9e327afca0adefe26ff7
所在地:京都府京都市下京区堀川七条上ル花園町70番地
宗派:真宗興正派
御本尊:阿弥陀如来
創建:鎌倉時代
【沿革】
興正寺の寺号は、日本に仏教をひろめた聖徳太子の事績にちなみ
「正しい法を興しさかえさす」との意味が込められています。
創建は鎌倉時代にさかのぼり、当初は京都の山科に建立されました。
興正寺は創建後数年を経て山科から京都東山の渋谷へと移りますが、
その際、ご本尊が光を放ったことから、
後醍醐天皇より佛光寺の寺号を賜り名を改めます。
佛光寺の教勢は飛躍的に拡大し隆盛を極めました。
室町時代、蓮教上人は本願寺の蓮如上人と歩みを共にし、佛光寺を弟に譲り、
再び山科の地に多くの門徒と共に興正寺を興しました。
その後は本願寺と歩調を合わせ、度重なる移転にも常に行動を同じくしています。
桃山時代、現在の地へ移転し堂舎が隣接して建てられているのも
本願寺との深い関係を示しています。
また一方で興正寺には本山として独立しようとする気運も根強く、
明治九年、興正寺は独立した一派の本山となりました。
明治35年11月、不慮の火災により本堂その他、ほとんどが灰燼に。
この本堂は起工から実に128年の年数をかけ、日光の本廟・知恩院の三門とともに、
日本三建築の一つと称せられた壮大華麗な大伽藍でありました。
第二十八世本常上人は直ちに再建の工を起こされ、
明治45年、現在の両堂大伽藍が京洛の地にそびえ立つに至ったのであります。
【阿弥陀堂門】
明治45年(1912)の宗祖650回大遠忌を期して再建されたもの。
【山門】
こちらは堂々たる見事な門です。
明治45年(1912)の宗祖650回大遠忌を期して再建されたもの。
【御影堂】
明治45年(1912)の宗祖650回大遠忌を期して再建されたもの。
絶賛工事中で堂内に入れませんでした。
【阿弥陀堂】
こちらが本堂です。
現在の本堂は明治45年(1912)の宗祖650回大遠忌を経て、
大正4年(1915)に再建されたものです。
【御本尊】
南無阿弥陀仏
【内陣】
【紅梅】
【白梅】
【鐘楼堂】
安永3年(1774)の桃園天皇の13回忌に際し、
皇太后恭礼門院から梵鐘とともに寄進。
経蔵とともに明治35年(1902)の火災を免れた貴重なもの。
【経蔵】
孝明天皇より「法宝蔵」の勅額が下賜。
経蔵に勅額の下賜されたのは異例とのこと。
嘉永元年(1848)建立されたものですが、当時の門主は27世本寂上人。
叔母に新朔平門院がいて、彼女は孝明天皇の養母であることから、
その縁で勅額が下賜されたそうです。
これにて本日の参拝全て終了。
興正寺はスタンプっぽい御朱印があったと思いますが、
恐らく今もあると思われます。
【がんこ 西本願寺別邸】
西本願寺の聞法会館の地下にあるがんこで早めの夕食。
普通に美味しかったです。