Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

興正寺(2022年1月22日参拝)

2022年05月30日 | 仏閣
西本願寺の特別拝観を終え、
本日最後の参拝はお隣の興正寺です。


【築地塀】



【北小路門】


西本願寺と興正寺を隔てる門です。

さて、最後の参拝開始です。
約8年振りの参拝です。(遠い目)


<2014年5月1日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/f5677ce1313c9e327afca0adefe26ff7


所在地:京都府京都市下京区堀川七条上ル花園町70番地
宗派:真宗興正派
御本尊:阿弥陀如来
創建:鎌倉時代


【沿革】
興正寺の寺号は、日本に仏教をひろめた聖徳太子の事績にちなみ
「正しい法を興しさかえさす」との意味が込められています。

創建は鎌倉時代にさかのぼり、当初は京都の山科に建立されました。
興正寺は創建後数年を経て山科から京都東山の渋谷へと移りますが、
その際、ご本尊が光を放ったことから、
後醍醐天皇より佛光寺の寺号を賜り名を改めます。
 
佛光寺の教勢は飛躍的に拡大し隆盛を極めました。
室町時代、蓮教上人は本願寺の蓮如上人と歩みを共にし、佛光寺を弟に譲り、
再び山科の地に多くの門徒と共に興正寺を興しました。

その後は本願寺と歩調を合わせ、度重なる移転にも常に行動を同じくしています。
桃山時代、現在の地へ移転し堂舎が隣接して建てられているのも
本願寺との深い関係を示しています。
 
また一方で興正寺には本山として独立しようとする気運も根強く、
明治九年、興正寺は独立した一派の本山となりました。

明治35年11月、不慮の火災により本堂その他、ほとんどが灰燼に。
この本堂は起工から実に128年の年数をかけ、日光の本廟・知恩院の三門とともに、
日本三建築の一つと称せられた壮大華麗な大伽藍でありました。

第二十八世本常上人は直ちに再建の工を起こされ、
明治45年、現在の両堂大伽藍が京洛の地にそびえ立つに至ったのであります。


【阿弥陀堂門】


明治45年(1912)の宗祖650回大遠忌を期して再建されたもの。


【山門】




こちらは堂々たる見事な門です。

明治45年(1912)の宗祖650回大遠忌を期して再建されたもの。


【御影堂】




明治45年(1912)の宗祖650回大遠忌を期して再建されたもの。
絶賛工事中で堂内に入れませんでした。


【阿弥陀堂】






こちらが本堂です。

現在の本堂は明治45年(1912)の宗祖650回大遠忌を経て、
大正4年(1915)に再建されたものです。


【御本尊】






南無阿弥陀仏


【内陣】









【紅梅】











【白梅】





【鐘楼堂】


安永3年(1774)の桃園天皇の13回忌に際し、
皇太后恭礼門院から梵鐘とともに寄進。
経蔵とともに明治35年(1902)の火災を免れた貴重なもの。


【経蔵】


孝明天皇より「法宝蔵」の勅額が下賜。
経蔵に勅額の下賜されたのは異例とのこと。

嘉永元年(1848)建立されたものですが、当時の門主は27世本寂上人。
叔母に新朔平門院がいて、彼女は孝明天皇の養母であることから、
その縁で勅額が下賜されたそうです。

これにて本日の参拝全て終了。

興正寺はスタンプっぽい御朱印があったと思いますが、
恐らく今もあると思われます。


【がんこ 西本願寺別邸】


西本願寺の聞法会館の地下にあるがんこで早めの夕食。
普通に美味しかったです。

西本願寺 其の二(2022年1月22日特別拝観)

2022年05月28日 | 仏閣


御影堂の参拝を済ませ特別拝観の集合場所である龍虎殿へ。


【龍虎殿】


龍虎殿は無料でお茶が飲めるし綺麗なトイレがあるので、
西本願寺を参拝した時はいつも利用させていただいています。

拝観受付を済ませしばし待つ。
その間も予約していない人達が拝観出来るか聞いていましたが、
既に予約の50名は埋まっており、その人達は拝観出来ず残念そうでした。

拝観時間が来て25名ずつの二班に分かれ、
私達はまずは御影堂で参拝。

さっき参拝したがな、と思っていたけど、
僧侶のちょっとした法話があって得した気分。(^^


【書院特別拝観】
特別拝観は全て撮影禁止。

虎の間、対面所、能舞台、白書院、虎渓の庭を拝観。
特に国宝の対面所が荘厳で格式の高さを感じる広間で、
本当に素晴らしいものでした。

拝観料2500円でも高く感じませんでしたよ。

これが撮影出来なくて本当に残念でしたが仕方ない。

https://www.hongwanji.kyoto/see/shoin.html

雰囲気は西本願寺のHPでご覧下さい。

特別拝観を終え、
もう一つ目の保養をしようと国宝の唐門を見に行くとしよう。


【【書院】】




こちらが先ほどまで入っていた虎の間を外から見た書院です。


【書院玄関】



【唐門】




















さすが国宝。

華麗でとても美しい。
日が暮れるまで見ていられるよ。


【書院】



【中雀門】



【大玄関門】





【大玄関】






これにて西本願寺の参拝終了。

次は飛雲閣を見たいものだ。

西本願寺 其の一(2022年1月22日参拝)

2022年05月26日 | 仏閣
妙心寺から続いて西本願寺へ。
今回は書院と能舞台の特別拝観があります。

西本願寺の書院はたま~に開催していますが、
私は初めて拝観するので楽しみです。

机の天板に庭のカエデが映り込む光景で有名な京都の瑠璃光院は、
拝観料が2000円だと行く気にならないんだけど、
西本願寺の拝観料が2500円と高額ですがやる気満々です。

西本願寺は大型の無料駐車場があり助かりますね。

決められた拝観時間にはまだ時間があるので、
今まで見ていない本願寺伝道院へ。


所在地:京都府京都市下京区堀川通花屋町下ル門前町60
宗派:浄土真宗本願寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:天正19年(1591)
開基:顕如上人


【総門】



【本願寺伝道院】








旧真宗信徒生命保険株式会社本館で明治44年(1911)建立されたもの。

本願寺は築地でもそうですけど、
建物が独特なものを造られていますが、
これはまたイスラムと洋風が交じ合ったような建物です。

いつか特別拝観があったら行くとしよう。


【総門】




江戸後期建立の重要文化財。


【御影堂門】






江戸前期建立の重要文化財。


【阿弥陀堂】




宝暦10年(1760)再建されたもの。
国宝。

残念ながら絶賛工事中でした。


【大銀杏】



【阿弥陀堂門】






江戸後期建立の重要文化財。


【鐘楼堂】










鐘楼が重要文化財ですが、
これほどカラフルな鐘楼堂はなかなか無いと思います。


【境内】



【渡り廊下】



【喚鐘廊下】



【鐘楼】


現役です。


【板木】


こちらは僧侶が練習で今も打っているそうです。


【飛雲閣】






ここもいつかは拝観したいね。


【本願寺伝道院】



【埋め木】








職人さんの遊び心でこのような魚の埋め木がいくつもありますが、
その他に象や富士山とかあるそうです。

正直、職員さんに教えてもらうまで、
全く気づきませんでしたよ。

お暇な方は探してくださいね。(笑)

さて、長くなりましたので続きは次回。

妙心寺(2022年1月22日参拝)

2022年05月24日 | 仏閣
大徳寺の次は遅めの昼食で妙心寺の花園会館へ。
花園会館にある花ごころさんの釜揚げ膳が好きでいつも食ってます。


【釜揚げ膳】


腹ごしらえを済ませ妙心寺を伽藍だけ参拝します。


所在地:京都府京都市右京区花園妙心寺町64
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:暦応5年/康永元年(1342)
開基:花園法皇
開山:関山慧玄


【南総門】



【三門】


慶長4年(1599)建立の重要文化財。


【参道】



【仏殿】






文政10年(1827)建立の重要文化財。


【三門】



【法堂】




明暦3年(1657年)建立の重要文化財。


【玉鳳院】






こちらは非公開の塔頭寺院ですが、
以前、特別拝観した時に驚きました。

開山堂の横に武田信玄、武田勝頼、武田信勝、武田信豊の
供養塔が並んであるではありませんか。

まさかここで我が御屋形様である信玄公の供養塔があるとは。

驚いたとともに感動しました。

武田家の供養塔の横にもう二つ供養塔がありました。
良く見ると織田信長と織田信忠の供養塔。

戦国の覇権を争い武田家を滅ぼした織田家の供養塔が並んでいるとは。
京都の寺院はさすがに凄いな。

大徳寺塔頭 聚光院(2022年1月22日参拝)

2022年05月22日 | 仏閣


続いて特別公開している聚光院を参拝します。

その前に日本一参道が美しいと思っている高桐院に寄り道。


【高桐院】






はぁ、まだコロナのせいで拝観中止が続いているのか。
いい加減にしろコロナ。






この先を進むと素晴らしい参道が待っているというのに。
無念じゃ。

さて、気を取り直して聚光院


<2021年3月14日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/37d98707e036a0d9d73de7cbdea30baf


所在地:京都府京都市北区紫野大徳寺町58
宗派:臨済宗大徳寺派
創建:永禄9年(1566)
開基:三好義継
開山:笑嶺宗訢


【縁起】



【参道】



【山門】



【前庭】













【庫裏】






ここから先は一切撮影不可です。


デジタルコピーであっても梅花禽鳥図と琴棋書画図は素晴らしかった。
せめて写真撮影はしたかったね。

コピーだったら良いと思うんだけど。

茶室とお庭は特にくるものは感じませんでした。

それぐらい襖絵が凄すぎた。
重要文化財の茶室が印象に残らないほどに。

これにて聚光院の参拝終了。

何だか襖絵を見に行ってるだけになって、
本来の目的である仏様を拝みに行ってる気がしない。

聚光院も仏間が遠く仏様は見せないし、
襖絵、茶室、庭園の三点セットを売りにしているので仕方ないが。

ちなみに書き置きの御朱印がありましたが、
今年も千円だったので華麗にスルーしました。

大徳寺(2022年1月22日参拝)

2022年05月20日 | 仏閣
続いて聚光院を拝観する前に大本山大徳寺を参拝です。
やはりあの大伽藍を見たら無視なんて出来ませんわな。


所在地:京都府京都市北区紫野大徳寺町53
宗派:臨済宗大徳寺派
御本尊:釈迦如来
創建:正中2年(1325)
開基:大燈国師宗峰妙超禅師


【金毛閣】




もはや説明不要。




あの千利休像はこちら側の楼上に安置されているそうです。

この利休像はいつの日か実際に見たいものである。


【仏殿】




重要文化財。


【金毛閣】





【法堂】







【本坊】


御朱印は本坊の門をくぐって右手にある庫裏の玄関でいただけます。


ちなみに現在、方丈の畳を修復して後生に残す為に、
クラウドファンディングを実施されています。

ただ、金額が大きいのが一般人には難です。
お金持ちやリターンを求めない方は張り切ってどうぞ。

https://the-kyoto.en-jine.com/projects/daitokuji

大徳寺塔頭 大光院(2022年1月22日参拝)

2022年05月18日 | 仏閣


続いて本日の大本命とも言うべき塔頭の大光院へ。

大光院は京の冬の旅初公開だけでなく、
恐らく過去にも拝観されたことが無い超レアな拝観となります。

ましてや狩野探幽筆の雲龍画も見れるとあっては参拝はマスト。
拝観が楽しみです。


所在地:京都府京都市北区紫野大徳寺町92
宗派:臨済宗大徳寺派
御本尊:釈迦如来
創建:文禄元年(1592)
開山:古渓宗陳
開基:豊臣秀保


【南門】




南門を抜け北王子通りを少し歩き大光院に到着。


【古渓宗陳】
越前国の戦国大名である朝倉氏の出身。
天正元年(1573)笑嶺宗訢の法を継ぐ為、
堺市南宗寺から京都大徳寺の住持職となった。

織田信長が本能寺の変で横死すると、
羽柴秀吉が信長の葬儀を行った際にも導師を務めた。

天正19年(1591)豊臣秀長の葬儀の導師を務めるが、
この年に発生した利休の切腹事件に絡んで事件の責任をとらされた。
その際、いたく立腹した秀吉が大徳寺の破却を試みるが、
古渓が使者の前に立ちはだかり短刀で命を絶とうとした為、
秀吉は慌てて使者を引き上げさせたと言われている。


【豊臣秀保】
豊臣秀吉の姉・瑞龍院日秀の子で後に豊臣秀長の婿養子となる。
大和国の国主で大和大納言と呼ばれた秀長を継ぎ、
官位が中納言であったことから、大和中納言の通称で呼ばれた。


【縁起】
文禄元年(1592年)豊臣秀吉の実弟秀長の菩提を弔う為に、
秀長の継嗣である秀保が古渓宗陳を開山として招き、
所領である大和郡山に建立した。

大光院の名称は秀長の戒名からとられている。

しかし秀保が早世した為に家が断絶すると、
秀保の家臣・藤堂高虎により慶長4年(1599年)
本山である大徳寺の山内に塔頭として移された。
以降、江戸時代を通じて伊勢国津藩藤堂家により援助が行われた。

文化3年(1816)に焼失するが、
文政年間(1818-1830)に藤堂氏により再興された。


【山門】


他の塔頭と同じような大きさの山門です。
慶長4年(1599)建立されたもの。


【参道】



【鳥塚】



【参道・唐門】


これより先は撮影禁止でした。


【庭園】


画像はネットで拾ったものです。

雪はありましたが普通のお庭でしたね。


【雲龍図襖】




屏風を襖に直しただけあって、
襖に縦の線が何本もありました。

それがちょっと残念でしたが、
素晴らしい龍でした。
(画像はネットで拾ったもの)


【蒲庵】


黒田官兵衛好みの茶室とか。
(画像はネットで拾ったもの)

これにて初めての大光院の参拝終了。

もう二度と無いかも知れない。
逆に癖がついてこれからたまに特別拝観するかも知れない。

これから開かれた寺院になっていけば良いですね。

御朱印は書き置きがありました。

大徳寺塔頭 黄梅院(2022年1月22日参拝)

2022年05月16日 | 仏閣
続いて庭園が見事な黄梅院へ。

お庭がそんなに好きでは無い私ですが、
が醍醐寺三宝院と仁和寺御所庭園と共にお気に入りの庭園です。

その庭園に雪が残っているとあっては行かずにはいられない。
にも関わらず私が参拝した時はほとんど貸し切り状態。

ありがたいと思うと同時に勿体ないという気持ちを持った。
京都って冬は寒いイメージがありますが、
雪が積もる程降るなんて滅多にないですからね。

金閣寺ばっかりに行ってる場合じゃない。(苦笑)


<2020年9月20日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/f3d9c428630c9ea26539afd7b9460fc1
https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/04fdf565f6772f9970d2d9a052e8b593
https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/a024f1b03057912e25c40ee5b5b6706f


所在地:京都府京都市北区紫野大徳寺町83-1
宗派:臨済宗大徳寺派
御本尊:釈迦如来
創建:永禄5年(1562)
開山:春林宗俶
開基:織田信長


【縁起】
臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭寺院。
永禄5年(1562)当時28歳の織田信長が初めて上洛した際に、
父・信秀の追善菩提の為に小庵「黄梅庵」を建立したことに始まります。

本能寺の変によって信長が急逝すると、羽柴秀吉がこれを徐々に増築し、
天正17年(1589)に黄梅院と改めました。

天正年間に建立した本堂・唐門・庫裏が国指定重要文化財されている。

毛利元就の三男で豊臣秀吉政権の五大老をも務めた小早川隆景の寄進による、
禅宗寺院において現存最古の庫裡や、加藤清正が朝鮮出兵の際に持ち帰ったとされる釣鐘、
また狩野永徳や長谷川等伯と並ぶ桃山時代の日本画家、雲谷等顔の障壁画を所有。

毛利家、織田家の墓所の墓所であり、小早川隆景、蒲生氏郷等の墓塔がある。

庫裡、鐘楼、客殿などは小早川隆景が寄進したもので、
鐘楼に使用されている釣鐘は加藤清正が献上したもの。

秀吉の軍旗瓢箪を象った空池を持つ直中庭を千利休が作庭するなど、
桃山時代の戦国大名、文化人と非常に縁の深い寺院です。


【表門】



【石柱】



【前庭】




この庭ですら素晴らしい。


【鐘楼堂】



【庫裏】



【門】


拝観料支払い境内へ。

通常の春秋の特別公開の時は撮影は前庭のみなのですが、
黄梅院独自の公開の時は嬉しいことに撮影OKです。


【境内】




いい感じに雪が残ってます。
寒さなんか気になりませんよ。


【向春庵】



【黒門】



【渡り廊下】



【直中庭】





【一枝庵】


茶室。

内部の模様は施工業者がアップされています。
https://kyoto-yamamotokogyo.com/works/isshian/


【自休軒】





【直中庭】



【西庭】



【自休軒】



【直中庭】






ここから見る庭園が好きなんですよね。
雪の庭園はまた格別です。


【手水鉢】



【破頭庭】







【本堂】




お参り。


【室中の間】


奥の仏壇には信長公、織田信長公の父信秀公、豊臣秀吉の母・天瑞寺殿、秀吉公、高台寺殿、
毛利元就夫妻、輝元公、小早川隆景公、毛利家一門、信長公娘冬姫婿蒲生氏御公、等々祠壷されている。


【閑坐庭】












閑坐庭の白川砂は本堂北裏の作仏庭から、
本堂前の破頭庭に向かう水の流れを表現し、
途中の石は小舟に見立てているそうです。

大きな石を見てると小舟というより大きな船に見えますね。(笑)

余談ですが渋谷のセルリアンタワー東急ホテルに、
同じ名前の閑坐庭の日本庭園があります。

https://www.homify.jp/projects/56865


【作仏庭】







【書院の間】





【庫裏】


【東禅軒】


茶室。
たまにお薄がいただける茶会があります。


【本堂前庭園】





【鎮守社】



【直中庭】




これにて黄梅院の参拝修了。

もう二度と雪の庭園を見ることが出来ないかも知れないので、
今日参拝出来て良かったです。

大徳寺塔頭 興臨院(2022年1月22日参拝)

2022年05月14日 | 仏閣
先ほど参拝した瑞峯院の次はお隣の興臨院。

能登の戦国武将畠山義総が開基として創建された塔頭寺院で、
畠山家が衰退した後はあの前田利家が再興したそうで、
前田家の菩提寺でもあります。

こういうビッグネームが出てくるのが京都の凄さですね。


所在地:京都府京都市北区紫野大徳寺町80
宗派:臨済宗大徳寺派
御本尊:釈迦如来
創建:大永年間(1521-1528)
開山:仏智大通禅師
開基:畠山義総


【縁起】
大永年間(1521-1528)に能登国の守護大名・畠山義総が、
大徳寺86世の仏智大通禅師を開山として建立。
義総の法名をとって寺名を興臨院とした。

以来能登畠山氏の菩提寺となる。
創建年次については天文2年(1533)ともいう。
天文年間(1532-1555年に本堂が焼失、再建。

その後、能登畠山氏は没落、畠山氏の代わりに前田利家により、
天正9年(1581)に改修が行われ、以後は前田氏の菩提寺となった。


【畠山義総】
戦国時代能登守護大名。
戒名興臨院殿伝翁徳胤大禅定門。


【山門】




重要文化財。


【参道】



【唐門】


重要文化財。

こちらが拝観入口です。


【前庭】





【花頭窓】



【方丈】




重要文化財。


【方丈庭園】














やはり雪の時はひと味もふた味も違う。
普段はそんなに庭園が好きでは無い私でもめっちゃイイと思う。


【方丈北庭】






こちらは紅葉の時がお勧めです。


【琴心塔】



【鎮守社】



【蹲踞】




茶室の涵虚亭の前のお庭はTHE京都といった風情が素晴らしい。




このさりげなさがオシャレ。






マジか?アライグマラスカルが出るとは驚き。


【涵虚亭】






ここまでは撮影はOKで最奥の茶室は撮影不可でした。

この茶室は山口玄洞という実業家の寄進によるもの。


【山口玄洞】
文久3年(1863)に尾道に生まれ、大阪で洋反物の商売で財をなし、
高額納税者の互選で決まる貴族院議員まで上り詰めた人物。

その財を多くの慈善事業、寺社に多額の寄付をし、
寄付金王とまで呼ばれた。

主な寄付先は早稲田大学基本金、慶應義塾医科学科設立資金、延暦寺横川多宝塔、
延暦寺阿弥陀堂、神護寺金堂・多宝塔新築、醍醐寺大伝法院本堂等。

その総額は700~800万円にものぼり、
当時の1円は現在の約4000円とされていることから、
現在の貨幣に換算するととんでもない金額になりますね。

玄洞のこうした常軌を逸した寄付をする精神的背景には、
碧巌録にある「無功徳の精神」があったとも言われる。

世間では富豪の道楽と見る向きも少なくなかったが、
玄洞はこれを聞くと「人は脂汗をしぼって資産を作ったが、
自分は血の汗をしぼったのであるから、よもや道楽や名利のために寄附することはできない。
ただ、信仰の道に入って、寺院の前途を考えるとき、やむにやまれぬ気持ちから寄進するのだ」
と語ったという。

この人物は初めて知りました。
彼のおかげで多くの寺社の存続が続き、
素晴らしい建築物が見れる。

また医学の発展にも貢献された。
これはお墓参りしてお礼をしなければなりませんね。

お墓は大徳寺塔頭龍翔寺と広島尾道の西国寺に分骨埋葬されているそうです。
残念ながら龍翔寺は非公開寺院なのでお墓参り出来ないのが残念。

尾道の西国寺は以前参拝したけど墓地には寄って無かったからなぁ。
また尾道に行きたい。

https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/b0b3447d23595bc474bf0fecc711204b


これにて興臨院の参拝終了。

御朱印は書き置きがありました。

大徳寺塔頭 瑞峯院(2022年1月22日参拝)

2022年05月12日 | 仏閣
続いて大徳寺へ移動。
大徳寺の塔頭寺院でも京の冬の旅で特別公開しています。

その塔頭寺院に行く前に瑞峯院を参拝します。
こちらでも雪が残っていると思うので楽しみです。


所在地:京都府京都市北区紫野大徳寺町81
宗派:臨済宗大徳寺派
創建:天文4年(1535)
開基:大友宗麟
開山:大満国師徹岫宗九


【縁起】



【大友宗麟】
戦国時代九州六カ国を支配した大名でありキリシタン大名。
大友義鎮が本名で宗麟が法名で後にキリシタンに改宗。

瑞峯院の名前は大友宗麟の瑞峯院殿瑞峯宗麟居士から名付けられた。

津久見市にある宗麟の墓地にはキリスト式と仏式のお墓があります。
仏式の墓標には戒名瑞峯院殿前羽林次将兼左金吾休庵宗麟大居士が刻まれ、
何百年もの長き間、仏式の墓に葬られていた宗麟。

キリシタンだった宗麟の気持ちやいかに。


【徹岫宗九】
文明12年生まれ。
京都大徳寺の小渓紹怤に師事してその法を継ぎ同寺の住持となる。
後奈良天皇の帰依をうけ、朝廷より大満国師を賜る高僧。


【総門】


大徳寺の入口です。


【唐門】



【大慈院】






瑞峯院の隣にある塔頭寺院です。
拝観していないのは分かっていたが雪の風景が見たくて寄り道。


【瑞峯院方丈】


ここから方丈が見えました。


【参道】


普段は非公開ですが座禅体験で入ることが出来ます。

座禅が体験が出来ますので御予約やこちらで。
https://select-type.com/rsv/index.php#cal_area




さて、瑞峯院へ。


【表門】




重要文化財。


【井戸】



【参道】






雪はいいですね~。

京都でたまに雪が降るとみんな金閣寺に行って大混雑している。

写真を撮りたい人達で溢れかえって阿鼻叫喚になっている金閣寺に行くぐらいなら、
心静かに参拝出来る禅寺に行った方が断然良いよ。


【前庭】



【井戸】



【雪と南天】



【独坐庭】






百丈禅師の言葉である独坐大雄峰という禅語から命名されて庭園。

普通の砂紋より大きくまるで岩礁と大波のようなインパクトのある庭園です。


【仏間】







【餘慶庵】


茶室。


【庭園】



【キリシタン灯籠】



これにて瑞峯院の参拝終了。
御朱印は書き置きがありました。

興聖寺 特別拝観(2022年1月22日参拝)

2022年05月10日 | 仏閣
https://www.youtube.com/watch?v=tqUQNKoc7fc&t=55s

京の冬の旅特別拝観はまだまだ続きます。
次は興聖寺です。

興聖寺といえば宇治の方が有名ですが、
上京区にも立派な興聖寺があります。

以前参拝したことがありますが、
まともに拝観出来なかったので今回はとても楽しみです。

40年振りの公開だそうです。

通常、車は境内に無料で停めれるのですが、
特別拝観時は停めることが出来なくて近くの有料駐車場に停めました。


所在地:京都府京都市上京区堀川通寺之内上ル二丁目上天神町647
宗派:臨済宗興聖寺派
御本尊:釈迦如来
創建:慶長8年(1603)
開山:虚応円耳
開基:伝・古田織部


【縁起】
慶長8年(1603年)に妙満寺・日重上人の弟子である虚応円耳が、
法華宗の教えを広めるために東隣の大応寺から移って創建した。
創建時は興正寺といった。

茶人・古田織部との関係がいわれているが、
織部の妻センが隠棲した北野天満宮隣りの青霄院がセンの死後移転して同寺の塔頭となり、
その後、豊後国岡藩の家老・古田家が織部と子らの墓を建てた関係で、
昭和になってから織部寺と呼ばれるようになった。

これは当時の住職・日種譲山の働きかけによるものである。
織部は大徳寺住持・春屋宗園に参禅しており、日蓮宗の虚応に開基を頼むわけもなく、
当寺と織部との関係を示す記録は一切ない。

江戸時代の初期に後陽成上皇及び後水尾天皇の勅願所となった。

元禄14年(1701)に日蓮宗より禅宗寺院となり、
塔頭も数十か寺を数えるほどであったという。

天明8年(1788)の天明の大火で仏殿を残して全焼したが、その後再興された。

明治20(1887)に臨済宗相国寺派に所属を変えるが、
昭和28年(1953)に臨済宗興聖寺派の本山として独立している。

絵師・曾我蕭白とその一族の菩提寺でもある。


【山門】



【鐘楼堂】



【本堂】




立派な本堂です。

余り降らない雪も残っていて雰囲気がいい。


【境内】



【庫裏】





【本堂】





【石塔】



【境内】



【拝観入口】



【花頭窓】



【前庭】


右に見える建物が方丈ですが、
先に本堂へお参りです。


【本堂】


堂内は撮影不可でしたので、
画像はネットで拾ったものです。

禅宗寺院らしい本堂で天井には見事な龍が描かれていました。
まったく見飽きない龍図でしたよ。

祖的という人物が描いたそうですが、
調べてもよく分かりませんでした。

あれほどの画力があるならば名が通ってるはずなんですけど。


【御本尊】


釈迦三尊像の後ろにも仏様が祀られていました。

今度いつこの本堂に入れるか分からないので、
満足するまで結構な時間居ました。

去りがたい気持ちを抑えつつ方丈へ。


【方丈】


杏橋幹彦氏が撮影した写真を引き延ばし襖に貼った青波の襖です。

最初は方丈にこの襖は違和感あるなぁと思っていたが、
段々馴染んできてこれはありだと思いました。

思えば古田織部も斬新なデザインの作品を沢山造っておられた。
古田織部の菩提寺にこの青波の襖はピッタリだと思います。

写真撮影OKでした。


【天井絵】






こちらは檀家さんが描いたそうな。


【生け花】


花よりも立派な備前焼の花瓶がとても気になりました。
あれは高いだろうなぁ。(笑)


【方丈庭園】






寒いけど雪の庭園は素晴らしい。

今日来て本当に良かったよ。


【降り蹲踞】






螺旋階段があって底に蹲踞がありました。
これは珍しいですね。


【織部灯籠】



【中庭】







【雲了軒】


奥に見える建物が茶室である雲了軒です。
内部は残念ながら撮影不可でした。


【古田織部像】


仏間には古田織部像がアンチされていました。

撮影禁止でしたので画像はネットで拾ったものです。


これにて興聖寺の参拝終了。
本堂や雪の庭園が見れて大満足です。

また参拝したいですね。

御朱印は書き置きがありましたが、
いただきませんでした。

何だか御朱印を欲する気持ちが薄れてきている今日この頃。

東本願寺 御影堂門特別拝観(2022年1月22日参拝)

2022年05月08日 | 仏閣
いよいよ東本願寺の御影堂門へ登ります。
楽しみです。


【御影堂門】




明治44年(1911)再建されたもので重要文化財。

まさに威風堂々たる山門です。

寺社の建築物とすればまだまだ若い山門ですが、
高い格式と国内最大級の木造建築物が評価され重文に指定されました。








拝観料を支払いいよいよ楼上へ。




どこの山門も階段は狭く急で登り難いもんです。




振り返るとこんな感じ。




ついに楼上に登りました~。
感動。

https://youtu.be/D-LhQ_qa8Go






鳩よけで網で囲われていました。

早速楼上の堂内へ。


【堂内】


御本尊釈迦如来と弥勒菩薩、阿難尊者が祀られていました。
この組み合わせは珍しいですね。

画像はネットで拾ったものですが、
堂内は意外にもあっさりとした感じです。

東福寺や南禅寺の山門の楼上は豪華絢爛ですけどね。

天井は白に塗られていました。
本来は飛天舞楽図が描かれる予定であったが事情により、
無くなったそうです。


【扁額】



【楼上】








楼上はぐるっと一回りすることが出来ました。






この角度から大伽藍を見れて良かった。


【京都タワー】



【阿弥陀堂門】




明治44年(1911)再建されたもの。
重要文化財。


【北側築地塀・長屋門】



【菊の門】




勅使門だけあって豪華な門です。
国登録有形文化財。


【玄関門】


明治44年(1911)再建されたもの。
国登録有形文化財。


【北側築地塀・鬼門除け】


鬼門除けとは建物の北東の隅に角を作らないように缺け(かけ)を設けるもの。
北東に当たる隅を削り落としたり凹ませたりすれば角が無くなるので、
鬼門自体が消滅するという考え。

つまり鬼が出てくる門、所謂鬼門の存在自体を消すことが出来るという思想。


【築地塀】


これにて久しぶりの東本願寺参拝と御影堂門の楼上拝観終了。

大満足です。
また登りたいね。

東本願寺(2022年1月22日参拝)

2022年05月06日 | 仏閣


本日の京の冬の旅の特別拝観第二弾は東本願寺です。

冬の旅で本願寺系は例年参加されていませんが、
今年は東西の本願寺が参加されていて、
東本願寺の特別拝観は巨大な阿弥陀堂門です。

各宗派本山の山門に登ってきましたが、
この阿弥陀堂門は滅多に登れない山門。

それが特別拝観として登れるとあって楽しみです。


所在地:京都府京都市下京区烏丸通七条上ル常葉町754
宗派 :浄土真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:慶長7年(1602)
開基:教如上人(本願寺第12世)


【縁起】
東本願寺は1272年に鳥辺野北辺の大谷に収められていた宗祖・親鸞聖人の遺骨を、
娘の覚信尼と門弟らが吉水の北の辺に改葬して廟堂を建てたのが始まりといわれています。
廟堂は覚信尼が留守職として護持し、本願寺の基礎を築きました。
1321年には第3代の覚如によって寺院化され大谷本願寺と呼称するようになります。

本願寺の中興の祖とも言われる第8代・蓮如によってその教えが広まりましたが、
そのことが原因となり1465年、比叡山延暦寺西塔の衆徒によって破却されてしまいます(寛正の法難)。
その後、1483年に本願寺は山科で新たに山科本願寺が造営され、
さらに1532年大坂・石山のかつて蓮如の隠居所だった大坂御坊へと移転。

1570年から11年間におよぶ織田信長との戦い(石山の戦い)に敗れた後は、
紀伊・鷺森へ退去しますが、豊臣秀吉の時代になり、
1591年には本願寺が京都に帰ることを許されます。
そこで第11代・顕如が京都・六条堀川へ阿弥陀堂・御影堂を作り本願寺した。

第11代・顕如の入滅に伴い、長男の教如が本願寺を継承しましたが、
教如は大坂本願寺の退去時に顕如上人と意見が対立していたこともあり教団内では内部分裂。
そして関ヶ原の戦い後、教如を第12代宗主とする本願寺教団(現在の真宗大谷派)と、
准如(顕如の三男)を第12世宗主とする本願寺教団(浄土真宗本願寺派)とに分裂。

教如は1602年に徳川家康から京都・烏丸通七条の寺地を寄進され、
そこに阿弥陀堂・御影堂を建立し、もう一つの本願寺を完成。
これが現在の東本願寺となっています。
なお准如が継いだ京都・六条堀川の本願寺は現在の西本願寺となっています。

その後、明治時代になると新政府による仏教弾圧の動きや幕末戦火において、
両堂を失い苦境にも立たされましたが、全国の門徒によって財政再建を果たしました。


【駐車場】


西本願寺は大型の無料駐車場がありますが、
東本願寺も小さいながらも無料駐車場があります。

花屋町通り沿いの門から入ると駐車場ですので参考にしてください。


【境内】


右が大玄関、左が玄関門、真ん中に京都タワーです。


【京都タワー】



【玄関門】


明治44年(1911)再建されたもの。


【大玄関】


東本願寺境内最古の現存建造物で慶応3年(1867)再建されたもの。


【菊の門】




元は慶長9年(1604)に徳川家康が寄進した勅使門は火災で焼失。
現在の門は明治44年(1911)再建されたもの。


【大寝殿】


東本願寺正殿として重要な法要儀式の場が大寝殿。

明治元年(1868年)再建されたもの。


【御影堂】






重要文化財。

まずはお参り。
さすがに大本山だけあって堂内は広く厳かでした。


【御影堂門】



【阿弥陀堂】






御影堂の方が大きいのでそちらが本堂と思われがちですが、
こちらの阿弥陀堂が本堂になります。

勿論阿弥陀如来が祀られています。

重要文化財。


【御影堂門】





【京都タワー】



【鐘楼堂】


重要文化財。。

明治27年(1894)再建、梵鐘は平成22年(2010)造。


【慶長撞鐘】


慶長7年(1603)徳川家康から京都烏丸六条の寺地の寄進を得た教如上人が、
同9年(1604)9月の御影堂の造営に合わせて鋳造したもの。







【乳】


どう見てもオッパイだなぁと煩悩丸出しで思っていました。(^^;

これは「にゅう」と呼ばれるもので108の煩悩の数あるそうです。
でも乳という名前が付いてるからやっぱりオッパイなんでしょうね。(笑

さて、長くなりましたので続きは次回へ。

智積院 求聞持堂・密厳堂・三部権現社拝殿(2022年1月22日特別拝観)

2022年05月04日 | 近畿三十六不動尊霊場
続いて特別拝観している智積院の求聞持堂・密厳堂、三部権現社拝殿へ。


【参道】


奥に見えるのが本堂にあたる金堂です。




ちょっと寂しい参道を進みます。
ここは普段参拝者は滅多に歩かない所です。


【興教大師尊像】


興教大師こと覚鑁は高野山から根来に移り真言教学を再興させ、
後に真言宗中興の祖にして新義真言宗始祖。

覚鑁は真言宗において空海以外では、
唯一の仏教哲学「密厳浄土」思想を打ち立てた僧として高く評価されている。


【鐘楼堂・運敞蔵】









【密厳堂】






真言宗中興の祖興教大師覚鑁のご尊像を安置する密厳堂は、
智積院第七世運敞僧正が末寺・学侶に寄付を募り寛文7年(1667)に建立したもの。

外から拝むのかと思っていたら靴を脱いで堂内に入れました。
やっぱり拝観はこうでなくっちゃ。


【三部権現社拝殿】






第三世日誉僧正によって建立。

拝殿に上がって真正面に鎮座する三部権現を拝みます。
その拝殿の天井を見ると見事な龍図が。


【龍図】






作者は不明ですけどなかなか見事な龍図でした。

ありがたいことに写真撮影OKでした。


【三社壇】




智積院の総鎮守。


【求聞持堂】


文殊堂または護摩堂ともいわれ、嘉永4年(1851)に建立されたもの。

こちらも堂内に入れて拝めることが出来ました。
やっぱり嬉しい。

御本尊の虚空蔵菩薩の他にに文殊菩薩と不動明王が祀られていました。


【青銅灯籠】



【境内社】







【蔵】



【境内社】



【宝篋印塔】



【参道】


求聞持堂・密厳堂・三部権現社拝殿の参拝が終わったので、
近くの大師堂へ。


【大師堂】


その名の通り弘法大師が祀られているお堂です。


【弘法大師】



【稚児大師】


稚児大師というのは弘法大師空海の幼少の頃の夢想を図示したもの。


これにて智積院の参拝終了。

特別拝観出来て良かったです。

智積院(2022年1月22日特別拝観)

2022年05月02日 | 近畿三十六不動尊霊場
慌ただしい正月も過ぎ久しぶりに神社仏閣を参拝します。

毎年京都で普段非公開の寺社が公開されますが、
今年はなかなかレアな箇所があって楽しみにしてました。

まずは求聞持堂・密厳堂、三部権現社拝殿が特別公開される智積院へ。
2021年度の冬も特別公開されていましたが、
コロナの陽性者が急増して急遽中止になったんですよね。

この三つのお堂の堂内は普段は拝観不可で、
何回も智積院に参拝している私も初めての堂内拝観だったので、
中止になったのは本当に残念でした。

今年こそはという強い思いを持って智積院に到着。

智積院の駐車場は無料なので助かります。


<2016年2月11日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/528ea53f98fd2e90eb6f11b9186ee7c8


所在地:京都府京都市東山区東大路通七条下ル東瓦町964
宗派:真言宗智山派
御本尊:金剛界大日如来
創建:慶長3年(1598)
開基:玄宥
札所:真言宗十八本山、近畿三十六不動尊、京都十三仏霊場


【境内】




先日の雪がまだ残っていました。

これは後で参拝する塔頭寺院のお庭が楽しみです。


【明王殿】






都四条寺町にある浄土宗の名刹大雲院の本堂の譲渡を受け、
現在の講堂のある場所に移築したもの。

堂内でお不動さんにお参り。


【紅梅】


まだまだ寒いけど少しずつ咲いてきています。


【金堂】


宗祖弘法大師生誕千二百年の記念事業として昭和50年に建立されたもの。

残念ながら絶賛工事中でした。


【収蔵庫】


収蔵庫手前で特別拝観料900円を支払い、
まずは長谷川等伯の国宝障壁画を見ます。


【紙本金地著色桜楓図】




一番気に入った作品は等伯の「松に秋草図」ではなく、
息子の長谷川久蔵との合作である桜楓図です。

国宝。
長谷川久蔵筆。

これは絵の力強さもさることながら、
一日中ずっと見れるほどの日暮門ならぬ日暮絵です。

また、ちょうど私が入っていた時に早朝参拝する団体さんが居て、
案内していた僧侶が収蔵庫の明かりを落として暗くした。

なんということでしょう、
暗闇に桜がうっすら光って浮かび上がって見えるじゃないですか。

これは盛り上げ胡粉と呼ばれる技法で描かれたもので、
僅かな光で浮かび上がって見えるようです。

これを見た時は本当に感動しました。
早朝参拝の方々と同じタイミングで見れてラッキーでした。

僧侶によると早朝参拝の方々は照明を暗くして見れるそうですので、
浮かび上がる桜を見たい方は早朝参拝に参加してください。


【長谷川久蔵】
長谷川等伯の子で本朝画史では「画の清雅さは父に勝り、長谷川派の中で及ぶ者なし。
父の画法を守り(中略)、人物・禽獣・花草に長じる」と高く評価されている。

次代の長谷川派の棟梁として将来を嘱望されていたと思われるが、
父に先んじて26歳で早世した。


【門】




この門の先は有料ゾーンです。


【講堂】






講堂に上がり堂内を拝観。
田渕俊夫画伯の襖絵等が見れますが撮影禁止でした。


【残雪】





【名勝庭園】







【大書院・宸殿】


奥に見えるのが宸殿です。


【名勝庭園】






利休好みの庭園だそうです。


【大書院】




国宝の障壁画がかつて飾られていた大書院から庭園を眺めた秀吉は、
さぞや満足したことでしょう。








収蔵庫のホンモノを模倣した作品ですが、
綺麗なだけでうすっぺらいですね。

特に桜図等は盛り上げ胡粉技法を使われていないから余計に。


【名勝庭園】






豪快かつ華麗な庭園です。
サツキの時期は特に最高なんじゃないでしょうか。


【中庭】











【鐘楼】



【一文字型手水鉢】


次は少しだけ離れた場所にある求聞持堂・密厳堂、三部権現社拝殿を拝観ですが、
長くなりましたので続きは後日。