大阪、兵庫、京都の都市部の神社には、
関東でいう酉の市のような祭事があります。
それが「えべっさん」と親しまれる十日戎です。
ここで崇められるのが恵比寿様で、
室町時代の頃から福の神として祀られてきました。
ご存じの通り、昔から関西は商売上手な土地柄で、
庶民は福を求めてこのような祭事が行われるようになりました。
おもしろいことに関西では超有名は十日戎ですが、
他の地方ではほとんど知られていません。
いかに関西が商売繁盛を求める土地柄かよく分かりますね。
逆に関東では有名な酉の市ですが、
関西では全国放送のニュースでたまにその模様が放送されているだけで、
余り知られていません。
まぁ、祭ってのは地域特有のものだから、
そういうもんなんでしょう。
さて、前置きが長くなりましたが、
十日戎の総本山的な存在は西宮神社と今宮戎神社となります。
今まで参拝客が余りにも多いので十日戎の時は避けていたのですが、
仕事運を高めようと参拝することにしました。
所在地:大阪府大阪市浪速区恵美須西1丁目6-10
御祭神:天照皇大神、事代主命、素盞鳴尊、月読尊、稚日女尊
創建 伝・推古天皇8年(600)
社格:郷社、別表神社
札所:神仏霊場巡拝の道、大阪七福神、なにわ七幸めぐり、南海沿線七福神
【由緒】
推古天皇8年(600)聖徳太子が四天王寺を建立する際に、
その西方の守護神として建立されたと伝えられている。
約100メートル北方に廣田神社が鎮座し関係が深い。
兵庫県西宮市の廣田神社と西宮神社も同じような位置関係にある。
また、京都市東山区の八坂神社は当社の起源を八坂神社境内社の蛭子社を分祀し、
八坂神社の氏子が今宮に移り住み、現在の地に祀ったことに始まるとしている。
その縁起から双方の神社は交流を続けている。
慶長年間(1596-1615)に豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行として、
当社の社殿の造営を行っている。
それと同時に18石の社領を寄進し禁制札を下賜している。
江戸時代中期に十日戎の祭事が始まる。
元禄年間(1688-1704)には現在と同じ形の十日戎の祭礼が行われるようになった。
明治元年(1868)3月、神仏分離令が出される。
明治4年(1871)5月14日に社格制度が制定され当社は郷社に列せられた。
昭和20年(1945)3月13日・14日に行われた第1回大阪大空襲による大火災で社殿等が焼失。
戦後に神社本庁の別表神社に加列されている。
【鳥居】
やはり参拝客はめっちゃ多い。
しかしコロナ前に比べるとまだ少ないそうです。
【狛犬】
【境内】
やはり祭の時は活気があってこちらも元気が貰えます。
【拝殿】
【本殿】
【大国社】
【提灯】
【笹】
笹は無料でいただけます。
この笹に買った好みの吉兆を付けていきます。
【吉兆】
これが結構高い。
さすがにこれは商売人か会社の社長さんじゃないと買えないなぁ。
自分で買った吉兆を笹に付けてもらうタイプとは別に、
小さいながらもいろんな吉兆が予め付いている笹もありましたが、
5千円だったので買いませんでした。(泣)
【境内】
【御朱印】
書き置きの御朱印です。
初めて参拝した十日戎。
静かな神社もいいけど活気ある境内の神社もいい。
きっと神様もお喜びになっていることでしょう。