Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

河口浅間神社(2018年6月16日参拝)

2018年07月31日 | 神社
山梨県笛吹市から山を越えて、
河口湖近くに鎮座する河口浅間神社へ。

感覚的に違う県に来たような錯覚を覚えるが、
富士河口湖町は山梨県だったのね。

関西にずっと住んでいると、
富士五湖辺りは静岡県なのか山梨県なのか、
イマイチよく分からないもんです。(^^;

さて、河口浅間神社に着いたはいいが、
駐車場があるのかよく分からない。

鳥居前には駐車場は無いし、
少し離れた場所に30台以上停めれる駐車場はあるが、
どうも店舗の駐車場にしか見えない。

近くに有料駐車場も無いので、
仕方なく参道横の邪魔にならないスペースに停めさせてもらった。


所在地:山梨県南都留郡富士河口湖町河口1
御祭神:浅間大神(木花開耶姫命)
創建:貞観7年(865)
社格:式内社(論社)、県社


【由緒】
貞観6年(864)に始まった富士山の噴火鎮祭の為、
貞観7年(865)に浅間神を奉斎したのが始まりという。

日本三代実録によると富士山の貞観大噴火が始まって大被害が発生し、
噴火により八代郡の本栖海(本栖湖)と剗の海が埋没したという。

これが駿河国富士山本宮浅間大社の祭祀怠慢とされ、
甲斐国でも浅間神を祭祀するべきこととなった。

翌貞観7年(865)甲斐国八代郡家に浅間明神の祠が祀られ、
官社に列したと記す。

平安時代中期の延喜式神名帳には名神大社として、
甲斐国八代郡 浅間神社の記載がある。

これらの記載に対して江戸時代の大日本史や甲斐国志などにより、
古くから当社がその論社として論じられてきた。

その中で当地は現在都留郡であるが、
当時は八代郡に属したと論じられている。

当社を中心とする地域は富士登拝の大衆化と共に御師集落として発展。
しかし江戸時代になると富士講の流行や吉田御師の発展により、
徐々に衰退していき、19世紀には衰退の一途を辿った。

近代社格制度では明治4年(1871)に郷社に列し、
大正13年(1924)に県社に昇格した。

平成25年6月、世界遺産富士山の構成資産となる。


【鳥居】



【参道】




ここの参道もまた格別。

とても神域感を感じる参道です。(^^


【波多志社】



【随身門】





【拝殿】







【美麗石】





【連理の楓】





【本殿】




慶長11年(1606)の焼失、翌年再建したもの。


【神輿舎】



【合祀社】



【諏訪社】



【七本杉】




天壌杉。






5号と6号の両柱杉。


【山神社】


本殿裏手側に行くと薄暗い雰囲気になります。

多くの神社もこんな感じ。

華やかな雰囲気の拝殿側と薄暗い雰囲気の本殿裏側。

これもまた神社の一面です。
まさに表裏一体ではないか。


【登山道】


少し上に登ると山宮という境内社があり、
そこを富士山と見立てているので登山道としているようです。


【御神木】



【鳥居】




赤い鳥居を見ると反射的に稲荷神社と思ってしまう。


【九合目】


もうすぐ頂上です。(笑)


【山宮】




到着。

少々疲れました。




彫刻された欅に丸いガラスに見立てたアクリルの奥に、
小さなお社が鎮座。

御祭神不明。

さて、さっさと下山しよう。


【出雲社】



【産謝杉・齢鶴杉・神綿杉】








七本杉。


【御爾杉】






七本杉。


【御朱印】



表参道から拝殿までは神域感たっぷりで、
とても良い神社であった。

慈眼寺(2018年6月16日参拝)

2018年07月30日 | 甲斐百八霊場
とても良かった福光園寺の次は慈眼寺というお寺へ。

このお寺は鐘楼門や本堂が私好みなので、
とても楽しみです。


所在地:山梨県笛吹市一宮町末木336
宗派:真言宗智山派
御本尊:千手観世音菩薩
創建:不明
開山:不明
札所:甲斐百八霊場


【縁起】
慈眼寺の創建は不詳ですが文明年間(1469-1487)、
宥日上人が中興開山したと伝えられています。

戦国時代は武田家の戦勝祈願所として寺運が隆盛し、
境内には七堂伽藍が建ち並び甲州国檀林七ヶ寺の筆頭となりました。

しかし天正10年(1582)の織田信長の甲斐侵攻により武田家が滅び、
兵火により堂宇、寺宝、記録などが焼失。

その後、徳川家の祈願所として再興されます。

現在の本堂、庫裏、鐘楼門は第12世宥真が再建したものです。

本堂・庫裏・鐘楼門はいずれも国指定重要文化財、
その他武田家と縁の深い歴史的文化財を多数所蔵する。


【寺号標】


お寺は桃畑の間を進んで行くらしい。


【参道】


行き止まり感バリバリに見えたので、
一旦歩いて行ってみた。

すると鐘楼門の左手から境内に入り、
車を停める事が出来ると判明。(^^


【石仏】



【鐘楼門】




こちらがお目当ての鐘楼門。

素晴らしい。

実に渋い。




反対側から見ても素晴らしい。(^^

慶安3年(1650)に建立されたもの。


【本堂】






いいですね~、
この茅葺屋根がたまらない。

元和8年から慶安3年(1622-1650)に建立されたもの。






本堂は残念ながら閉まっていて内陣は伺い知れないですが、
六室からなる方丈型本堂で中央仏間に御本尊が祀られているそうです。

これってもしかして、慈眼寺は今では真言宗だけど、
昔は禅宗だったんじゃないのかな。


【庫裏】




庫裏もまた茅葺屋根です。(^^

元和8年から寛文7年(1622-1676)に建立されたもの。


【石仏】


上の丸いのは何だろうか?


【仁王像】


ツッコミ満載な感じ。(^^;

何でこんな所に?

仁王さんは北に向いてるけど、
鬼門の方向に安置されてる訳でも無いし。

よく分かりません。(^^;


御朱印はありますが、
御不在の雰囲気を感じたのでピンポンを押すこともなく。

以前より何が何でも御朱印が欲しいと思わなくなってきてます。

福光園寺(2018年6月16日参拝)

2018年07月29日 | 甲斐百八霊場
素晴らしい雰囲気と伽藍を堪能した聖應寺を後にし、
次は重文の吉祥天座像を拝仏しに福光園寺へ。

坐像は全国的にも珍しいそうです。


所在地:山梨県笛吹市御坂町大野寺2027
宗派:真言宗智山派
御本尊:不動明王
創建:不明
開山:不明
札所:甲斐百八霊場


【縁起】
真言宗智山派に所属し真言宗七談林の一つで著名な古刹です。

推古天皇の時代に聖徳太子が創立されたといわれる説があり、
養老年中(717~723)行基菩薩が当山に行脚中滞在し、
本尊不動明王を彫刻して、仏法結縁の霊場とされていました。

その後、真言宗開祖である弘法大師空海が当山に行脚中滞在した際に、
加持祈禱により湧出したと言われている牛池は現在も残っています。

しかし諸堂伽藍を完備し隆昌を極めましたが、
多くの変革を経て荒廃してしまいました。

創立以来数百年を経て保元2年(1157)、
当地の領主であった大野対馬守重包を中興開基に、
賢安上人を中興開山として再建をはかり、
諸堂伽藍を備わり寺号を大野山と称しました。

天正2年(1574)山寺号を現在の大野山福光園寺と改めました。

以前は塔頭16院、寺領を甲府、信濃や駿河に所有していました。
殿堂や伽藍善美に尽して隆盛を極めた時代もありましたが、
天正元年(1573)には落雷により諸堂がことごとく焼失してしまいました。

その後、再建した御堂は安永7年(1778)7月27日、
また寛政12年(1800)10月24日の再度の火災により旧観を全く失い、
古文書や什宝などが多く焼失して、火災を免れたのは鐘楼門だけとされています。


【鐘楼門】


こちらもまた良い雰囲気を醸し出していますね。




寛文12年(1672)に建立されたもの。


【石仏】



【本堂】


天保3年(1832)の再建されたもので、
厨子に安置された不動明王が祀られているとのこと。


【保存庫】


奥様に拝観をお願いすると快諾していただき、
保存庫を開けていただきました。(^^


【吉祥天・持国天・毘沙門天】




運慶の愛弟子の蓮慶の作で重要文化財。

拝観料を支払うと言うと遠慮される奥様。

しかしそういう訳にはいかないので、
300円を賽銭箱に入れさせていただいた。








坐像の吉祥天は全国でも二体だけとか。


撮影はいくらでもOKとのこと。

やっぱりこうでなくっちゃ。

奥様有難うございます。(^^

撮影不可にしている全国の寺社も見習ってほしいわ。




毘沙門天






持国天


【掛軸】


釈迦入滅の定番のものですが、
江戸時代の作らしい。


【真言八祖像】


来客があり奥様は私一人をおいて庫裏へ。

いくら私が信用出来る人間だからって、
ちょっと不用心かも。(^^;

地方ならではのおおらかさでしょうか。(^^


【石仏】



【観音堂】



【御朱印】


御住職が御不在ということで書置きをいただきました。

なかなか味のある良い墨書きです。(^^

御朱印代も要らないという奥様。

商売っけの無い方ですね。(^^

逆にここまでされると奥様の為に支払いたいと思うんですよね。

そういう訳で300円賽銭箱にインしておきました。


福光園寺は重文の仏様も素晴らしかったが、
奥様も仏様のように素晴らしかったです。

とても暖かい気持ちになれた参拝でした。(^^

聖應寺(2018年6月16日参拝)

2018年07月28日 | 甲斐百八霊場
【葡萄畑】






早くシャインマスカットが食べたい。(^^


【岡銚子塚古墳】


聖應寺に行く途中で缶コーヒーを買おうと寄ってみたら、
まさかここが逃げ恥のロケ地だったとは。




笛吹市八代ふるさと公園にある古墳だそうですが、
行った時は人工的に造ったものと思ってました。

良い風景が見れると思って古墳の上に行ってみた。



頂上部分はこんな感じ。








ここで逃げ恥第三話の放送でガッキーを含む主要メンバーが、
大声で叫んでいたシーンが放送されました。




南アルプス方面らしい。

行った時は知らなかったが、
左下にリニアモーターのトンネルがありました。

さて、ロケ地巡りも終えたことだし、聖應寺へ行きますか。



所在地:山梨県笛吹市境川町大黒坂1090
宗派:臨済宗向嶽寺派
御本尊:釈迦如来
創建:康暦元年(1379)
開山:無住道雲
札所:甲斐百八霊場


【総門】


細い道を進むと見事な総門が登場。


【参道】


かなり奥に広がる境内のようです。


【反橋】




寺院の境内に流れる河川に架かるのは珍しいそうです。




車は反橋の先に数台分停めれました。


【参道】


ここの雰囲気が最高ですね。




奥に山門が見えてきました。


【山門】


これはまた素晴らしい山門です。

山梨には本当に良い寺社が多いですね。

参拝していて楽しいです。(^^


【苔】



【仏殿・開山堂】




文化元年(1804)再建されたもの。




いかにも臨済宗寺院の仏殿といった内陣です。

こういった仏殿は入れない事が多いですが、
外からでも内陣を見れて拝めるのは嬉しいことです。


【庭園】



【鐘楼堂】




おー、これは私の大好物の茅葺屋根ではありませんか。(^^




小ぶりながら良い音色でした。


【石仏】





【山門】




どこから見ても素晴らしい。


【参道】


良いお寺だったなぁと、しみじみ感じながらお寺を去る。


御朱印はあるようですが、
庫裏のピンポンを押すこともしませんでした。

ここは御朱印をいただくという欲望を捨てさり、
そのまま静かに去りたかったので。

甲斐奈神社(2018年6月16日参拝)

2018年07月27日 | 神社


泊まったホテル八田の部屋はとても綺麗で静か。

おかげでぐっすりと寝れました。(^^

朝食と朝風呂を済ませチェックアウト。

何十年振りの石和温泉を名残惜しむかのように、
車を走らせていると神社発見。

勿論参拝するのは言うまでもない。(^^



所在地:山梨県笛吹市春日居町国府361
御祭神:彦火火出見尊、大己貴命
創建:神亀3年(726)
社格:式内社(論社)、甲斐国四宮、甲斐国総社(論社)、村社


【由緒】



【社号標】



【道祖神】



【鳥居】


小さな地域に根差した神社のようです。

この時は朝から氏子さん達が色々と作業されていました。


【拝殿】


明治40年の洪水により流失したものを、
大正3年に再建したもの。


【狛犬】



【御神石】



【境内社】



【本殿】



【稲荷神社】



御朱印は昔は宮司さん宅でいただいてる方がいましたが、
今は対面にある「あこがれ食堂」さんでいただけるとか。

これに関しては各自御自身でご確認下さい。

栖雲寺(2018年6月15日参拝)

2018年07月26日 | 甲斐百八霊場


景徳院から更に山奥に車を走らせ、
本日ラストの参拝となる栖雲寺に到着。

物凄く長閑な場所にある栖雲寺もまた武田家所縁のお寺です。

バス停近くに10台分程の無料駐車場がありました。


所在地:山梨県甲州市大和町木賊122
宗派:臨済宗建長寺派
御本尊:宝冠釈迦如来
創建:貞和4年(1348)
開山:業海本浄
開基:武田信満
札所:甲斐百八霊場、甲斐八十八ヶ所霊場


【縁起】
臨済宗建長寺派の寺院で山号を天目山といいます。
南北朝時代の貞和4年(1348)業海本浄を開山として創建されました。

開基は甲斐国主の武田信満公で、往時は中部地方における幻住派の拠点として、
また戦国の大雄武田家の菩提寺として大いに繁栄しました。

勝頼公の敗北後は織田家の兵火で殿堂を焼失しましたが、
徳川家康が寺領を寄付した為に旧観を取り戻しました。

武田家の滅亡によって外護者を失いはしましたが、
鎌倉建長寺の参暇日記によると、
江戸時代には建長寺末山の四大柱寺の一つとして特別の待遇を受け、
衰えたりといえども巨刹の面目を存していた事がわかります。


【本堂】


駐車場から女坂を通って境内に入るといきなり本堂です。

こちらも本堂は残念ながら閉まっていました。


【伝灯庵】


毎年11月中旬の土日は宝物風入れ展というのがあり、
予約無しで拝観出来るそうです。


【鐘楼堂】





【山門】


これが山門なのかな。

通用門のような感じですが。(^^;


【石庭会館】




庫裏横には禅庭があるので行ってみると、
石庭会館という休憩所がありました。






富士之間ともう一つの部屋があり、
部屋からは雄大な富士山が見れるそうです。


【禅庭】


協力金として料金箱に拝観料300円投入。




これは巨石群がある石庭ですね。

人が一から造ったものでは無く、自然を利用した庭ですね。

山梨のお寺はオシャレな庭では無く、
こういった無骨な男らしいものが良く似合う。






こういった巨石がゴロゴロしてます。


【霊石寺】



【百字石】



【梵音洞】





【地蔵菩薩磨崖仏】






よく見たら何とか見えました。


【摩利支天】


幟を見ると摩利支天が上に祀られているようだ。

近くにありますように。




あんまり登ることもなくお堂がありました。(^^

摩利支天は多くの武将が信仰し、
武田の戦になれば必勝祈願の御祈祷がされたそうです。


【文殊菩薩磨崖仏】


橋の向こうに何かあります。




巨石のようです。




なになに、磨崖仏だと。




文殊菩薩というより戦国武将の奥方のように見えますね。


【座禅石】







【忿怒石】




名前の由来は不明です。




石の下には石仏が祀られていましたが、
そのほとんどが首が無いものでした。


【境内社】



【石庭】


下から見上げるとなかなかの迫力です。


【山王神社】


奥に建物が見えます。






これは山王神社の拝殿です。

鎮守社のようです。




本殿。

天正10年(1582)の織田・徳川連合軍による武田領侵攻の兵火により、
焼失した後の慶長6年(1601)に再建されたもの。


それにしてもこの辺りは本当に薄暗い雰囲気です。

さっさと本堂の方へ戻ろう。


【御朱印】


御不在の時は御朱印代と住所、名前等を書いた紙を、
封筒に入れておくと後日送付していただけます。




後日送付されてきた書置きです。


【美と健康と癒しの宿 ホテル八田】


本日のお宿である石和温泉のホテル八田。

このホテルの住所が石和町川中島。

川中島なんて戦国好きとしてたまりません。(^^

後でお土産を親に持っていったら、
私が小学生の頃に石和温泉の別のホテルに泊まっていたらしい。

偶然にも石和温泉に何十年振りに訪れていたとは。

♪あの頃 君は 若かった~♪(遠い目)


【夕食】




山梨といえばほうとうですよね。(^^










美味しかったです。

ただ、海無し県なんだから、
鯛のお造りは出さない方がいいと思う。


食後、名物のワイン風呂と露天風呂に入って就寝。

景徳院(2018年6月15日参拝)

2018年07月25日 | 甲斐百八霊場
大善寺から山道を走り景徳院へ。

景徳院は武田勝頼公の御廟所がある禅寺で、
歴史の一端を感じたいと思います。


所在地:山梨県甲州市大和町田野389
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦如来
創建:天正10年(1583)
開基:徳川家康公
開山:拈橋倀因
札所:甲斐百八霊場


【縁起】
天正10年(1582)3月、甲斐国国主・武田勝頼は、
織田信長・徳川家康連合軍の侵攻により、
甲府から移転した本拠であった新府城を放棄し、
郡内領主・小山田信茂を頼り落ちのびるが、
途中で信茂は離反し天目山において滅亡した。

同年6月、本能寺の変により発生した天正壬午の乱を経て、
甲斐は三河国の徳川家康が領する。

天正壬午の乱において武田遺臣の一部は家康に臣従し、
同年7月に勝頼と家臣ら殉死者の菩提を弔う為、
田野郷一円を寺領として寄進し勝頼主従が自害したこの地に田野寺を建立し、
ここに勝頼主従を手厚く葬った。

広厳院から武田家臣・小宮山内膳の弟である7世拈橋倀因を招き、
天正16年(1589)には伽藍が完成し天童山景徳院と名を改めている。

江戸時代には住職不在状態となり衰退し、寛永年間(1624-1644)に、
広厳院から住職が招かれ再興されているが、
旧武田氏家臣の幕臣の要求により、下総総寧寺の末寺とされたという。

天保年間(1830-1844)には火災が生じて主要伽藍を焼失し、
弘化2年(1845)、明治27年(1894)の 2度にわたって火災に遭い、
往時の建物は山門が残るのみである。

境内には勝頼主従の墓とその位牌を祀っている甲将殿(影殿)があり、
勝頼父子が自害した所と伝えられている生涯石もある。



【総門】


渋い禅寺らしい総門です。

総門近くに無料駐車場があるらしいが、
見つからないし上にもあると信じて進む。


【石碑】



【山門】


質実剛健といった山門で天保6年(1835)に再建されたもの。

少し上に登った場所にも駐車場がありました。


【仁王像】



【旗竪松】


勝頼公は世子の信勝公が元服を済ませていなかったことから、
急いで陣中にあった楯無の鎧を着せて擐甲の礼を行い、
その際重宝旗を根元に立てたといわれる松だそうです。


【本堂】


本堂は残念ながら閉まっていました。

昭和53年(1978)に再建されたもの。


【鐘楼堂】







【境内】


奥に見えるのが山門です。


【庭園】




本堂裏にありました。


【地蔵堂】





【武田慕情】


こんなのがあるんですね。

you tubeで見たら演歌でした。(笑)




【武田勝頼公生涯石】


この石の上で天正10年自害し生涯を閉じました。

勝頼公は武田家を滅ぼしたこともあって、
個人的には評価はしてませんが、
悲劇の武将であったことは間違いありません。


【北条夫人生涯石】


勝頼公は夫人を北条家に返したかったが、
夫人はこれを断り追従。

最期は懐刀を口に含んで自害されたとされる。

何という壮絶な最期。

夫人の年齢は僅か19歳というから驚く。

戦争はいつの世も残酷なものだ。


【甲将殿】


影堂とも呼ばれる甲将殿には勝頼公の家来の位牌が安置されている、
所謂位牌堂ですね。


【武田勝頼・北条夫人・武田信勝墓石】




甲将殿の裏手に祀られていました。


【没頭地蔵尊】


この地蔵尊は勝頼公、北条夫人、信勝を祀っている地蔵尊ですが、
その全てが首が無く残念なことになっています。

だから没頭地蔵尊と名付けられているのか。


これにて武田家終焉の地である景徳院の参拝終了。

やはりどこか悲しげな雰囲気を感じる境内でした。

庫裏に声をかけることもなくお寺を去ったので、
御朱印はいただいておりません。

書置き対応のみのようです。

鎮護国家大善寺(2018年6月15日参拝)

2018年07月24日 | 甲斐百八霊場
なかなか不気味というか何というか、
遊びでは行ってはイケないと感じた人穴浅間神社を後にし、
逃げ恥のロケ地にもなった甲州市の大善寺へ。

ちょっと重い気持ちを顔面偏差値東大のガッキーの笑顔で、
払拭しようと思った訳です。

数年前に山梨の寺社巡りの時に、
この大善寺を参拝し忘れていたという理由もあるけど。

国宝の本堂が超絶倫カッコいいので参拝が楽しみです。


【牧場】




139号線を走っていると牧場があり、
乳牛が飼育されていました。

ここだけだと北海道にいるみたいな錯覚に陥る。(^^


【富士山】




チラ見せとか泣けてくる。

もうちょっと見せてー。


【精進湖】






富士五湖の一つだけどやっぱり小さい湖でした。

精進ブルーラインを走り大善寺に到着。

駐車場は二カ所あり拝観者は無料でした。



所在地;山梨県甲州市勝沼町勝沼3559
宗派:真言宗智山派
御本尊:薬師如来
創建年:伝・養老2年(718)
開山:伝・行基菩薩
札所:甲斐百八霊場、甲斐八十八霊場、甲州東郡七福神巡拝


【縁起】
寺伝に拠れば奈良時代に行基の開創を伝え、
御本尊である薬師如来像の様式等から、
創建は平安時代前期と考えられている。

行基が甲斐国柏尾山の日川渓谷で修行した時に、
夢の中に葡萄を持った薬師如来が現われ、満願を果たし、
葡萄を持った薬師如来像を建立したことが当寺の起源であるとされている。

薬師堂は天禄2年(971)に三枝守国による建立とする伝承がある。
天正10年(1582)3月、織田・徳川連合軍の武田領侵攻に際して、
3月3日に武田勝頼は本拠である新府城から小山田信茂を頼り、
都留郡の岩殿城に向かう。

勝頼はその途中で大善寺に立ち寄り戦勝を祈願している。


【山門】




堂々たる重厚な山門で寛政10年(1798)に再建されたもの。


【仁王像】





【手水鉢】



【石段】



【楽屋堂】


石段の上の建物は楽屋堂というものです。

延宝5年(1677)再建されたもの。

ここから先は拝観料500円要です。


【境内】


大善寺の目玉である本堂が見えます。

他のお堂は後回しにして早速本堂に参拝です。(^^


【本堂】






弘安9年(1286)に建立された国宝。

誰がどう見ても素晴らしいと思える本堂です。

いよいよ堂内に入ります。




画像はネットで拾ったものですが、
ガッキーが座った場所で私も座ったのは言うまでもない。(^^


【薬師三尊像】


重要文化財。

堂内は撮影不可でしたので、
画像はパンフレットを転写拡大したもの。

国宝の厨子に安置され五年に一度御開帳されます。

堂守の方の案内付きで内陣に入って近くで、
十二神将、四天王、月光・日光菩薩を拝仏出来ました。(^^


【手水舎】



【稚児堂】






稚児堂横での二人。(^^


【鐘楼堂】



【行者堂】




役行者が祀られていました。


【石仏・地蔵菩薩】



【芭蕉句俳】



【開運地蔵堂】





【楽屋堂】


ここは靴を脱いで堂内に入れます。




休憩所のようです。




仏様も祀られていました。


【石段】


楽屋堂から見た石段。


【山門】


これから庫裏へ。


【客殿】


拝観料プラス300円でグラスワインかぶどうジュースを、
ここでいただくことが出来ます。

しかしお寺でお酒が飲めるなんて、
教義の厳しい大石寺だったら激怒もんでしょうね。(^^;




こちらも第三話で放送されたシーンです。


【庭園】






江戸初期に作庭されたもの。

京都の庭園を見飽きるほど見ていると、
地味に感じますが、これはこれで落ち着いていい。


【御朱印】


二体の内、御本尊をいただきました。


これにて大善寺参拝終了。

やはり本堂が素晴らしかったです。

また訪れたいね。

人穴浅間神社(2018年6月15日参拝)

2018年07月23日 | 神社
白糸ノ滝から約10分程走って人穴浅間神社へ。

富士宮市には個性豊かな寺社が数多いですが、
この人穴浅間神社は人間でいうと只者では無いといった神社です。

京都や奈良市内には絶対存在しない神社であり、
境内に立ち入ると畏怖の念というか、
人によっては恐怖を感じるかも知れない。

ネットでは心霊スポットとか、車で鳥居をくぐると、
事故ってしまうという都市伝説もあるなど、
いろいろ曰く付きとして紹介されています。

楽しみであり怖い感じがして複雑な気持ちを抱えつつ参拝開始。


所在地:静岡県富士宮市人穴206
御祭神:木花之佐久夜毘売命、源家康朝臣(徳川家康公)、藤原角行
創建:


【由緒】





【鳥居】


これが車で通ってはイケないと噂の鳥居です。

こういうのは案外気にするタイプなんで、
鳥居をくぐる事はしませんでした。(^^;

無料の駐車場は近くにあったし。


【境内】


かなり大きい広場です。

向かって右側には工事関係者の車と建物。

左側には人穴富士講遺跡案内所があり土日はオープン。
書置きの御朱印がいただけるそうです。


【石碑】



【案内板】




ここは神社であり遺跡でもあります。


【石段】


少し上に登って行きます。


【碑塔】




拝殿に近づくと沢山の碑塔があります。

パッと見、墓石に見えますが、
富士講の方々が建てた顕彰や記念碑だそうです。

現在は講の衰退により50年程前から建てられていない模様。


【拝殿】


これはどう見てもお寺のお堂ですね。

拝殿の左側にも沢山の碑塔がありましたが、
かなり不気味な雰囲気で写真を撮る気にもならず。

どう見ても古い墓石としか思えず、
碑塔の下には遺骨が埋まっているのではと勘ぐってしまう。(^^;

それが232基もあるのだからたまらない。


【人穴洞窟】


こちらが人穴ですが、崩落の危険がある為、
数年前から立入禁止となっています。




参拝者に対する注意書きもあり、
触れない、立ち入らない等、禁止されています。




今日は工事関係者が居て、人穴の中に土嚢を下していました。

工事が完了していつの日か人穴に入れるようになれば良いね。

そういう訳で洞穴の様子は、
「アイエエエエ! ジンジャ!? ジンジャナンデ!?」様のブログを、
ご確認いただければ。
https://blogs.yahoo.co.jp/kazuki133/52580534.html


【鳥居】






別の方のブログには帰りは車で鳥居をくぐらないとダメ、
とか書かれていたが、車でくぐっていないんですけど。(^^;

迷信や噂だから信じない信じない。(苦笑)


これにて人穴浅間神社参拝終了。

世の中、遊びで参拝してはいけない寺社があります。

例えば崇道神社や一心寺とか。

ここもまた遊びで訪れてはいけない寺社として、
認定させていただきます。

肝試しとか以ての外です。

白糸ノ滝~お鬢水(2018年6月15日観光)

2018年07月22日 | 旅行・その他
次なる参拝地に向かっている途中、
偶然に白糸ノ滝の近くを通過。

今回の巡礼の旅では華麗にスルーの予定であったが、
余りにも近くに来てしまったので寄り道。

前に来たのは純粋な小学生だった時で、
約ン十年振りとなります。

すっかり色々と汚れてしまったが、
純粋な気持ちを取り戻したいものだ。(^^;


所在地:静岡県富士宮市上井出
日本の滝百選、天然記念物、世界遺産


【有料駐車場】


最初に見た有料駐車場は500円だったので、
他を探すと近くで200円の駐車場がありました。(^^

ここからでも徒歩数分の近さに白糸ノ滝があるとのこと。

500円の方がお土産屋が立ち並んでいますが、
何も購入しない場合はこっちの駐車場にしましょう。


【白糸ノ滝】


最初の展望台から見た白糸ノ滝。

気分は高まる。


【写真パネル】


天気が良くて最高のコンディションだと、
こういう素晴らしい景色が見れるみたい。

はい、今日は無理です。(泣)


【石段】



【白糸ノ滝】


下まで降りてきました。

飛沫がここまで飛んできて、
夏だったら最高に涼しいでしょうね。






充分見事で大きな滝ですが、
小学生の頃に見た時はもっと大きく感じたものだけど、
それは私が大きくなったからなんでしょうね。(^^

天気が良ければ滝壺もエメラルドグリーンで美しいに違いない。




滝見橋から見た白糸ノ滝。








よく見ると崖の中から水が出てるように見えますね。

どうやら水を通しやすい柔らかい地層を、
富士山の雪解け水等が通り、この豊富な水源となっているそうです。


滝見橋を渡り、もう一つの滝である音止めの滝へ。

音止の滝は階段を登って土産物屋を過ぎなければなりません。

この階段が結構しんどいので行くのを迷ったが、
後で後悔するのが嫌だったので行ってみた。


【白糸ノ滝】


展望台から見た白糸ノ滝。


【音止めの滝】




一つの滝とすれば白糸ノ滝より水量が多く豪快です。

しかし、折角の見事な滝なのに、
ここからだと木々が邪魔で見えにくい。

土産物屋を壊してでも見えやすくして欲しいのが、
単なる観光客の願いだけど、それは無理な願いですね。

音止めの滝は個人的に階段を苦労して登ってまで見る必要は、
個人的には感じませんでしたね。


【白糸ノ滝】


もう来れないかも知れないので、
この目でしっかりと見納め。


【お鬢水】


駐車場に戻っていると案内板を発見。

ビッグネームが書かれているではないか。

歴史好きとしてこれは見ておかねば。

危うく見逃すところだった。




この先にあるらしい。(^^;




なるほど、そういう謂れがあるんですね。

本当だったら頼朝公がここに居たと思うと胸熱。


【白糸ノ滝】


ここから白糸ノ滝の上部が見れますが、
滑落防止の為に先に進めないようになっていました。


【神泉】




何とも厳かな場所に泉があります。

ここは富士講の霊場の一つだけあって、
只事では無い雰囲気が漂う。

御祭神は真之御柱竜神、磐長竜神、木之花竜神が、
この霊場に祀られているそうです。


【辨財天】





【神泉】






大概、このような泉は濁り切っているものですが、
ここの泉は本当に綺麗です。

これぞ神泉。

そりゃ頼朝公がここの水で鬢のほつれを直したのも納得。

天照教本社(2018年6月15日参拝)

2018年07月21日 | 神社


村山浅間神社から富士山麓の標高千メートルの場所に鎮座する、
天照教本社へ向けて富士山スカイラインを走り移動。

こちらは以前、テレビで放送されたことがあって、
人魚のミイラが強烈な印象となって記憶に残っているんですよね。

いつかはミイラを見てみたいと思っていたのですが、
年2回の大祭を除き拝観日が限られており普段は非公開。

今回の旅の日程ではミイラの公開は無しなのは分かっていたが、
とりあえず神社だけは参拝しておこうと思い、
ついにここまで来ましたよ。

しかし、私の車のナビでは天照教本社に行くのが苦労した。



富士山スカイラインを外れた脇道を走らなければなりません。

車も滅多に通らないような感じ。




ナビを見るとこの大きな路肩の下を示している。




路肩からこのような道が続いている。

車で行けそうな感じであったが不安を感じたので、
路肩に車を停めて徒歩で進む。




徒歩で100メートルぐらい歩きます。




どうやらここが天照教本社のようです。

車はここまで大丈夫でした。



所在地:静岡県富士宮市栗倉2608
御祭神:天照皇太神
創建:明治6年
教祖:徳田寛豊


【沿革】



【鳥居】



【拝殿】





【御神石】




どちらかが円満石だそうですが、
どっちか分からん。(^^;


【社務所】






こちらにミイラが安置されているようですが、
残念ながら無人。

普段は麓に住んでいらっしゃるのかな。

確かにここだと湿気が凄くて、
住むのはきつそう。


【森】



これにて天照教本社の参拝終了ですが、
奥の院は見逃し。

御朱印の有無も不明。

次回はミイラが見れる時に参拝したいと思います。




下山する時、モヤが凄くてちょっと心配した。(^^;

村山浅間神社・興法寺大日堂(2018年6月15日参拝)

2018年07月20日 | 神社
富士山本門寺根源から約6キロ離れた場所に鎮座する、
村山浅間神社へ移動。

この神社は昔は修験道のお寺で、
今川義元公、武田勝頼公、徳川家康公等、
錚々たる武将が崇敬し篤く守ってきた歴史があります。

にも関わらず、
明治政府のボケどもが発令した悪法の神仏分離令によって、
興法寺は廃され、今は神道に属することになった神社です。


所在地:静岡県富士宮市村山字水神1151
御祭神:木花之佐久夜毘賣命
本地仏:大日如来
配合神:大山祇命、彦火々出見命、瓊瓊杵命、天照大御神、伊弉諾尊、伊弉冉尊
創建:伝・孝昭天皇2年(紀元前474)
社格:県社、浅間大社元摂社


【由緒】
社伝によると孝昭天皇2年(紀元前474)、
富士山中腹の精水ヶ岳(御室)で創建されたとする。

村山は富士山における修験道の中心地であり、
明治時代の廃仏毀釈運動により廃されるまで、
興法寺という寺院であった。

鎌倉時代には修行者により寺院が成立したと考えられ、
村山には正嘉3年(1259)の銘がある大日如来坐像が伝わっている。

修験の一大拠点として賑わう一方、権勢者も崇敬を寄せ、
なかでも駿河国守護今川氏は村山を厚遇している。

今川範忠は文明10年(1478)に社殿を寄進し、
今川義元は村山を俗界権力の及ばない聖域と定め神威維持に助力した。

近世の村山は興法寺を中心とする、
修験者や門前百姓の住む修験集落だった。

天正8年(1580)北条氏の兵火によって社殿を失ったが、
同年武田勝頼が鷹野因幡守徳繁を奉行に御室大日堂を再建。

天正11年(1583)には、徳川家康が堂社および諸末社を再建した。

明治初年の神仏分離令により、三坊の修験者は還俗し興法寺は廃され、
興法寺の中心的堂社であった浅間神社と大日堂は分離された。

また大棟梁権現社は廃され場所を変え高嶺総鎮守として祀られた。

神道に属するようになった浅間神社は明治8年に村社へ列し、
大正13年に県社昇格。

戦後、村山浅間神社として神社本庁包括の宗教法人となった。
その一方、本地大日堂は単立の宗教法人となり、
いまは同一境内に2法人が共存するかたちとなっている。


【一の鳥居】




鳥居前に10台分ぐらいの無料駐車場がありました。


【境内】



【二の鳥居】



【拝殿】



【本殿】



【社務所】


土日のみ開いているそうです。


【興法寺大日堂】




土日にはお堂が開いており、
大日如来坐像等が拝めるそうです。

残念です。


【護摩壇】





【氏神社】







【宝篋印塔・地蔵尊】



【八大金剛童子】



【境内社】



【大スギ】









【御神木】






これにて参拝終了。

土日には社務所で村山浅間神社と大日堂の御朱印をいただけます。

神社とお寺の御朱印を一緒にいただけるのは全国的にも珍しい。

私が知る限りここの他に二カ所の寺社しか知りません。

また、オリジナルの木製の御朱印帳も頒布中。

これはどうしても欲しい。

諦めきれずネットで調べると、村山浅間神社と共同開発した
キャパサービスという会社に連絡すると購入出来るという。

土日の明日と明後日は別の寺社に参拝予定で、
村山浅間神社とはかなり離れているので参拝は無理。


そういう訳で早速電話(0545-32-6132)してみると、
私の住所に注文書を送るとのこと。

後日届いた注文書を見ると木製の御朱印帳2700円、
村山浅間神社と興法寺の御朱印代600円、御朱印帳袋2900円、
ビニールカバー540円、レターパックプレス代510円と記載されていた。

しかし、送金は振込みでは無く現金書留のみなんですよね。

現金書留は郵便局の窓口に出さなければならない。
平日は仕事だし郵便局は遠くて行く事は未だ叶わず。

いつか郵便局に行ける日が来たら購入することにしよう。


<2018年7月24日更新>

【御朱印帳】


現金書留で合計金額3810円を送ると、
数日後に自宅に到着。

御朱印帳のサイズは小さ目ですが、
凄い良い香り。(^^


【御朱印】


神社でお寺の御朱印をいただいたのは、
今回で二回目です。




しかし裏側はこんな感じ。

うーむ、紙質は良く無いですね。

残念。

富士山本門寺根源<北山本門寺>(2018年6月15日参拝)

2018年07月19日 | 神社
凄いお寺だった大石寺を後にし、
次は富士山本門寺根源という何とも仰々しい名前のお寺へ。

根源というからにはとても重要なお寺なんでしょうね。

楽しみです。

大石寺から約3キロの近さです。


所在地:静岡県富士宮市北山4965
宗派:日蓮宗
御本尊:大曼荼羅
創建:永仁6年(1298)
開基:砌日興上人(白蓮阿闍梨)


【縁起】
当山は山号を富士山と称し、今を距る700年前日蓮聖人六上足の、
第三白蓮阿闍梨日興上人の開創した寺で、
元本門宗の祖山であったが現在、日蓮宗の霊跡大本山である。
 
高祖日蓮大聖人の滅後、日興上人は祖師の遺命に従い輪次守塔のかたわら、
身延山を本拠として甲斐駿河の伝道をすすめていられたが、
祖師七回忌の正応元年(1288)12月、身延を下られて、
母方の駿河川合で年を越され、翌2年、南条時光の屈請により上野に移り、
大石寺大坊の工を起こし翌3年には大石ヶ原に大石寺を草創。

さらに上人は重須丸山の風光を愛し同4年に法座を移し重須石川能忠、
上野南条時光の両地頭の施入と上野小泉法華講衆の協力を得て、
永仁元年(1293)より起工せる重須本門寺道場は、
上人53歳に永仁6年本堂・御影堂・垂迹堂の三堂なり、
額を掲げて法華本門寺根源と称された。

なお、永年にわたり富士門流(本門宗)の総本山でしたが、
昭和16年(1941)日蓮宗・本門宗・顕本法華宗の三派合同により、
現在の日蓮宗が誕生し七大本山の位に列せられております。


【境内図】



【鐘楼堂】


お寺は国道469号線沿いにあって、駐車場を見つけたけど、
気づいた時には通り過ぎてしまった。(^^;

Uターンも出来ず少し進むと仁王門が見えて、
そこを左折したら鐘楼堂前に停めれる場所があった次第。

これが後になって裏目に出てしまった。


【仁王門】




本山に相応しい堂々たる見事な仁王門です。

昭和61年(1986)再建されたもの。


【養仙坊】


塔頭の内の一つ。

それにしても塔頭にしては見事な山門です。




本堂。

御首題はいただけるようですが、
鬱陶しい天気なのでスルー。


【法喜門】


養仙坊の対面にある門。

とりあえず先に行ってみよう。


【紫陽花】





【客殿】


この辺りは寂しい雰囲気なので仁王門まで戻る。


【仁王像】





【境内】





【二天門】




二天門というからに二天像が祀られていたのだろうか。


【本堂】




こちらが本堂です。






嬉しいことに本堂内に入れました。(^^

本堂は入ってこそです。


【日蓮聖人像】





【五重塔レプリカ】


明治43年(1910)の大火災により、
五重塔を含め伽藍のほとんどを失ったそうです。


【開山堂】


開山堂は閉まっていました。


【十三重石塔】



【蓮池】





【本化垂迹天照大神宮】






垂迹堂と呼ばれる鎮守社。


【手水舎】



【養運坊】




塔頭の一つ。








塔頭は他に4つありましたが、
時間の都合上割愛。


本門寺根源の御首題は庫裏を見つけられず断念。

最初に見つけた無料駐車場の近くにあったようです。

大石寺 其の二(2018年6月15日参拝)

2018年07月18日 | 仏閣


広大な大石寺の伽藍は本当に凄いものばかり。

これからまだまだ凄いのがあるので楽しみです。


【二天門】


寛永15年(1638年)に創建され、
現在のものは昭和34年(1959)に再建されたもの。


【参道】


奥に大きなお堂が見えます。


【鼓楼】


江戸時代初期に創建され、平成2年(1990)再建されたもの。


【鐘楼】


江戸時代初期に創建され、平成2年(1990)再建されたもの。


【御影堂】




大永2年(1522)に建立され、寛永9年(1632)に再建されたもの。






嬉しいことに本堂外陣に入る事が出来て、
内陣を見て拝む事が出来ました。

大石寺は一般人が堂内に入れないと思っていただけに、
嬉しい誤算です。(^^

内陣には宮殿があり大曼荼羅本尊が中に祀られているのかな。


【奉安殿】




御影堂の後ろには一際大きな建物がある。

昭和30年(1955)11月に第65世日淳の代に、
創価学会会長戸田城聖の寄進により建立されたもの。

東大寺の大仏殿に匹敵するような奉安殿を、
造るとすれば建築費は幾らするんだろうか。

その建築費を寄進するとは創価学会の資金力は半端ねー。

週刊ダイアモンドの記事によると、
信者から集めた資金力は一節によると5兆円とも言われているが、
国税局も入れないのでブラックボックスと化しているとか。




こちらに大御本尊が祀られている最重要なお堂だけあって、
信者以外入れないようになっていました。


【案内図】



【紫陽花】




紫陽花の良さはまだ分かりません。

もっと歳を取らないとダメかな。(^^;


【妙遠坊】



【御塔橋】





【奉安殿】





【潤井川】


ずーと奥まで大石寺の境内ですよ。

どんだけ広いねん。(^^;


【境内】


小雨の降る中、進んで行くと左手にお堂が。


【御経蔵】









【宝物殿】






残念ながら閉まっていました。


【参道】


まだまだ参拝は続きます。

良い雰囲気です。

ここが一番いいですね。




危うく忘れるところでしたが、
大石寺には重文の五重塔があります。


【五重塔】






寛延2年(1749)に建立されたもので、
見事な五重塔です。








静岡で立派な五重塔が見れて嬉しい。

これを見逃していたら後悔して号泣してたね。(^^;

車は五重塔近くにも停めれるようです。


【搭の桟】



【十二角堂】




この辺りの苔を見ると登山する参拝者も、
ほとんど訪れることが無い事が分かります。

開山堂であるが日興上人以来の歴代先師の五輪の位牌を、
安置していることから位牌堂とも呼ばれているそうです。


【大名墓地】






撮影はしてませんが大納骨堂の近くには、
板倉家、前田家、南部家の墓所がありました。


これにて大石寺の参拝終了。

とりあえず行けるところは行けたし、
大石寺側も見学者は拒絶していませんでした。

それにしてもとにかく広い境内で、
その広さは21万坪とか。

伽藍も総本山に相応しいものばかりで圧倒されました。

三門の修理が終わった頃、富士山が見れる晴れの日に、
もう少し深く参拝したいね。

大講堂や広布坊とか入れるなら入ってみたいし。


ちなみに御朱印はありません。
期待してもいけません。(笑)

大石寺 其の一(2018年6月15日参拝) 

2018年07月17日 | 仏閣
富士山本宮浅間大社の次は日蓮正宗総本山である大石寺です。

日蓮正宗のお寺は街中でたまに小さな末寺を見ますが、
どれも一般人が入れないような排他的雰囲気が漂う檀家寺ばかり。

教義的にもかなり厳しく、
観光寺のようなチャラチャラしたものは一切認めていません。

しかもあの創価学会を破門したというから只事では無い。

何でも創価学会は御本尊より池田大作氏を信仰した為、
と言われているが、そのあたりは興味が無いのでスルー。

そういうのを知ると新興宗教と同じように、
大石寺に参拝するのが怖いというか、参拝お断りじゃないのかと、
とても不安を感じる。

本来なら参拝は余りしたくないのだが、
あの大伽藍を一度はこの目で見たいとずっと思っていました。

今回の旅でようやくその願いが叶いました。(^^

楽しみと不安を感じつつ参拝開始。

ちなみに大石寺では参拝では無く登山と形容するそうですが、
私は信者では無いし、おこがましいので参拝とさせていただく。



所在地:静岡県富士宮市上条2057
宗派:日蓮正宗
御本尊:本門戒壇の大御本尊
創建年正応3年(1290)
開基:日興上人(白蓮阿闍梨)



【縁起】
日蓮聖人の六人の弟子の一人日興上人は、
身延の地頭・波木井実長と意見の相違で身延山久遠寺を離山。

後に上野の地頭であった南条朝臣時光の招請を受けて正応3年(1290)、
富士山麓の大石ヶ原に移り住んだのが大石寺のはじまりである。

過去には勝劣派、宗祖本仏論を奉ずる富士門流に属し、
静岡県の駿東地方に分布する 北山本門寺、西山本門寺、下条妙蓮寺、
小泉久遠寺とともに同門流の「富士五山」を構成し、
さらに京都要法寺、伊豆実成寺、保田妙本寺とあわせて、
興門八本山と称される時代もあった。

明治33年(1900)大石寺は末寺等87ヶ寺とともに本門宗を離れ、
日蓮宗富士派を結成。

大石寺は本門戒壇の根本霊場と位置づけられており、
本門戒壇が建立されたときは正式寺号である大本門寺を公称するとの言い伝えもある。

また本門戒壇の大御本尊が安置されていることから、
この世における唯一の常寂光土とも位置付けられている。

明治45年(1912)日蓮宗富士派は日蓮正宗と改称し現在に至る。


【総門】


大伽藍を擁する大本山だけあって、
総門手前だけでは無く各所に大型無料駐車場がありました。


【広布の広場】


何ですか、この広い広場というか境内は。

7500坪あるらしい。

これは相当歩く覚悟が必要だな。(^^;


【広布坊】


このデカい建物は塔中坊の一つだそうで、
これだけで984坪もあります。

一階は1243畳もある広布坊の本堂で、
常住御本尊が祀られているとか。

ここに一般人が入れるかは怖いので確認していません。




こちらは広布坊の裏側です。


【常来坊】


450畳の本堂には常住御本尊が祀られているそうです。


【常灯坊】


こちらも塔中坊の一つ。


【広布の広場】


途中まで歩いたが三門まで果しなく遠く感じたので、
三門手前まで車で移動。(笑)


【三門】




享保2年(1717)に建立されたもので、
平成33年1月まで工事中とのこと。

工事中なのは知っていたのでショックは無かったが、
やはり工事前に見ておきたかったな。

晴れていれば三門向かって右手に富士山が見えますが、
今日は全く見えません。


【中央塔中参道】




三門から長ーーい参道が続き、
左右に小さな塔中坊が立ち並ぶ。


【塔中坊】






【参道】


お!赤い門が見えてきました。




右手にも参道があるが行くのはよそう。


【鬼門】


左の参道には鬼門と呼ばれる赤門がある。

先にこっちに進むとしよう。

享保2年(1717)に建立されたもので、
上部に鬼面が掲げられているから鬼門と呼ばれるそうです。


【境内】


こっちも相当広いです。


【大講堂】


昭和33年(1958)建立されたもので、
702畳の大広間があり布教講演会が行われているそうです。

一般人が入っていいか不明です。

入る勇気が無かった。(^^;


【不開門】






広宣流布の暁まで開かれることのない門として、
この名が付けられ、いわば開かずの勅使門だそうです。

平成10年(1998)に再建されたもの。


【客殿】






完全に本堂かと思っていたが客殿だそうです。

とても客殿と呼ばれるような規模では無い。(^^;

寛正6年(1465)に建立され、
平成10年(1998)に再建されたもの。

開山・二祖日興が書写し大石寺創建時に三祖日目に授与した
御座替本尊の他に日蓮大聖人御影像、
日興上人御影像が祀られているそうです。

閉まっていたのが本当に残念でした。


【六壷】




普通のお寺なら本堂と言っても充分通用するお堂で、
創建当初からあったお堂だそうです。

現在の六壷は昭和63年(1988年)67世日顕代に、
大石寺開創700年を記念して再建されたもの。

日興上人(白蓮阿闍梨)が乾元2年・嘉元元年(1303)に、
持仏堂安置本尊として書写した常住御本尊が祀られています。

こちらは重要なお堂のようで近づくことも出来ませんでした。


【庭園】



【大書院】


六壷の後ろには閂門と塀があり、奥に建物が見えます。

よく分からないが聖地のような雰囲気が漂う。


【参道】


御影堂へと続く参道。

まだまだ大石寺の参拝は続きますが、
長くなりましたのでまた明日。