山梨県笛吹市から山を越えて、
河口湖近くに鎮座する河口浅間神社へ。
感覚的に違う県に来たような錯覚を覚えるが、
富士河口湖町は山梨県だったのね。
関西にずっと住んでいると、
富士五湖辺りは静岡県なのか山梨県なのか、
イマイチよく分からないもんです。(^^;
さて、河口浅間神社に着いたはいいが、
駐車場があるのかよく分からない。
鳥居前には駐車場は無いし、
少し離れた場所に30台以上停めれる駐車場はあるが、
どうも店舗の駐車場にしか見えない。
近くに有料駐車場も無いので、
仕方なく参道横の邪魔にならないスペースに停めさせてもらった。
所在地:山梨県南都留郡富士河口湖町河口1
御祭神:浅間大神(木花開耶姫命)
創建:貞観7年(865)
社格:式内社(論社)、県社
【由緒】
貞観6年(864)に始まった富士山の噴火鎮祭の為、
貞観7年(865)に浅間神を奉斎したのが始まりという。
日本三代実録によると富士山の貞観大噴火が始まって大被害が発生し、
噴火により八代郡の本栖海(本栖湖)と剗の海が埋没したという。
これが駿河国富士山本宮浅間大社の祭祀怠慢とされ、
甲斐国でも浅間神を祭祀するべきこととなった。
翌貞観7年(865)甲斐国八代郡家に浅間明神の祠が祀られ、
官社に列したと記す。
平安時代中期の延喜式神名帳には名神大社として、
甲斐国八代郡 浅間神社の記載がある。
これらの記載に対して江戸時代の大日本史や甲斐国志などにより、
古くから当社がその論社として論じられてきた。
その中で当地は現在都留郡であるが、
当時は八代郡に属したと論じられている。
当社を中心とする地域は富士登拝の大衆化と共に御師集落として発展。
しかし江戸時代になると富士講の流行や吉田御師の発展により、
徐々に衰退していき、19世紀には衰退の一途を辿った。
近代社格制度では明治4年(1871)に郷社に列し、
大正13年(1924)に県社に昇格した。
平成25年6月、世界遺産富士山の構成資産となる。
【鳥居】
【参道】
ここの参道もまた格別。
とても神域感を感じる参道です。(^^
【波多志社】
【随身門】
【拝殿】
【美麗石】
【連理の楓】
【本殿】
慶長11年(1606)の焼失、翌年再建したもの。
【神輿舎】
【合祀社】
【諏訪社】
【七本杉】
天壌杉。
5号と6号の両柱杉。
【山神社】
本殿裏手側に行くと薄暗い雰囲気になります。
多くの神社もこんな感じ。
華やかな雰囲気の拝殿側と薄暗い雰囲気の本殿裏側。
これもまた神社の一面です。
まさに表裏一体ではないか。
【登山道】
少し上に登ると山宮という境内社があり、
そこを富士山と見立てているので登山道としているようです。
【御神木】
【鳥居】
赤い鳥居を見ると反射的に稲荷神社と思ってしまう。
【九合目】
もうすぐ頂上です。(笑)
【山宮】
到着。
少々疲れました。
彫刻された欅に丸いガラスに見立てたアクリルの奥に、
小さなお社が鎮座。
御祭神不明。
さて、さっさと下山しよう。
【出雲社】
【産謝杉・齢鶴杉・神綿杉】
七本杉。
【御爾杉】
七本杉。
【御朱印】
表参道から拝殿までは神域感たっぷりで、
とても良い神社であった。
河口湖近くに鎮座する河口浅間神社へ。
感覚的に違う県に来たような錯覚を覚えるが、
富士河口湖町は山梨県だったのね。
関西にずっと住んでいると、
富士五湖辺りは静岡県なのか山梨県なのか、
イマイチよく分からないもんです。(^^;
さて、河口浅間神社に着いたはいいが、
駐車場があるのかよく分からない。
鳥居前には駐車場は無いし、
少し離れた場所に30台以上停めれる駐車場はあるが、
どうも店舗の駐車場にしか見えない。
近くに有料駐車場も無いので、
仕方なく参道横の邪魔にならないスペースに停めさせてもらった。
所在地:山梨県南都留郡富士河口湖町河口1
御祭神:浅間大神(木花開耶姫命)
創建:貞観7年(865)
社格:式内社(論社)、県社
【由緒】
貞観6年(864)に始まった富士山の噴火鎮祭の為、
貞観7年(865)に浅間神を奉斎したのが始まりという。
日本三代実録によると富士山の貞観大噴火が始まって大被害が発生し、
噴火により八代郡の本栖海(本栖湖)と剗の海が埋没したという。
これが駿河国富士山本宮浅間大社の祭祀怠慢とされ、
甲斐国でも浅間神を祭祀するべきこととなった。
翌貞観7年(865)甲斐国八代郡家に浅間明神の祠が祀られ、
官社に列したと記す。
平安時代中期の延喜式神名帳には名神大社として、
甲斐国八代郡 浅間神社の記載がある。
これらの記載に対して江戸時代の大日本史や甲斐国志などにより、
古くから当社がその論社として論じられてきた。
その中で当地は現在都留郡であるが、
当時は八代郡に属したと論じられている。
当社を中心とする地域は富士登拝の大衆化と共に御師集落として発展。
しかし江戸時代になると富士講の流行や吉田御師の発展により、
徐々に衰退していき、19世紀には衰退の一途を辿った。
近代社格制度では明治4年(1871)に郷社に列し、
大正13年(1924)に県社に昇格した。
平成25年6月、世界遺産富士山の構成資産となる。
【鳥居】
【参道】
ここの参道もまた格別。
とても神域感を感じる参道です。(^^
【波多志社】
【随身門】
【拝殿】
【美麗石】
【連理の楓】
【本殿】
慶長11年(1606)の焼失、翌年再建したもの。
【神輿舎】
【合祀社】
【諏訪社】
【七本杉】
天壌杉。
5号と6号の両柱杉。
【山神社】
本殿裏手側に行くと薄暗い雰囲気になります。
多くの神社もこんな感じ。
華やかな雰囲気の拝殿側と薄暗い雰囲気の本殿裏側。
これもまた神社の一面です。
まさに表裏一体ではないか。
【登山道】
少し上に登ると山宮という境内社があり、
そこを富士山と見立てているので登山道としているようです。
【御神木】
【鳥居】
赤い鳥居を見ると反射的に稲荷神社と思ってしまう。
【九合目】
もうすぐ頂上です。(笑)
【山宮】
到着。
少々疲れました。
彫刻された欅に丸いガラスに見立てたアクリルの奥に、
小さなお社が鎮座。
御祭神不明。
さて、さっさと下山しよう。
【出雲社】
【産謝杉・齢鶴杉・神綿杉】
七本杉。
【御爾杉】
七本杉。
【御朱印】
表参道から拝殿までは神域感たっぷりで、
とても良い神社であった。