Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

恋塚浄禅寺<鳥羽地蔵>(2018年5月5日参拝)

2018年06月30日 | 京都六地蔵巡り
京都にはもう一つの恋塚という名前が付いたお寺があるのを、
ご存知だろうか。

恋塚浄禅寺というのですが、
むしろ京都六地蔵巡りの鳥羽地蔵の方が圧倒的に名が知れています。

どうやら先に参拝した恋塚寺と同じ縁起があるようで、
どちらが本当なんでしょうかね。


御朱印は六地蔵まつりの時以外は要予約でめんどくさいので、
今回はハナから御朱印は諦めています。(笑)

無料駐車場は山門横に7台分ありました。


所在地:京都府京都市南区上鳥羽岩ノ本町93
宗派:浄土宗西山禅林寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:寿永元年(1182)
開山:文覚上人
札所:京都六地蔵巡り


【縁起】



【全景】



【赤門】


こちらは通れないようになっていました。


【石碑】


ガラスで保護されているとは、
この石碑は重要なものなんでしょうね。


【石仏】



【山門】



【境内】


狭苦しい印象を感じる境内です。


【地蔵堂】





【観音堂】




十一面観世音菩薩等が祀られていました。


【本堂】


本堂だけが何故かシャットアウト。

残念です。


【石仏】



御朱印対応といい、排他的な境内の雰囲気といい、
余り良い気はしないお寺でした。

城南宮(2018年5月5日参拝)

2018年06月29日 | 神仏霊場巡拝の道




ラーメン丸源で昼食。

肉そばと鉄板玉子チャーハンは美味かったです。

家系とか横綱のラーメンはきつくなったので、
少しあっさりとしたラーメンがいいのです。(^^

さて、腹を満たしたところで、
春期京都非公開文化財特別拝観をしている城南宮へ。

ここは凄く行きやすい場所に鎮座しているにも関わらず、
何故か今まで参拝する気が無く、今回初めての参拝となります。

あと有名な神社だと貴船神社も参拝していない。

いつの日か鞍馬寺参拝のついでに行ってみよう。



所在地:京都府京都市伏見区中島鳥羽離宮町7
御祭神:息長帯日売命、八千歳神、国常立尊
創建:不明
社格:式内社、府社
札所:神仏霊場巡拝の道、京都五社巡り


【西鳥居】


200台は停めれるという無料駐車場がありました。

いざ初めての参拝開始。


【交通安全祈祷殿】




城南宮では交通安全祈祷が盛んのようです。

大阪で交通安全といえば成田山大阪別院明王院ですが、
京都だと城南宮なのかな。


【神苑】


こちらは有料ゾーンですが今回は入っておりません。

梅の時期は一番良さそうです。


【神輿舎】



【三照宮】




摂社。
御祭神:天照大御神


【鳥居】



【境内】




入った瞬間に良い神社だと感じました。(^^


【拝殿】


舞殿タイプですね。

きっとここで巫女さんが華麗なる舞を披露していることでしょう。


【前殿祈祷殿・本殿】




渋いです。

城南宮では拝殿では無く前殿祈祷殿と呼ぶそうで、
奥に本殿があります。




どうやら本殿は絶賛工事中のようです。


【狛犬】



【むすび殿】


御祈祷受付所。


【神楽殿】



【参道】


東鳥居へと続く参道。

清々しいです。


【絵馬舎】



【唐渡天満宮】




摂社。


【真幡寸神社】



【社務所】


結局、特別拝観を含め有料ゾーンは全て回避。


【御朱印】


書置き三体と直接書いていただける期間限定御朱印が一体があり、
今回はこちらを授与していただきました。

恋塚寺(2018年5月5日参拝)

2018年06月28日 | 仏閣
法傳寺の次は胸キュンな寺名の恋塚寺です。

恋塚なんて淡い青春時代を思いだすじゃないですか。(^^

しかし、この恋塚寺の由来はそんな甘酸っぱいものでは無く、
とても激しく悲しい結末となった悲話がありました。

それは袈裟御前という美女を巡るもの。


【袈裟御前】
平安時代、北面の武士である遠藤武者盛遠が、
かつて求愛したこと袈裟御前は渡辺渡の妻である。

袈裟を妻に迎えたいと内々に伝えたのに、
渡の元へ嫁がせることに盛遠は激怒。

渡と縁を切って自分の妻になれと袈裟に迫るが、
衣川の命を盾に取る盛遠に袈裟御前は困り果てる。

夫を裏切ることなどできはしないが、
みすみす母の命を危険にさらすこともまた許されない。

そこで袈裟御前は妻にしたければ、夫の渡を殺してくださいと、
盛遠に伝える。

喜んだ盛遠は渡辺の屋敷に忍び込み、暗がりの中、
首を討ち着物にくるんで持ち帰った。

月明かりで首を確かめてみると、
それは恋敵の渡辺では無く、愛する袈裟御前の首であった。

盛遠の横恋慕により苦しんだ袈裟御前は、
自らの首を差し出したのだ。

盛遠は自分の罪深さを知り、渡辺の屋敷に戻り、
渡辺に殺してくれと懇願。

驚いた渡辺は盛遠を殺すこともせず、
僧となって袈裟の供養をして一生を過ごそうと言う。

その愛情の深さと心の深さに心を打たれた渡辺もまた出家し、

やがて盛遠は文覚と名を改め、袈裟の眠る場所に寺院を建立したという。
 
それが利剣山恋塚寺である。 



所在地:京都府京都市伏見区下鳥羽城之越町132
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開基:文覚上人


【縁起】



【山門】


素朴な茅葺屋根の山門がたまらなく良いです。(^^

京都市内でこのような茅葺屋根は珍しい。

私は袈裟御前の悲話は全く知らず、
この山門目当てで訪れていたのです。




山門を見てるだけで心が落ち着きますね。(^^


車は山門横に3台分の無料駐車場に停めれました。


【本堂】


小さなお寺です。






平成18年(2006)に修復再建されたもの。


【内陣】






御本尊や袈裟御前が祀られていました。


【水車】



【袈裟御前戀塚】


袈裟御前の首塚とされ、鳥羽伏見の戦いで焼失し、
明治中頃に再建されたもの。


【石碑】



【御朱印】


オールスタンプで200円でした。

法傳寺(2018年5月5日参拝)

2018年06月27日 | 円光大師四十八願所


ゴールデンウィークも終わりに近づいた5月5日。

ようやく調整がついて京都市内へ。

今日は春期京都非公開文化財特別拝観の寺社を中心に巡ります。

とはいえ、既に参拝した社寺がほとんど。

その中でまだ参拝していないのが二ヵ寺と一社。



まずは伏見区の法傳寺というお寺を参拝です。



所在地:京都府京都市伏見区下鳥羽中三町64
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:神亀3年(726)
開基:行基菩薩
札所:円光大師四十八願所


【縁起】
聖武天皇の勅願所にして、神亀3年(726)行基の開基として法田寺と号す。

はじめ真言宗(三論宗の説も有り)であったが、
後に知恩院一一世円智が閑居して浄土宗に改める。

中興円説より木魚による念仏が始まり、
その根源地として「木魚本山」の記述が残る。

また中本山として末寺十数箇寺を有していた。

慶応4年(1868)正月3日から5日にかけて、
激しい戦闘が繰り広げられた鳥羽伏見の戦いでは、
多数の死傷者が当寺に埋葬されたという。


【本堂】


本堂裏手と横に有料駐車場(300円)がありました。




裏門から境内に入っていきます。

どうやら山門は反対側にあるようです。


【山門】


山門は桂川に面した千本通りにありました。


【看板】



【寺号標】



【戊辰東軍戦死之碑】



【御本尊】


境内は全て撮影禁止だったので、
本堂すら撮影出来ていません。

申し訳無いが、そんな大した伽藍では無いのに、
何故このような対応なのか理解不能です。


【御朱印】


御住職が御不在ということで、
四体の内の二体の書置きをいただきました。

天石門別八倉比売神社(2018年5月1日参拝)

2018年06月26日 | 一宮
今回の旅で最後の参拝となるのが天石門別八倉比売神社です。

こちらも阿波国一宮の論社となっていますが、
果たして一宮に相応しい雰囲気を感じられるか、
参拝して確認したいと思います。


所在地:徳島県徳島市国府町矢野531
御祭神:八倉比売命
御神体:杉尾山(神体山)
社格:式内社(論社)、阿波国一宮(論社)、県社
創建:不明


【由緒】
当社は正一位杉尾大明神、天石門別八倉比賣神社等と史書に見えるが、
本殿には出雲宿祢千家某の謹書になる浮彫金箔張りの八倉比賣神宮の遍額が秘蔵され、
先の神符と合せて、氏子、神官が代々八倉比賣神宮と尊崇してきた事に間違いない。
 
古代阿波の地形を復元すると鳴門市より大きく、
磯が和田、早渕の辺まで、輪に入りくんだ湾の奥に当社は位置する。
 
天照大神のイミナを撞賢木厳御魂天疎日向津比賣と申し上げるのも
決して偶然ではない。
 
なお本殿より西北五丁余に五角の天乃真名井がある。

元文年間まで十二段の神饌田の泉であった。

現在大泉神として祀っている。


【鳥居】




車は下の阿波史跡公園に無料の大型駐車場がありますが、
この鳥居近くに停めるスペースが少しありました。


【石段】




薄暗い雰囲気の中、石段を登っていると、
上からスーッと降りてくる虫が私のTシャツにくっついた。

何だろう?と思ってよく見ると、
まさかのヒル。(汗)

慌ててはらい落して御臨終していただいた。

まさかこんな所でヒルに遭遇するとは夢にも思わなかったよ。(泣)

その後、石段をダッシュで登ったのは言うまでもない。(^^;




ダッシュして登った石段を振り返ったところ。

ヒルに遭遇するとこんな石段もめっちゃ早く登れますよ。(笑)


【拝殿】


なかなか良い雰囲気です。(^^




まずはお参り。


【狛犬】





【本殿】



【蔵】



【社務所】


当然のように無人でした。


【稲荷社】



【境内社】



他に少し離れた奥宮は卑弥呼の墓とも言われてるようですが、
まぁ、さすがにそれは無いと思い、疲れていたので行っていない。


御朱印は社務所が無人の場合、
箭執神社近くの宮司さん宅でいただけるようですが、
御自宅まで行くのは憚られたので、いただいておりません。


神社自体は壮大な伽藍も無く、一宮の雰囲気は感じられませんが、
古代の雰囲気を垣間見れた神社でした。


【阿波史跡公園】




奥に竪穴住居が見えます。

行ってみましょう。


【竪穴住居】








復元されたものですが、
無料で拝見出来ます。













【高床倉庫】








なかなか立派な倉庫です。

古のロマンを感じれて良かったです。




さて、これから帰りましょう。


【明石大橋】


今回の徳島の旅も非常に充実した楽しいものでした。

お疲れ自分。(^^

箭執神社(2018年5月1日参拝)

2018年06月25日 | 神社
阿波国一宮の論社の一つである八倉比売神社へ向かうが、
もうすぐ到着という場所で鳥居を発見。

そこに小さな神社があるようなので、
とりあえず寄ってみた。


所在地:徳島県徳島市国府町西矢野
御祭神:櫛岩窓命、豊岩窓命
創建:不明


【由緒】



【鳥居】





【拝殿】


薄暗い中に鎮座する小さな神社ですね。


【狛犬】



【境内社】






石の祠が5つ鎮座。


【気延山古墳群】


古墳時代世紀後半に造られた横穴式石室の古墳があるようだが、
古墳が目的では無いので探すことも無くスルー。

さすがに遠い場所で16時を過ぎると、
早く帰宅したくなるので。(^^;


この神社は八倉比売神社と縁が深いようだが、
境外社では無いようです。

童学寺(2018年5月1日参拝)

2018年06月24日 | 四国別格二十霊場
お遍路の観音寺から四国別格二十霊場札所の童学寺へ向かう。

こちらは弘法大師が幼少の頃に訪れ学問の修行されたお寺ですが、
昨年本堂が火災で焼失するという悲劇のお寺でもあります。

本堂の焼け跡は既に片づけられているということですが、
ほんの少しでも浄財でお役に立てればと参拝した次第です。


所在地:徳島県名西郡石井町石井字城ノ内605
宗派:真言宗善通寺派
御本尊:薬師如来
創建:(伝)飛鳥時代
開基:行基菩薩
札所:四国別格二十霊場、四国三十六不動尊霊場


【縁起】
高祖弘法大師学問所童学寺は弘法大師が神童と称されし頃に、
当山に久しく留滯なされて、学問御修行遊ばされました、
由緒深き所由をもって寺号とす。

弘仁6年(815)弘法大師が42歳のときに再び当寺を訪れて伽藍を整備し、
自らが彫刻した薬師如来、阿弥陀如来、観音菩薩、持国天、毘沙門天、
歓喜天を安置したという。

天正年間、長宗我部元親の兵火を受けて全山焼失したが、
元禄年間に肥後の国より来錫した僧堪霊により再建された。

2017年3月25日午後5時30分頃、庫裏が火元とみられる火災が発生、
本堂及び庫裏などの建物が全焼。

国の重文に指定されている薬師如来坐像は運び出され無事だった。


【溜池】


お寺はとても長閑な場所にあります。


【参道】


奥に見える山門まで車では行けないので、
溜池の横にある空き地に車を停めた。

広い境内なのにはっきりとした駐車場が見当たらなかったよ。


【山門】


これはまた個性的な面白い山門です。


しかし、山門を通るとショックなことが。






こんな酷い落書きがいっぱい。

今まで沢山のお寺を参拝したが、
これほど酷過ぎる落書きを見たのは初めて。

日本全国でもほとんど無いと思う。

怒りと共に悲しくなった。

落書きをした連中は恥を知れ!

きっとまともな死に方をしないでしょうね。

それにしても住職やお寺関係者は、
何故この落書きを放置プレーしてるのでしょうか。

有り得ないんですけど。


【境内】




落書きを見て嫌な気持ちを持ちつつ境内へ。


【いろは大師】



【歓喜天堂】



【蔵】



【宝篋印塔】



【西国三十三観音ミニ霊場】







【涅槃仏】



【鎮守社】



【宝物殿】



【大師堂】





【お遍路ミニ霊場】





【藤棚】



【不動明王】





【七福神】



【三宝荒神】





【地蔵菩薩】



【境内】



【お加持水】




弘法大師所縁の霊泉だそうです。




脳天不動が祀られていました。


【石庭】



【焼け跡】


この門の横には納経所があったようですが、
今は跡形も無くなっていましたが、
門の横にはまだ焼け跡が残ってましたね。


【本堂跡】


本堂も今はこんな感じ。

庫裏から発生した火事が本堂にまで延焼。

こんなに悲しく残念な事はありませんね。

幸いにも御本尊は助け出されたのが、
せめてもの救いです。



火事の模様は「awa-otoko’s blog」様を見ていただければ。
http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2017/04/15/185625


【切支丹灯籠】





【山門】


一日も早く復興されることを祈りながら山門を出た。


【御朱印】


御朱印は二体いただきました。

千手院 観音寺(2018年5月1日参拝)

2018年06月23日 | 四国八十八ヶ所霊場
続いてお遍路十六番札所の観音寺へ。

観音寺の前の道は住宅街で狭く、
対向車に注意とネットでは書かれている。

しかし、438号線や439号線の酷道を走ってきた身とすれば、
鼻歌が出るほど余裕でしたよ。

距離も短いので必要以上に心配する必要はありません。

ただ、無料駐車場が小さく停めれる台数が少ないので、
タイミングが悪いと停められない恐れがあります。

私も何とか停めれた。


所在地:徳島県徳島市国府町観音寺49-2
宗派: 高野山真言宗
御本尊:千手観世音菩薩
創建:天平13年(741)


【縁起】
寺伝では聖武天皇が天平13年(741)、
全国68ヶ所に国分寺・国分尼に寺を創建した際、
行基菩薩に命じて勅願道場として建立した由緒ある古刹とされている。

弘法大師がこの地を訪ねているのは弘仁7年(816)の頃で、
本尊像等を彫造して再興し、現在の寺名を定めたとされている。

その後、他の阿波各地の霊場と同じように栄枯盛衰の運命を歩み、
天正の兵火(1573~1792)にも罹災、蜂須賀家の帰依を受けて、
万治2年(1659)に宥応法師によって再建され、
現在に至っていると伝えられる。


【山門】


小さなお寺には不釣り合いなほど立派な山門です。


【大師堂】


ありがたや ありがたや


【本堂】



【夜泣き地蔵】



【庚申堂】



【八幡総社両神社】


安政2年(1856)に近辺の八幡神社を合祀し再建されたもの。


【御朱印】



【昼食】




いつもなら昼食よりも参拝を優先するのだが、
さすがに疲れが出たのでゆっくりと昼食にすることにした。

うどんが美味しかったです。

興禅寺(2018年5月1日参拝)

2018年06月22日 | 仏閣
お遍路十五番札所国分寺の近くに品のあるお寺を見つけた。

最初はここが国分寺かと思ったけど、
お遍路とは全く関係の無い臨済宗の興禅寺というお寺でした。

とりあえず山門前の雰囲気がとても良いので参拝することに。


所在地:徳島県徳島市国府町西矢野684
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:創建


【地蔵尊】


山門手前に祀られていた地蔵尊です。


【山門】


この山門から発せられる雰囲気がとても良いんですよ。

四国にもこのような凜とした山門があるんですね。

これはとても観音霊場の山門には出せないものです。

決して観音霊場をバカにしてる訳では無いよ。(^^;


【境内】


だだっ広い境内には本堂と墓地があるだけです。


【本堂】


本堂は横に広いタイプの大きなものです。




内陣は臨済宗らしい華美にならず、
あっさりとしたものです。

2本の大黒柱が太過ぎる。

私のアソコも(以下自粛)

失礼しました。(^^;


冗談はさておき、これで参拝終了です。

御不在で確認出来ませんでしたが、
御朱印は恐らく無いと思われます。

阿波國分寺(2018年5月1日参拝)

2018年06月21日 | 四国八十八ヶ所霊場
十四番札所常楽寺から約1キロの近くにあるのが、
十五番札所阿波國分寺です。

これだけ近いと歩きお遍路の方々にとって、
ご褒美みたいな距離ですね。

10数台分の無料駐車場がありました。



所在地:徳島県徳島市国府町矢野718-1
宗派:曹洞宗
御本尊:薬師如来
創建:不明
開基:(伝)行基菩薩
札所:四国八十八ヶ所霊場


【縁起】
阿波國分寺には聖武天皇から釈迦如来の尊像と大般若経が納められ、
本堂には光明皇后のご位牌厨子を奉祀されたと伝えられている。

開基は行基菩薩で自ら薬師如来を彫造し御本尊としている。

創建当初は奈良の法隆寺や薬師寺、興福寺と同じ法相宗であり、
ここに金堂を中心に七重塔も建つ壮大な七堂伽藍が整っていた。

この寺域からは塔の礎石などが発掘されており、
徳島県の史跡に指定されている。

弘法大師が弘仁年間(810-8
24)に四国霊場の開創のため巡教された際に、宗派を真言宗に改めている。

その後、天正の兵火によって灰燼に帰しており、
境内は相当に衰微していた。

寛保元年(1741)に阿波藩郡奉行、速水角五郎によって、
伽藍が再建されて以来、現在の禅宗・曹洞宗寺院となっている。


【山門】


堂々たる山門です。


【境内】


あー、本堂は絶賛工事中かぁ。


【本堂】


仕方ないとはいえ残念。


【七重塔心礎】





【地蔵堂】



【大師堂】


ありがたや ありがたや。


【仮本堂】



【鳥瑟沙摩明王堂】



【秋葉大権現・白山大権現】



【御朱印】


他に本堂裏手に名勝庭園である見事な石庭があったようだけど、
拝観料が必要だし、京都と違って大したことないと思って回避。

しかし、それは間違いであった。

ネットで見るとそれはそれは豪快な石庭。

見ればよかったと後悔したが、
本堂が絶賛工事中だったので、
庭園の良さは半減していたかも知れない。

常楽寺(2018年5月1日参拝)

2018年06月20日 | 四国八十八ヶ所霊場
十三番札所大日寺から十四番札所の常楽寺へ。

大日寺から約3キロ程の近さです。

無料駐車場は分かり難いけど、
庫裏と本堂裏手に10台分程ありました。


所在地:徳島県徳島市国府町延命606
宗派:高野山真言宗
御本尊:弥勒菩薩
創建:(伝)弘仁6年(815)
開基:(伝)弘法大師
札所:四国八十八ヶ所霊場


【縁起】
縁起では弘法大師が42歳の厄年の頃、
この地で真言の秘法を修行していた時に、
多くの菩薩を従えて化身した弥勒さまが来迎されたという。

大師はすぐに感得し側の霊木にその尊像を彫造し、
堂宇を建立して御本尊にした。

後に大師の甥・真然僧正が金堂を建て、
また高野山の再興で知られる祈親上人によって、
講堂や三重塔、仁王門等が建立されて、七堂伽藍がそびえる大寺院となった。

室町時代には阿波守護大名の祈願所にもなっているが、
天正の兵火により焼失し灰燼に帰している。

だが、江戸時代初期には復興。
四国八十八ヶ所霊場の中で唯一、弥勒菩薩を御本尊としている。


【寺号標】


無料駐車場の場所が分からず、
偶然到着したのがここでした。

墓地の横に2台程停めれるスペースがありました。


【石段】


お寺の無料駐車場を利用した場合、
この石段を登る必要はありません。


【境内】


決して広く無い境内ですが、
滅多に無い境内となっています。


【流水岩の庭】


このように境内には奇岩が剥き出しになっているので、
めちゃくちゃ歩き難いです。

どんな山奥にあるお寺や神社であっても、
本堂や本殿前の境内は平地にならされているものです。

それがこのようなゴツゴツした岩場が境内にあるとは、
今まで沢山の寺社を参拝しているが、余り記憶に無いですね。


【本堂】


まずは本堂にお参り。


【如来堂】



【大師堂】


ありがたや ありがたや。


【地蔵堂】



【鐘楼堂】



【修行大師】



【宝篋印塔】





【石仏】



【不動明王】



【庫裏】



【女猫】


玄関で死んだかのように眠っていたので焦った。(^^;


【八幡神社】



【御朱印】



アララギの霊木の枝の間に石仏が祀られているのを見逃し。

また、八幡神社の裏手にある奥の院慈眼寺の地蔵堂には、
生木地蔵が祀られているのを帰宅してから知った。(泣)

あんなに近いのに。

この二つの見逃しは悔いが残るので、
また訪れなければならない。

一宮神社(2018年5月1日参拝)

2018年06月19日 | 一宮


大日寺の真ん前に鎮座するのが一宮神社。

上一宮大粟神社と同じく一宮の論社ですが、
参拝してみてどのように感じるのかな。

一宮らしい雰囲気があるだろうか。



所在地:徳島県徳島市一宮町西丁237
御祭神:大宜都比売命、天石門別八倉比売命
創建:
社格:式内社(論社)、阿波国一宮(論社)、県社



【由緒】



【狛犬】



【太鼓橋】



【鳥居】


一宮と称する割りに小さな神社のようです。


【狛犬】



【拝殿】


なかなか立派な拝殿です。

境内には大日寺と違い参拝者は神社専らしき人が数人のみ。

明治の神仏分離令が出されるまでは、
こちらが札所だったので一宮神社に参拝すればいいのに。

これでは片参りにならないだろうか。


【狛犬】



【御神馬】



【境内社】





【眾灵神様】



【本殿】



【蔵】



【御朱印】


神社の隣りにある社務所兼宮司宅の玄関先にて、
このような対応をされていました。




封筒の中に書置きが入ってあり、
有難く頂戴しました。


一宮神社を参拝してみて感じたのは、
この神社からは一宮の格の高さや神域感を感じれませんでした。

昔は凄かった系なのかな。

大日寺~持正院(2018年5月1日参拝)

2018年06月18日 | 四国八十八ヶ所霊場
神山の神宮寺から徳島市入り。

今日帰宅するので段々と家に近づいてきてます。(^^

次はお遍路13番札所の大日寺へ。

大日寺は4番札所もあるのでややこしい。

ただ、13番札所の大日寺は住職が韓国籍の女性で、
ネットでは韓国人に乗っ取られたと非難されている。

個人的には日本人の方が好ましい気もするけど、
仏教はアジアに広がる宗教なので、
韓国人だから避難するのは間違っていると思う。

しかし、この御住職は統一教会のHPに、
集合写真の中に写っているのよね。

これはよろしくないと思います。

さて、実際に大日寺に行ってみてどう感じるか?

楽しみであり怖いような。



所在地:徳島県徳島市一宮町西丁263
宗派:真言宗大覚寺派
御本尊:十一面観世音菩薩
創建:(伝)弘仁6年(815)
開基:(伝)弘法大師
札所:四国八十八ヶ所霊場、四国三十三観音霊場


【縁起】
縁起によると大師が森というこの地で護摩修法をされていた際に、
空中から大日如来が紫雲とともに舞いおり、
「この地は霊地なり。心あらば一宇を建立すべし」と告げられた。

大師は大日如来像を彫造して御本尊とし、
堂宇を建立し安置したと伝えられている。

戦国時代には天正の兵火により堂塔はすべてが罹災している。
江戸時代の前期に阿波3代目藩主蜂須賀光隆公により本堂が再建され、
諸国に国の総鎮守・一の宮が建立された時には、
その別当寺として同じ境内にあり管理にあたっていた。

一の宮の本地仏は行基菩薩作の十一面観音像とされており、
同じ境内であった為、江戸時代には一の宮神社が札所であり、
納経所として参拝されていたようである。

その後、明治の神仏分離令により神社は独立し、
一宮寺は大日寺ともとの寺名に変えたが、
もともとこの寺にあった大日如来像は脇仏となり、
十一面観音像が本尊として祀られている。



【韓国無形文化財伝授道場】


お寺から少し離れた無料駐車場に道場がありました。

うむ、確かに韓国だな。


【旅館かどや】


お寺の横にある旅館。

その横には大日寺の宿坊もありました。


【境内】


交通量の多い21号線沿いにお寺があります。


【山門】



【本堂】


まずは本堂にお参り。

幸いにも団体さんとバッティングしなかったので、
ストレス無く参拝出来ました。(^^

境内には参拝を終え休憩している方々。

白人の参拝者が結構いましたね。

車で走っている時も白人のお遍路さんが結構居てビックリ。

宗教も価値観も違う白人達は、
弘法大師を尊敬しているとは思えない。

それなのに何故歩きお遍路をしているのだろう?

我々でいうとイスラム教徒のメッカ巡礼を、
歩きでやっているようなもの。

東洋の神秘を感じているのだろうか?

多分、私は生まれ変わっても歩きお遍路はしないと思う。(^^;


【大師堂】


ありがたや ありがたや。


【地蔵堂】



【しあわせ観音】



【鐘楼堂】



【御朱印】


とりあえず境内は韓国チックあ雰囲気は無かったし、
とても落ち着くお寺でしたので、
韓国人がどうのこうのというのは気にする必要はございません。



<持正院>
所在地:徳島県徳島市入田町安都真
宗派:真言宗醍醐派
御本尊:大聖歓喜天
創建:大正13年(1924)
開山:清水栄覚住職





大日寺の駐車場横にあったお寺です。






スゲーでかい提灯が邪魔で内陣が見えません。(^^;

御朱印は恐らく無さそうです。

神宮寺(2018年5月1日参拝)

2018年06月17日 | 四国三十三観音霊場
日本で神仏習合思想に基づいて、
神社に隣接して建立されたお寺が神宮寺と呼ばれる。

春日大社の神宮寺が興福寺のように、
本来の寺号とは違った名前のお寺のことです。

上一宮大粟神社にも隣接する神宮寺があり、
そのお寺の名前がズバリ神宮寺です。

神宮寺は四国三十三観音霊場の札所なんですが、
四国はお遍路が余りにも有名過ぎて、
三十三観音霊場があるとは知りませんでした。

何でも平成2年に設立された新しい霊場会で、
中国、四国、九州の観音霊場からなる百八観音霊場でもあります。


所在地:徳島県名西郡神山町神領字上角438
宗派:高野山真言宗
御本尊:文殊菩薩
創建:神亀5年(728)
開基:行基菩薩
札所:四国三十三観音霊場


【縁起】
当山は聖武天皇、上一宮大粟神社を崇敬の余り勅令を以て、
神亀5年3月、行基菩薩をして創建せしめた勅願寺である。

歴代阿波藩主の尊崇厚き祈祷所として、
初代家政公、四代光隆公の帰依浅からず、
寺領並びに定紋を寺紋として賜り神事には騎馬二頭祭日には神馬を供せられて、
永く鎮守代神の別当であった。

開山以来数度、堂宇を焼失するもその都度、
再興され幾星霜法燈耀として輝き今日に至る。

境内には大師堂、瑜伽大権現、天神社、愛宕社、弁財天を安置す。

大師堂内には弘法大師上一宮大粟神社尊像並びに八幡神社尊像、
その他二体はいづれも神仏習合分離以前、
それぞれ両社に祀られていたものである。

瑜伽大権現は紛失物の祈願をすれば速やかに発見される
霊験あらたかな権現で知られ参詣者が絶えない。


【鐘楼堂】


上一宮大粟神社と神宮寺には明確な境界線が無く、
この鐘楼堂はちょうど真ん中にあって、
どっちの所有なのか分かり難い。

まぁ、隣にお寺があるので、
鐘楼堂は神宮寺のでいいでしょう。


【瑜伽大権現】


上一宮大粟神社を紹介するブログの方々は、
瑜伽大権現を神社の境内社として紹介していますが、
神宮寺の縁起に瑜伽大権現が記載されているので、
神宮寺の境内社でしょう。


【境内】


この辺りから神宮寺の境内ということがハッキリします。


【境内社】


天神社と愛宕社と思われます。




弁財天。


【大師堂】





【ぼけ観音菩薩】



【十三佛】



【本堂】




現在の本堂は弘法大師1150年御遠忌を迎うるにあたり、
檀信徒の浄財に依り改築、昭和58年3月18日に落慶法要したもの。


【寺号標】


門柱があるだけで山門はありませんでした。

下にあった神門がかつての山門だったのかも知れませんね。


【御朱印】


セルフで押印しました。




バインダー形式の書置きでした。

上一宮大粟神社(2018年5月1日参拝)

2018年06月16日 | 一宮
阿波国一宮を称する神社は現在4社あります。

他に大麻比古神社、八倉比売神社、一宮神社と、
次に参拝する上一宮大粟神社です。

基本的に大麻比古神社が一宮とされていますが、
称されるようになったのは室町時代以降とのこと。

古くから一宮とされていたのは上一宮大粟神社とされるが、
全国一の宮巡拝会には加盟しておりません。

上一宮大粟神社が一宮かどうかは詳しい方にお任せするとして、
私は参拝して一宮に相応しい神社かどうか、
雰囲気とか直感で判断したいと思う。


所在地:徳島県名西郡神山町神領字西上角330
御祭神:大宜都比売命
創建:不明
社格:式内社(論社、阿波国一宮(論社)、郷社
札所:新四国曼荼羅霊場


【由緒】
延喜式神名帳に記載される名神大社阿波國名方郡、
天石門別八倉比賣神社の論社の一つである。

天石門別八倉比賣神社は神亀5年(728)に聖武天皇の勅願所となり、
元暦2年(1185)には正一位の神階を授けられた。

平安時代には現在の徳島市一宮町に当社の分祠として、
一宮神社が創建された。

明治3年(1870)社名を埴生女屋神社と改められたが、
氏子の請願により、明治28年(1895)に現在の上一宮大粟神社となった。


【大鳥居】


神社の無料駐車場がありましたが、
どうも地元民が勝手に駐車してる感じ。

参拝する者が停められねーじゃん。(苦笑)


【狛犬】



【第二鳥居】



【神門】


これはもう完全に仁王像がいる山門ですよね。

神仏習合の名残りでしょう。

今は仁王像ではなく随身が祀られていました。


【参道】


うーむ、ちょっとしんどそうだなぁ。




下に車を停めれないし、
こっちの道を車で登っていきますか。


【境内】




上に進むと神宮寺に駐車場があり、
左手に進むと上一宮大粟神社に到着。

車は上の境内にいくらでも停めれました。


【石楠花】





【境内】


凄く良い雰囲気です。

お遍路の札所ではどこも賑わっていますが、
とても静かな境内です。


【参道】


下の大鳥居から続く参道は途中で石段になっていました。

しかし長い参道ですね。(^^;


【拝殿】




いいですね~。

とても渋い拝殿です。


【天井画】



【境内社】





【本殿】




拝殿とは真逆の派手な赤色。

大宜都比売命は穀物・養蚕の神として信仰されていて、
同じ穀物の神である稲荷神と同神とされているからでしょうね。


【大御神社】





普段は無人で静かな佇まいの神社です。

一宮と言われれば納得は出来ると思いますね。


御朱印は宮司さん宅でいただけるようですが、
場所が分からないのでいただいておりません。(^^;